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戦後詩史・詩誌カタログ


熊の毛皮を撃ちに行く

創刊号 (1号) 1960年6月1日発行

樹の会






「熊の毛皮を撃ちに行く」創刊号

  ◇ 1960年6月1日刊・樹の会発行・発行人細木克彦
  ◇ 表紙寺田宏行・A5判・謄写印刷・本文52頁

  ■ 主な参加者
  長谷康雄/柳瀬繁/細木克彦/水川眞/大畑善夫
  佐伯たかし/木村俊子/斎藤正敏/園夕起子/黒山茂
  梶山昭克/前田勝弘/野田富一(竹山洋)/田口栄一
  米川(小坂)建志/脇本郁子/名田隆司/大窪敏夫
  白石蔵/松田逸夫/岸本康弘/日和佐勝美/吉田史郎
  立川英明/秋山章夫/井川博年/岡庭昇ら

創刊号 内容

MANIFEST/樹の会
エッセイ
 芸術の為の芸術と
  人生の為の芸術に関する一考察/佐伯たかし
 愛について──独断的谷川俊太郎論──/柳瀬繁
 ノート断片/細木克彦
作品
 好きだ/細木克彦
 関係/柳瀬繁
 ヂィゼルカー/斎藤正敏
 宿敵/佐伯たかし
 生活/大畑善夫
 骨がとんがって/水川眞
JAZZ
 ロッカバラード/柳瀬繁
造りかけの電話室
 水川眞/大畑善夫/小坂建志
作品
 名誉/脇本郁子
 街/梶山昭克
 私の中での時間/名田隆司
 雨の中で/大窪敏夫
 城址/小坂建志
 わかい春/白石蔵
 故郷/松田逸夫
 雨のソロ/岸本康弘
 その明け方は/吉田史郎
 雲/古屋博司
編集後記/編集部






 MANIFEST


 「荒地」グループは同人誌でのかつてない一つのピークだろうと思う。その同人である詩人はすべて秀才であり、 すべて個人の確固とした主張はそれを越えて同人そのものの主張にもつながり、またその結束の堅固さは、 非活発的になった現在においてすら依然として保持されているようにも思われる。その「荒地」グループと 比較するのは無謀なことだが、ぼくらのグループではその点すべてが欠けている。まず第一に同人の年齢が非常に若い。 最高年齢が二十一、二歳前後、いちばん若くて十七、八歳である。だからその詩作品を読んでも、 また直接その人間と接しても本質的には子供である。それだけに可能性にあふれているなんて言わないでおきましょう。 後には消滅してしまうか、それともあつかましく居残るか、それは個人の問題である。が、しかしみんな無名詩人である ということにある一種の誇りすら抱いている。
 また、この会の主張となるものはなにもない。「荒地」の詩人達のように戦争体験という共通の基盤となるものはなにもない。 それぞれ不幸な幼年時代を送ってきたものもあれば、幸福な幼年時代(そのようなものはないかもしれないが) を送ってきたものもある。
 また、結束ということにおいても多くは大阪に在住しているが、主筆陣の一部のものは地方にいる関係上、 実際上の目にみえる結束というものは曖昧なものである。以上のごとく、ぼくらは一本の共通の絆で結ばれてはいない。 それ故、この会は従来よくある威勢の良いマニフェストはない。本来マニフェストなるものは、一本のアナクロニズムに 満ちた主張に統一され得るものではなく、何か目に見えぬ微細な共通たり得るものが、浸透しあって必然のうちに にじみ出てくるものと確信している。ぼくらの会では、それが年齢的なものであり、また、それぞれ、なかなかに遊びが好きで、 詩を何々様というようにまつりあげる迷信を持っていないということである。
 「熊の毛皮を撃ちに行く」という、一見モダニズムを思わせるような題にもぼくらがつけた屁理屈がある。 野生の熊と血まみれになって闘うのではない。巧妙になめされた熊の毛皮をぼくらは虚勢をはって撃ちに行くのであり、 ぼくらはそれが無為な行動であることを知りながら、なおも撃ちに行くのであり、これは決して悲観主義ではないと断言する。 ぼくらはおとなしく顔を洗って眠れば、いかに貧しくても決して食いっぱぐれることはないだろう。生涯はまことに安易だ。 隅々まで約束されたものを守りさえすれば、ぼくらはプチブル的精神を失なわず、よき夫となり、よき父となり、 よき市民となることが出来るのだ。
 同人すべてのものがそれらに対する反抗の姿勢でいるとは言いがたいし、またそれを強制しようともしていない。
 あえてマニフェストを、というなら、それはお互いに理解しあい、お互いに妥協しあっているようなしたり顔をせずに、 一人一党であるということである。

    樹の会 1960年6月







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