とかく世間は世知辛い
戦争の狂熱のさなかでもない限り、わざわざ好きこのんで他人の部下となり、権力に従うことに喜びを感じるなんて変人はいません。だからハタ目では一枚岩に見える会社・学校・医局・サークル・ボランティア・NGO・ヤクザ屋さん・・など、どのような組織であっても、組織というものが結局、上司→部下という「不平等」を含んでいる以上、一皮むいてその中に入れば妬みと怨嗟の声であふれかえっているのが普通です。つまり、部下の立場は「しょうがねえから上司の言うことを聞いてやってんだよ」というのが世間の基本・常識です。そして古来、そういった部下の不平・不満をどのように封じ込め・昇華させ、解決するかという事が経営者(マネージャー)の手腕とされているのです。そこで、その解決策のパターンについて、亭主鼻毛を抜き抜き考えてみたのでご高覧ください。
解決策その1「指導者を神格化する」
指導者の権威は、理屈ぬきに初めっから存在するものだ、と強制すること。「ご主人様は私たちのお父さまです。逆らうなんざ畏れおおい、バチが当たります!」といって脅かす方法。これは社会全体が未熟-特に情報インフラが未整備で、かつメンバーが素朴なヒトばかりの時に特に有用な方法で、現在では北朝鮮ぐらいでしか通用しない。最大の弱点は神格化された権威は、継承することが困難であること。「二代目の坊ちゃんは手歩丼花火にばっかり夢中で、立派だった先代と比べると、どうも・・ねえ」などと隣国でささやかれているかどうかは知りませんが・・・。
もう少し近代的で気の利いた方法としては個人崇拝ではなく「mission statement」や「建学の精神」といったもんをたて祭り上げると言う方法があって、これは実際ほとんどの組織で行われています。しかしながら、多くのスローガンは時代とともに陳腐化するのが常で、陳腐化を少くしようとすると、こんどは意味不明でどうでもいいような「地球に優しく」とか「自由とモラル」なんていうスローガンになってしまうわけです。解決策その2「組織外に仮想敵を設定する」
もしくは本当に抗争をおっぱじめるということは、組織の求心力を高めるために非常に有効な方法です。組織力は理念より怨念であるといわれる所以です。ただし「敵をたおせ!」と叫び続けるようなハイ・テンションを恒常的に続けられる疲れを知らないヒトは滅多にいません。例えば忠臣蔵の赤穂浪士の場合は、討ち入りまでわずか1年数カ月しかかかっていないわけで、ハイ・テンションを保てるのは普通人ではまあ2-3年程度が限界で、それ以上長期に継続するには敵愾心をあおるような何らかの事件が次々と起きること(例:朝鮮動乱→キューバ危機→ベトナム戦争→アフガニスタン侵攻)など、いわば「怨念のおかわりシステム」が必要です。スポーツの世界で毎年行われる、優勝をめざしたペナントレースなどは「怨念のおかわりシステム」の最も上手な利用法のひとつで、その他にもコンテスト・学会などなど定期的に人々が集まって優劣を競うもののなかには、巧妙に隠されたうえで、必ず「怨念のおかわりシステム」が取り込まれています。
しかしなんと言っても仮想敵を設定する方法の最大の欠点は、必然の破滅が内包されていることです。すなわち敵を倒した、もしくは敵が自滅した場合、それ以降一種の虚脱状態に陥ってしまい、永続的に安定な組織に移譲することはほとんどなく、ベルリンの壁崩壊後のようにかえって混乱する例が多い(もしくは赤穂浪士のように自刃するしかない)ことです。解決策その3「組織の力を弱め、自主管理にする」
通常の組織が“上司=頭=計画する人”、“部下=足=実行する人”と2分化していたことをやめて「自分の仕事の目標は自分で決めて自分で評価する」という方法。いたって現代的で耳障りの良い、理想とも思える方法であるが、最大の問題点はメンバーが皆、それにふさわしい人格であることが必要とされる。程度の低い人格に「自主管理」させた場合、例えば酒を飲んでも暴れても、業績さえ挙げればいいんだろというような「自己弁護」にすり変わる可能性があり、そんなメンバーが増えると結局組織はがたがたになってしまい、ひいては「やっぱりオレが仕切らなければだめだ」などという乱暴者のクーデターを正当化することになってしまいます。
「自分のことは自分でする」とか「他人に迷惑をかけない」なんてまるで小学校の朝礼の校長訓話みたいですが、小さい頃からそれだけ言われ続けていてもセルフ・コントロールやそれに伴う責任感などは日本人には不似合いで、マッタクモッテ身に付かないものです。まして「解決策その3」でうまくいっている組織なんて、残念ながら世の中にほとんど無いような気がします。また、組織の力を弱め、自主管理にすると言うことはすなわち個人の能力評価を自由競争・弱肉強食の市場原理にまかせるという事であり、それまでのように年功序列に安穏とすることはできなくなるわけです。そして結局、組織が“妬みと怨嗟の声であふれかえっている”状況は、“嫉妬クラブ”のメンバーが変わるだけで続いていくわけです。
「組織の力を弱め、自主管理にする」スタイルの究極は各々が森の中で一人で暮らすオランウータン型社会、例えば普通のofficeが消滅し、みんなSOHOとインターネットで在宅勤務、医者の世界ならば大学医局が消滅し、開業医と「渡り」の医者だけになる世界が考えられるけど、人間の先祖は「森の哲人」よりは、群れたがりのサル山の日本サルの方に近いような気もする。人は3人寄ると派閥ができるなどと言いますが、それにつけても御同輩、人のいるところ妬みと怨嗟の声のないところはなさそうで、全く嫌になりますなあ。亭主のごときは子供の頃大人達が愚痴をこぼしているのが嫌で、自由業とも言われる現在の仕事を選んだという事も少しはあるのですが、一皮むいてその中にはいるとこれがどうしてなまなか難物で、元々が組織化されるための訓練を受けていない人間(=in other words :ワガママな甘ちゃん)の集まりですから、余計あんばいうまくいくはずもなく、「大学医局における力関係」を観察することが亭主にとって興味深く面白くもあり、今日に至っています。そもそも医局講座制というものをこのような「組織論」といった観点から大上段にぶった斬っている書物は亭主寡聞にして知らず、どなたかご存じであればぜひ、ご紹介いただきたくお願いいたします。
さて、亭主の所属するいわゆる医局は近々指導者の代替わりが予定されています。無論、亭主のごときにとっては全く蚊帳の外、どのような意志に基づいて決定されることなのかはあずかり知らぬ所です。しかし、医局力学についてのフィールド・ワークと言う点からは願ってもない観察のチャンスとばかり、しばし高見の見物のうえ、興味深く今後もレポートを続けたく思います。
参考文献(というのもヘンなのですが)
ディルバートの法則:スコット・アダムス、アスキー社,1997.ほか。このシリーズは面白い!