94/12/20 むかで
up
宝船絵に百足の載っているものを探してみると、帆のところに
這っているのがありました。
さて、藤原秀郷が百足退治したという近江の三上山ですが(二上山と
名前が似ている点が気になっています)、いろいろと数多い<邪馬台国
比定地>のひとつに入っている野洲町(滋賀)にある山なのです。
(JR東海道本線・野洲)
大内則夫氏によると、三上山は富士山型の山で、古来から「神の山」として
尊崇され、麓には御上神社があります。祭神は<天之御影神>で、AD.230頃の
創建といいます。ま、卑弥呼の時代ですね。一帯には、古墳が多く、銅鐸も
多出しています。三上山に並んで妙光寺山と辻山、向いに鏡山、十二坊山。
太陽の日影を映す「鏡」の鏡山と、三上山の天之御影神の「影」との
なんらかな関係を感じますが、この神は、「冶金と農耕の神」といわれ、
大内氏は近江丹波の鉱山を支配していた息長(おきなが)、和迩(わに)氏の
本拠地がここだったのだろうと述べておられます。三上山頂から、鏡山に鏡を
置いて、春分秋分の太陽を観測すると誤差は±1日とのこと。(歴読S51.6)
さて、息長・和迩氏支配下の「採鉄族」の守護神霊たる百足を「退治」する
説話が<お伽草子成立期>とされる室町期以前にあったと推定されますから、
採鉄権をめぐって、息長・和迩系以来の旧保守勢力と、新興の勢力との間で
争いがあり、源平と結びつく秀郷らの武家集団に支配権が移行したことを
反映しているのかも知れません。
| ム | mu | 武器 | ウル語 |
| ダ | da | 支脚(足)、男祖神Paddaの略 | シュメール語 |
| ク | ku | 戈 | ウル語 |
| カック | kakku | 武器、軍隊、軍旗 | セム語 |
| カッカタ | kakkata | 戈 | 印度ドラヴィダ語 |
| クァ | kua | 戈 | 古代中国語 |
| クォ | kuo | 戈 | 中国広東語 |
| ホコ | ho'ko | 戈 | 日本語 |
→ ム(武器)・カ(戈・武器)・デ(足・手・人)→ 百足 :-)
94/12/21 あづま/久米/住吉神
up
* あづま
フェニキア語で、東方はアス acu、西方はエレブ ereb という
そうですが、それぞれ Asia、Europaの語源説があります。
バビロニア語で、日の出がアツ atu、日の出神でもあります。
(アラブ語でヒナ hina といえば、「この地」「ここ」の意とか)
* 来目(久米)
モン・クメール族だという説があって、熊→肥人族ともいわれ、
大伴氏の支配下に入って、神武東征の軍団になりますが、
クメは、シュメール語で、武器・武具の意といいます(三島説)。
それよりも、部族名としては、カム、カミ、コム、コマ、クマ、
クム、キミ、キム等の神を表わす語の類縁と考えられるでせう。
(モン・クメール語で、Kan =神)
大久米命は、裂利目(さけとるめ)=凸眼大目玉とされていますが、
シカン遺跡の仮面にあったアーモンド・アイかもしれません。:-)
* 住吉神
航海安全神の住吉神の別名に、ムカツノ・ヲキクソノオホフイツノミノ
・タマハヤサノホリ尊という長ったらしい、いかにも異名をつないで
並べたという感じのがあります(住吉大社司解状)。
で、先頭のムカツは、向津とも記されますが、武庫津とも表記されます。
武庫川の武庫です。中国語で 武=ム mu < > bu ですが、毘 bi>bu>mu
も連想します。いずれにしろ、ムカが、航海あるいは、武器・武将に
関係あると推測させます。
94/12/21 毘沙門天
up
ur-i-siu-gar-mannu ウリシウガルマンヌ (ウル語で・鋳物師・作る人)
↓
v'i -sva-kar-man ヴィスワカルマン 印度サンスクリット語
↓
vi- ssa-ka -ma ヴィスサカマ(ビシャカマ) 印度パーリ語
↓
毘舎羯磨 [漢訳]
古代インド・パーリ語で、ビシャカマ=鍛冶屋で、鍛冶神であり、工芸神。
毘沙門は、ヴァイシュナヴァの音写とされていますが、毘沙門天は別名、
多聞天。法華経の多宝仏と関係あるとしたら、「多→手が多い」という
連想が働きます。(千手観音)
ヴィシュヌはヒンドゥー教の最高神のひとつで、太陽神とされ、
インド神話では、魚・亀・猪・ラーマ・クリシュナ・仏陀など十種の姿に
化身して世界を救済します。(→毘盧捨那仏、大日如来)
大洪水の時は、魚となって、人間マヌの乗った船のみを救います。
(観音経は、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」)
94/12/22 むかで.2
up
「かで」は、大 gar かもしれないし、「で」は、足 da かも
しれないし、「むか」は、makha、maha 摩訶、かもしれません。
「む」は、ムシュ ms (虫) かもしれないし、武 mu かもしれません。
さて、百足の脚にこだわるなら、
マレー半島ジャクン語 カーティ kati 足、サンタリ語 カータ kata 足、
満州語 カタ kata- 速歩、などが参考になるかも。
つまり、日本語でいえば、カチ kati 徒歩、です。
ところで、百足というのは、羅語 centi-peda の、まさに直訳ですね。
(英語では、centipede)
94/12/23 曳き船
up
「満潮になると河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な
風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙
り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力達が湿って来た。
鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が傾いてぎしぎし動きだした。
白皙明敏な中古代の勇士のやうな顔をしてゐる参木は、街を回っ
てバンドまで帰って来た。」(横光利一『上海』)
バンド(BUND)は、上海の黄浦江に入った船を祖界の方へ曳いてい
くための河に沿った堤防上の小道のことですが、帆船カティサー
ク号が上海を訪れた1870〜80年代は、すでに、タグボートで曳い
ていたようです。バンドについては、いずれまたということで、
落語にも登場する枚方(ひらかた)のくらわんか舟で名高い淀川
の船旅でも、船を岸から曳く場面が出てきますが、たまたま死期
をさとった一遍上人が明石から輪田泊の観音堂に向かう場面を
(『一遍聖絵』44段)みていますと、上人の一行の乗った舟を岸
から人夫達が曳いているのです。輪田の松原を三隻の細長い舟に
分乗していて、1隻目には上人と随員が十名、後尾に櫓を操る船
頭で、舟いっぱいに坐って乗っています。2隻目、3隻目は、数
人ずつ。で、曳き手は、6人、5人、4人ですが、乗客数の多い
1隻目には曳き手も屈強の人夫らしく描かれています。片岸から
曳いているのですが、ところが、その引き綱が結ばれているのは、
1隻目は、先頭に坐っている上人のすぐ後ろに立っている背丈ほ
どの棒の先です。2隻目は2人目の後ろ、3隻目は、3人目の後
ろ(船の中央よりやや舳寄り)辺りに立てられた棒の先端にそれ
ぞれ結ばれているのです。3隻目など(曳き手は舟より位置が高
いので)舟が転覆しそうに思えますが、これは、随所に象徴的意
味合いのこめられた宗教絵なので、実景そのままと受け取らない
ほうがよいのでせう。(一遍上人は確か、三島水軍越智一族だっ
たと思いますが…。妙見信仰−観音堂。)
ところで輪田泊の入江は旧の湊川の河口と思われ、隣接する福原
荘から津料(つまり河を利用する縄張り料みたいなもの)をとら
れていて輪田荘と争いがあったといいます。これは、上流からの
木材運搬や水田への用水や漁撈・狩猟での利用も含めて広範な利
用権であって、先日の天然砥石の番組でも木馬(きんま)という
舟型の曳き具に石材を載せて狭い林道を駆け下る場面をみました
が、このような用具で峰越しに木材を曳き出す人夫が、筏流しや
舟曳きと共通しているように思えます。
で、住吉神(武庫津)の武庫川というのは、摂津国広田社の「神
領」(つまり、広田社が武庫川の利用者から利用料を徴収してい
た)で、その武庫山は、なんと「神功皇后が<異族合戦>に使用
した兵具を納めた山」(保立道久氏)だとされていたそうです。
というわけで、ここでも、海−船−むか−河−山−兵具(武器)
という相関がありました。
94/12/23 淀/LTV/六つ
up
* 淀
枚方あたりでも、淀川はそうとう川幅があったでせうし、往来
する船も多かったでせうから、曳き船は、舵を右にとり、左岸
から曳いていたのでせう。
ところで、枚方の「ひら・〜」は一般に「平たい」の意に解さ
れますが、平山や枚岡という際の「ひら」は、イザナミの黄泉
比良坂(よもつひらさか)でも出てきたように、ガケや険しい
坂を指すといわれています。
* L・T・V
中国の古い銅鏡をみると、しばしばLやTの図柄があるのです
が、一説に、伏羲(ふくぎ)と女* (* は、女扁に咼、じょか)
の図像がたいていコンパスのようなもの(Y、V)と曲尺のよ
うな定規(L)とを持っていることと関係あるのではという説
があるのですが、先日、たまたま、<六博>という双六の元祖
といわれる遊戯の競技盤の写真を見ていましたら、そこには、
LやT、Vの図が描かれていたのです。
で、六博というのは、紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から
魏晋時代に流行した盤上遊戯で、ほぼ30×40センチ大の盤にL
やTの特殊な符号が描かれ、6本の算木(籌)やさいころを使
って、12個の棊子を盤上で進めるような遊戯のようです。(さ
いころは18面体)
盤は宇宙を象徴するといわれ、中央は「水」と呼ばれて銀河を
意味するといいます。「梟」という上がり役もあります。棊子
が一定の場所に来ると、水に入って「魚」を食べることが出来、
籌を手に入れられる、云々。(『楚辞補注』「古博経」)
盤面が宇宙全体を象徴するというのなら、中国の神話的始祖の
伏羲・ジョカとの関わりが濃厚でせう。伏羲・ジョカは、大蛇
神・竜王神であり、航海・農耕・天文・冶金等を司っていたの
でせう。(ジョカはのちに西王母と同一視されます)
* 六つ
六で思い出しましたが、明け六つ・暮れ六つについて。
「なぜ、江戸時代に時刻を四つ〜九つと呼んだのか」。
天文暦が中国朝鮮から伝わって以後、日本は定時法なのですが、
江戸期では不定時法を使っていました。(明治6年に正式に定
時法になります)
もともと『延喜式』に定められた時刻の告げ方として、2時間
を1辰刻とし、それを四分して1刻とし、それを更に十等分し
ていました(0〜9分)。で、辰刻と刻とに鐘を鳴らしていまし
た。1刻に鐘1回、2刻に鐘2回、3刻に鐘3回。
というわけで、辰刻の鐘は、刻の鐘と紛れないように、4から
数えます。巳・亥=4回(四つ)、辰・戌=5回(五つ)、卯
・酉=6回(六つ)、寅・申=7回(七つ)、丑・未=8回(八
つ)、子・午=9回(九つ)というわけですが、江戸時代の寺
院の刻鐘では、実際にはこの前後にも一定の鐘を鳴らしました。
(ま、だいたいこんな経緯で合ってると思いますが…。)
むろん、ローマ時代の不定時法とおなじように、夏至と冬至と
では、明けと暮れ、つまり昼夜の時間差が最大になります。
(書紀によると朝廷で初めて水時計を造ったのがAD.660年)
94/12/23 X/金銀/足と手
up
* X
Xmas の、Xは、クリストス XPIΣTOΣ の頭文字でギリ
シア語のキー。ヘブライ語 マーシーァハ 「油を注がれし者」
→メシア→クリストス(ギリシア語)→ Christ (英語)とい
うわけですが、クリスマスは、フランスでノエル、ドイツでは
ワイナハテン、イタリアでナターレ。もともとは、ローマでも
日本でも冬至の行事日。日本は12/22頃。ローマでは12/25まで
の1週間が農業神サトゥルヌスの祭り。ミトラス教でも 12/25
が太陽誕生の祭日。初期キリスト教では、1/1, 1/6, 3/25など
にキリスト降誕を祝っていたそうです。321年あるいは336年以
前に12/25をクリスマスとします。(参考「月刊百科」'87.12)
江戸時代、長崎のオランダ商館では、日本の冬至祭にならい、
「オランダ冬至」と称してクリスマスを祝っていたといいます。
わが家の家風では、年中行事的なことをとんと行わないのです
が、カボチャや里芋、小豆などの冬至の料理を祖母が作り、子
供はせいぜいケーキひと切れ、という程度。歳末は家業で忙し
かったし、正月の準備でクリスマスどころではなかったし。
* 金銀
こないだは、鉄のヒッタイト語を紹介しましたが、今度は、金
と銀。これまた、シュメール語の表意文字をそのまま借りて、
金を、GUSKIN、 銀を、KU・BABBAR としていたそうです。
で、主都ハットゥシャを表わすのに、KU・BABBAR-a、 つまり、
「銀の町」としていたわけです。
* 足と手
| 足 |
| インド・イラン語派 | pad- |
| ギリシア語 | pous (gen. podos) |
| ラテン語 | pes (gen. pedis |
| フランス語 | pied |
| イタリア語 | piede |
| スペイン語 | pie |
| ゲルマン語派ゴート語 | fotus |
| 古ノルド語 | fort |
| 古英語 | fot > foot |
| 古高ドイツ語 | fuoz > Fuss |
| アルメニア語 | otn (< *podm) |
| ヒッタイト語 | pat- (シュメール語表記 GIR ) |
| トカラ語(A) | pe |
| トカラ語(B) | paiyye |
| ケルト語派古アイルランド語 | traig |
| ウエールズ語 | troed |
| リトアニア語 | koja |
| 古教会スラヴ語 | noga |
| 俗ラテン語 | camba |
手 |
| サンスクリット語 | hasta- |
| アヴェスタ語 | zasta- |
| アルメニア語 | jern |
| アルバニア語 | dore |
| ギリシア語 | kheir |
| ヒッタイト語 | kessar-, kessera- (シュメール語表記 SU ) |
| トカラ語(A) | tsar |
| トカラ語(B) | sar |
| リトアニア語 | ranka |
| 古教会スラヴ語 | roka (ロシア語 ruka) |
| ラテン語 | palma 「掌」 |
| ギリシア語 | palame |
| 古英語 | folm |
| 古高ドイツ語 | folma |
| 古アイルランド語 | lam |
| ウエールズ語 | llaw |
| ゴート語 | handus |
| 古ノルド語 | hond |
| 古英語 | hand |
| 古高ドイツ語 | hant |
| 古ノルド語 | mund |
| 古英語 | mund |
| 古高ドイツ語 | munt |
| ラテン語 | manus |
| フランス語 | main |
| イタリア語 | mano |
| スペイン語 | mano |
| ギリシア語 | mare |
(参考「握手の言語文化誌」風間喜代三氏)
94/12/24 百足と蛇
up
こないだ赤城山の名を見て、思い出したのですが……。
「日光山縁起」です。
1) 勅勘によって、東国に下った有宇中将は奥州朝日長者の婿にな
りますが、夢に現れた都の母を慕って上洛する途上で亡くなり
ます。妻の朝日君と弟有業が中将の遺体を発見。
2) 死んだ中将は、閻魔宮に行くが、前世が二荒山の猟師であり、
山の神と化して衆生を救うという宿願があったために、蘇生し
ます。朝日君は馬頭御前を産み、その御前がもうけた子供は、
顔が猿に似ていて奥州小野ノ里に住み、小野猿丸大夫という弓
の名人。中将・朝日君・馬頭御前は死後、二荒山の神として祀
られました。
3) 山中の湖の領有をめぐって、日光の二荒山神と上野国の赤城大
明神とが争い、二荒山神は、孫の猿丸大夫に「勝てば山の狩場
の権利を与える」という約束で助力を頼み、請けた猿丸が<蜈
蚣>の群れと<蛇>の群れとの戦いの場に出掛け、大蜈蚣(赤
城大明神)の左目を射ちます。二荒山神は猿丸に二荒山を与え
て、神主とします。金色の鶴(日光女体神)のお告げで猿丸は
小野の森の神となり、太郎明神を宇都宮に移して宇都宮大明神
として祀りました(宇都宮二荒山神社)。
大同小異はあるものの、いろんな諸本や伝承にある説話です。
類似の伝承が会津の猟師にもあるそうです。
a) 左目を射られ、神に祀られる。(鎌倉権五郎景政、足利有綱な
ど)。弓の名人にこめかみを狙われた将門。
b) むかでの争い、むかで退治。(田原藤太物語、今昔物語など)
c) むかで、秀郷(下野)、猿丸(奥州の猟師)、弓、鉱山、山の
神、蛇(海洋系または、国津神=大物主神系の象徴)、日光宮
の神主・小野氏などなどの諸関係はどうか。
d) 東北のマタギでは、猿丸ではなく、弓の名人・万事万三郎が日
光の神を助けて赤城の神を射たことになっていて、日光山麓に
伊佐志大明神として祀られたといいます。
e) 湖水の領有をめぐる争い。海洋漁撈民との関わり。→琵琶湖
赤城神社の中には、むかでを彫った鳥居や社殿があり、蜈蚣の絵
馬を奉納するところがあるそうです。下野・上野など猿丸や田原
藤太にちなむ伝承や神事のある神社が幾つかあります。
この日光山縁起は、財力・兵力の豊かな下野(しもつけ)の豪族
(蛇・猿の部族)が、上野の鉱山部族を制圧したとみられるでせ
う。近江から奥州まで、本州山梁の採鉱民たちが中世の支配体制
に組込まれていったということでもあるのでせう。
94/12/24 猿
up
猿については、航海・漁撈系として、蛇族との類縁のほか、
馬の使い神としての猿(猿田彦神に附会)で、馬族との関係、
アメノウヅメノミコト−猿女君−猿女の流れで、小野神道と結び
つき、全国を回歴していた関係、また、熊野神宮の巫女団としての
猿女など、「猿」にもいろいろの系譜がありますから、
いちがいに蛇族と結びつけるわけにはいきませんが、日光山縁起では
小野一族との関係が濃厚でせう。
(奥州での小野小町伝説と重ね合わせると興深いかも。)
ところで、猿女はかかぁ天下型で小野ヶ男(己ヶ男)を尻に敷いていたと
いいますが、木下藤吉郎が猿と呼ばれたのは、妻(禰々)が猿女一族との
つながりがあってとかなんとか、とにかくかかぁ天下だったからだといいます。
(一説に、樹下神社の巫女の系統で、藤吉郎は木下一族に婿入り)、
94/12/26 餅/天智天武/マタギ
up
* お餅
お年玉といえば、古くは餅や握り飯だったようで、「年神からの賜物」
「年の霊(たま)」などの語源説があります。餅は、「望(もち)」
「長く保(も)つ」などに由るとされています。
お餅のしゃぶしゃぶなら、やはりタレの味で決まるでせう。
お餅のせは、ちとピリッとした変わりマヨネーズのソースでも
いいかな、と思います。あるいは、中華ソース、ごまみそソース等々。
* 天智・天武期
まず鎌足と不比等の親子関係は怪しいでせう。鎌足の中臣出自も怪しい。
当時の百済・新羅・高句麗の動きが重要で、天智・天武の兄弟関係も
怪しい、といわれています。
* マタギ言葉
アガラスという言葉は阿仁・仙北地方で「火を焚く。火にかける。」と
いう意味だそうですが、いっけんして火神アグと関係あるように思えます。
また、阿仁・岩手のマタギは猿のことを「エビス」と呼んだそうです。
山の神のことを十二山神さま、十二さまと呼び、正月には十二の餅を供え
たり、春に山に持っていったりしますが、忌数でもあるので、小屋に
12人が入らぬようにするなど、12を避けています。
「山神祭文」によると、山神の父はナラバ大王、母はコンヒラ妻王御前、
山の神はサウチウ神といい、海の竜王の姫と結ばれ、姫は12人の子を産み
ます。(12という数は十二支と関係あるらしい。)
また、一説に山の神は女神だともいいます。
マタギの山立根本巻の伝承と、木地師の伝承とは関係があると
考えています。が、杣人のあるところには鍛冶師があります。
決して排斥しあう関係ではないのです。
94/12/28 もち
up
川崎真治説による「もち」の語源です。
-------------------------------------------------------------------
ツ・ブラ・タ tu-bhra-ta 神に供える丸い餅 古代エジプト語
| | ↓
| ↓ 穀物から作った餅。
↓ シュメール語起源の梟神。インドでも、ブラ。
エジプトのツツ神、太陽神。住吉三神のツツ。
「太陽神・梟神・餅」→「大神・餅」→「円い餅」。日本語の「丸・円」
ツブラの語源にもなります。
-------------------------------------------------------------------
チャ・パティ 丸い餅 古代インド語
| ↓
| インド語で「神」「主」。エジプト語梟神マサの派生語。
↓ マサイ→パタイ→パティ。
ツブラタのタの音転。
現在のインドでチャパティは煎餅、牛天焼のようなもの。メキシコでは、
チャパティからチャキーラーと音転。中国では、チェンペン。
日本語の餅は、チャ・パティのパティ(神)が →マティ→モティ→モチ、
という推移で変化。「モチ」を餅ではなく、神の意味で用いる場合は漢字
の「用(もち)」を用いるというのが川崎説。例えば、宗像郡の用山は、
「神山」「宮の山」の意味。
ということは、餅がお年玉に用いられたのは、円い形が霊魂を表わしてい
るとか、米が神の依り代だというだけでなく、モチという語自体が、パテ
ィ=神としての意を初めから備えていたということなのでせう。
神に供えるものは丸いものであり、丸は神の象徴であるということなので
せう。
94/12/29 パティ/もち
up
* パティ
川崎氏は、パティ pati を男祖神の Padda に因る可能性もあると
していますが、ツツ神の丸い眼や、太陽神ウツ Ut の日輪、梟神
の丸い眼(月の象徴)‥に一貫する「円」ということからみて、
男祖神ではマッチしないように思います。
* もち
餅の原形は、粢(しとぎ)団子だと思います。水に漬けてふやか
したウルチ米(あるいはモチ米や主食とする穀粒の場合もあるで
せう)を石臼などで潰して粉にし、丸め固めたものです。
さらに、その前は、丸い器に穀物をいれて神に供えたのだと考え
られます。
もちは、モチ米がなかったり、搗かない場合は握り飯にして丸め
たようですから、ウルチモチもあって、モチ米を使うから餅なの
ではなく、穀物を丸くして供えるものが餅なのでせう。
先日TVで、木の枝につけた薬玉状の餅をトンドで焼いて食べる
行事をみましたが、「養い親(名付け親)」に「養い子」が年玉
の餅をもっていく風習があったり、若水迎えに井戸や泉に持って
いったり、農具に結びつけたり、年神役の長老が子供たちに配っ
たり、ま、いろいろと「年」と関わって行事化しているようです。