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青木千恵歌集〔朝霧〕





青木千恵遺影
「朝 霧」 目 次

 
「朝霧」によせて 山根ふみ
 
朝霧 昭和十六年三月
 
    昭和十六年十月
 
    結 婚
 
    邑智郡川下村
 
    昭和二十二年五月
 
    国立島根療養所
 
     病床吟其ノ一
 
     病床吟其ノ二
 
     病床吟其ノ三
 
追 憶 (編者)
 
跋   (青木喜好)
 
〔朝霧〕について(LARA)






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 〔 朝 霧 〕    青 木 千 惠




     昭和十六年三月


 かたへにて静かにあれど目に見えぬものの動きて息の苦しさよ


 もの言はずただに向かひて相居ればかなし心は足らへる如し


 おみな二十五一人と思ふ人知りしまがなしさにぞ春を迎ふる


 すすみゆく果ては知らずもおみな我ほとほと死なん恋はしたりき


 耐へてあれば耐へ得るものと知りし日ぞ諦め心我に来りぬ


 さりげなく振まひ居ればさりげなく過ぎゆく一日かなしからずや


 一ことの優しき言葉胸ぬちにぬくみ残りて小夜もわが寝ず


 心こめそなへしは皆言に出でず虚しきままに今日も別れぬ


 一言も言はず別れぬ涙こめ見送る人の背のきびしさよ







 
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     昭和十六年十月


 み仕事にかかはりありと見し記事はスクラツプして小箱にためぬ


 君に見すと必ず思はねスクラツプ箱に溢れて秋深まりぬ


 とりとめなき事のみ語り別れしをいたく悔ひつつ二週は過ぎぬ


 五十里を訪ひ来し人と向ひ会い吾にも言葉はなかりき


 黙しつつ向ひてあれば木犀の甘き香しづかにただよい来る


 皿に盛りし牛肉飯よ我が家に君来し夜を一生
{ひとよ}忘れじ


 見ぬゆくて君に委せて障りある身をいこひつつ安けし我は


 あらあらし世にしあれどもひとすぢに君を頼りて我おづべからず


 しめり深き柿の落葉をかき集め朝かなしも君遠ければ


 新聞の鉄道事故に息つめて読む我なりき離りてあれば


 日に二度の配達夫の足音息ひそめ待つがならひの我とはなりぬ


 癒ゆるまで待たんとのたまふ言の葉はおほけなかりきとくいゆるべし


 汝のみの身にはあらずと宣へば療養の日日おろそかにせず


 確かなる足音近く寄り添ひて共に生くべき幸疑はず


 雲のなき青空深く息づきぬ我が身確かに癒えてゆくらし


 面白き文は賜びけりおほらけき君をしぬびて沸きいづる笑


 愛
{かな}しまれ居る身やすけれつねまみゆる術のなければ時に嘆かふ


 小夜ふけのしじまを破りうがひする音は高しもその音かなし


 小夜ふけて我がうがひする音高し誰故惜しむ我が生命かも


 朝夕の寒きいとへと文賜べば夕べの風に羽織重ねぬ


 子の慾しと君のたまふを人伝てに聞けば心は激しくふるふ


 目を閉づれば浮ぶ下宿のかの部屋に今宵の君は一人居ますか


 のびのびとかの四畳半にい寝ころび今宵の君は何思ひます


 床に並べし本の背文字眺めつつ言葉すくなの我にてありしが


 手を執りて手相を見るとし給ふを激しくこばみし我を悔ゆる日


 手相見んと手を執り給ふをはげしくもこばめば再びは言ひ給はざりき


 狭き床に本を並べし四畳半我が坐る座はつねに同じかり


 我が煮たるこれのお汁の味のよさ吸ひつつ遠き君を憶へり


 果ての日に我が持ちゆきし紫の小さき花は露含みたり


 人まれな広き通りに足音のたかくひびけば黙しつつ歩めり


 うろんなる瞳にて見送る人あれどおぢず歩める我にてありし


 人目避け出でがたければ丼をとぢて別れの宴とはなしけり







    
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     結  婚


 頼りうすき母と妹をのこし置き君がみ許へ嫁ぎゆく我は


 我が憂ひ母と妹にかかはりて心重しも嫁ぐ日近く


 おみなごがたたひたぶるに恋ひゆきしそのおろかさを人よとがむな


 一たびは断たんとしたるこのきづなめぐれる秋に思ひ多しも


 みどりごの薄絹のごとき柔肌にふれつつ心おののく如し


 大和国に一人とも言へるこの人に嫁ぎかなへる我にてありぬ


 幸は胸にたぎりぬかにかくに思へる人を夫と称ぶ今


 思ひごとかなひし今の我なればこの淋しさは人に語らず


 かの頃のわが日記読みこの頃の荒れにし心さみしくおもふ


 かはらじとかねて思へどかの頃の我が日記見れば我は荒みぬ


 かの頃の日記を見れば胸を打つひびき高しも一年へだてど


 かなしきは生活
{たつき}に追はれわが心荒みゆくらしさやかならねど


 かの頃の日記取り出し旅にある君を思へば夜はかなしかり


 君が幸ひたぶるに祈る我にして嫁ぎし事を悔ゆる日もあり


 嫁ぎしを悔ゆる日ありと我が言へばひたぶるに怒る君はかなしも


 嫁ぎしを悔ゆるてふ心をば君は知らねばただに怒りぬ


 おほけなき君の心に泣きつつもかたくな心我を去らざり


 十銭程の白魚買ひて夫と食みぬ家持ちし頃のつきまし心







 
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     邑智郡川下村


 白障子しづもれる藁屋根の家にして今日より我が住みつかむとす


 年たちし杉そびえたる傍の茅ぶき屋根ぞ夫産れし家


 わが家に帰りし喜びあらはなる夫にまつろはぬ心持ち居り


 水害のありたる秋に国に帰りぬかやふかわの味も知りたり


 日に三度よもぎ団子のかゆを食べぬかも食べにきふかわも食べにき


 江川に水溢るるを農夫らは濡れそぼちつつ麦を運べり


 日に三度よもぎ団子のかゆすすりみごもりし子を愛しみし去年


 凍てる夜を佇むらむか渡し呼ぶ声はつか吹雪にまじりて聞ゆ


 ものすすぐ石の下よりさかしげに子鮎走りぬふるさとの川


 黒々と川流れゐる夜の闇に鮎とる灯ひとつあかれり


 渡し場へ下りる小径に春咲ける紅うすき小梅の小さき花々


 芝居はて帰る田舎路の暗きに在りわが手ひきける夫の手のぬくみ


 霧こむる江の川原の村里に家妻我は歌よまざりき


 馴れ染まぬ生活の故に幾度か我はなげきし暗きくりやに


 農家の嫁の一年半よせのびする程の思ひに過ぎ経しものを







 
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     昭和二十二年五月


 安らぎの吾に来らず大畑に麦熟るる頃病みて倒れし


 男子
{おのこ}産めりと安らにいこひ居りし部屋胸やみ伏して我にかなしき


 かくすれば母の病はなほらじと言へば「いい子」になる吾子いとし


 生きがての世にしあれども生きんとし我と我が身に注射針たつ


 面白きことなど言ひてたまゆらの時をたのしむあとのさみしさ


 朝陽うけし柿の葉づれに目を覚ますさやけき朝なり熱も出でざれ


 今はたゞ物思はじと身に誓ひもれさす影に心あそばす


 颯爽と夫出で行けり五月風ハンチング青葉のなかにかくれり


 旅立ちの夫のカラーの白き色青葉に映えて美しき朝


 その昔の若き日のごとひとすじに夫まつなり病みふし居れば


 臥りつつ見ゆる向ひの渡場に帰らむ夫を待ちて居りけり


 病みこやる我にと夫の買ひ来しか紫の緒の表付草履


 とく癒えて履けよと夫はのらさねど思ひ沁むかな値を問はざりき


 日
{け}ならべてこもりて居ればビロウドの草履の緒などなでつつすぐす


 重症の孫女看とれる七十の翁が酒の口説
{くぜつ}もあはれ


 艶に出でし大黒様よこの家に去りまた逝きしをみな思ほゆ


 かすかなる甘みただよふ乳のみつつ山羊のつぶらな目を思ひ居り


 ま白なる山羊の乳よりあがる湯気に頬ぬらしつつ見て居りわれは


 菌検出を医師に告げられしその日より我が幼児をわれは抱かず


 大根洗ひ菜を洗ひしこの川よわが病みて今ふるさとを出づ


 背負はれて吾子の振る手も江川の朝霧に見えずなりにし別れ







※註 昭和22年4月戦後第1回県会議員選挙に日本社会党より夫君出馬するが落選。
 次回26年には当選す。その後、無所属で立ち、通算4期県議を務められた。
 昭和42年、島根県日韓親善協会連合会発起人として奔走されたという。

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     国立島根療養所
        病床吟 其ノ一



 此処に来て思ふことなしここに来て我が病早や癒え初む覚ゆ


 一日一日いえゆくを信じ高熱の苦しき中に我が耐えてあり


 「療養費心配するな」とのたまへばすなほにうなづく我にてありし


 月給袋軽きを知れば月月の療養費秘に切なかりける


 薄給にうたがひ持たずつつましく家計簿つけし頃は暮し易かりき


 薄給に疑ひ持たず家計簿をつけぬし頃はまだ病まざりき


 百年の不作とぞ言ふ嫁われか働きはせで病み臥
{こや}


 父母の老いますときに子の二人鍬とらず嫁の吾さへ病むか


 療養所の白の飯こそ有難し米三割芋五割の配給と言ふ


 我ひとり起きてあらむと思ふとき水道の音近くきこえ来


 こたつにて焼きたる芋をホカホカと喰ひたる頃は健かなりしを


 故郷の小暗きくりやに背を丸め煙草吸ひます老父のこひしき


 月光の部屋のすみまで射す夜はあやしきまでに話はずめり


 素晴しく美しい着物きてあるきたし病床に寝て時に起る衝動


 真珠の指輪若き日に欲りき青瑪瑙今欲しと思へどかなふまじ一生


 息つきてつぶやきし日もありけるを病みて思へばまさけき過去
{すぎこし}


 結核にはらから三人たふれたれ人工気胸に治癒うたがはず


 末の子と生れ月同じのりちやんが近頃見えぬと母に語りぬ


 夫も子も健かに居りと安らぎておそひ来る胸痛にわが耐へて居り


 いとけなき愛児二人我にあれば母わが命おろそかならず


 一年七ケ月の子が語る片言二十五を書き並べし夫の便りはつきぬ


 やがて来ひ歓びの刻
{とき}迎ふべしわびし月日はかたみに言ひて


 夫と子は家に残して命一つ守らなひとする起伏にてあり


 いたみ易き心となりしか放送劇ききつゝあれば涙いでけり


 我が病物書ける程に癒えしかば物書きて子等に遺さむと思ふ


 鯛一尾刺身にし吸物にし室友
{とも}五人分ち食べつつ心足らへり


 松茸と鯛の吸物に刺身そへ祭のごとしとよろこびたうべり


 土曜日曜ごと待つ友来らず檜山辺にすすき盛りて秋さりにけり


 結核療養所と言へばこはきか待ちわびし昔の友は遂に来らず


 十貫に足らぬ我が身に四つばかり空洞ありときけど今は嘆かず


 栗一つまろばしまろばし病みこやるわびしき秋といとほしみけり


 気胸器の音静かなり目をあぐれば雲一つ秋の空流る見ゆ


 気胸針刺さるるを待てるぶきみさに頭をかかへ目を固くとず


 安らぎの日日とは思へ夢にありてかまど火たきぬ家妻我は


 病み馴れて安けく居れどある夢にかまどたき居ぬ家妻我は


 小切手に金を支払ふ若き日の職場の夢を昨夜見たりき


 いささかの保有米あれば配給なきキユーバ糖半分子等に送りぬ


 安静のふと目をあげて花を見る明るき顔を美しと見つむる


 夫よりの便とぎれし友を想ひ鬱々と居り我に何を為す力ある


 いたいけの子は残しおき長病めば涙もろき既に性
{さが}となりしか


 ぽつかりと死にゆきにけり一昨日あさ隣のベツドに移り来し人妻


 臨終に馴れたる看護婦のひややけきそぶり憤りつひにかなしく


 何時にならば馴れゆくものか死人のありたる夜は眠られざるを


 山陰の棚田を父と打ちし日も我が肺の翳
{かげ}りすでにありしか


 高熱にたかぶりて泣く少女子の声かなしくも母なしと言ふ


 食慾なき高熱の少女の傍にかかはりなきごと飯をはみ居り


 昨日も今日も熱のさがらぬ友ありて慰ひる言葉はかなき如し


 何時にならば熱下らむと言ふ友よ頬そげて荒き息をはきつつ


 亡き姉は何処と言ひもあへずして泣き崩るる少女の肩の雪かも


 乏しかる配給の甘味おしげなくつかひてたびし手製のまんじう


 賜りし重詰一とき箸とらず枕べに置きながめ過すも


 病みこやる我よろこばすとともどらの厨せはしく働きしならむ


 昨夜とりし鮎かごに入れ朝早く病む我に賜りしふるさと人は


 兄連れ来し新入所の子は笑まひつつ父母なしと言ふ目が大きかり


 せき出でて止まぬ朝かもわが癒ゆるを年月かけて待つものを愛
{を}しむ


 目を閉ぢて幼き折の思出にふける間も痰はのどにからめり


 痰コツプに吐きし血痰の鮮かに生きの命は愛
{かな}しきろかも


 わが性のかくあればかく病みぬしかすがに子等を思へば死なれざりけり


 子等囲みつましき夕餉の箸をとる幸を思へば癒えたし我は


 頭動脈摘出術の新聞記事結核治癒例を繰返し読む


 見舞に来しふるさと人に語る友の訛ことばをほほえみ聞くも


 長病めり夫もつ女我に来て着物売りつくしぬとなげきし夕べ


 幾月か面会人なき友ありてはばかる如く室を出で会ふ


 檜山辺の白きベツドに我がいねて真昼の夢に人を見しかな


 秋の夜の長さを嘆さ
(註 ママ)寝がへれば一条の涙ほほを流れつ


 わが病ややによければ心軽からむ歌などうたひぬははそはの母は


 たらちねの母のみとりにいたつきの身を任せつつ安けし我は


 茶柱二本立ちしををかしみ声たてて母と笑いぬ療養所の昼餉


 病む我を忘れたまはず季節毎賜る二十世紀梨長十郎梨リンゴ


 島田なる岩佐果樹園ひろからむ二十世紀梨たわわに実りて


 松蒼く間々に建つ外気小舎朝日を受けて鮮かに白し


 裏山の木々を透して影絵のごと影つぎつぎよぎり行く見ゆ


 壁に射す朝の陽ざしの弱々とおとろへそめて十一月に入る


 ベツドより見ゆる檜山に秋たけてあくまで紅き一ひらの紅葉


 日の匂ひ残る蒲団の衿の糊こわごわとして頬にふれけり


 百万円のほしいままなる空想よ求め得ざる一枚の宝くじかも


 サフランの蕊赤きかな枕辺の鉢にながめて今日も臥し居り


 サフランの鉢見せばやと個室めぐる老いたる母の小さき姿


 アカシヤの裸木一本くろく暮れ枝の間より一つ星光れり


 はり窓に木の葉当たりてはしぐ音裸木ゆれて冬近づきぬ


 嫁せし娘が病むを憐み療養所に冬越す母の炭を割る音


 嫁ぎたる我の病に附添いて母は冬越さす療養所にて


 療養所は寒いから帰つていや帰らぬ母と争ひし後黙つて御飯を食べる


 静臥して窓ごしに見る吹雪かなさまざまの思い胸を去来す


 老い母が綿を作りて縫ひましし綿入絆纏に着ぶくれて居り


 あかときの厨に起きて餅を煮し去年の正月を思ふ術なく


 湯姿
(註 ママ)の冷えし夜明はふるさとの木綿ぶとんの炬燵恋ひ居り


 寝台に湯婆
{ゆたんぽ}冷えて来し夜明け遠き我家の炬燵恋ひ居り


 愛憎の激しき性を持つゆえにキリスト教は遂にわがものならず


 情愛は神の愛とは異ると説く伝導師の面のきびしき


 美しき異国娘を相思ひ若人の眼はすぐやかなりき


 美しき恋の話に涙する清きはわれの身内にありし


 八年経しわが恋の日も想はれて愛
{かな}しき話に心うばはる


 何時しかにかすかに紅さしそめぬ恋人語る若人のほほ


 平凡な人にてあれどすべて捧げ我に悔いなしとむすびてありぬ


 かちとりし幸なれば肩ならべ歩く二人の心おもはる


 数々の苦難を超えて恋ひ遂げし友の便りは長くつづきぬ


 若き夢語り合いたる二人なりき友は教師の妻我は農家の嫁


 自嘲めきて死の易き言ふこの人も癒えたきは我とかはらざるべし


 癒ゆるまで帰るすべなき我なりき歌によりてかすみつかまほし


 借りて来し歌誌と歌稿のちらばれるこの頃のわが床頭台かも


 太き厚き「馬酔木」の感じよしたなごころにその重たきをたのしみて居り


 歌友なべて病よからずと言ふ歌をくり返し思う昨日も今日も


 きほいつつ歌四十首書きあげて疲れ覚えてやすけき如し


 会ふこともなくてへだてし君の歌歌によせてぞ懐かしみ思ふ


 うから待つ我が村近くゆたけしとききし村かも君住む田所村


 歌に知り会ふこともなく別れしを邑智郡ときき君なつかしむ


 歌つくり投稿する我を同室の歌よまぬ友発展家と言ふ


 歌よめば発展家てふおみなごのせまき古き世界思ひ見るべし


 歌よまぬ脊子もつ吾がよみつげば妻詠める歌多し高槻


 歌誌見れば妻詠みし歌の多かりき歌よまぬ夫をさみしと思ふ


 朝より歌にかかはる思ひ持ち夜はラジオをききて眠りぬ


 淡々と命守りてゐる月日歌は第二のこととなすべし


 声出ぬと足なえにしと膿胸に管させるあり短歌会の友


 短歌会に出られぬは我のみならず三宅、永原、坂本の諸兄想ふ


 よき歌を詠みたきかなやよき歌を十首ばかりよみて死なむと思ふ







 ※註 "ホカホカ"は、2字以上のくりかえし記号を用いてある
 ※仮名遣いは必ずしも歴史仮名遣いに統一されていないが、そのママとする。


 
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     病床吟 其ノ二


 秋草の露かきわけて病む妻と訪ひ来し人はわびしかるらむ


 長病みの妻見舞ひ来しわが背子のシヤツの汚れよ秋はわびしき


 檜山辺を訪ひ来し人と並び座り小さき萩のゆるるを見たり


 何がなし忘れものせる心地して見舞に来たる夫を送れり


 目を閉づれば夫とあそびし温泉のいで湯の青さ浮びて来るも


 雪の夜を温泉宿に語らひし若きわが身は健かなりしを


 選挙戦勝たせまほしと田舎路を歩きしことも昔なりけり


 短くて二年と言ふを夫とわれとうべなひつつも時にこだはる


 会ふ毎に金はあるかと問い給ふ夫の懐も寂しからむを


 幾枚の紙幣もらひてかたじけな夫に幾程残りてあらむ


 病ひ我に冷たかりにし人たちを心に持てり夫に言はねど


 四度目を訪ひ来ましし夫に言ふ児に会ひ度しと涙流れて


 煙草の値又もあがりぬ禁煙の出来ざる夫を思ひ生活を思ふ


 ひたぶるに子が夫が待つふるさとへ帰り度くなしと言ひて淋しも


 潮騒
{しほざい}の如き思ひあり君去にしあとひとときを一人にて居ぬ


 子の如く甘ゆる心持ちて居りおさげ髪腰あげなどして夫に相会ふ


 出張の旅立ちゆくとみづからに炊ぎ整へゐますかわが背


 出張ごと見舞ひたびます夫に向ふ子等のことつぎに父母のつつが


 うかららのつつがなしやと聞ききしあと山羊や兎のこと夫に聞く


 わが飼ひし山羊みごもると聞くにさへふるさと思ふ心わりなし


 集配の作さんが飼ふ痩せ牡山羊の子をはらみしか我の牝山羊は


 売られ行きし仔をしたひつつ夜毎啼きしわれの牝山羊もみごもりしとぞ


 わが病めば世話強しとてうとまれつつ山羊は豊かに乳をいだせり


 音たてて数条の乳のま白きがほとばしり出づるを見る術もなし


 バネ人形離さじと言ひて抱き寝し耕治は早やも壊したりとぞ


 子と孫の世話加りし姑の日日ゆゆしと思へど言にはふれず


 夫の負ひ来しリユツクを出づる餅野菜姑が作らしし重詰も出づ


 味しみし酢牛蒡はめば故郷の暗き厨の灯が浮び来ぬ


 新聞紙に包みて出てし卵五つわが知らぬ百姓のたびしものとふ


 名を知らず礼言ふ術なし賜りし卵を割れば見事なる黄味の色


 みづからに求め来し鯛の刺身つくり熱高き我に夫のすすめぬ


 出張の帰りと見舞来し夫に血痰出でしと遂に言はずも


 わが病いたくも悪しき日頃にて来ましし夫に言ひあへず居り


 言ふべくはつくしたれども別れがて黙し向いつつ時流れけり


 ただただに我を一人と待ちますか夫を思へば癒えたかりける


 夫の性いきどほりし日もありけるを今は思はずただに恋ひ居り


 癒えしわれが幼き二人の遊ぶさま夫と見守る幻想に居り


 大雅の妻のごと生きたしと希ひけり世につかぬ夫誇りわが来し


 わが病わるしと言へば心痛めんをよしと言へばあざむく思ひ


 一口も洩らしまさねど妻のなき起伏の不自由我が思ひ見ぬ


 離れ住ひ夫と対ひつつ黙し居ればいたはる心流れゆきかへる


 五十里の彼方にありて吾を想ひ雑煮の箸とる人をわが持つ


 値をとはず牛肉など買ひ病む妻を忘るる程の初春にこそあれ







 
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     病床吟 其ノ三


 母に離
{さか}るさだめも知らず幼児は小さき手をばただに振り居り


 「起して」と言ふ子にそむき起さずに出で来しことを激しく悔ゆる


 「せめて一度抱かせて」と言ふを激しくも夫のこばめば泣き伏しし我


 赤き服後前
{うしろまへ}に着てとび遊ぶ吾子の姿はまなかい去らず


 曼珠沙華赤くさきたる村道に子は遊ぶらむ村童らと


 祖父
{おほちち}がむき給ふ焼芋待ちかねて声あげ食べんふるさとの吾児等


 ふるさとは粟刈る頃となりにけり落穂拾ひて児等は遊ばむ


 人の親の心は悲し暮れゆけば忘れし筈の子に心ゆく


 檜山辺の白きベツドに寝る母の夢さへ見ずに子は眠るらむ


 暑ければ腹ぞいためな寒しければ風邪ひくな吾子祈れり汝が母


 五つの子小学校へ入学するまでに病の癒えてあらなと思ふ


 乳を断ち別れ来し子が癒えし日に我を知らずと言ふにあらずや


 吾子に似し幼は見ずとこもれども声聞え来れば涙流れぬ


 幼児よ字をば習ひて汝の書ける便りを母は読みたきものを


 離り住めば片言にして母を呼ぶさまも知らずて子の生
{お}いゆかむ


 身も性も弱く生れたる母われに似ず育つ娘よ汝を恃めり


 家々をめぐり嬉しき長靴を見せぬる吾子を一と日思ひつ


 母われの病めれば一人遊ぶ子の買ひてもらひし長靴あはれ


 紅つけて演芸会の真似をするかなし里の子の一人なる吾子


 かにかくに生きてあるべし十年待たば上の子は早や十六才


 乳足らぬ子を愛
{かな}しみて暑き日をホルモン注射に通ひし一月


 かにかくに子は育ちたれ雪の下夜半にしぼりしは遥かなる如し


 放送の子供の時間来しときはレシーバーはづす聞くに耐えめや


 乳くさき子の柔肌より伝り来るぬくみ恋ふ夜はかなしかりけり


 祖母を「ばゞ」と慕いて再びは我に来ざりし乳たらし子の


 「お母ちやんお花あげよ」と言ひくれし吾子傍になしほうせん花咲く


 去年の秋抱きて参りし氏神のきざはしよ誰と子ののぼるらむ









 
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 ちえ女は自ら求めて私の妻となつた。彼女は私と共に社会主義に生き、私と共に農村の因循と闘い、 共にまた世の白眼と貧乏に抗した。
 しかし、劇しい生活は遂に彼女を病床の人とした。第二の闘い、結核との争いは、直接彼女の生命を 窺うものであり、それだけに絶えず灰色の恐怖につきまとわれ、魂をゆさぶる深刻さを伴うものであ つたであろう。
 その様な命の中にあつて、尚彼女は私を励まし、荒む私の心を愛撫することを忘れなかつた。
 彼女は常に、世の人に微笑みをもつて対し、優しい言葉と、その瞳をもつて応えた。其の素直さは、 死の床にあつて尚失われず、可憐な子守唄は、その色の褪るまで彼女の唇から離れなかつた。
 彼女はそのような、素直さの底に、また何ものにも動じない強いものをもつてゐた。その鋭い批判は、 私の自堕落と虚栄心を微塵にし、私の行動を大きく左右するほどの烈しさをもつものであつた。
 死の直前、医者に迫つて、わが身体の解剖を要求し、結核に対して最後の反撃を試みるなど、彼女の 烈しい性格の一面でもある。
 死後希望どおり、彼女の身体は解剖にふされた。結核に対する医学の前進が万分の一でも果されたな らば、彼女にとつてこの上もない喜びであろう。
 彼女は多くの優れた知友をもつてゐた。彼女の中の秀れた多くのものは、これら友人の方々と、両親 から育くまれ、受継いだものである。
 彼女は齢未だ若くして夭折した。しかし、多くの人に惜まれ、温い友情にみおくられて、眠るように 静かに逝つた。幸福といわなければならない。
 私の視野からも、彼女は永久に去つた。しかし、彼女は、生前よりも、いつそう私の身近に寄り添つ ている。これからも、私を批判し、私を愛撫し、私を励ましてくれるであろう。
 私は思いたつて、生前の歌を輯め、これを彼女の知友に贈つて、その情誼を謝し、あわせて彼女の遺 児、美穂と耕治が、やがて人となり、亡き母を識る縁ともしたいと、ここに、その遺稿を編した。
 この歌集を上梓するにあたつて、拙ない歌もかえりみず撰をひきうけて下さつた彼女の歌の師であり、 杉並春子として知名の歌人でいられる松江市立高校の山根ふみ先生、装幀から編輯、印刷の世話一切 に奔走ねがつた彼女の従弟に当る木山君、
 以上の方々に改めて深い感謝の意を表します。

    昭和二十四年十月
                         川下村にて
                                        青木 喜好
                              







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  歌集〔 朝 霧 〕について

 歌集「朝霧」は、昭和24年当時の印刷事情からはなかなかしっかりした活字組版であるが、 私家版のことゆえ、製本はB6判の針金綴・並製である。エンボス加工した厚めの紙の表紙がつき、 題名が"朝霧"と記されている。見返しがあって、次に本扉があり、さらに遺影の写真と "背負はれて吾子の振る手も江川の朝霧に見えずなりにし別れ" および "「お母ちやんお花あげよ」 と云ひくれし吾子は遠しもほうせん花咲く" の二首が記された口絵ページがある。


 次に「略歴」1ページ、裏に「目次」1ページがあり、そして、千恵さんの歌の師であり、 歌の撰を引き受けられた山根ふみ(歌人・杉並春子)氏の「『朝霧』によせて」という 前書きの一文がある。
 その冒頭は、次のように始まっている。

 「豊かな感性をもつた一人の女性が、生命の際(きは)まで歌いつゞけた珠玉の歌集── この磨ぎすまされた作品の一つ一つには、ひたむきな愛情に生きる人間の姿が鮮かに描き出され、 それはまた自己を冷静に見つめようとする知性と錯雑して、 そこには左の様な小説的な人生縮図でさえも繰拡げられるのです。

  時たちて馴れにし吾子が秋祭の舞のしぐさをして見せくれぬ
  土産出せしあとの風呂敷に五つ六つ汚れししじみの殻残りたり
  見送るをふりむきもせでもつれゆく背高き夫と小さき子の影

 そうかと思えば、

  夫が選挙危しといふ報しきりにてわれは子を置きて出づ応援第三班に
  私にあらず立ちしを気負へども票乞ひ歩く心重たし

といつた新鮮な方向の開拓にも成功しています」
と述べ、さらに療養所で開かれた新年歌会での彼女の様子などを描き、「願はくは多くの人々が、 一首一首を静かに口ずさみ、その底に流れる無限のいのちを、静かに汲取られんことを希望いたします」 と結んでいる。


 この前書きからページ番号が打たれ、3ページから76ページまでが、本編の短歌である。
 本編の次に、装幀・編集・印刷等一切を世話された木山照道氏の「追憶」が5ページ、続いて、 夫君の青木喜好氏の「跋」が2ページある。奥付は無いが、刊行は昭和24年10-11月頃と思われる。

 さて、木山照道氏は千恵さんの従弟であり、同じ療養所に入って、昭和22年秋に初めて彼女のことを知り、 対面したという。彼女の人柄、次第に深刻な病巣が明らかになって病状が重くなっていく様子、 また短歌にかける情熱ぶりなどを縷々と綴っている。
 その木山照道氏の「挽歌」を紹介させていただく。


    挽歌十章 ─謹みてみ霊に捧ぐ─

  電話機おきて急ぎゆけどもあへなくもなく君がむくろの寂(しづ)まりてゐし
  窓掛をはづせば浅き春の陽が逝きし従姉の顔透きにつつ
  今死にし従姉の室の外に佇つ外気舎よイヘンデルの楽きこえ居て
  桜並木の芽吹くを待ちてゐし従姉(あね)の赤き枢車がその道ゆけり
  湖べりの畑の道を火葬場にゆく群遠し風も吹かなく
  ふるさとへいま還りゆく骨壺の手に軽くしてあはき日の暮
  母なればあはれ子守唄うたひつつ死にゆきしとふその平安(たひらぎ)や
  夫と子の歌のみ哀れ大乗の愛の境に生きし従姉(あね)はも
  枕辺の牧師の祷り魅入るがに眸凝らせし従姉し思ふ
  肺結核治療の資料に役立てとわが解剖を願ひて逝きし


 実は、木山照道氏は2002年9月に82歳で逝去された奈良・桜井市の大神神社名誉宮司でいらした 同名の木山氏であったことが判明。
 ジャワ島で終戦を迎え、昭和30年に神社本庁主事になられるまでの間の昭和22年ごろから、 島根療養所で闘病なさっていたと思われる。


 千恵さんが亡くなった後、遺された長女・美穂さんと長男・耕治さんを育てあげられたのは、 継母の照子さん(大正11年のお生まれ)。
 その照子さんによると、まもなく、火災に遭って、収蔵していたものはほとんど焼けてしまったという。 わずか、千恵さんの遺稿歌集一冊が残り、現在、亡き実母の形見として、耕治さんが保存しているという。

 さて、青木喜好氏は県会議員を通算4期つとめられたあと、日韓友好に奔走されたことは既註の通りだが、 その後、日ソ貿易を手がけられたという。そして、昭和62年に逝去されている、享年78歳だった。
 島根県邑智郡川下村(かわくだりむら)は、このあと町村合併で、川本町川下となっている。
 江川には、いまも朝霧がかかっているのであろうか─。


                                           (LARA)


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