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「著作権と詩文芸」に関するメモ


この文書は、Poetica Ipsenon の掲示板「Tea Room」に
書き込みしたメッセージをもとに改稿したものです。
その後の加筆があれば追補していく予定です。
* 追補=99.10.29 | 99.10.30 | 99.11.13


99/10/27 (1)

 古い作品を収めていると、当時のコマーシャルソングの歌詞が無許可で 使われていたりします。
 先日も、ライブラリー参加のNさんから、作品○○にはCMが使われているから、 ライブラリー収録の際には注意して、必要なら許可を得てくれと言われたそうですが、 歌詞の使用料はけっこう高いので、そういう作品は割愛せざるをえません。

 ま、作中1〜2行なら註のマークを付けて、作品末尾にでも引用範囲を明確にし、 出所明示(題名・作者名など)をしておけばいいとはいうものの、 「厳密にいえば」、というよりも法に従えば、 これだけでは「引用」の適法条件にかなっているとは いえません。引用の目的や意図が問われます。
 引用の形態からはずれて、詩の中に溶け込み、自己の詩の一部と化している場合は、 その部分の著作権者の使用承諾が必要になることもあるでせう。 また、著作者の名誉を貶めないような使用の仕方が求められます。

 むろん、通常の歌詞引用ならば、作者にも楽譜出版社にも許可を求める必要もないし、 J*****に使用料を払う必要もありません。 喫茶店などはもちろん店舗規模に応じて音楽著作権等の使用料を払っていますが、 モグリ営業も多いようです。
 ビデオ録画などもどこやらの一時的知り合いと交換したり、 売買したりするのは、違法の疑いがありますが、野放し状態でせう。
 TV番組などの放送著作物(音楽・美術・文芸等多くの著作物が含まれている)についても、 家族またはそれに準ずる少数の親密な間柄に限って、 録画複製の私的使用(プライベートユース)がみとめられます。

 ここのライブラリーの作品は、それぞれ著者または遺族等の 著作権保有者からの使用(転載)承諾を得ていますが、 三年以内に刊行された詩集からの作品抄出はなるべくひかえています。
 詩集の場合、設定出版権の契約をほとんどしていないでせうが、いちおう、 自然発生の出版権があるとみなして三年間をみています。
 ま、実際には、実質の自家出版がほとんどでせうから、 出版社のことはあまり考えなくてもいいのですが、 在庫があって売り上げが多少でも期待できる場合は、掲載量を抑えています。

 作品の転載については、著作権者の複製使用許諾が必要ですが、その際に、 詩集(特に刊行されて三年以内のもの)に関しては、 出版社との出版契約について伺い、印税あるいは原稿料をもらっているケースか どうか、出版費用はどちらが負担しているのか等、 つまり実質私家版か否かの確認をする場合があります。
 ライブラリーとは異なりますが、著作権フリーの作品でも、 なるべく底本類を多くし、特定の校閲者・編集者等の権利等に抵触しないように考えています。

 「引用」については、だれの承諾もなしに「自由」にできますが、 それは適法な条件のもとにおける「自由」です。 条件にあわなかったり、逸脱している場合は著作権者等の了解が必要になるでせう。

 引用の「主従」関係というのは引用の「量」の関係ではなく、 文としての相互の比重です。(したがって引用のほうが多い場合もありえます)
 引用目的において、引用文のほうが「主」である場合には、 引用とはいえなくなるおそれがあるでせう。

 適法な条件に合っていて、出所明示(題名・作者名等)もきちんとされていれば、 著作権者の承諾は「不要」です。つまり、適正な引用は「自由」です。
 たまに「引用するな」という著者や編者のコメントをみかけますが、適法な引用を阻止できませんから、 それは「単なるお願い」ということになります。「お願い」といえども無視されれば、 不快になるかもしれません。

 しかし、業界の慣習やらしきたりやマナーとかを考慮して、出版物によっては、 「業者同士」の「断りを入れる」「(形式的にも)承諾を得る」 等の「あいさつ」をしている場合もあります。

 引用が「部分複製」とは限らないのは、たとえば、 絵画などは部分複製ですと、もとがわからないことがあり、 そのような引用の場合、全体複製またはその縮小を添えるのが原則とされています。
 俳句や短歌や短詩などは、短いのでたいていは全文引用になるでせうし、 ならざるをえないでせう。

 なにも、詩や文芸創作物だけでなく、言語による著作物一般も 保護対象ですから、この掲示板のメッセージも権利保護の対象になりえます。 簡単にいえば、その人の、思想または感情を「創作的に表現した物」であればよいわけで、 その人の考えたことや感じたことがその人なりの仕方で表現されているということです。
(アクション・ペインティングの絵画を想起すべし)

 誹謗・中傷のために「引用」してはならないとありますが、 批評・批判はその境目がむずかしく、その仕切りはそれぞれ業界や様態によってことなってくるでせう。 つまり、学術・研究等とそうでないものとの違いもあるわけです。

 詩の専門誌などの批評文では全文引用もありえますが、 アンソロジー的な編集をする場合は著作権者の許可をもらっているはずです。 昔の「俳句歳時記」などの例句は無断採録が多かったといいますが、いまはどうでせうか。
 編集著作権の発生するような編集物を、無断でそっくり複製することは違法になるでせう。

 TV番組の音楽使用料も一括払いしていますが、替え歌などは著作物の「改変」行為ですから、 放送や上演などに際して、J*****に料金を払うだけでなく、著者の許可を事前に得ているはずです。 (したがって、このようなメッセージでも、無断で替え歌を作って公表するのは、要注意です。)

 以上、著作権についてはあくまでも私見です。また、いちいち注記しませんでしたが、 教育使用・図書館使用・無償上演の場合などさまざまな、例外規定、制限規定があります。



99/10/27 (2)

 オンラインでたらたら書いたので、くりかえしやWりが多いですが、 ホームページ(WWW)を、プライベートユースとパブリックユースとの中間態とみるか、 全世界に開かれた「完全に」公然公開の場とみるかで、 さまざまな法の解釈がありえるでせう。
 しかし、法の「公然、公衆」とは「数人以上」の人のことです。 従って、「手紙」でも数人以上にだれかの悪口を書けば、名誉毀損罪に問われることもありえるわけです。 (ことわざに「三人寄れば公界(くがい)」というのがあります。)



99/10/27 (3)

 CM歌詞の話から、著作権一般の話になってしまったけど、「著作権」の急所、要諦は 「自分でどうするかを決める」ということです。 自己の専決権です。
 たとえ、宣伝になるから転載してやったんだといわれても、 他人が決めこんで「勝手に」することではなく、 なんであれ、かんであれ、利益になろうがなるまいが、 営利であれ、非営利であれ、 とにかく「著作権者」が自己の管轄において、 自己自身で決定する、これが急所です。
 何人(なんぴと)も法によって定めるものを除いて、 勝手に本人になり代わって、勝手に本人の意志を決め付け、勝手に使用することができない、 これが要諦です。かりに本人もそうしたいと思っていた場合であっても、他人に勝手に決められたり、 勝手に使用されたくない、ということです。
 なにしろ、著作権は著作権者の「財産」なのですから、他人が勝手できると考えるほうが、 法的に「犯罪的な・異常なふるまい」におよぶ考えだということになるでせう。



99/10/27 (4)

 ま、あちこちで宣伝したくない人もいるでせうし、 宣伝するならここでとか特定の場所に決めている人もいるでせうし、 他人が勝手に「宣伝」することではない、ということです。 著作権者と特別な親密関係にあって、了解がとれる確信でもあれば別でせうが。 ありがた迷惑という場合もある、ということです。

 さて、このように強力に法(および政令等)で「保護」されている 著作権に対して、人民(←なつかしいコトバ)には、 「引用」の自由があるのです。

 「引用」こそが文化発展の土台です。 もちろん、法的には「適法な引用」でなければなりませんが、 ともかく権利者の「承諾無し」に、著作物を利用できるのです。


 (1)引用の範囲をわかるようにする。
    (ま、方法は、いろいろな慣例に従うということです)
    (盗作とそしられないように注意が必要)
 (2)必要な範囲に限定する。
    (全文必要なら全文引用もありえる)
 (3)自己文を「主」とし「引用」部分を「従」とする。
    (引用量の問題ではなく、引用意図や目的とも関わってき、
     あくまでも「引用」部分を補助的な意味合いのものとする)
    (常識的には、だらだら無意味な長い引用は、顰蹙をかう)
 (4)このほか、引用する必然性がなければならないとか
    説く専門家もいますが、文芸の場合は文の「隠された意図」や
    「内的必然性」の判断は文芸の専門家であっても
    むつかしい場合がある。従って、表面的な引用意図を
    推し測る程度でせう。逆に言えば、引用の意図を
    自己文で明示しておくのがよいことになるでせう。
 (5)誹謗・中傷するための「引用」はしてはならない。
 (6)出所明示を行なう。
    (方法は、慣例に従うが、引用の様態によってさまざま)
   その他。
  ま、だいたいこんなところでせう。


 (付記)財産権としての著作権はふつう死後50年ですが、著作者人格権は、 死後50年経過後にも及ぶので(永久保護)、著作者の名誉を毀損するおそれのある利用(使用)の仕方は、 著作権フリーになっているものでもつつしむべき。
 ま、自在に、上手に「引用」を活用するのが物書きというものでせう。

 * 後述してありますが、「引用」部分の原文を改変することはできません。 ま、文芸作品等を別にすれば、意味合いが変らない程度の多少の「原稿整理」的改変は認められるでせうが。(10.30)



99/10/28 (1)

 余談──。
 作家=Y.Kさんの初の受賞作品が超ベストセラーになったが、 主催者に「著作権いっさい」をとられていて、一円ももらえず、 しかも、そのあとその作品の出版もおもうにまかせられなくなった。 長年裁判したけど、だめだった。こういうケースもあるわけです。

 ○○賞の主催者側に受賞作品の著作権が帰属してしまうように規定しているところは、 「賞」の催しで「利益」をあげたいということでせうが、 まず、そんな規定のないところがベストだし、 規定があっても、その作品の出版権(何年かの契約)ぐらいがベターということになります。
 ま、映画化権や上演権などもしかたないかもしれませんが、 とにかく、「一生」それらの権利がとられてしまうような 「規定(契約)」は「不当・理不尽」でせう。 (が、いったんとられてしまうと、裁判してもとり戻せないでせう)

 職務著作か、請負の著作(下請け仕事は微妙になる)か、このあたりもおもしろいけど、 こういうのは、特許権・意匠登録などでもよくトラブルようです。

 雑誌に作品を書いた。原稿料をもらった(あるいはタダ)。 ふつうは、その作品の複製使用の、雑誌掲載1回分のみの約束(契約)でせう。
 単行本の場合なら、「設定出版権の契約」をしていなければ、 たとえばその作品を他の媒体にも掲載しようが、 煮てくおうが焼いてしゃぶろうが、著者の自由勝手です。
 ま、出版社側は「慣行」としての「自然」出版権が発生しているというでせうが、 法廷では認められていないようです(最近の判例をみていないので、少し前の判例に依る)。 ま、業界の慣習としてもその自然発生の出版権は、せいぜい3年です。
 ふつうの「仁義」としても、単行本『○○』をA社から出し、 その文庫化をB社から出すにしても、3年くらいはあけるほうが、 こんごの「作家営業」としても、よいだろうということでせう。 設定出版権の契約していない場合は、すぐに他社で文庫化されたり、 単行本で出されても「法的に文句はいえない」ということになります。

 単行本を出す時に、印税契約では売り上げが期待できない少部数発行のものなどでは、 印税ではなく「買い取り原稿料」で支払われることがあります。 この場合も、「職務著作」とかでなければ、 著作権は著作者に「当然」あるわけで、その著作をどうあつかうかは著作者の専決権です。



99/10/28 (2)

 ちと省略して不正確な表現になってますが、 「出版権」を「設定」するのが「設定出版権」で、 出版に際して、出版契約書にそのような設定があれば、 その著作物についての出版権はその契約内容に制約されるわけです。
 設定に応ずるか否かは著作権者の権利です。よく読んで、 自分に不利な内容でないかチェックが必要。 出版権だけでなく、他のもろもろの複製権についても設定されていることがあるし。
 出版権を設定した場合でも、設定期間について取り決めが無い場合は、 その期間は初版発行から3年間とされているようです。

 詩集などでは、出版契約といっても、出版権を設定しないで、 ただ本の版型・装丁・頁数・刊行月日・部数・重版・原稿料等の額・ 支払方法等々の出版の形態や製作条件についてを取り決めた契約を交わすことが多いでせうから、 きちんとした「出版権」は無い、ということになります。
 (「版権」という用語は、「著作権」と同等の意味です。 ふつうにいう「出版権」とはことなりますから、ご注意です。)



99/10/29 (1)

●著作者人格権
 著作者の人格権保護は古く、すでに現行の規定とほぼ同じようなものが 明治20年の版権条例に規定されています。
 著作者人格権は著者の一身専属で、著作財産権が他に譲渡されても 著作者人格権は動かないのです(例外はあります)。 死後も人格的利益については遺族(2親等内)に継がれます。


 (1)公表権
    著作物を公表(発表)するのは著作者の好きなように
    時・所などを決められる。むろん、公表したくなければ
    しなくてもよい。他人が勝手にできない、ということ。
    例外はあります(公表前に譲渡された美術著作物の
    「展示」や、完成映画の公表などの場合)。
    * 公表権は、「未公表の物」の「公表」をいう。
     つまり、公表するなら初めの一回目の公表のことです。
 (2)氏名表示権
    著作物を公衆に提供・提示するときに、実名や変名(筆名・仮名)を
    使ったり、また、名前を出さないこと(匿名・無名)など、
    著作者の自由である、ということ。
    ただし、「氏名表示」以外の、称号・職業・地位表示などの
    肩書きは含まれない。
 (3)同一性保持権
    「著作者は、その著作物および題号の同一性を保護する権利を
    有し」ており、勝手に「変更、切除その他の改変」をされない、
    という権利(教育用など例外もあります)。

    もともとタテ組みの作品を、WWWでヨコ組みで表示するのは
    「改変」に相当するかどうかは、インターネットでの
    表示が基本的にヨコ組みであることが「周知の事実」といえるか
    どうかにもかかわってくることでせう。
    あらかじめ著者にヨコ組みであることを断っておいてから
    転載するほうがベターでせうし、ページの欄外・末尾にでも
    原文のタテ組みをヨコにしたと、注記すべきかも。

    文芸作品でも、新人や知名度の低い場合など、編集者が
    「勝手に」原稿に手を入れることがしばしばですが、
    無断であれば、人格権侵害にあたる行為でせう。
    (ま、力関係で著作者が泣きをみているのが現状でせうか)

    題名には著作権がありませんので、他人の著作物と同じ題名を
    付けた作品もありますが、その題名を他人が勝手に変えて
    しまうことはできません。

    同題の多い『女の一生』などはその好例ですが、
    著作権が無いからといっても、題名に固有名詞が入っていたり、
    特殊な表現をしている題名を摸すると、不正競争防止法を
    持ち出されるかもしれませんし、また商標登録してあったり
    等々、著作権法以外の法に問われるかもしれません。


 さらに、「著作者の名誉または声望を害する方法により、その著作物を 利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす」という 規定があります。(例:讃美歌を風俗営業で使用するような場合)

 また、引用の場合でも、全体としてけなしているのに、 一部のほめた部分のみを引用して、全体をほめているように思わせる、 というのは「原文通りの引用」であっても、人格権侵害のおそれありでせう。

●既述の「引用」のところで、引用文は「原文通り」とする、という 点が落ちているのでここに付記しておきます。 もちろん、原文通りでも、著作者の意図とは異なるように 解釈されるような引用をしてはいけないのですが、 故意ではなく、引用者の読解力の問題だったりするかも。




99/10/30 (1)

 パソコン通信では、従来から、著作権について、 電子掲示板などは特別に扱われるべきだと主張するユーザーがいて、 文化庁著作権課にもいろいろと伺ったことがありました。
 これまで何百とそれ絡みのメッセージを書いてきていますが、 この夏、パソコン通信用のPCのHDが突然故障して、 それらのLOGが取り出せません。
 で、たらたら思い出しながら書き込みしていますが、 ま、WWW上の詩文芸のサイトとしては、 主として「引用」と「転載」について そのポイントを理解しておけばいいでせう。

 「歌詞・楽曲付きの詩」に関しては、むつかしい面があって、 ふつうは引用でも非常に狭く解されるので、せいぜい 1〜2行にとどめるのが「実際的に無難」です。本来ならば、 他の言語著作物と同様に扱うべきですが。
 また、漫画やアニメの「引用」は、キャラクター権が絡むので、 複雑。キャラクターの無断使用/引用はひかえたほうがいいでせう。



99/10/30 (2)

 著作権に関しては、 法学部の教授や、セミナーで専門的にやった学生でも ときどきおかしなことをいうことがあります。 現実つまり現場の実態をよく知らないので、 概念的知識だけで、的外れになりかねないわけです。
 弁護士あたりも専門でなければ、かなりいいかげんな 発言をすることがあるので要注意でせう。

 ひとくちに著作権といっても、ひじょうに分野が広く、 ひとつの分野のなかでもまた様態がさまざまなので、 具体的な事例でないと、なかなか理解しにくいものです。
 しかも、著作権の対象とするものが、 身近なものが多いので、「俗論・俗説」という通俗的な 理解、つまり、ほとんどまちがいといえる理解もまた ひじょうに多いようです。
 大手の出版社の編集者でも、仕事に関してさえ分業的作業の範囲しかわからないもので、 著作権ともなると、実にうろんなことをいったりします。
 著作権に関する本(解説書)でも、著作権者側に立つものと、 ユーザー側に立つものとでは、微妙に表現の違いがあって、 読み手を「誤誘導」しかねないところがあるようです。



99/11/13 (1)

著作権法についての補足
 すでに申し上げていることですが──、

1) 無断複製使用(適正でない引用も含む)は、 使用者が営利であろうと、なかろうと、無償の行為で あろうと、なかろうと、金銭的利益があろうと、 なかろうと、いっさい関係なく、 「事前の」承諾を得ないで使用した場合は、 著作権侵害または著作権法違反の疑いが発生します。

2) 著作権法は、刑事特別法ですから、違反者には 刑事罰がありえます。営利とか金銭的利益の有無など、 民事訴訟を起した場合に、損害賠償や慰謝料を求める際の 参考になるということで、刑事事件としては直接関わりません。

3) 引用は、目的・意図に必要なら全文引用もありえますが、 必要の無い引用は「原則的には」1行でも著作権法違反の疑いが発生しえます。 つまり、「不正引用」です。 ま、1行で訴える人もいないでせうが、 著作権法違反かどうかといえば、「違反」ということになるでせう。

4) 引用は、「自己文あるいは自己著作物を主、引用部分を 従」とし、 「自己文あるいは自己著作物の補足・補助(説明)として用いられるもの」とし、 「出所を明示」し、 「必要な範囲内のみ」を最少限に引用し、 「原文を改変しないもの」とします。
(このほか、著者の名誉等を毀損しないなどの規定がある)
 適法な引用は著作権者の承諾は必要ありません。 適法な引用といっていますが、「引用の仕方」は、これは昔から 「ものかき」のマナー、常識、慣行です。

5) 「事前の」承諾を得ることが困難な人は、複製使用(不正な引用を含む)をすべきではありません。 たとえ「善意・好意」で使用したとしても、違反は違反、 侵害事実に変わりはありません。 自分の都合のいいように解釈しても侵害事実に 変わりはありません。

 ── 以上、詩サイトで特に問題になりそうな点を念の為に 再述しておきます。



99/11/13 (2)

 引用の条件としては、このほか、 引用部分と自己文(自己著作物)とが まぎれないようにする、つまり、 引用部分と自己文との境目、区分を明確にしておくというのがあります。
 適法でない引用は「無断複製使用」になりますが、 使用者が「これは引用だ」と抗弁した場合に、 不正な引用だと言うだけで、無断複製使用という ことに変りはありません。



99/11/13 (3)

 詩の場合、「事後」の承諾・了解というのは、 著作権者の好意をあてにしている、 つまり甘えているのがほとんどでせうが、 事後で了解されても、そこで、 「違反ですな」といわれれば 「はい、すいません」と 謝るほかありません。
 経験上、立場によるでせうが、十人にひとりか、 二十人にひとりくらいは違反だと指摘されるようです。
 詩の場合、内心、苦々しく思っていても、 荒立てずに黙っているのがほとんどで(黙認)、 違反者はたすかっているわけです。



99/11/13 (4)

 かつて、わたしの関わったパソコン通信での 係争でも、著作権がしばしば問題になっていますが、 「転載」「引用(過剰引用、出所不明示など)」に かかわるものが多かったのです。
 また、パソコン通信上で作られた「著作」または「編集著作物」が 別のNETや出版物に無断転用されて問題になった事件も いくつかありました。



99/11/13 (5)

 1980年代末、某新聞社系のパソコン通信ネットで、 あるユーザーが、その新聞掲載の記事の十数行かを 引用して、 ある事件について論評したことがありました。
 すると、新聞社では、無断複製使用と判断し、 かつ、数千円の使用料を徴収したのです。

 新聞記事の「過剰引用」や「不正な引用」は、見つかれば 問題になり、お金がとられることもある、ということです。
 「適法な引用の範囲だ」と抗弁して 法廷闘争する気力のある人がいるとおもしろいかも。

 1990年代の前期、各新聞社・通信社に問い合わせて、 パソコン通信での、新聞記事・配信記事についての 扱いを調べた人がいました。
 各社、ばらばらの回答で、なかには「パソコン通信」上では 自由に転載してもよいという社もありました。 しかし、1990年代後期からは、そういう社も 無断複製使用(無断転載など)禁止に変ったようです。



99/11/13 (6)

 この時は、新聞社にわび状とともに徴収された使用料は、 確か 8,000円位だったと 記憶しているのですが、当時のlogが みつからないので、「数千円」としました。



99/11/13 (7)

 こういってはなんですが、 詩作者イコール「ものかき」とは限らないわけで、 著述を業としていない人が多く、また著作権についての 正確な知識もとぼしいので、 「事後の承諾」を求められて、 慣習としてそんなものかと思っている人も多いことでせう。
 そういう人にでも、「実はすでに侵害(違反)しているのです。 事後になってもうしわけありませんが、承諾ください」と、なまじっか、事情説明したりしますと、 なかには「けしからんじゃないか」と返ってきたりします。
 逆に、ささいな引用でも、いちいち著者の承諾を 得るものだと思って、 事前・事後に了承を求める人も少なくありません。



99/11/13 (8)

 著作権法違反は「刑事事件」ですので、かつて、 確か大阪だったと思うけど、あるソフトハウスが 自社ソフトの「違法コピー販売」による被害届を出し、 その容疑者が確か名古屋辺で「逮捕」されたことが ありました。
 小遣い稼ぎに少々違法複製したわけですが、「家宅捜索(ガサ入れ)」はむろんのこと、 「証拠」として、パソコンなど装置類は押収されますし、 容疑者は、手錠をはめられ、管轄署まで「護送」されていたようです(TVニュースで見た記憶あり)。 もちろん、こうなれば、留置・勾留となったでせう(真裸にされて、肛門も調べられるでせう)。 ま、「みせしめ」的な逮捕でせうが、以後、パソコン通信絡みの、逮捕事件はしばしばありました。

 たとえば、自分の作品が無断転載された出版物が あったとしますと (最近はこういうアホなことをする出版社はめったにないけど、 中身のチェックを怠って、著者にまかせきりだと起きがち)、 即時販売停止・回収を求め、続けて印刷できないように印刷所の 機械装置を止める(押収)ことを要求したりします。 (印刷所はいい迷惑ですが、いちおう事件関係者)
 当事者側の対応に腹が立てば、ここまでやれるということです。



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