昭和52年・あの寒い夏
中学受験の熱気からだいぶたって、エスカレーター式に高校へと進んでからというもの、僕たちはすっかりのびきったゴムのような、屈託だらけで青春の輝きとはほど遠い怠惰な高校生活を送っていた。
中学3年生の頃から誰とはなく集まって始めたバンドであったが、当初はビートルズのコピーをして悦に入っていたものの、さすがに高校生でビートルズが好きとは云いにくく、ディープパープルを入門に、ツェッペリンやらクリームやらのハードロックこそが音楽であるという、セックスピストルズがメジャーデビューするには少し間のある時代、まだパンクという言葉すら知らない頃のロック小僧たち、僕もそんな、にやけた男子高校の3年生だった。
「すごいテクのインスト・バンドがあるんだよ」とバンド仲間のAに誘われ
「インストって・・まさかあのベンチャーズみたいなもん?」と尋ねたところ
「莫迦、クロスオーバーだよ・・スタッフとかクルセイダースとかいるだろ、ああいうかっこいい音楽だよ、知らないのか?」
「はあ・・」
というような会話をしながら、僕たちはアマチュアバンドの登竜門であるEASTWESTブロック大会が開かれる渋谷エピキュラスへ向かう坂をのぼったのは、たしか初夏の頃だったろうか。
並み居るほかのバンドと異なり、凄いテクニックなのに、それをひけらかすでもなく、スムースで洒落ている、のちに「フュージョン」と呼ばれる音楽を演奏する、うわさのバンドは、メジャーデビュー前の「カシオペア」で、前年に引き続き2度目の優勝は決まっていたようなものであった。
その日のEASTWESTには同級生のバンドもでていて、僕とAは前年まで参加していたのだけど「受験だから」といいつつ実際は単なる仲間割れで脱退したばかりだった。その同級生バンドは、今回もオリジナルのブルースで参加したものの、ギターの早弾きだけが売り物の凡庸な演奏で、審査員の評価もまあまあといったところだった。
かつての仲間たちの演奏が終わると、僕の隣に座っていたAは席を立ってどこかへ行ってしまった。何か、もごもご云っていたけど聞き取れなかった。
さて、コンテストもいよいよ中盤となりいよいよカシオペアが登場した。バンド界には珍しく饒舌なキーボードの向谷氏のMCを挟みながらの軽快な演奏に圧倒されながら聞き入っていると、どこからか青いキャミソールを着た、小柄で小顔のグルーピー?の女子がやってきて、僕の隣の空席にちょこんと座った。座りしなに軽く会釈をしたその涼しげな瞳に、僕は・・一目惚れをしてしまった。そこでいわゆるひとつのナンパを仕掛けてみることにした。もちろん会話のきっかけは超絶技巧のバンドである。
「カシオペアが好きなの?」
我ながらなんと凡庸でまぬけな言葉だろうか・・彼女は果たして綺麗な八の字眉をひそめると、まったく困った顔になってしまい、
「いえ、別のバンドに知り合いがでてるから・・」とか云うと、舞台の方を向いてしまった。その後僕が彼女とどういった言葉を交わしたのかは覚えていないが、彼女は英語が好きで将来はあちらこちらの外国に住みたいとかなんとか云っていたような気がする。
さて、コンテストの行方といえば下馬評通りカシオペアの優勝で終了、審査員のたってのリクエストでアンコールの演奏まであり、僕は十分に堪能して席を立とうとすると、ようやくどこからかAがやってきて八の字眉の彼女の肩に手をかけて
「やあ、ラムジーっていうんだ、よろしくな」・・えっ? ええっ??
つまりこういうことだった。Aとエピキュラスで落ち合う約束に遅れたラムジーが、立ち見はいやでどうしても座りたいというので、心優しいAが席をゆずったという他愛のない話だ。しかし僕がラムジーに話しかけてるのをみて、彼女に気があるんじゃないかと、ほくそ笑みながらAは遠くから僕を見ていたらしい。もちろん僕は誓って友達の彼女をナンパするような不届きものではない。もっともらしくその場を取り繕うことなら40歳もとうに越えた今ならばもう少し器用にできるものの、いささかの狼狽を見抜かれた当時の僕が一人で帰途についたことは云うまでもない。
僕たちの高校にはご丁寧なことに大学まであって、クラスの半分以上は受験せず、そのままエスカレーター式に進学することになっていた。Aはもちろんエスカレーター組で、僕は全くやる気がなく、かといってエスカレーターに乗る気もしない煮えきらない性格で(これだけは今もって修正できそうにない)。ともかく勝敗を決める夏休みになった。
よく雨の降り続く、半袖では寒いくらいの夏だった。日々是決戦・親身の指導で有名な大予備校の夏期講習をとりあえず受けてみることにした僕は教室に向かい、雨を避けたタバコ臭い外階段の踊り場でハッと立ち止まった。
「こんにちは・・・」
軽く会釈するその瞳、少し困ったような美しい眉、あの日とは違って香蘭女学校の制服を着ていたものの、ラムジーそのものであった。
「いやーびっくりしたなあ、少し時間ある?」
今度は同じ受験生同士という気安さもあって、茶店(さてん:死語かも)でも誘おうかという図々しい目論みは軽くいなされて、ほんの1−2分の立ち話。
「そうか、慶應の英文科を目指してるのかぁ、優秀だね」
「あなたは理科系なの?」
「いや、まだ決めてないんだ・・本当のことをいうと・・」
と僕が言いかけたところで彼女は軽く掌を振って教室へと去っていった。結局、本当の名前すら知らないまま(もちろん)ラムジーに二度と出会うことなく寒い夏は過ぎていった。
翌春、ラムジーはめでたく志望校に合格し、その後別れたとAから聞いたのはキャンディーズの解散コンサートが後楽園球場で行われた頃だった。僕はといえばもちろん受験したすべての学校に落ちて、あてもなく無気力な予備校生だった。そんな僕もなんとか今では、毎日ちゃんと仕事をして税金を払い、結婚して子どもまで育てている。
もちろん自分の居場所を信念で切り開いていく人生はすばらしいものだと思う。しかし高三の夏になっても志望校はおろか、文系か理系かどうかも決められないでいた(結局どっちも無能で0点ならいっしょ、か・・)僕は、いまだにけせらせらと、優柔不断な人生を送っている。そして雨の降り続く夜、繰り返す夢の中でいつまでも高校生の僕はラムジーに猛烈にアタックし続けているんだ。