伝言ダイヤル連続昏睡強盗事件報道に接して

大慌てで書いているため、文章が支離滅裂です。とりあえずそのまま出しておきます。後で直すかもしれません。
1999.1.8

はじめに

この年末年始に、神奈川県内で、伝言ダイヤルで知り合った男性に薬物を飲まされた若い女性が2人、相次いで凍死するという事件が起きた。犯人は23歳無職、被害者は24歳の農協職員、20歳の専門学校生である。ほかに財布を奪われただけで済んだ23歳の女子大生がいる。既にその兆候はあるのだが、これでマスコミが「伝言ダイヤル」「携帯電話」といった「若者のコミュニケーション」についてセンセーショナルに書き立てるであろう事は間違いない。そこで、まだそれほど情報の入っていない今のうちに、私なりにこの事件について考えたことをまとめておきたい。

まずは低レベルの感想から

○普通年末年始というのは、テレコミが「寒い」時期だと言われる。こんな時期に3人もの女性を「ゲット」するとは、この犯人は大した「テレコマー」だ。それにしても「ゲット」とは、怖い言葉だと思う。
○これが暖かい時期だったら、被害者たちは眠らされて財布を取られるだけで済み、凍死することなどなかっただろう。(無事に自宅に戻った)八王子の女子大生も、被害届は出していない。犯人も逮捕されることなどなく、これからも伝言昏睡強盗を続けていたのかもしれない。

事件報道のあり方について

6時前にコーヒーを買いに会社の食堂へ行くと、ちょうどテレビでは、番組を中断して犯人逮捕のニュースの速報を流していた。ただの昏睡強盗ではここまで大袈裟な報道にはならない。やはり「伝言ダイヤルで」というところに、報道の力点があるようだ。また、アナウンサーがしきりに「携帯電話の伝言ダイヤルで」と言っているのが気になった。本来、携帯電話でも固定電話でも公衆電話でも違いはないはずなのに。
まあ、マスコミが騒ぎ立てるのは無理もないと思う。「伝言ダイヤル」などという、いかがわしいメディアを通じて知り合った男性と気軽にデートをし、「美容にいい薬」などという言葉をやすやすと信じて被害に遭った女性たちの精神構造について、「専門家」たちはさまざまに分析を行うだろう。「知識人」たちは、この事件に「現代社会の病理」を見るだろう。
そういう分析がすべて間違いだとは言わない。私もこの事件は、分析に値する特異な事件だと思っている。ただ一つ報道陣に望みたいのは、正確な報道である。おそらくこの事件の報道に接した人の中には、「伝言ダイヤル」という言葉自体初耳という人もいるだろう。いや、むしろそういう人が大多数かもしれない。そのような人々に対して、「伝言ダイヤル」利用者への誤った認識を植え付けるような報道には意味がない。しかし、今朝(7日)の朝刊ですでに、「テレクラ・伝言ダイヤル=犯罪の温床」といった書き方をしているものが目に付いた。確かに「テレコミ」を利用した犯罪はある。それと同様に、「テレコミ」を利用しない犯罪もある。今回のケースも、犯人が伝言ダイヤルを利用したのではなく、街で声をかけ(ナンパ)たのだとしたらどうだっただろうか。

テレコミ・規制・犯罪

おそらく今回の事件で、(広義の)テレクラ業者への規制論が再燃することと思う。だが私の考えでは、規制は無意味だ。そもそも今回の事件の裏には、テレクラ出店規制の失敗がある。すでに宮台真司をはじめ、多くの識者に指摘されていることだが、テレクラの出店が規制されたことにより、業者はより目の行き届きにくい「地下」へ潜ってしまい、今回のような犯罪のリスクは増していた。
店舗を構えるテレクラでは、男性会員は、(業者により違いはあるだろうが)自分の身元を業者に明かし、フロントの店員と声を交わす。これは大きな犯罪の抑止力になりうる。ところが、一般回線を利用した無店舗型のテレクラ(ツーショットダイヤル・伝言ダイヤル)の場合、男性会員は一度たりとも身元を明かす必要もないし、声を交わす必要もない。ただ音声ガイダンスにしたがってプッシュホンを押し、金を振り込むだけである。そこに、完全な匿名性が生まれるのである。

知らない人とセックスすること/知らない人にもらった薬を服むこと

今回の事件で一番分からないのは、彼女たちがなぜ薬を飲んだかということだ。飲み物に混ぜられた、というのならまだ話は分かる。こういうメディアを通じて会う男が、みな下心を(強盗をしよう、という下心を持つものはまれだが)持っているのは、彼女たちにも分かっていなかったわけはない。少なくとも3人の被害者がいることから見て、犯人にはそういう特殊な才能があったとしか思えない。
もっとも、避妊具なしで知らない人とセックスしてしまうのも、知らない人にもらった薬を服むのと、リスクの上でも心情的にも、ほとんど変わらないかもしれない。また、こういったことは、彼女たちの「信じやすい心 =純粋さ」に帰することもできるかもしれない。だが正直なところ、その辺の心理はまだ私には分からないことが多い。
小林よしのりが最新号の「ゴーマニズム宣言」の中で今回の事件を予言している。彼の説によれば、今の若者たちは「情報だけを信じている」ために、たとえば電話だけで知り合った男に会いに行って殺されるようなことが起こる、という。だからもっと生身の人間同士の付き合いを深めろ、と。だが私には、この論はかなりピントがずれているように思える。彼女たちはむしろ、犯人の男に会い、生身の彼を信用したからこそ、薬を服んだのだと思う。もっと冷静に情報を判断する能力があれば、彼女たちは被害に遭わずに済んだのだ。

匿名が生む親密さとその怖さ

私はいつも、「テレコミ」の中で自分についてほとんど本当のことを話してしまっている。これはいいことなのかどうか分からない。名前がないからこそ、見えてくるものがあるはずなのだ。そしておそらくこの事件は、「匿名」の持つ力と、その怖さを世間に知らしめた事件なのだろう。


戻る