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■この文書は、Poetica Ipsenon の掲示板 Tea Room および Club Salon に書き込みしたメッセージをもとに改稿したものです。 その後の加筆があれば追補していく予定です。(00.02.09) ■追補:00.2.11.(1), 00.2.11.(2) |
[註] (2003.2.19)
○買取出版 出版前の契約で、出版部数のうち相当の部数を著者側で買い取る約束をしている場合。
たとえば、500部発行し、300部を著者が買い取り、200部を配本するなど。
小出版社では、買取出版といっても自費出版に近い負担のあるケースがある。
○自費出版 出版経費(制作経費・配本経費他)の全額か同程度を著者側が負担する場合。
出版社で書籍制作のみをして、配本や販売等を著者が別途おこなう場合もある。
また、制作・販売をすべて著者の自力でおこなうケースも自費出版という。
○企画出版 出版社側が費用経費の全額か同程度を負担して出版する場合。
詩集[現代詩]の場合、印税または原稿料等の報酬を期待できないことが多い。
小出版社では、一部の経費負担を要する場合があるが、買取出版とは配本・宣伝等で異なる。
水川兄に聞いた話ですが、思潮社(現代詩手帖)のできた頃、小田Qさんが営業で大阪にいらした時、 詩誌「熊の毛皮を撃ちに行く」の同人ら大阪の書き手たちが集って懇談会を催したことがあったそうです (1回だけやなかったそうですが不詳。小田久郎さんの『戦後詩壇私史』では触れられていない)
その際、大阪の書き手としては、東京集中型の「詩壇」誌に対する批判などもあったようで、 水川兄は「将来は詩の出版」を手がけたいなどと気負った発言をしたようです。
結局、それから「現代詩手帖」が、伊達さんの「ユリイカ」、森谷さんの「詩と批評」、 そして年鑑号を出していた「詩学」などのテリトリーを占めていき、むろん、 「現代詩文庫」等の企画で新規開拓した分も加えて、市ヶ谷に社屋を建てるまでに成長したわけですね。 (海千山千の小田Qさんが、自費出版・企画出版の<要諦>を知らぬはずがなく、「詩人」を立てて、 つまり相手に合わせて営業しているわけで、育て甲斐があるなら育てもしようし、 一方では月々の出版点数も確保して定期的にまわさなくちゃいけないわけで、 抱える社員数がふえれば「手堅い自費出版」もふえるというわけで、 「思潮社刊」という名前のほしい「詩人」もたんといるわけで、むろん、 その名前を維持するには、多少のリスクある「冒険」も時に必要なのは、 「自明」のことで、要は、見極め。)
で、社屋を建ててまた何十年(20年ぐらい?)か経っても、多少増減の波はあっても、 「詩の人口」はあいかわらずで、やたらと「賞」の数はふえて、そうなると、 なるべくみてくれのいい「詩集」を出したがる人がふえるという傾向はあるようです。
水川兄は、かつて「思潮社から自費出版はしない」と啖呵きって、 リトルマガジン活動に入り、私家版詩集を自分で売りさばく方向にいった──。
「詩集」を売るというのは、その作者にどのくらいの「読者」が付いているかということ。 夢想的な読者数予想は、勘定には入いらない。つまり、固定読者が何人かということ。 芸能的にいえば「固定ファン」ということ。ま、ファンクラブでも作ればはっきりするでせう。 それにプラスして、たとえばどこかの時評で話題になった人だとか、 思潮社で出すなら買おうかという没主体型の購読者、 装幀が気に入ったとかで買う趣味型購読者などなど浮動的な購読者が見込めるでせうが、 だいじなのは、基礎の固定読者数。さらに、 口コミで他にも売り込んでくれる固定読者がその内に何人いるか。
ま、選挙の票読みみたいなもので、 タレントみたいな候補は固定読者が少なくても浮動層をあてにするのですが、 非タレント的な詩作者は、多人数の同人誌とか、老舗同人誌とか、ま、 いろいろと応援部隊をもったほうがいい。
某出版社での話──、
「知名度のない人の詩集は、ほとんど売れないでせう。売れても、 その人の縁者・グループ・知人友人というあたりが主で、せいぜい50部もはければ、 いいところ上等。作者が大学やカルチャーセンターあたりで講座をもっていて<生徒>が居るなら、 その数は何%か、見込めるね。知名度があっても、その人の詩集を買いたいと強く思わせ、 さらに身銭切って買い込むという<購買行動>を起させるという<訴求力> が作者・作品になけりゃならない。」
ま、あたりまえのことですが。で、そういう販売見込みの成り立たない人の<詩集>は、ま、 売れないとみるのが当然で、作者は、出版社に損害を与えることはできないので、 自分で買い取ることになるでせう。もちろん、出版社が<固く見積もって1000部は売れる>と予想して、 100部しか売れなかったとしても、それは出版社の見込み違い、リスクは出版社が負う。 (そうなれば次回の刊行があやうくなるでせうが)
宣伝すれば売れるはずだ、とか、だれそれが、あるいはどこそこで書評が出れば売れる、とか、 なになにで話題になれば売れる、とか、そんな<空想話> をあてにして出版するアホがいると思えないけど、 もしそうなら、それには別筋の思惑や計算が働いているのでせう、 みすみすアカ(赤字)を抱えるのがわかっているものを刊行しようというのなら。
むろん、ひとつの詩集を10年以上かけても売り尽くすなんて<美談話>はまた別のこと。
たとえば、中堅どころ(?)の作者が、第二か第三詩集を500部、 詩書をまあまあ刊行している出版社から発行するとします。 で、200部を作者引き取り、300部を書店配本分として、 制作費200万円を作者が負担したとします。で、配本分が売れたら、 作者に3%とか、5%とか還元するという契約だったとします。 (ま、こんな契約内容でなくてもいいので、100〜300部くらいの配本、 100〜200部くらいの作者引き取り、制作費の 100〜70%くらいを作者が負担という感じ)
で、細かいところは個々のケースバイケースだけど、とにかく、 100部以上の配本のある<自費出版>あるいは作者が買取り・費用負担ということにして、 で、「売れるか」といえば、売れない。売れても雀の涙。 倉庫代のたしにもならない。小出版社ですと、注文が来て、その本を倉庫から探して、 出版取次社に届ける運搬費や人件費でアシが出る。
なぜ、売れないか? その作者の「固定読者+縁者・知己関係」には、 作者自身の分で、「贈呈」するなり、「割引き販売」するなりをしてしまうので、 推定基礎(「固定読者」等)の50冊分が消えてしまっている。つまり、 出版社から買ってくれないのです。
返本は、経営に余裕がなければ、持っているほど赤字を生み出すので、 やがて<税金>の関係で断裁処分するのがふつう。
詩集といえど、売れる要素があれば、その程度に応じて売れますが、 大方の「詩人」の「詩集」は売れる要素に乏しくて、ほとんど売れない。 で、売れないものは著者が担保しなければならず(別に著者自身でなくて、 親でもパトロンヌでもかまわないけど)制作費等の経費を負担することになるわけで、 こういうのは、昔からずっと続いているわけです。なにしろ、売れないものを「出版」 しようというのですから。
で、こういう個人の<一般詩集>の現状につけこんで、1000部、2000部、 数千部と売っている(主に「教育」関係にさばいている)「こどものための詩集」などの場合、 印税や原稿料を払わないばかりか、著者負担金(数十万円)までを取って、 そのうえ、いくら売れても(千部単位で売れ、場合によっては、万単位になる)、 著者にまったく還元しない、ぼったくりのひどい(教育系の)出版社があるといいます。
長谷康雄さんは、昭和38年(1963)の投稿活動に対して、 昭和39年度第4回現代詩手帖賞を受賞されるわけですが、 もともとこの手帖賞の賞金は「詩集刊行」ということでした。 これだけなら、だれでも「タダで詩集を出してくれる」と思うでせうし、 当時の読者なかんずく投稿常連はたいていそう思いこんでいたといいます。 ところが、実際には、受賞者が詩集制作費用を負担しなくちゃあかんかったのです。
ま、ケチくさい話ですが、当時の思潮社としては、 新人の受賞詩集をタダで作る余裕などカケラもなかったのでせう。 ま、それでも多少は安くしてくれたのでせう。詩集『母系家族』は、 100部だけの買い取りだったそうです。(定価×100)
これは、翌年の第5回現代詩手帖賞受賞の沖浦京子さんの詩集『移行』 の場合もほぼ同様だったそうです。もっとも沖浦さんの場合、 解説を書くはずの井上光晴氏(選者)が多忙で、氏は結局、 解説が無理ならせめて帯文でも書きたいということになって、 その出来上がりを待っていて、刊行が2年後になってしまったそうです。 それでも手帖新人詩集はけっこう売れたそうです。
水川兄によれば、手帖の前身「文章倶楽部」のころから小説・エッセイ・ 詩等で特異な才能を発揮していた生米高氏が確か最初の手帖賞受賞者だったが、 みなが待望していた受賞詩集はついに出なかった筈。 おそらくは予想していなかった「金」の問題だろう、といいます。
前にもどこかで書いたことですが、ともかく「出せば売れる」「書店に並べば売れる」 という(多少なりとも、その)<自信>がどこから生まれるのか、ということ。
(多少なりとも)「売れる」と思うからこそ──、
(1)みてくれのいい詩集を、
(2)みてくれのいい出版社、
(3)「売れやすいように書店に配本してくれる」出版社から出す、
ということなのでせう。
(1)については、しっかりした造本、よみやすい編集、 感じの良いデザインその他に配慮してくれる出版社。
(2)世間(詩界)に名が通り、なるべくなら宣伝媒体をもち、 書評や時評の対象としてもらえる確率の高い出版社、また、 それらの担当者や批評家とのコネクションの豊富な出版社。
(3)については、出版取次社と出版社との力関係によりますが、 ひとことでいえば、詩書出版に「安定」した実績のある出版社、というあたりでせう。
しかし、実質「自費出版」で、何百部と引取って(買取って)も、 結局、もてあまして、大半をこっそりと捨ててしまう結果になっている人が意外と多いのではないでせうか。
「詩を作るより、田を作れ」という諺がありますが、納屋で腐らしては、 田んぼの肥やしにもなりやしない。
(多少なりとも)「売れる」には、前提がある。"売れる"要件については、 いろいろと述べてきていますが、なによりも、「すぐれた作品」であることが第一。 畢竟、これにつきます。(若手の場合には、"時分の花"であることも付け加えておきたい)
これまで何度か述べたようにたいていの「詩集はほとんど売れない」もの。 ちっとは詩界で知られた人の詩集でも書店や直接注文で、 ほんの数部しか"一般読者"に売れない例は「少なくない」のです。 (1部も売れないことすらありえます)
50部、100部と売れたら「御の字」、僥倖でせう。 それ以上に売れるにはかなりの「話題性」が必要で、たいていは、 商業詩誌等に後押しされた、ごく少数の詩人の場合です。 (なんらかなマスコミ的話題性という例もたまにありますが)
(1)〜(3)の条件を備えた出版社から刊行するにしても、 まずは、「売れる」ことなどアテにしないことが肝心。 知名度の低い人の詩集は「売れなくて」あたりまえ。 詩マーケット等で、"自分で売る"ほうがずっとましでせう。
"一般読者"がたとえばAさんの詩集を買う場合を考えてみませう。まず、Aさんの「詩集発刊」についての情報を得る必要があります。
(a)Aさん自身から直接情報を得る(ふつうAさんと交友がある場合)
(b)商業詩誌等のPR記事・広告など(1回2〜3万位)
(c)Aさんが作品発表している詩誌等での情報
(d)詩誌や各媒体での書評・時評・評論・エッセイ等
(e)ダイレクトメール(たいていは詩人住所録に記載されている"一般読者"や、 あるいは、詩誌等の編集発行者あて)
(f)書店・図書館等で実物を見て
(g)その他。たとえば知人の勧めなど
ということになりますと、ま、たいていは、詩集刊行以前に、 そうとうの"詩活動"(詩的活動)の"実績"をつんでいる必要のあることが分かるでせう。
こういうケースもある。「こども向けの詩集」の場合だけど、 6年も8年も10年も前に、100万払ってA社から何冊か詩集を出したBさん、 Bさんの詩は評判がよくて、その後、いろいろのこどもの詩のアンソロジーなどに収録されたり、 雑誌に転載されたりすることがしばしば。そのたびに、図書券3枚とか、 3000円とかを謝礼なり印税分配金として受けとるのですが、それに対してA社の社長は 「おれにも図書券1枚よこせ」「1000円よこせ」と要求するのです。
もとより「出版権」も設定していないし、出版自体、自費出版みたいなもの。 さらにA社でかなり売っているけどBさんには還元されない。
それなのに、いまもなお、「おれとこで出したおかげだ」と 「割り前」を要求しつづけているのです。とんでもない話だわ。
なにかの記念に(青春の記念でもいいけど)詩集を作って、身内や友人知己、 先輩やグループ内で配る目的なら、 なにもたいそうな出版社からわざわざ刊行する必要はなくて、 知り合いの印刷所でもさがしておやすく作ってもらうのがいい。 テキスト入力を自力でまかなえばだいぶ安くなるし。 (ホームページに掲載した作品なら、印刷用に転換できるでせう)
もしも、300部以上の余裕部数があれば個人でも、 地方小出版流通センターに取次ぎを依頼して全国の書店に置くことも可能になります。 (万一、売れたら粗利は、買い取り出版で配本されるより大きくなるけど、 宣伝その他、いろいろと配本のための経費も自分で負担しなけりゃならない)
では、詩活動の実績とは? (以下、アイロニカルに)
(1)同人誌で活動する。なるべくなら、知名度のある同人誌に加入して、 自作を商業詩誌等の時評欄でとりあげてもらうように「がんばる」。 合評会や例会にはきちんと出席して、雑務をこなし、修業に励む。 3年やっても駄目なら、他の注目度の高い詩誌に参加するか、 「詩」をすっぱりとやめる。注目率の高い老舗詩誌ほど作品審査が厳しいと知れ。
(2)自分で同人誌を作る。たとえば、学校の文芸クラブの同窓生など、 自分と同レベルの何人かで同人誌を創刊し、 詩編でなくても注目されるような編集企画で話題をとる。とにかく、 誌名・編集発行者名を売り込み、他の詩誌との交換をふやし、 寄稿依頼が来るように交流を心がける。あちらこちらと掲載されるほど、 知名度が高くなる。
(3)商業詩誌の投稿欄に投稿する。3年で入選トップまたはベストスリーに入ること。 入らなければ投稿常連を集めて詩誌を創刊し、自称「ボス」としてふるまい名前を売る。 2、3の場合とも催しにはグループ代表として参加し、選者クラスや時評担当者と仲良くなる。
(4)協調性のない人は個人誌を創刊する。はじめから独りボスだけど、 送られた詩誌・詩集にはまめにお礼・返事を書き、日夜詩に取り組んでいることをアピールする。 寄稿を募り、優遇することで、自分も他誌から寄稿依頼が来るようになる。 give and takeを忘れるなかれ。個人誌の場合、 よほど新奇の詩法を打ち出さないと注目されないし、 やりすぎて変態と思われては敬遠されてしまうので、周囲の反応に注意が肝心。
(5)できれば、1〜4を複数実践する。だいたい、詩誌の編集発行者は、 商業詩誌の時評に神経を注いでいて、 そこに掲載された詩誌や詩集の著者あてに詩誌や詩集を送ってくることが多い。 そのようにして交流範囲が広まっていくので、 商業詩誌・新聞の時評担当者には必ず刊行物を送るようにする。
こうやって、いわゆる「詩壇」が構成され、あなたもめでたく「詩壇」の一員となる。 ばかばかしいと思う人は、詩集を「売ろう」などという考え(妄想)はきっぱりと捨てて、 作品のみに意を集中させ、それを自費出版(贈呈分のみ)して、数多い賞のどれかに応募しよう。 自作のキャラクタに合わせて賞を選択しなければならない。 要領のいい人は賞の性格に合わせて作品を書く。受賞すれば、やっと(いくらか)詩集が売れ、 「詩壇」入りがかなう。 年に1〜2回でも商業詩誌に掲載してもらえれば"中堅"詩人と呼ばれるようになり、 日本現代詩人会に入って高い会費を払える「身分」になれる。
あなたは、こんなもんになりたいか。それでも「なりたい人」が多いらしい。
では、とりあえず、なにか1点1箇所でも、 平均以上に卓越している部分のある作品を見せてごらんなさい。 いいですか、「卓越」していなくてはいけないのですよ。 そこに、その部分に読み手を魅きつけなくてはいけない。
これが「詩人」の門への第一歩。
仮に、たとえば、詩集300部刊行して、2000円で完売したとしますと (完売なんてふつうではありえないけど)、60万円で、出版社に7掛けとして、42万円。 ここから、もろもろ印刷費・製本代その他諸経費を差し引くと赤字になりかねないし、 広告宣伝費やその他間接経費は、とれない。ようするに、儲けはなく、 アシがでかねない。ま、20万くらいの制作費におさえなくてはいけないけど、 とうてい無理。あるいはまた、2500円以上で500部以上は売らないと。
仮に、制作費20万、300部、96pとすると、ま、上製ではなく、無線綴か中綴の並製で、 1色か2色のくるみ表紙。いや、やはり64pくらいにしてほしい。これ、 私家版で知り合いの印刷所などに頼む場合になってしまう。ま、 ワープロ出力の簡易オフセット刷ですよね。それでもちょっと、20万では無理かも。 ちょと薄めのペーパーバックふうの詩集ならなんとかできるでせうか。
むろん、入力は自分でやったとしても、詩集らしいのを20万円で作るのはかなりむつかしい。 ま、うちらが並製で作る場合は、刷りと断裁を外注するくらいで そのほかは自分たちでやってしまうので、後は、紙代くらいだけど。 どちみち、私家版の即席本。
たとえば、300部でも500部でも自分でプロデュースして、 全てを外注で個々に発注してやったとしたら、 しゃかりきにやれば出版社に頼む金額の半分前後でできるかも。
しかし、トラックに紙や半製品の詩集を載せて紙店、印刷所や製本所などを回り、 デザイナーや入力者との連絡打合せ等で走りまわり、 それらを人手に頼めばその分の出費は要る。また、宣伝広告費はかかる。 書店委託販売をするなら、その営業費等もかかる。 (納品書・請求書・領収書・ハンコなどの経費も)
「思潮社のように現代詩手帖巻末の刊行物案内に載せてくれる」ようなことはないので、 なんらかな形で「刊行告知」「宣伝」しなくてはいけない。 「しかるべきところに贈呈」しなくてはいけないが、 その封筒・包装・宛名書き・発送をしなくてはいけない。むろん、高い郵送費がかかる。 郵便振替口座を近くの郵便局で開設する、などなど、次々とこまかい準備が必要。
結果、みてくれはよくないわ、広告しても注文はこないわ、 置いてくれる書店はないわ、あっても1〜2部売るのがせいぜいだわ、 手みやげもって頼み込んだ人が書評を書いてくれてそれで買ってくれた人が3人だわ、 どんな賞もとれず、候補にもならなかったわ、 インターネットのホームページで買ってくれた人がいちばん多かった (収録詩の「見本」掲載があるので内容に察しがつく)が、それでも5人。
せまい部屋に残本が山積みで階段にまで積み上げて、足をすべらし、憤死。
ということになりかねない。
結局、まず、
1)買取り出版、
2)それがだめなら自費出版専門社(たくさんある)に依頼する (多少の書店配本も可能)
3)お金が足りないなら、印刷製本までの一切を請け負う制作社に依頼し、 宣伝・販売等を自分でする
4)制作販売グループを形成し、協力しあう (いわゆるインディーズでもなんでもみんなでやれば強くなる?)
5)企画出版してくれる日のくるのを夢見て精進する
自分の書いた作品を「本」にしたいのは、なにも「詩人/詩作者」 に限ったことではありません。小説はむろん、随筆・エッセイ・俳句・短歌、 創作できなければ、自伝でも郷土史でもなにかの記録集でも、 ようするに作文できるものならなんでも「本」にしたい、 「本」という形式を備えた文集に憧れ、渇望しているのでせう。
いちめん、虚栄であり、いちめん、 まとまった形でのみずからの作物を眺めてみたいという自己実現欲であり、 バラバラのものをひとつにまとめるというのも、 これもまたひとつの「クリエイティブ」なことにちがいないでせう。
そこに「名の通った出版社から刊行したい」という欲が加わって、 話がだんだん生臭くなっていく……。
いっぽう、<せっかく>作った「本」なのでできるだけ大勢に読んでもらいたい、 という欲。
さらにまた、大枚のお金をかけて作った「本」なので少しでも「売りたい」という欲も出てくる。
欲、欲、欲、欲のかたまりみたいなもの。 その欲に見合うだけの「作品」か?
世の中、上げ底の本が多いけれど、「詩」は、なかなか上げ底のききにくいもの。
「詩」は、ほんの1篇、あるいは数行読めば、 スキかキライか、買うか買わぬか決められてしまう。 ミステリなんかのようにはいかない。
そこで、紙やタイポに凝り、装幀に凝り、キラキラ帯や上げ底書評や縁故時評で包み、 名のある出版社の函に恭々しく入れ、「上げ底」数千円、なんてのも出てくる。
ま、こんな手にのるのはそうとうオッチョコチョイでせうが。
ちょっと名のある詩書出版社から買取り出版する場合でも、 ちょっと地方の一同人誌で何年か活動したというだけでは、 なかなかむつかしいことがあります。
まず、「紹介状拝見」、名のある詩人・評者あるいはその出版社で すでに出版実績ある人の紹介や推薦があるにこしたことはない。
次に、「作品拝見」とくる。たいていは、原稿を預けて目を通してもらう。 で、返事がくるわけですが、この段階で出版はノー、ということもありえるわけです。
買取りだ、自費だといっても、なんでもOKというわけではなく、 また、出版社ごとに「社風」というか「傾向」がある。たとえば、 極端なことですが、飯塚書店がちゃらちゃら軟派なあるいはポップなものを 出すことはまず考えられない。ま、紹介者がその辺をよく心得ていればいいわけですが。
ま、時評や評論でたびたび取り上げられて多少は話題に上がっている作者なら 紹介がなくても飛び込みで交渉できるでせうが、そういう人ははっきりいうて「少ない」。 だいたいがふだんからあちこちに顔を出して詩界を「泳いでいる」ような人たちがほとんどで、 地方なら主要な詩誌主宰者かそれと同程度のクラスの人になりますが、 それでも知られていない人が少なくない。 むしろ、その地方の出版社から刊行するほうがいいでせう。
詩作者はどうもうぬぼれが強いのかもしれませんが、 1回や2回商業詩誌に作品が載ったぐらいでは 自分が思っているほど人が覚えているわけではない。
その作品が「評判」になってこそ知られていくのです。
名の通った出版社から高価な詩集を苦労して刊行して、すぐに忘れられていくよりも、 なんらかなグループで「○○叢書」などと名を付けて安価な詩集をたくさん出して、 そのどれもが時代を象徴するかのようなすぐれた内容であれば、 「詩の歴史に名も作品も残る」し、ゆくゆくは「企画出版」の話も出てくるでせう。
いま、企画出版やそれに近いかたちで詩集を刊行している人たちも若いころは 詩集をもたなかったか、私家版や自費出版で、開けば綴じ目がほどけ、 ぱらりと表紙のもげそうな安価な詩集を出したという人が少なくないのです。
作品やオンボロ詩集が少しずつ評判になってこそ、今日がある。
ちっとは名の出ている人と同じことをしようというのではなく、 とにかく若いうちは、「死にものぐるい」で作品を書き続けなくちゃ(ただし、 ごく少数の天才的な人は別)どうにもならない。
書きつづけているうちにパッとひらけてくるもので、そうなってから、 詩集にすることを考えてもいいし、 詩集なんぞはなくても(賞なんかはあてにしなくても)りっぱに「詩人」として存在するようになるでせう。
出版社側に立てば、ふつう、出版社は「売れる企画」に懸命なわけで、 当然ながら売れそうもない企画は却下されるわけです。 かなり確実に売れる見込みがないとあかんわけです。
売れる要素ごとに部数をはじき出して、総合的に、確実に売れる部数を計る。 それを元に発行部数・ページ数・定価等々を決める。で、 確実に売れる部数が採算点に達しない企画は没です。まして、 売れるか売れないか予想がつかない企画などは論外なわけです。
なにしろ、会社経営・社員たちの生活がかかっているわけです。 8時間働いて、コストがいくら、利益をいくら生み出すか、1ヶ月正味20数日の労働で、 直接経費・間接経費・会社利益・社員賃金等々をまかなう売り上げがなくてはいけない。
いくら<出版は水物>といっても、中小出版社では、 あてもない作業に時間を費すわけにはいかない。むしろ、 小さいところほど「確実な企画」が求められる。 そゆ意味で「詩集」を企画出版するなどかなり「危険なしろもの」なわけです。
たとえば、銀色夏生さんの詩集とか、売れっ子アイドルの詩集であれば、 確実に売れる部数を予想することが容易でせう。 それを「現代詩」の「世間に知られていない詩作者」の「詩集」など、 ま、とんでもない企画でせう。
詩書出版社であれば、かなり著名な詩人の詩集なら、 かろうじて採算ベースに乗せられるかもしれませんが、 ふつうの出版に比べて非常に少ない部数で、 かつ、非常に高い値段での採算になるでせう。 (ま、ある種の学術書なども似ているが、 たいていの学術書の著者はガッコのセンセイなどで生徒たちの購入という 確実な基礎部数の算定ができる)
そんなわけで、さほど著名でないとか、さほどの話題もないとか、 新人の場合、企画出版なんて話になるはずがない。
自分たちの首を絞めるようなものです。
この1月に、インターネットにホームページを設けて、オンラインで プロモートしていこうというスタジオ・ムーブから、中上哲夫さんの 並製のポケット詩集『甘い水』(500円)が刊行されたけど、 高価な装本にこだわらないひとつの行き方でせう。
ま、そこそこの作品を書いていれば、 詩書出版社からみてくれのいい詩集を買取り出版(著者が制作費を負担する意味で、 相当の部数を買い取るシステム)で刊行することができるでせう (安価な装幀で60万円位から、一般に百万円前後。 装幀・部数しだいでは百数十万円位から二百万円、あるいはそれ以上)。
どうも、間接伝聞の話が多くて恐縮ですが、 水川兄が、池袋の「ぱるこぱろうる」に、 『長篇詩「他人論」』を置かせてもろた時の話です。
タイプ刷り簡易製本なのに、ふつうの詩集より高い値が ついていて(直接制作費の3倍の値!)、 しかも表紙もスミ1色でパッとしないしろもの。
詩集ではなくて、長篇詩ひとつの本なので、 どうせ「ここでは」売れないだろうと、20部置いてきて、 1年も経ってから残部を引き取りにいったら、 20部なんてあっというまに売り切れていて、 展示用の1冊が、手垢に汚れて真っ黒になっていたと いいます(買えないなら立ち読みしよう、ということ)。
店は「追加部数を持って来い」などという積極的なサービスを「数多い」 持ち込み本に対してはいちいち調べるのも面倒なので、 原則的におこなわないそうです。 水川兄は、都内の書店では10箇所近くで委託販売していたが、 「ぱるこぱろうる」に置いたのを忘れていたという。
当時、店でちっとも「売れない」詩集も少なくないし、 「現代詩手帖」誌などで話題にならなくても、 けっこう「売れる」のもあるという。 それは、店頭で見た印象、手に取った感触、 ぱらりと開いて目に入った文字や絵から受ける感じ、等々、 接触の直接性に大きく左右されているといいます。
しかし、それなら「他人論」は売れないだろうという 予測はまちがっていないと思いますが、人は不思議。
教訓:委託販売している書店は、「まめに」見て回り、 売れていれば補充してくれるように「まめに」頼むこと。
前述の「直接制作費の3倍の値」というのは、 ふつうの出版社の企画出版のように
(1)制作費、
(2)管理費等
(3)宣伝広告費+営業費+間接経費等、
(4)著者報酬等、
(5)自社利益分、
(6)取次諸手数料+書店販売手数料他
などを合計した金額、これが(1)または(1)(2)のほぼ3倍相当ということにして、 それを刊行部数で割って、1部単価を決めてあるという ことです。
(1)〜(5)の分が定価×配本部数の60〜70%位。 つまり、仮に直接制作費が 50万円で500部としますと、1部単価は3000円。 または 1000部作って70万円とすると、1部単価は2100円になる計算。
で、宣伝広告や営業に力を入れると 自社利益分を圧迫するわけです。 (増刷が期待できるものはコストを高くできるけど)
ふつうは、著者印税は10%(定価×発行部数の1割)ですが、 諸々の事由により、数%もあるし(特に翻訳物など)、 引く手あまたの一流売れっ子作家は1割以上を 要求したりすることもあります。
印税ではなくて、原稿料払いのこともあるし、 増刷しない少部数のものなどはそのほうがいい場合もあります。 (増刷分は印税で、初刷は原稿料でという契約の場合もあります)
ま、フリーライターがハウツー本やガイド本などを 無署名で出したり、分担執筆したり、 ゴーストライター的に書くものは、 1回のみの「低額」な原稿料払いがしばしば。
たとえば、1000円の本が1冊売れると 取次からは、定価から諸手数料等を引いて、 600円前後から700円位が 版元に精算支払われるということです。 で、直接の製造コストはその半分くらいにするということです。
しかし、定価とのからみ、部数とのからみですから、 一概に何パーセントと決められないし、 利益をどこまで見込むか、どこまでをコストとするかによっても 計算が違ってきます。
ま、講談社や小学館資本などは 日販や東販などの大手取次社の株主で、 特別な手数料にしていると噂ではいうし、 なにより、全国書店網に対する配本を 自社有利に展開できるわけで、 中小出版社は、取次の決めた配本配置に なかなか異議をいえないというわけです。
300部か、そこいらの部数の「詩集」では、 コストに対して、定価をかなり低くしないと 高くなりすぎて、ますます売れないことになりかねない。
その点から逆算していくと、 たとえば、「買取り出版」+「配本分完売」として、 300部作って、200部買取り、定価2000円ですと、
200×2000×0.7=28万円(買取り分、定価の7掛けの場合)
100×2000×0.6=12万円(配本分が完売した場合)
28万+12万×0.5=34万(完売した場合の、製造コストにかけられる金額)
になって、「コスト以外の諸経費+版元利益」が12万円。
タテ3広告1回で2〜3万かかるのですから、 広告も打てやしないでせう。 しかも、34万円のコストでは、かなり安価なペーペーの 装本の詩集になってしまう。
たいてい(!)の、まず「完売」する見込みのない詩集はその分も 買取り料に入れなくちゃいけないし、 「完売」しないのなら、版元手間賃・利益も 著者に負担してもらわなくてはいけない。
不足の製造コスト分に加えて、 多色刷表紙ならプラス数万円というように 装本に金をかけていくと、 結局、50〜70万円が最低ラインになるでせう。
[追記] えと、計算がおかしい。 買取りの28万をまるまる製造コストには まわせないのだから、ここは14万円としなくては あかんわけですね。
すると、14+6=20万が製造コスト。 並製の雑誌ふうの詩集になりますね。
ある例ですと、 定価3000円の詩集を刊行して、 買取り料が 3000×300部×0.8=72万円だったそうです。 300部を引き取って買い取り、 発行部数500のうちの200部を配本したといいます。
すると、仮に50%の100部売れたとしますと、
3000×100×(0.6〜0.7)=18〜21万円
が、版元に入ります。 しかし、週刊誌や一般書籍でも70%以上も返品されることが ありうるわけで、詩集が50%も売れるというのは まれなことでせう。 何度もいうようですが、50部も売れたら「僥倖」でせう。
ということは、500部作ったという「証拠」書類なり 現物なりを視認しないかぎり、 実際には、300部(買取り分)+50部(配本分)程度しか 作っていないかもしれません。
すると、50部配本して50部売れれば完売ですし、 350部の製造コストで済むわけです。
つまり、 買取り部数については、 はっきりとしているわけですが、 配本部数については版元が明言しないことがしばしばある、 ということです。 (シロートの高齢の方などはくどくど細かくきくことを 相手に失礼だと考えがちで、あいまい不明なことがしばしば)
煩雑になるので省いたけれど なんも売れた分だけでなく、 納品手数料に、返品手数料もかかるわけです。
書店でも、返本するのに配送費などを 負担しなくちゃいけない(返本手数料)そうですから、 売れない本をどかどか配本されるのは 困るわけです。
現実に50部や100部の書店委託が可能かといえば、 名の通った中どころ以上の出版社なら 東京・大阪の主要書店のほか、 各地の書店と<常備>委託の契約をしている でせうから、そゆところに置けばいいのでせう。
こゆ例があります(細部は変えてあります)。
ある郷土史研究家Cさんのところに 東京のA出版から、B県の歴史的事件についての 執筆依頼があり、それを出版して全国書店に 流通させるといい、部数は5000部、 2000円、印税は7%という「企画出版」の話。
その事件の研究グループがあるので その人たちに売るつもりらしい。
で、契約したものの、脱稿直前に A社社長から電話。 「自費出版にしてくれ」という話。 せっかく書き上げたものに日の目をみせたいCさんは やむなく、出版費用をかなり負担したのです。
で、本ができたところで、またまた、 「Cさんに売ってほしい」という話になった。 とにかく売らないと負担した分が丸損なので、 Cさんは3000部を自力で売ったのです。
で、売り上げはいったんA社の口座に入れて 7%の印税としてCさんに払うという。 (このあたり自費出版なのにおかしなことですが)
ところが、いつまでたっても「印税」がこないので 催促したら、やっと1000部分だけを送ってきて、 あとは、なしのつぶて。
本が大手の書店に置かれた形跡もないという。
さらに催促しても、 A社長は「いま、不況なので待ってくれ」と 哀願するばかり。
「企画出版」が「自費出版」に化け、 自力で売った金もだましとられたようなものでせう。
予定5000部から3000部を引いた残り2000部は、作られなかった可能性が 高いでせう。
少し、前向きの話を。
年々、どこでも買えるような横並びの、 回転率のよい雑誌・コミックを主とした大型書店が 不振を続け、大手取次も、返品率50%前後が 常態化しつつあるなか、 小規模出版・自費出版社はじりじりとふえつつあり、 インターネットと結んだオンデマンド方式の販売、 宅配便ネットワークによる少部数「買い切り」出版などの 出現もあり、 「少部数刊行の詩集」も今後は売りやすい環境が 徐々にできてくるでせう。
そのためには、どこでどういう詩集が出るのか、 それはどういう内容か、読者が容易に「早く」知ることの できるシステムが求められるのです。
企画出版として、500部配本、定価2500円として「完売」したら、 版元へは建前70%ですが、いちおう65%として、
500×2500×0.65=81万2500円
なんだけど、50%返本があったとしたら (250部販売)、その半分40万円余りしか、 「版元」には入らない。 もし、60%としたら75万の半分37万5千円ということになる。
造本の程度にもよるけど、本だけを作る場合、 たとえば「講談社出版販売」なら、 製造コストは、500部で、A5判、120万円。 四六判で、100万円というところでせう。 表紙2色カバー付き。ただしデザインは別料金。 (委託販売する場合は、また別途料金を要する)
思潮社だともう少し安くなるでせうが、 いずれにしろ、その本を売るのに、 定価2500円では、どうにもならないですね。 定価が幾らならペイするか……。
たとえば、思潮社で 買取り出版の場合、 400部作って、100部配本、300部買取り、 定価2000円で、100万円としませう。
すると、思潮社はその100部を完売したとして、
2000×100×(60〜70%)=12〜14万円が入る。
ということは思潮社の売上は、112〜114万円ですが、 利益は、400部の製造コスト+もろもろの諸経費を 差引かなくてはいけない。 (もしも書店売りがゼロなら、売上100万円のみ)
すべてさっぴいた残り(利益)は、 5万か、10万か、20万か、30万か……。
さて、仮に買取り出版なら110万円の売上があるとして、 それを「企画出版」でまかなうとしたら、 6掛けなら約183万、7掛けなら約157万円分の部数を 売らなくてはいけない。仮に、183万円とするなら、
183万÷400=4575円、
つまり定価を4575円にしなくちゃいけない。 しかも、400部完売です。
(いいとこ半分しか売れないだろうと 予想するのなら、9300円以上の定価を付けたいでせう)
で、4575円で完売して110万円が入ったら 前述のように製造コスト+諸経費を引いて いくら残るかということになります。
もしも、半分の200部しか売れなかったら 55万円しか版元に入らないわけですから [大赤字]になるでせう。
(2000円で売るなんぞは「自殺行為」なんですが、 もしも「製造コスト」を超安値に抑えられる事情があるなら 話が違ってきます。また、特別な理由でもあって、 損を覚悟で出すのかもしれません。 しかし、だれにでもそうすることはできないでせう)
最近の思潮社「現代詩文庫」は、 1200円くらいですか。 で、初刷・1000部として、 製造コストをどのくらいに抑えれば ペイするのか……。
完売したとして、 1200×1000×0.6として、売上72万円ですか。 再刷してこそ利益が出るというものですね。
ま、わたしのシロート推測では、 もろもろの諸経費こめて原価は50万以下でせう。
とすると完売して22万円の利益になりますが、 シリーズ中にはあんまり売れない巻も かなりあるでせう。それらを均して考えると、 収支トントンに毛がはえたくらいでせう。
ここで話の対象にしている「詩」は いわゆる「現代詩」であって、 ポップな歌詞のようなのや、 いわゆる「マイ・ポエム」ではありません。
ですから、売れたといっても知れてるわけで、 たとえ、著者負担のない「企画出版」でも 印税や稿料のでないケースが多々あります。
版元としては、「売れても」そうとうきつい分野であり、 著者としても「売る」よりも「名誉」が主になってしまっている分野なのです。
従って、「どうしても売って、多少ともペイしたい」 あるいは「刊行費用をなんとか回収したい」という人は 可能な限り低価格に抑えた「自費出版」にし、 それを自力で販売することがいちばんでせう。
インターネットの自分のホームページで売ることも できますが、「現代詩」の読者が多いとはいえないので、 人を集めるのがなかなかむつかしいでせう。
「自費出版物登録」サイトのようなページもありますが、 自費出版物リンクのようなシステムとか、 共同で販売する専門サイトのようなシステムが 今後、どんどん登場すれば、ふろしき包みに詩集を かついで書店を営業して回る必要がなくなっていくでせう。
「売る」よりも「評価が得たい」「名声が得たい」 「多くの人に読んでもらいたい」という人は、 思潮社など詩書出版社で 「企画出版」してもらえるように、あるいは、 できるだけ買取り料を少なくしてもらえるように、 せいぜい「精進」しませう。
もちろん、買取り出版でも、ペイ可能なそれなりの値がついていれば、 買取り分を自力で売って、コスト(出費)を回収したり、 あるいはそれ以上の収入をあげることもできるでせう。
いろいろの事例を見てきますと、買取り出版の場合、 自分であちこち売りに回れない人は書店売りの配本部数を多くして (引取り部数が、買取り料に比して極度に少なくなっても)、 できるだけ全国的に(といっても東京・大阪中心ですが) 配本してもらうようにすべきかも。
広範囲の配本を頼んでも 「実績のない人は"ぱるこぱろうる"ぐらいにしか 置けませんよ」なんてイジワルを言うようなら、 さっさと他の詩書出版社に乗り換えたほうがいいでせう。
(つまり、きちっと配本部数・配本範囲を確認すること)
思潮社より安くて親切なところはいくらもあるのですから、 思潮社のメリットは、「現代詩手帖」誌巻末のプレゼンくらいでせう。
発行部数は極端に少ないけど「詩学」誌も捨てたものではないし、 広告付きPR誌を配っているところはほかにもあるでせう。
むろん、書店の片隅では売れそうもない人はあきらめて 逆に買取り部数を多くして、同人誌や個人誌、 詩マーケット、ポエケットなどでしこしこ売りませう。