uni的DOAの歴史



注:この文章はuniの主観と記憶を本に構成されたものであり、事実と食い違うところもあると思いますが、それは気にしないでください(笑)。もし気になるようであれば、uniまでメールをいただければ前後関係を調べ直した後に書き直します。


1996年(序盤〜中盤)

  uniとしてはLust Bronx(以後:ラスブロ)というできのいいゲームにより始まった年といってもいい。この年より大学4年生の研究課題のため、大学を追い出され外部研究室へ出向が決まり、後輩ともほぼ週一でしか会えなくなった。そんな時の終末のラスブロは鎬を削るに丁度いい題材であった。おかげさまで、久しぶりにゲームセンターに足が向くようになった。ただ、このゲームは某チャ3のつなぎのように出たので(少なくともuniはそう思っている)、稼動時間自体はそれほど長くなかった。そんなで沸き上がる某チャ3熱は2に燃えたuniとしても、期待の大きいところだが何分情報も出なければいつから稼動するのかも分からない。
  そんな折り、一年ほど前からゲーメスト誌上で特集されているDOAなるすごいゲームがあるらしいという情報に目がむく。そのDOAの何がuniを惹きつけたかといえば、女子プロレスラーティナの存在である。その当時、uniは女子プロレスに凝っていたこともあり(今でも嫌いなわけではないが見る暇がなくなり縁遠くなってしまった)、またその他のゲームでは女子プロなる流派(?)は存在しないことも目新しかった。ただ、某チャ3以上に出るのがあやしかったのはいうまでもない(なにせ、ゲーメストが特集初めてから1年だからね)。
  そして、8月頃には噂にDOAは10月から稼動開始と聞き、はやる気持ちを押さえるのに大変であった。そこで根回しとそのころから小出しになるDOAの情報をサークルの関係者にもらし出す。まず、乗ってきたのはuniと同じく女子プロレスファンの連中であった。以前より「GURPS・リング☆ドリーム」なる女子プロRPGをやっていたので下地はできていると踏んだが、まったくそのとおりであった。この連中はuniの格ゲー仲間とほぼ重なっていたので、これで対戦相手の心配はなくなったといえる。そして、次に乗ってきたのがサークルの先輩の格闘家な人であった。かの御仁も、DOAの持つ今までにないシステムに感銘を受けているようであった。
  9月頃、もう一つの噂として、11月に某チャ3の発売が決まったとのこと。まあ、この分で行けば、DOA→某チャ3となるので当てられなくてすむなと思っていた矢先にDOAの発売延期。気がつけば、12月半ばになるというではないか。そのころになれば、某チャ3も稼動1月後、ある意味一番脂がのっている頃ともいえる。まあ、uniはユーザーの立場なのだが、それゆえに心配してしまう。


1996年(終盤)

  で、待ちに待った某チャ3の発売。別にuniはこのゲームが悪いとはいってないぞ。勘違いしないように。なにせ、こちらも新機軸のお相撲さんが入っている。今まで相撲といえばスト2に始まって鉄拳など、どちらかといえば色物であったが、鷹嵐はもろ硬派でuni好み。さらに、浮かない、こけない、ジャンプできないと某チャの常識を覆したキャラとなればやらないわけにはいかない。で、やってみるが、鷹嵐自体はよくよく相撲取りとしてできているが、ゲーム全体の流れがどこか単調……、なぜだろう?
  そして、DOAの発売となる。見た目はキャラがよくできている事以外は、某チャ2とあまり変わらないが、実際やってみるとこれが大きく違う。特に対戦が熱い! 今までのゲームでも読み合いの要素はあったが、ここまで前に押し出されると感覚が違う。特に中級者クラスでは初心者にぼろぼろされることも珍しくないとあれば、これは燃えかたが変わる。また、DOAで加わった「掴み」の要素が重要となり、他のゲームでは「当て身技」というジャンルに属し、コマンドを難しいタイミングで入力しなければならなかったのに対して、ほぼガードボタンの変わりにタイミングよく押すということで使える。しかも、細かいながらゲームの勝敗をひっくり返すだけの実力を持っている。ここまでくるのに相当なバランスとりが必要なはず。発売延期もうなずける。こうなると人垣のできている某チャ3には目もくれず、仲間内でDOAをやりまくり、気がつくと年を越えていた(実際は某チャ3も結構な数こなしているのだが)。


(続く)


Last Up Date:1998.06.01