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 dot オリエント幻想 (8)

 むかで
 あづま/久米/住吉神
 毘沙門天
 むかで.2
 曳き船
 淀/LTV/六つ
 X/金銀/足と手
 百足と蛇
 
 餅/天智天武/マタギ
 もち
 パティ/もち




オンライン文集  オリエント幻想 (8)






94/12/20 むかで
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 宝船絵に百足の載っているものを探してみると、帆のところに
 這っているのがありました。

 さて、藤原秀郷が百足退治したという近江の三上山ですが(二上山と
 名前が似ている点が気になっています)、いろいろと数多い<邪馬台国
 比定地>のひとつに入っている野洲町(滋賀)にある山なのです。
 (JR東海道本線・野洲)

 大内則夫氏によると、三上山は富士山型の山で、古来から「神の山」として
 尊崇され、麓には御上神社があります。祭神は<天之御影神>で、AD.230頃の
 創建といいます。ま、卑弥呼の時代ですね。一帯には、古墳が多く、銅鐸も
 多出しています。三上山に並んで妙光寺山と辻山、向いに鏡山、十二坊山。
 太陽の日影を映す「鏡」の鏡山と、三上山の天之御影神の「影」との
 なんらかな関係を感じますが、この神は、「冶金と農耕の神」といわれ、
 大内氏は近江丹波の鉱山を支配していた息長(おきなが)、和迩(わに)氏の
 本拠地がここだったのだろうと述べておられます。三上山頂から、鏡山に鏡を
 置いて、春分秋分の太陽を観測すると誤差は±1日とのこと。(歴読S51.6)

 さて、息長・和迩氏支配下の「採鉄族」の守護神霊たる百足を「退治」する
 説話が<お伽草子成立期>とされる室町期以前にあったと推定されますから、
 採鉄権をめぐって、息長・和迩系以来の旧保守勢力と、新興の勢力との間で
 争いがあり、源平と結びつく秀郷らの武家集団に支配権が移行したことを
 反映しているのかも知れません。

 ム    mu    武器            ウル語 
 ダ    da    支脚(足)、男祖神Paddaの略  シュメール語 
 ク    ku    戈             ウル語 
 カック  kakku  武器、軍隊、軍旗      セム語 
 カッカタ  kakkata  戈             印度ドラヴィダ語 
 クァ   kua   戈             古代中国語 
 クォ   kuo   戈             中国広東語 
 ホコ   ho'ko   戈             日本語 


 → ム(武器)・カ(戈・武器)・デ(足・手・人)→ 百足 :-)




94/12/21 あづま/久米/住吉神
up

 * あづま
  フェニキア語で、東方はアス acu、西方はエレブ ereb という
  そうですが、それぞれ Asia、Europaの語源説があります。
  バビロニア語で、日の出がアツ atu、日の出神でもあります。
  (アラブ語でヒナ hina といえば、「この地」「ここ」の意とか)

 * 来目(久米)
  モン・クメール族だという説があって、熊→肥人族ともいわれ、
  大伴氏の支配下に入って、神武東征の軍団になりますが、
  クメは、シュメール語で、武器・武具の意といいます(三島説)。
  それよりも、部族名としては、カム、カミ、コム、コマ、クマ、
  クム、キミ、キム等の神を表わす語の類縁と考えられるでせう。
  (モン・クメール語で、Kan =神)
  大久米命は、裂利目(さけとるめ)=凸眼大目玉とされていますが、
  シカン遺跡の仮面にあったアーモンド・アイかもしれません。:-)

 * 住吉神
  航海安全神の住吉神の別名に、ムカツノ・ヲキクソノオホフイツノミノ
  ・タマハヤサノホリ尊という長ったらしい、いかにも異名をつないで
  並べたという感じのがあります(住吉大社司解状)。
  で、先頭のムカツは、向津とも記されますが、武庫津とも表記されます。
  武庫川の武庫です。中国語で 武=ム mu < > bu ですが、毘 bi>bu>mu
  も連想します。いずれにしろ、ムカが、航海あるいは、武器・武将に
  関係あると推測させます。



94/12/21 毘沙門天
up


 ur-i-siu-gar-mannu ウリシウガルマンヌ (ウル語で・鋳物師・作る人)
 ↓
 v'i -sva-kar-man  ヴィスワカルマン     印度サンスクリット語
 ↓
 vi- ssa-ka -ma   ヴィスサカマ(ビシャカマ)    印度パーリ語
 ↓
 毘舎羯磨      [漢訳]

 古代インド・パーリ語で、ビシャカマ=鍛冶屋で、鍛冶神であり、工芸神。
 毘沙門は、ヴァイシュナヴァの音写とされていますが、毘沙門天は別名、
 多聞天。法華経の多宝仏と関係あるとしたら、「多→手が多い」という
 連想が働きます。(千手観音)

 ヴィシュヌはヒンドゥー教の最高神のひとつで、太陽神とされ、
 インド神話では、魚・亀・猪・ラーマ・クリシュナ・仏陀など十種の姿に
 化身して世界を救済します。(→毘盧捨那仏、大日如来)
 大洪水の時は、魚となって、人間マヌの乗った船のみを救います。
 (観音経は、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」)




94/12/22 むかで.2
up

  「かで」は、大 gar かもしれないし、「で」は、足 da かも
  しれないし、「むか」は、makha、maha 摩訶、かもしれません。
  「む」は、ムシュ ms (虫) かもしれないし、武 mu かもしれません。
  さて、百足の脚にこだわるなら、
  マレー半島ジャクン語 カーティ kati 足、サンタリ語 カータ kata 足、
  満州語 カタ kata- 速歩、などが参考になるかも。
  つまり、日本語でいえば、カチ kati 徒歩、です。
  ところで、百足というのは、羅語 centi-peda の、まさに直訳ですね。
  (英語では、centipede)




94/12/23 曳き船
up

 「満潮になると河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な
 風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙
 り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力達が湿って来た。
 鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が傾いてぎしぎし動きだした。
 白皙明敏な中古代の勇士のやうな顔をしてゐる参木は、街を回っ
 てバンドまで帰って来た。」(横光利一『上海』)

 バンド(BUND)は、上海の黄浦江に入った船を祖界の方へ曳いてい
 くための河に沿った堤防上の小道のことですが、帆船カティサー
 ク号が上海を訪れた1870〜80年代は、すでに、タグボートで曳い
 ていたようです。バンドについては、いずれまたということで、
 落語にも登場する枚方(ひらかた)のくらわんか舟で名高い淀川
 の船旅でも、船を岸から曳く場面が出てきますが、たまたま死期
 をさとった一遍上人が明石から輪田泊の観音堂に向かう場面を
 (『一遍聖絵』44段)みていますと、上人の一行の乗った舟を岸
 から人夫達が曳いているのです。輪田の松原を三隻の細長い舟に
 分乗していて、1隻目には上人と随員が十名、後尾に櫓を操る船
 頭で、舟いっぱいに坐って乗っています。2隻目、3隻目は、数
 人ずつ。で、曳き手は、6人、5人、4人ですが、乗客数の多い
 1隻目には曳き手も屈強の人夫らしく描かれています。片岸から
 曳いているのですが、ところが、その引き綱が結ばれているのは、
 1隻目は、先頭に坐っている上人のすぐ後ろに立っている背丈ほ
 どの棒の先です。2隻目は2人目の後ろ、3隻目は、3人目の後
 ろ(船の中央よりやや舳寄り)辺りに立てられた棒の先端にそれ
 ぞれ結ばれているのです。3隻目など(曳き手は舟より位置が高
 いので)舟が転覆しそうに思えますが、これは、随所に象徴的意
 味合いのこめられた宗教絵なので、実景そのままと受け取らない
 ほうがよいのでせう。(一遍上人は確か、三島水軍越智一族だっ
 たと思いますが…。妙見信仰−観音堂。)

 ところで輪田泊の入江は旧の湊川の河口と思われ、隣接する福原
 荘から津料(つまり河を利用する縄張り料みたいなもの)をとら
 れていて輪田荘と争いがあったといいます。これは、上流からの
 木材運搬や水田への用水や漁撈・狩猟での利用も含めて広範な利
 用権であって、先日の天然砥石の番組でも木馬(きんま)という
 舟型の曳き具に石材を載せて狭い林道を駆け下る場面をみました
 が、このような用具で峰越しに木材を曳き出す人夫が、筏流しや
 舟曳きと共通しているように思えます。

 で、住吉神(武庫津)の武庫川というのは、摂津国広田社の「神
 領」(つまり、広田社が武庫川の利用者から利用料を徴収してい
 た)で、その武庫山は、なんと「神功皇后が<異族合戦>に使用
 した兵具を納めた山」(保立道久氏)だとされていたそうです。
 というわけで、ここでも、海−船−むか−河−山−兵具(武器)
 という相関がありました。




94/12/23 淀/LTV/六つ
up

 * 淀
  枚方あたりでも、淀川はそうとう川幅があったでせうし、往来
  する船も多かったでせうから、曳き船は、舵を右にとり、左岸
  から曳いていたのでせう。

  ところで、枚方の「ひら・〜」は一般に「平たい」の意に解さ
  れますが、平山や枚岡という際の「ひら」は、イザナミの黄泉
  比良坂(よもつひらさか)でも出てきたように、ガケや険しい
  坂を指すといわれています。

 * L・T・V
  中国の古い銅鏡をみると、しばしばLやTの図柄があるのです
  が、一説に、伏羲(ふくぎ)と女* (* は、女扁に咼、じょか)
  の図像がたいていコンパスのようなもの(Y、V)と曲尺のよ
  うな定規(L)とを持っていることと関係あるのではという説
  があるのですが、先日、たまたま、<六博>という双六の元祖
  といわれる遊戯の競技盤の写真を見ていましたら、そこには、
  LやT、Vの図が描かれていたのです。

  で、六博というのは、紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から
  魏晋時代に流行した盤上遊戯で、ほぼ30×40センチ大の盤にL
  やTの特殊な符号が描かれ、6本の算木(籌)やさいころを使
  って、12個の棊子を盤上で進めるような遊戯のようです。(さ
  いころは18面体)

  盤は宇宙を象徴するといわれ、中央は「水」と呼ばれて銀河を
  意味するといいます。「梟」という上がり役もあります。棊子
  が一定の場所に来ると、水に入って「魚」を食べることが出来、
  籌を手に入れられる、云々。(『楚辞補注』「古博経」)

  盤面が宇宙全体を象徴するというのなら、中国の神話的始祖の
  伏羲・ジョカとの関わりが濃厚でせう。伏羲・ジョカは、大蛇
  神・竜王神であり、航海・農耕・天文・冶金等を司っていたの
  でせう。(ジョカはのちに西王母と同一視されます)

 * 六つ
  六で思い出しましたが、明け六つ・暮れ六つについて。
  「なぜ、江戸時代に時刻を四つ〜九つと呼んだのか」。
  天文暦が中国朝鮮から伝わって以後、日本は定時法なのですが、
  江戸期では不定時法を使っていました。(明治6年に正式に定
  時法になります)

  もともと『延喜式』に定められた時刻の告げ方として、2時間
  を1辰刻とし、それを四分して1刻とし、それを更に十等分し
  ていました(0〜9分)。で、辰刻と刻とに鐘を鳴らしていまし
  た。1刻に鐘1回、2刻に鐘2回、3刻に鐘3回。
  
  というわけで、辰刻の鐘は、刻の鐘と紛れないように、4から
  数えます。巳・亥=4回(四つ)、辰・戌=5回(五つ)、卯
  ・酉=6回(六つ)、寅・申=7回(七つ)、丑・未=8回(八
  つ)、子・午=9回(九つ)というわけですが、江戸時代の寺
  院の刻鐘では、実際にはこの前後にも一定の鐘を鳴らしました。
  (ま、だいたいこんな経緯で合ってると思いますが…。)
  むろん、ローマ時代の不定時法とおなじように、夏至と冬至と
  では、明けと暮れ、つまり昼夜の時間差が最大になります。
  (書紀によると朝廷で初めて水時計を造ったのがAD.660年)




94/12/23 X/金銀/足と手
up

 * X
  Xmas の、Xは、クリストス XPIΣTOΣ の頭文字でギリ
  シア語のキー。ヘブライ語 マーシーァハ 「油を注がれし者」
  →メシア→クリストス(ギリシア語)→ Christ (英語)とい
  うわけですが、クリスマスは、フランスでノエル、ドイツでは
  ワイナハテン、イタリアでナターレ。もともとは、ローマでも
  日本でも冬至の行事日。日本は12/22頃。ローマでは12/25まで
  の1週間が農業神サトゥルヌスの祭り。ミトラス教でも 12/25
  が太陽誕生の祭日。初期キリスト教では、1/1, 1/6, 3/25など
  にキリスト降誕を祝っていたそうです。321年あるいは336年以
  前に12/25をクリスマスとします。(参考「月刊百科」'87.12)
  江戸時代、長崎のオランダ商館では、日本の冬至祭にならい、
  「オランダ冬至」と称してクリスマスを祝っていたといいます。
  わが家の家風では、年中行事的なことをとんと行わないのです
  が、カボチャや里芋、小豆などの冬至の料理を祖母が作り、子
  供はせいぜいケーキひと切れ、という程度。歳末は家業で忙し
  かったし、正月の準備でクリスマスどころではなかったし。

 * 金銀
  こないだは、鉄のヒッタイト語を紹介しましたが、今度は、金
  と銀。これまた、シュメール語の表意文字をそのまま借りて、
  金を、GUSKIN、 銀を、KU・BABBAR としていたそうです。
  で、主都ハットゥシャを表わすのに、KU・BABBAR-a、 つまり、
  「銀の町」としていたわけです。

 * 足と手
 足   
   インド・イラン語派     pad-   
   ギリシア語         pous (gen. podos)  
   ラテン語          pes (gen. pedis  
   フランス語         pied  
   イタリア語         piede  
   スペイン語         pie  
   ゲルマン語派ゴート語    fotus  
   古ノルド語         fort  
   古英語           fot > foot  
   古高ドイツ語        fuoz > Fuss  
   アルメニア語        otn (< *podm)  
   ヒッタイト語        pat- (シュメール語表記 GIR )  
   トカラ語(A)        pe  
   トカラ語(B)         paiyye  
   ケルト語派古アイルランド語   traig  
   ウエールズ語        troed  
   リトアニア語        koja  
   古教会スラヴ語       noga  
   俗ラテン語         camba  
 手    
   サンスクリット語       hasta-  
   アヴェスタ語        zasta-  
   アルメニア語        jern  
   アルバニア語        dore  
   ギリシア語         kheir  
   ヒッタイト語        kessar-, kessera- (シュメール語表記 SU )  
   トカラ語(A)         tsar  
   トカラ語(B)         sar  
   リトアニア語        ranka  
   古教会スラヴ語       roka (ロシア語 ruka)  
   ラテン語          palma 「掌」  
   ギリシア語         palame  
   古英語           folm  
   古高ドイツ語        folma  
   古アイルランド語      lam  
   ウエールズ語        llaw  
   ゴート語          handus  
   古ノルド語         hond  
   古英語           hand  
   古高ドイツ語        hant  
   古ノルド語         mund  
   古英語           mund  
   古高ドイツ語        munt  
   ラテン語          manus  
   フランス語         main  
   イタリア語         mano  
   スペイン語         mano  
   ギリシア語         mare  
(参考「握手の言語文化誌」風間喜代三氏)




94/12/24 百足と蛇
up

 こないだ赤城山の名を見て、思い出したのですが……。
 「日光山縁起」です。
  1) 勅勘によって、東国に下った有宇中将は奥州朝日長者の婿にな
   りますが、夢に現れた都の母を慕って上洛する途上で亡くなり
   ます。妻の朝日君と弟有業が中将の遺体を発見。
  2) 死んだ中将は、閻魔宮に行くが、前世が二荒山の猟師であり、
   山の神と化して衆生を救うという宿願があったために、蘇生し
   ます。朝日君は馬頭御前を産み、その御前がもうけた子供は、
   顔が猿に似ていて奥州小野ノ里に住み、小野猿丸大夫という弓
   の名人。中将・朝日君・馬頭御前は死後、二荒山の神として祀
   られました。
  3) 山中の湖の領有をめぐって、日光の二荒山神と上野国の赤城大
   明神とが争い、二荒山神は、孫の猿丸大夫に「勝てば山の狩場
   の権利を与える」という約束で助力を頼み、請けた猿丸が<蜈
   蚣>の群れと<蛇>の群れとの戦いの場に出掛け、大蜈蚣(赤
   城大明神)の左目を射ちます。二荒山神は猿丸に二荒山を与え
   て、神主とします。金色の鶴(日光女体神)のお告げで猿丸は
   小野の森の神となり、太郎明神を宇都宮に移して宇都宮大明神
   として祀りました(宇都宮二荒山神社)。

  大同小異はあるものの、いろんな諸本や伝承にある説話です。
  類似の伝承が会津の猟師にもあるそうです。

  a) 左目を射られ、神に祀られる。(鎌倉権五郎景政、足利有綱な
   ど)。弓の名人にこめかみを狙われた将門。
  b) むかでの争い、むかで退治。(田原藤太物語、今昔物語など)
  c) むかで、秀郷(下野)、猿丸(奥州の猟師)、弓、鉱山、山の
   神、蛇(海洋系または、国津神=大物主神系の象徴)、日光宮
   の神主・小野氏などなどの諸関係はどうか。
  d) 東北のマタギでは、猿丸ではなく、弓の名人・万事万三郎が日
   光の神を助けて赤城の神を射たことになっていて、日光山麓に
   伊佐志大明神として祀られたといいます。
  e) 湖水の領有をめぐる争い。海洋漁撈民との関わり。→琵琶湖

  赤城神社の中には、むかでを彫った鳥居や社殿があり、蜈蚣の絵
  馬を奉納するところがあるそうです。下野・上野など猿丸や田原
  藤太にちなむ伝承や神事のある神社が幾つかあります。

  この日光山縁起は、財力・兵力の豊かな下野(しもつけ)の豪族
  (蛇・猿の部族)が、上野の鉱山部族を制圧したとみられるでせ
  う。近江から奥州まで、本州山梁の採鉱民たちが中世の支配体制
  に組込まれていったということでもあるのでせう。




94/12/24 
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 猿については、航海・漁撈系として、蛇族との類縁のほか、
 馬の使い神としての猿(猿田彦神に附会)で、馬族との関係、
 アメノウヅメノミコト−猿女君−猿女の流れで、小野神道と結び
 つき、全国を回歴していた関係、また、熊野神宮の巫女団としての
 猿女など、「猿」にもいろいろの系譜がありますから、
 いちがいに蛇族と結びつけるわけにはいきませんが、日光山縁起では
 小野一族との関係が濃厚でせう。
 (奥州での小野小町伝説と重ね合わせると興深いかも。)

 ところで、猿女はかかぁ天下型で小野ヶ男(己ヶ男)を尻に敷いていたと
 いいますが、木下藤吉郎が猿と呼ばれたのは、妻(禰々)が猿女一族との
 つながりがあってとかなんとか、とにかくかかぁ天下だったからだといいます。
 (一説に、樹下神社の巫女の系統で、藤吉郎は木下一族に婿入り)、




94/12/26 餅/天智天武/マタギ
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 * お餅
  お年玉といえば、古くは餅や握り飯だったようで、「年神からの賜物」
  「年の霊(たま)」などの語源説があります。餅は、「望(もち)」
  「長く保(も)つ」などに由るとされています。
  お餅のしゃぶしゃぶなら、やはりタレの味で決まるでせう。
  お餅のせは、ちとピリッとした変わりマヨネーズのソースでも
  いいかな、と思います。あるいは、中華ソース、ごまみそソース等々。

 * 天智・天武期
  まず鎌足と不比等の親子関係は怪しいでせう。鎌足の中臣出自も怪しい。
  当時の百済・新羅・高句麗の動きが重要で、天智・天武の兄弟関係も
  怪しい、といわれています。

 * マタギ言葉
  アガラスという言葉は阿仁・仙北地方で「火を焚く。火にかける。」と
  いう意味だそうですが、いっけんして火神アグと関係あるように思えます。
  また、阿仁・岩手のマタギは猿のことを「エビス」と呼んだそうです。
  山の神のことを十二山神さま、十二さまと呼び、正月には十二の餅を供え
  たり、春に山に持っていったりしますが、忌数でもあるので、小屋に
  12人が入らぬようにするなど、12を避けています。
  「山神祭文」によると、山神の父はナラバ大王、母はコンヒラ妻王御前、
  山の神はサウチウ神といい、海の竜王の姫と結ばれ、姫は12人の子を産み
  ます。(12という数は十二支と関係あるらしい。)
  また、一説に山の神は女神だともいいます。
  マタギの山立根本巻の伝承と、木地師の伝承とは関係があると
  考えています。が、杣人のあるところには鍛冶師があります。
  決して排斥しあう関係ではないのです。




94/12/28 もち
up

 川崎真治説による「もち」の語源です。

 -------------------------------------------------------------------
 ツ・ブラ・タ tu-bhra-ta 神に供える丸い餅     古代エジプト語
 | |  ↓
 | ↓  穀物から作った餅。
 ↓ シュメール語起源の梟神。インドでも、ブラ。
 エジプトのツツ神、太陽神。住吉三神のツツ。

 「太陽神・梟神・餅」→「大神・餅」→「円い餅」。日本語の「丸・円」
 ツブラの語源にもなります。
 -------------------------------------------------------------------
 チャ・パティ       丸い餅          古代インド語
 |   ↓
 |  インド語で「神」「主」。エジプト語梟神マサの派生語。
 ↓  マサイ→パタイ→パティ。
 ツブラタのタの音転。

 現在のインドでチャパティは煎餅、牛天焼のようなもの。メキシコでは、
 チャパティからチャキーラーと音転。中国では、チェンペン。
 日本語の餅は、チャ・パティのパティ(神)が →マティ→モティ→モチ、
 という推移で変化。「モチ」を餅ではなく、神の意味で用いる場合は漢字
 の「用(もち)」を用いるというのが川崎説。例えば、宗像郡の用山は、
 「神山」「宮の山」の意味。

 ということは、餅がお年玉に用いられたのは、円い形が霊魂を表わしてい
 るとか、米が神の依り代だというだけでなく、モチという語自体が、パテ
 ィ=神としての意を初めから備えていたということなのでせう。
 神に供えるものは丸いものであり、丸は神の象徴であるということなので
 せう。




94/12/29 パティ/もち
up

 * パティ
  川崎氏は、パティ pati を男祖神の Padda に因る可能性もあると
  していますが、ツツ神の丸い眼や、太陽神ウツ Ut の日輪、梟神
  の丸い眼(月の象徴)‥に一貫する「円」ということからみて、
  男祖神ではマッチしないように思います。

 * もち
  餅の原形は、粢(しとぎ)団子だと思います。水に漬けてふやか
  したウルチ米(あるいはモチ米や主食とする穀粒の場合もあるで
  せう)を石臼などで潰して粉にし、丸め固めたものです。
  さらに、その前は、丸い器に穀物をいれて神に供えたのだと考え
  られます。
  もちは、モチ米がなかったり、搗かない場合は握り飯にして丸め
  たようですから、ウルチモチもあって、モチ米を使うから餅なの
  ではなく、穀物を丸くして供えるものが餅なのでせう。
  先日TVで、木の枝につけた薬玉状の餅をトンドで焼いて食べる
  行事をみましたが、「養い親(名付け親)」に「養い子」が年玉
  の餅をもっていく風習があったり、若水迎えに井戸や泉に持って
  いったり、農具に結びつけたり、年神役の長老が子供たちに配っ
  たり、ま、いろいろと「年」と関わって行事化しているようです。







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