「テレクラ人類学」の破綻?

1999.3.29

はじめに

サイトの掲示板が盛り上がっている。ネタはぼく自身のこと。最初の頃はまだ楽しむ余裕があったが、さすがに今日に至って、書き込みの数々がぼくの実存に鋭く食い込んでくるようになってきた。もちろん、言われていることのほとんどが当たっているからである。そこで言い訳ということでもないが、少しぼくの考えや、今まで書いていなかったことを書いてみたい。はっきり言って、自分のことを全部話す必要はないわけだが、隠し事が多すぎるために読者の方の誤解を招いている面があるとすれば、それは気持ち悪いからである。

買春のこと

一部に誤解があるようだが、ぼくだってちゃんと(?)買春をしたことがある。性風俗に行ったことがある、というのは「作者について」のページに以前から書いてあることだが、そのことを少し詳しく述べてみよう。彼女と別れる前にも何度か、(「本番」のない)ピンサロとイメクラで遊んでいる。当時は彼女と結婚するつもりだったから、結婚前に体験しておこう、というつもりも少しはあった。別れるときに彼女にそのことを言ってみた(というか、成り行きでポロッと口にしてしまったという方が近い)。彼女は(別れるつもりだったのにも関わらず)非常なショックを受けていた。だから、将来付き合う彼女には、できることなら風俗体験については隠しておこうと思った。
彼女と別れてしばらくは、大袈裟に言えば風俗通いの日々が続いていた。通ったのは主としてイメクラなのだが、本サロと言われる「本番」ができる店にも行ったことがある。顔なじみの風俗嬢もできた。この時期は、別れた彼女のことが文字どおり一秒も頭から離れることがなくて、とにかく何とかして癒されたかった。そしてそれはある程度成功した。ぼくは今でも基本的に買売春が「いいこと」だとは思っていないのだが、現実にはやはり身体の触れ合いというのは強い。それに、一期一会の女性たちとの他愛もない会話もぼくに安らぎを与えてくれた。
しかし何せ風俗は金がかかる。当時のぼくがよく見に行っていた風俗系のサイトでは、月に20万も30万も風俗につぎ込む人たちがいた。さすがにそうなってはヤバイ。本当にどうしようもなく他人の身体のぬくもりがほしくなったら、風俗も一つの手段として「アリ」なのではないか、ということを得てぼくの風俗通いの期間は終わったのである。

テレクラのことと文体のこと

これも一部に誤解があるようだが、ぼくだってちゃんとテレクラを楽しんでいる。会話が弾めば、会えるかな? と期待するし、アポが取れれば、来るといいな、美人だといいな、と思うし、会えば会ったでゲットしたいな、と思う。ぼくだってこう見えても「テレコマー」の端くれだ。というか、そんなことは書かなくても自明のことだと思っていたのだ。
このサイトを始めたのには、風俗通いの時期の影響がある。風俗嬢との会話の中で、透けて見える彼女たちの物の考え方や私生活に興味を引かれたのだった。そしてそれを補強してくれたのが、ぼくがこのサイトを始めてすぐにリンクを張った「もものすけはきたい」というサイトだった。このサイトのウェッブマスターさんは、自らの風俗通いの様子を実に真面目に、淡々と、どこか客観的な筆致で綴っていく。この人は本当に楽しんでいるのだろうか? と思ってしまうほどだ。性風俗に題材をとりながら、人間についてこれほど考えさせる文章が書けるものか、といつも感心しながら読んでいたものである。
すぐにお分かりのことと思うが、ぼくのサイトは彼のサイトの猿真似である。テレクラに行くようになった理由はこれまでも書いてきた通りだが、サイトを始めたのは、電話の向こうの女性たちの話を聞いているうちに、やはり彼女たちの様々な物の考え方、私生活に興味を引かれ、もものすけさんのサイトのことを思い出したからである。ぼくの体験を文章にしても、それなりに面白いものができるのではないか? そういう気分で始めたサイトである。
このサイトを、テレクラ人類学、と名づけたのは少し失敗だった。ぼく自身が「人類学」というタイトルに囚われ、必要以上に「フィールドワーカー」を気取ることになってしまったからである。こんなテレクラ通いが何か学術的な研究につながるわけなどないというのは、初めから分かっている。それでもあえて自分の「活動」を何かの枠にはめた方が、読み物として面白くなるのではないか、ということを期待したのである。途中までは成功だったが…。

ぼくの「主張」とは?

ぼくと他の「テレコミサイト」のウェッブマスターさんたちとの摩擦を心配されている方が多いようだ。これも誤解…、と思っているがどうなのだろうか。サイトだけだとどう思われているか分からないが、一度お酒を飲んだ方なら、ぼくが別にただの「ゲットできないテレコマー」であることはよくご承知の筈だ。
ぼくは「もてない男」である。周りの「ゲット」話が羨ましくて仕方がない。「優しくて、誠実な」自分がもてなくて、「ワガママで、強引な」男がもてるのは不条理だと感じることもある。そして、そんなことを考える自分がイヤになる。また、女性がひどい扱いを受けているのを見聞きすると、腹が立って仕方がない。本当に腹が立つのだからもうどうしようもないのだ。確かにそれは自分が「もてない」ことから来るルサンチマンの仕業なのかもしれないし、それを認めるのもまったく吝かではない。
そして更に、ぼくは今までずっと、様々な価値観を尊重するような教育を受けてきたし、そうしなければならないと思っている。自分の主張は自分の主張でしかなく、他人に押し付けるものではない。また他人の考えを押し付けられるつもりもない。様々な価値観を持った人たちがいかに共に生きていくかが大事なのだ。
話がまったく訳の分からない方向へ飛んでしまった。ともかく、こういう考えを持っているぼくがテレクラへ行ったらどうなるか、というのがこのサイトの主旨なのである。
よく言われる。「いい人ぶるのはよせ!」と。ぼくは言いたい。「なら、『悪い人ぶる』のならいいの?」と。また、「自分は他のテレコマーとは違う」という意識があるのでは? と問う人がいる。当たり前である。人はみな違うのだ。自分を壊せない。プライドが高い。女性に対しても、他の何に対しても、過度の幻想を抱かない。ぼくはそういう人間だ。だと思う。たぶん。


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