竹田君のいた夏休み


 僕が小学校に上がった昭和40年頃、実家には竹田君という居候(いそうろう:他人の家に住んで食わせてもらっている人。食客)がいた。
 バーブ佐竹というごつい顔の歌手に似た風貌の彼は、僕の実家に住み込みで働いていた妹を頼って、春先にはるばる岩手から東京にでてきたものの、30歳近い年齢で定職もなく、2−3日いなくなったかと思うと、酔っぱらって着衣のまま隣町の銭湯の湯船で前後不覚の所をお巡りさんにつかまるような、つまり普通ならご免こうむりたいような風来坊で、しかも酒乱であった。どうして僕の両親がこのような人物の世話を焼く気になったかというと、実は彼(とその妹)は、結婚前教師をしていた僕の母の教え子だったのだ。裕福な米穀商の家に生まれた少年時代の彼はよく勉強する優秀な生徒であったらしい、しかし何らかの理由で彼の実家は瓦解し、長男である竹田君も地元には居られなくなり、いろいろな仕事をしてみるものの長続きはせず、各地を転々とする生活になり、その境遇に同情し唯一の身元引受人となったのが僕の両親だったのだ。
 多くの酒徒がそうであるように、酒を飲まない時の竹田君はむしろ良心的な小心者で、僕と僕の3歳年上の兄のよい遊び相手になってくれた。虫取りがうまく、木登りの上手な竹田君であったが、典型的東京のスラムであった実家近くには林がなく、木登りを教えたくてもよい枝振りの雑木が少ないことを嘆いていた。器用でしかも大工の心得のある竹田君は、実家に必要ないろんな物を作ってくれたが、その中で最高に楽しかったのは物干し台の改造だった。昔の多くの日本家屋がそうであったように、当時の実家の瓦屋根の上には、二階から出入りする木でしつらえた、今様ならば一種のウッドデッキともいえる三畳間ほどの空間があった(往年のドラマ「時間ですよ」にでてくるあれだ)。

「じゃあたたき落とすぞ」
「せーの」
  と竹田君と僕と僕の兄の3人が声を合わせると、物干し台の柱の中途に入れた5cmほどの切り込みが、だるま落としのようにはずれた。この断端を巨大なステープラーのようなカスガイで固定すると。
「子はカスガイっていうんだぞ」と教えてくれた竹田君。もっとも当時の子どもにとってはカスガイというのは駄菓子屋で売っている粉末ジュースの会社の名でしかなかった(いまはのど飴を作っている)。

 結局、物干し台の水平な梁を支えていた4本ある柱の2本を短縮することによって、水平な梁はかたむいて、片妻屋根を張る事の出来るかたちになった。屋根と周囲は半透明な塩化ビニールの波板で囲って、適当なところにどこからか拾ってきたガラスの入った窓枠をくっつけて、2日ほどでバラック小屋は完成した。当初は梅雨時、雨の日でも困らない物干場というコンセプトであったようだが、僕と僕の兄が参加するようになってからは秘密基地を作ることにすっかり変わってしまった。そして梅雨も明けていよいよ夏休み、竹田君と僕たちは毎晩そこに布団を敷いて寝た。屋根と周囲を囲ってあるものの、床は元々のままでスノコ状のため熱がこもらず、蚊に刺されること以外はとても快適だった。僕は秘密基地の窓からひもを放射状に垂らして、庭に植えている朝顔やヘチマを伝わせることを思いついた。夏休みも終わり近くになると思い通りバラック小屋の窓の周りは朝顔の花とヘチマの実がぶら下がるようになった。しかし、夏休みは終わり、台風がくるとヘチマ朝顔をつるしていたひもは切れて隣の家まで飛ばされてずたずたになり、破れた窓ガラスからは秋風が吹き込むようになり、僕たちはいつしかそこに近づかなくなってきた。
 大家といえば親も同然、店子といえば子も同然・・という湿っぽい古い倫理観。男はつらいよという古風な映画は親子や仁義という感覚をみんなが共通して持っている上で成り立つストーリーだが、そういう儒教的倫理感覚が昭和時代の遺物であることは確かだろう。つまり他人同士が親子同然に同居しつつ三杯目はそっと出す「居候」や「住み込みの従業員」はすたれて、アパートで気ままに一人暮らしの「フリーター」の時代になったのだ。
 いい年をして定職もなくぶらぶらしている大人は、法事などで親戚が大勢集まると一人ぐらいは居て、大人たちに不人気なのになぜか子どもには人気があるものだ。子どもにとっては親でも先生でもない大人、それも何か不可思議な大人が同居しているというのは必ずしもマイナスのことではない。実際竹田君のいた一回限りの夏休みからもうすでに35年以上になるのに僕はくっきりと覚えている。
 青いミカンを剥くたびに思い出す、陰影の強い運動会の日の青空。そんなよく晴れた10月のある日、学校から帰ってくると僕の大好きだった竹田君は忽然といなくなっていた。その数日前に父と竹田君が夜中に口論しているのを僕たち兄弟はふすまごしの寝床で聞いていた。不思議なのは竹田君も父も泣いていたことだ。それ以来、彼のいた夏休みは、もう二度と来ることはなく僕も大人になってしまった。

 最近、竹田君が数年前に亡くなっていたらしいことを聞いた。

合掌