Real家のできるまで(2001.9.20)
「金持ち父さん」いわく「家とは資産ではなく、負債である」。実際、家を建てても本当に自分の物になるのは早くて20年、ことによると借金を一代限りで払うことが出来ず「親子リレーローン」なんてバカなものも世の中にはあるくらいで、結局「持ち家」は見果てぬ夢であり、まるでカゴの中のハムスターのように、国や金融機関などのために死ぬまで税金や利子を払い続けるしかないわけです。
と、考える亭主が家を建てようかなどというのは自己矛盾なわけですが、その最大の理由は「集合住宅では子供を育てることが出来ない」ということです。狭い2DKのタテヨコ長屋では上下左右斜めに至る両隣を敵に廻すくらいの覚悟がなくては子育てなんて出来ません。こどもの友達が来て飛んだりはねたりすればすぐ下の階から電話、早起きしてベランダで遊ぶ子供の声がうるさいと隣から怒鳴り声・・声を潜め窓を閉め、抜き足差し足で暮らすなんてまっぴらごめんだ!、と思ったわけです。そんな1999年(長男4歳、次男2歳)の正月早々、ご縁があって都市近郊の住宅地を求めることができました。大抵の場合そういった土地は購入後まもなく家が建つのが普通のようですが、頭金を払ったらスッカラカンでそこまで頭も回らず、あれこれと住宅展示場などを回りました。で、具体的なイメージが固まるには半年かかりました。そのポイントは1.間取りはしない(巨大なワンルームのような家)・かわりに「読書コーナー」とか「作業コーナー」のような居場所をつくる
2.イニシャルコストが低いこと
3.ランニングコストも低いこと
4.シンプルな外観がいい(流行の、妙な洋館まがいの外装は絶対いやだ)などで、大空間を作りやすい構造でかつ光熱費がかからない(夏の給湯と冬の床暖房は晴れていればタダ同然)、しかもイニシャルコストもかからない(なにせベニヤ板まるだし)、外観もシンプルそのものと言う点で、OMソーラー協会のフォルクス・Aというスタイルの家を建てることに決め、実際に工務店に依頼したのは1999年の夏でした。設計士の方と会って自分たちの希望を伝えてどうにか設計図が完成したのは年も越して2000年。3月に地鎮祭、4月に基礎工事で、まもなく上棟となりました。
2000年10月14日より転居、2001年1月の厳冬期には外気温-6℃で蛇口が凍るようなこともありましたが、晴れてさえいれば日中は太陽で床暖房、そのほかの電気・ガスなどの暖房費がかからないのは事実で、なによりも家の中の温度差がほとんどないのが快適です。
この家は、冬の快適さと比較すると夏は・・どうも今ひとつのようで、ソーラーハウスに冷房は邪道などと考えたけど、今年の暑さに負けてエアコンを購入してしまいました。もっとも夏の太陽熱による給湯は強力で、家族4人が風呂・シャワーを使ってもまだ余るほどでした(勿論ガス代0、ちなみに7月のガス料金は3000円ぐらいだった)。
内装もしなければ天井もない、部屋の壁のベニヤ板にはくぎの頭が丸見えというまるで工事中の様な住宅です。今後どのようなトラブルが発生するのか解りませんが、今後も機会があればレポートを更新いたすつもりです。