老婦人の死-ホーム・タウン・レス

 火曜日の早朝5時26分、72歳になる老婦人が息をひきとった。病名は子宮頚癌放射線治療後再発であった。彼女の下腹部は、癌組織に占拠されたため尿路は閉塞し、尿は一滴も出ず、また肝臓には無数の転移病巣があるため黄疸がひどく、貧血があるにもかかわらず顔色は土気色だった。入院の数日前からまったく食事は摂れず、すぐに中心静脈に高カロリー輸液のためのカテーテルが留置されたが、彼女の栄養状態は改善せず、むしろ全身のむくみが増えただけであった。すなわち、あらゆる治療が奏効しがたい、いわゆる末期癌の悪液質で彼女は亡くなった。不思議なものでこのような死では、多くの場合自然に意識レベルが低下してくるため、しばしば問題となる、絶えがたい疼痛の訴えは殆どなく、静かに彼女は息をひきとったのだ。

 臨終には、急を知らされ駆けつけた次男夫婦が立ち会った。同居している長男夫婦は追って駆けつけるということであった。かねてよりのご家族との約束で病理解剖は省略し、死亡診断書を作成すると、次男夫婦は一回帰宅するとの由、長男夫婦が来るのを待って出棺することとし、ご遺体を霊安室に移送し、私は仮眠した。ところが外来開始の9時になっても長男夫婦は来院せず、ともかく外来診療をしながら待つことにした。結局、葬儀社とともに夫婦がご遺体を引き取りに来たのは、夕方4時すぎであった。「こういったことは不思議と重なるもので、葬儀屋さんがてんてこまいだったんだろうか?」などと考え、それとなくご遺族に尋ねたところ、まったく意外な答えで私はしばし絶句してしまった。

 長男夫婦が住んでいる高層住宅は、規定により死体の室内持ち込みは禁止されている。したがって葬儀はすべて各個の部屋ではなく中央の集会場でとりおこなうことになっているのだ。第一棺桶が乗るサイズのエレベータはないよな、などと妙に私は感心して聞いたのだが、なんと、集会場は今日に限って1日貸しきりでカルチャースクールが開かれているため、夕方5時以降でないと使用できなかったのだ。ともかく夕日の中を彼女は見送られていった。

 亡くなった老婦人はもともとは信州の田舎で夫とともに2人ぐらしをしていた。そしてたいていの場合、夫は妻に先だつものである。しかし彼女は住みなれた土地が離れがたく、夫を亡くして5年間は一人で暮らしてきた。彼女には二人の息子と一人の娘があり、皆、学校を出てからは東京で働くようになり生家に残るものは一人もいなかったのだ。実際、彼女も3年前運命の病気にかかるまでは息子たちの世話になるつもりはまったくなかったという。

 長男は48歳、製造業に勤務する中堅サラリーマンで、妻と大学生の長女と高校生の息子の四人家族で、横浜近郊の私鉄沿線に最近できた高層分譲マンションに住んでいる。受験生の勉強部屋すらままならない、3LDKの狭いマンションでは日中から床を敷いているような老人を引きとることは物理的スペースから不可能である。第一、子供達の教育費や住宅ローンの足しにするため、妻は働きに出て日中不在のことが多く、かといってスーパーのパートを止めても生活できるほど収入に余裕はない。まして家政婦を雇うことなど夢の又夢で、誰も病人の世話などできない。つまり、物理的・経済的・人的いずれの点からも、病人を抱え込むことなど不可能なのだ。したがって病気で余命短い母親を引きとるに当たり、当然家族は猛反対し、長女は家を出るとまで言い出した。しかし、最初に母親を連れていった病院では幸運なことにベッドの空きがあり、放射線治療を始めるためすぐに入院となった。恐らくこのあと退院までが彼女にとって晩年最後の最良の日々だったと思われる。

 放射線治療は副作用もなく順調に進行し、長期間彼女を悩ませた出血もなくなり、土・日の外泊で息子や孫たちと過ごすことは何よりの楽しみとなった。予定どおり50Gyの外照射と4回の内照射は2ヶ月あまりで終了し、検査結果もすこぶる良好でいつでも退院はOKと私はご本人に申し上げ、ご家族と相談の上退院日をきめることとした。しかしなんやかやと理由をつけてはご家族が来ないため、私は電話でご長男と話すこととした。ご家族の希望としては、可能なかぎり病院に置いて欲しいこと、それが無理ならば適当な施設を紹介して欲しいということだった。未熟な私は思わず大きな声で「ご自分の家族なんですよ!」と怒鳴ってしまった。結局次の週末にしぶしぶ彼女は退院した。本来、病気平癒で喜ばしいはずなのに、患者本人・家族・医師のいずれも不機嫌な退院であった。

 彼女のその後については省略する。ただほかの患者さんと同様に、定期検診をうけに外来に通っていただけである。そのころは自営業で子供のいない次男夫婦のところに彼女は身を寄せていたらしい。そして1年が過ぎ2年を経たころから、あまり外来に現れなくなっていった。そして治療後3年近くなった暮れのある日曜日、長男夫婦とともに彼女は息も絶え絶えになりながら救急外来にやってきた。聞くところでは三日ほど前から何も食べず、尿も一滴も出ていないそうだ。下腹部は全体に岩のように硬く、腹水も溜まっているようだ。緊急血液検査では尿毒症と、そのせいでいつ心臓が止まっても不思議ではない高カリウム血症があり、その原因として子宮癌再発による尿路の圧迫が腹部CTで確認された。腎臓は尿路閉塞のために大きく張れあがりいわゆる水腎症であったため、腎臓から尿をバイパスするための管が直ちに留置された。通常、このような処置によって腎臓は機能を回復し、管を通じて多量の尿をはき出すようになるのだが・・・彼女の場合はときすでにおそく、腎臓そのものの残った機能はごくわずかであった。普通、ほかに異常のない尿毒症の場合は血液透析をするのだが、彼女の場合は全身衰弱著しく透析中に心停止する可能性もあり、バイパスによって腎臓が復活することに期待し、結局透析は見送ることとなった。

そして二日後、火曜日の早朝5時26分がやってきた。

 このお話はすべて事実に基づくフィクションです。一人の患者さんにすべてが起こったのではなく、数人分をブレンドしてあります。ところで最近「呼びよせ」による人口の高齢化という現象がおきていることをご存じですか?。多摩ニュータウンなどのいわゆる東京のベッドタウン周辺では、転入による高齢者の人口が最近とみに増えているそうです。つまり、今回ご紹介したようなエピソードは決して特殊なものではないのです。しかし、‘健康な‘老人ですら突然の同居は敬遠されるのに、まして病気の老人を普通の家庭が抱え込むことは、この国では経済的・物理的・人的のすべての面で困難なのです。「30年ローンでベッドタウンにやっと買った狭いマイホームに住む、受験生を持つ中年夫婦」のところに病身の老親がやってきた場合、いともたやすく家庭は崩壊するものです。かつて、患者さんの引き取りを拒むご家族に対して、不肖私、若気のいたりで怒鳴ったりしたこともあるのですが、今となっては恥ずかしいかぎりです。

 御殿のような官舎で生活なさっている厚生省のお役人さまは、医療費削減という点から大病院ではなくよき家庭医「ホームドクター」をもつようにしましょうなどと脳天気なことをいっています。が、しかし生まれた土地で育ち・就職し・結婚し「ここが私のホームタウン」ということのできるような人が日本に一体どのくらいいるのでしょう?。年中転勤・引っ越ししているホームタウン・レスの流れ者がむしろ普通なのですから、そもそも「ホームドクター」なんてもんがなり立つわけがないと私は思います。そしてあたかも旅行者が初めての町で買い物をする場合、不慣れな商店街にはいかず見慣れたコンビニの看板なんかで落ち着くように、病気をしたときに小さい開業医は避けて、大病院志向になるのはいかんともしがたいものだと思います。

 いつかテレビの特集番組で見たインドの光景、ガンジス河のほとりで荼毘にふされる遺骸。遺灰の撒かれる同じ河で子供たちは遊び、祈り、沐浴する人々。日は沈みまた昇り、飽くことなくくりかえされる生命の輪。わが国よりはるかに貧乏で平均寿命も短い、かの国の生活はなんと豊かなものかと感心しました。むろんブラウン管の中の光景ですから、かなり美化されたものであり、実際いってみた場合などは悪臭つよくとても半日といられないそうですが・・・。