学校のまわりのユニークな紳士たち
私の子供の頃過ごした街は、東京でも指折りと言われるほどひどいスラム地区であり、通っていた区立の小学校もそのスラムの中心にある商店街に囲まれた中にあり、そのせいか登下校の最中に得体の知れない大人と遭遇することがよくありました。
その1:おかめじじい
毎年4月が来ると小学校の周りの商店街では客寄せのために「馬鹿祭り」というお祭りをします(四月馬鹿〜で馬鹿祭りらしい(^^ゞ)。芸能人を呼んだり、様々なイベントが学校の体育館や校庭を借用して行われます。もちろん4月初めは春休みで学校には子供はいませんが、くりからもんもんのテキ屋のおっちゃんなんかが背をこごめながら体育館の子供用トイレで小用を使うのは不思議な光景でした。このイベントの時期になると決まって現れるのが「おかめじじい」です。彼はどうもテキ屋の仲間ではかなり位の高い人らしく大抵は「たこ八郎」のようなダボシャツ・雪駄履きの子分を2-3人連れて、イベント会場のあちこちのテキ屋に声をかけながら肩で風をきってのし歩いているのです。そころでそのテキ屋軍団、なぜか全員サングラスをしていて、しかも妙なことに子供がほしがるような夜店のセルロイドのお面を頭の横っちょにつけているのです。で、そのお面のデザインがオカメだったり、ちょっとレトロな角隠しのお嫁さんだったりするのです。むろん大人であれば、そのような風体の男たちが歩いていたとしても、笑いを殺してうつむいて通り過ぎるだけですが、無敵の小学生にそんな器用なまねはできるはずもなく、「おっかめじじい〜、おっかめじじい〜」と後ろからはやし立てると、突然振り返って追いかけてきます。もっとも笑いながら追いかけてくるところから、おっちゃんたちも本気ではなく、変なお面はいったい何が目的なのか未だに判りません。
そおいえば、パチンコ屋にはちんどん屋が付き物で銭湯には彫りもん(決して「いれずみ」と言ってはいけません)を入れた若い衆が付き物だったけど・・このごろ見かけなくなったなあ。その2:ブーちゃん
この人は本当に病気の人でした。おそらくは先天性の智恵遅れだと思うのですが、とにかく神出鬼没で恐れられていました。年齢的にはすでに成人していたかと思われる人ですが、公園で小学生の遊びに参加することもよくありました。子供が好きで、仲間に入ってしばらくは機嫌良くドッジボールなどで遊んでいるのですが、ちょっとしたきっかけで興奮しやすい人のため、たいていは誰かが叩かれたり蹴飛ばされたりしするので、誰かが「ブーちゃんが来たぞ!」というと公園の子ども達の間には一種緊張が走り、小さい子供の中には泣いたり逃げたりする子もいました。言葉に障害があり、十分に自分の気持ちを表現できないせいなのかもしれません。
その後何年か過ぎて、いつも遊んでいた原っぱに「ダイエー」ができ、中学生になった私はブーちゃんのこともいつしか忘れていました。そんなある日、ダイエーのゲームコーナーで友達と遊んでいたとき、一人で鼻歌を歌いながら上機嫌のブーちゃんがやってきました。ブーちゃんの坊主頭には早くも白髪が目立つようになり、額のしわもずいぶん増えていました。彼はピンボールをやりたかったようですが、お金もなくやり方も判らずレバーをいじったりガラスをたたいたりして奇声をあげていたところへ異常を察知した警備員が2人やってきて・・・羽交い締めにされるのに数秒もかかりませんでした。警備員に抱えられて、大きな声で泣きじゃくりながら、だだっこのように足をずるずる引きずられながら追い出されていくのが彼を見た最後です。泣きはらした真っ赤な目で、彼は一体なにを抗議したかったのだろう?その3:なわきり
「なわきり」はバタ屋(廃品回収業)のおっちゃんでした。自分の背を遙かに越える、おっきなリヤカーにたくさん段ボールや木ぎれなどをのせて曳いているところをよく見かけました。彼が基地としていたのは、学校の帰り道にある「セキネ」という食堂(タレントの小堺一機も推薦!ディープな「肉まん」が有名)の裏庭で、リヤカーから降ろした荷物を分別して荒縄で縛る作業をしていたようです。ある学校の帰り道、セキネの裏庭の中から大きなうなり声がするので同級生の遠山君が、おそるおそる塀の隙間を覗いてみたところ、彼はなんとハサミもナイフも使わずに荒縄を切っていたのだそうです。この噂がクラスを越え学校中に広まり、子ども達の間ではいつしか一種尊敬をこめて「なわきり」のおっちゃんというあだ名が付くようになりました。ちょうど後にはやる「口裂け女」の噂のように「なわきりが昨日公園の水道で身体を洗ってるのを見た」とか「荒川土手でだれかとキャッチボールをしているのを見た」といった「なわきり目撃情報」が、学校での毎日の話題となりました。身体の数倍はある小山のようなリヤカーを曳き、ナイフを使わず荒縄を切る男・・浅黒い肌のたくましい小柄なその男には大きな外観上の問題がありました(ここでは記しません)。
そんなある日の休み時間、3階の教室の廊下から外をぼんやりみていたら、校門の前をなわきりがリヤカーを曳いてゆくのがみえました。それを見て「すっげえ〜」という者はいても、少なくとも最初ははやす者はいませんでした・・が、集団心理に弱い子供のことです、誰かが「なわきりだ!」と叫ぶと皆が校舎の窓から乗り出して、下を行くなわきりを指さしてやんや、やんやとはやし立てます。最初は何のことか判らなかったなわきりも自分のことを校舎の上から指さして笑っているのに気がつくと・・、リヤカーを門に止め大きな分銅がついた天秤ばかりを振り回しながら校舎内に入ってきました。本能的に「これはやばい」と察知した私は、友達数人と音楽教室に逃げ込み、内側から鍵をかけました。まるで「ジュラシックパーク」の最後の方のシーンみたいです。結局、けが人はなく数枚のガラスが割れただけでなわきりは先生に取り押さえられ、駆けつけた警官につれて行かれました。というものの、こどもの叫び声とだんだん近付いてくるガラスの割れる音を聞きながら、ピアノの下でふるえていたのは今でもはっきり覚えています。今から30年以上も前のことで記憶も切れ切れになりそうですが、もし今なわきりに会うことがあれば心からお詫びしたいと思います。僕たちはなわきりのパワーを畏れ、尊敬こそしたことはあっても、決して馬鹿にしたりはやしたてるつもりはなかったのです。私はこんな幼・少年期を過ごしたので、学校や公園あるいは駅など不特定多数の人間が出入りするところは理解困難な人間もまた多く、極めて危険な場所であるという事はごくあたりまえの事でした。しかし、だからといって大人から「公園へ行ってはイケナイ」などと止められた記憶はありません。つまり当時は、少なくとも「地域社会」というものが今よりは健全で、大人達もおおらかで多少の異常な人々もなんとか世間に交わりながら暮らしていたように思うのです。「なわきり」事件の後はさすがに全校集会で先生から注意されましたが、ブーちゃんと遊んではいけないよというようなことを大人達から言われたことはありません。実際ブーちゃんが公園で癇癪をおこして暴れ出して誰かが泣き出すと、どこからか、かっぽう着を着たおかみさんが飛んできて「あんたなにやってんのよ!」と注意してくれることがしばしばありました。
あまりに気の毒な大阪の小学校の事件を思うと声もでませんが、テレビニュースで見る限り、周囲の環境には恵まれているようです、が逆にそれが仇になっているような気もします。自分の子ども達は恵まれた環境の元で大らかに育って欲しいと思うのは私も人並みでありますが、それと同時に人間のもつ良さも怖さもどのように教えていったらよいのか悩む日々であります。