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[ 第1章 ]
波郷・坂上是則・定家・前田普羅・野沢節子
丈草・和泉式部・人麻呂歌集・茂吉・香川進
斎藤玄・斎藤史・石川啄木・北原白秋

[ 第2章 ]
中也・三好達治・白秋・大手拓次・廣岡麻実

[ 第3章 ]
凡兆・蕪村・与謝野晶子・若山牧水

[ 第4章 ]
唐十郎・手鞠唄




雪つれづれ   橘 恭子


bar-line

[Up]




   雪降れり時間の束の降るごとく    石田波郷

 清瀬の療養所に入っているときの作とか。詞書に「十二月十九日雪」と
 あります。山本健吉はこの句に「雪がたっぷりと、執拗に降りつづけ、
 その間に刻々と時は移り、それを鋭く意識に上せて、『時間の束が降る
 ようだ』と形容した」と述べています。
 病室の中は、壁・天井も寝台も寝具もカーテンも白かそれに近い色でし
 ょう、おそらくは。白い壁の白い窓。そこからの光景は、見慣れた風景
 が白く覆われ、ただひたすら白い雪が無数に降ってくるさまに、入院中
 の弱った心、療養に囚われている心身が「直面」したときの率直な感慨
 が「時間」という抽象語をするどく捉え得たのでしょう。
 「降るごとく」となっていますが、直観しているのは「時間の束」であ
 り、それは雪の喩ではなく、まさに時間というものが剥き出しにそこに
 「在る」、降る雪として在る、という戦慄的な、存在の根柢が露わにな
 った瞬間を捉えているようです。
 人間臭のない、人間界の背景を捨象し、あたかも宇宙の起源から果てま
 で流れているように「降る」雪であり、それを人間的な時間ではなく、
 磁束のような「時間の束」という語に結晶したのでせう。


   あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる雪
                       坂上是則(古今6-332)

 吉野に来て、なぜか夜明けのころに目が醒め、しとみの隙間か校倉造り
 の窓か、さし込んでくる明かりが、しらじらとした夜明けよりもさらに
 しらじらと冴えて美しい……。さては、有明の月の光かと起き上がり、
 戸を開ければ、みわたす吉野の里には雪が降り積もり、淡い月光のよう
 な静寂の美の世界となっている……。
 有明の月の光が雪に照り返しているのか、降る雪にも月の雫がやどって
 いるような、ゆくりなくも体験することのできた吉野の雪の美。


   駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮
                      藤原定家(新古今6-671)

 万葉集の「苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野の渡りに家もあらな
 くに」(265:長奥麻呂)による本歌取りの歌として名高いのですが、世阿
 弥がいみじくも「雪を賞翫の心も見え」ず、「言はれぬ感もあるやらん」
 と讃したように、うちはらおうとした袖の手も静止し、駒さえたじろぎ
 もせず、息をのむことも忘れ、ただ「雪の夕暮」に立ちすくんでいるの
 みの「幽玄美」が現前している……。


   うしろより初雪ふれり夜の町       前田普羅

 山本健吉は、「どっさりと降ってきた感じだ」と評していますが、うし
 ろから降りつのってくる雪に追われるというよりも、夜の町に静かに降
 り出し、いつまにか白一面の雪景が背後の闇に広がり光っていたという
 光景を浮かべます。


   はじめての雪闇に降り闇にやむ      野沢節子

 少々「闇」ということばに酔っているところが気になりますし、「はじ
 めての雪」という初句に感傷的きらいがありますが、「闇にやむ」とい
 う止み方への着目がかえるでせう。


   雪の夜や重(かさな)ッて行(ゆく)鳥の声  内藤丈草

 さすが丈草、雪の夜空を低く、寄り添うよにして渡る鳥の声の高低の重
 なりに翼にも濡れてかかる雪のしらしらとした輝きとその静寂の極致を
 描ききっています。


   待つ人の今も来たらばいかがせむ踏ままく惜しき庭の雪かな
                             和泉式部

 「清浄な雪を踏んでみたいという童心にかられるが、そんなところにあ
 の人が来たらどうしよう」という気持ちよりも、わたしは、踏み荒され
 ない前の雪の庭をあの人にみてほしい、そして、その時に自分がその雪
 を踏んで歩いていく、そのありさまをあの人にちょうど見ていてほしい
 という式部の粋な美的感覚を感じるのです。


   沫雪は千重に零(ふ)り敷け恋しくの日(け)長き我は見つつ偲はむ
                            人麻呂歌集

 「千重(ちえ)に降り積もった雪に片思いの心を慰めようとしている」と
 いうよりも、幾重にも降り積もる雪という光景こそが我が恋の光景であ
 り、そこにひとつの自足を得ているという深い心理的観照の境地をみる
 のです。


   あまぎらし降りくる雪はをやみなき冬のはての日こころにぞ沁む
                             斎藤茂吉

 「あまぎらし」と「小止みなき」とがすこしだれていて、「はて」「沁
 む」といささか情緒的で、実相観入というより感傷的なのですが、天の
 奥から霧のように降ってくる雪の中に魂をさらしている感があって、独
 特の凄みがあります。


   ありうべきことのさまざまを見てこしがただ淡々し水に降る雪
                             香川 進

 これは「淡々(あわあわ)し水」の海、つまりびょうびょうとした琵琶湖
 いちめんに淡々と降る雪景にたたずんでいると、湖面に映ってきた歴史
 の流れを想いおこさずにはいられない、そういう心境になり、それもま
 た淡々しく過ぎていく時のように感じられるのです。雪の光と陰の単彩
 の光景は、人に過去を立ちあがらせてしまいます。


   まなうらの緋(ひ)を積む雪の降りにけり  斎藤玄

 ひたすら降り積む雪をみていると、眼ぶたの裏にもまた緋の「幻想の雪」
 が降り積もっていくのです。


   ねむりの中にひとすぢあをきかなしみの水脈(みを)ありそこに降る
   夜のゆき                      斎藤 史

 「あをきかなしみ」の水脈(みを)とは?その深い深い青の水脈に、外
 の雪とおなじように雪が降っているわたしの眠りとは……。象徴的な心
 象にゆらめく。常套的語り口調ですが、女性特有の感覚をあてているよ
 うです。


   どこやらに杭打つ音し
   大桶をころがす音し
   雪ふりいでぬ                    石川啄木

 雪のひとひらづつが死の匂い、死の影のような感覚に襲われることもあ
 ります。せわしない師走の雪でせうか、ひとつの年が逝き、ひとつの年
 を迎える時の雪はちょうど「死」をまたぎ越しているのかもしれません。


   聴けよ、妻、ふるもののあり。かすかにふるもののあり。初夜過ぎ
   て、夜の幽けさとやなりけらし。ふりいでにけり。なにかしらふり
   いでにけり。声のして、ふりまさるなり。雨ならし。いな、雪なら
   し。雪なりし、あはれ初雪。よくふりぬ。さてもめづらにふる雪の
   よくこそはふれ、ふりいでにけれ。さらさらと、また音たてて、し
   づかなり。ただ深むなり。聴けよ、妻。そのふる雪の、満ち満ちて、
   ただこの闇に、舞ひ深むなり、ふりつもるなり。
       句
   ひまさかに浪の音して夜の雪なり

        北原白秋「聴けよ妻ふるもののあり」(『真名井』所収)

 『愛の詩歌集』からの孫引きなので、『真名井』でのこの長歌の背景が
 わからないのですが、反歌のように置いている結びの句の「浪の音」が、
 雪降る音の形容なのか、海際にいて浪の音とともに雪の「声して」いた
 のか、いや、ここまでくると、人の世の浪に漂いつつ、「世にふるごと
 く雪ふる」としか感受しようがありません。幸いなるかな、「聴けよ、
 妻」と語り得る人ありて、といいたくなります。芭蕉のいう「さび・わ
 び」の先の「軽み」をただ汲みとるのみでしょう。


   枯山(からやま)に雪しらしらと降れりとふ枯山にすら人目遊ぶを

 白秋は、昭和12年11月に眼底出血を起こして入院、翌年1月視力を回復
 しないまま退院するのですが、15年8月にこの歌を収めた歌集『黒桧』を
 刊行します。この歌の頃、失明状態だったのでせうか、なんのへんてつ
 もない枯山に雪が降ったと人に聞いて、その枯山の雪を実見することが
 できずに想像してみる白秋の心象は、よりいっそう寂寞とした雪景にな
 ってしまうのです。


   一つ来て瞼に煮ゆる雪片の須臾とどまらず水と滴(た)りにけり

 僅かな時間を「須臾」(しゅゆ)と現わし、瞼に感じた刹那に水となる雪
 に、世界の中心に聳える須弥山(しゅみせん)と通音を感じて、瞼の雪を
 世界の頂きからの雪と想うことすらできるかもしれません。それが生命
 の水となり、人をうるおすこの不思議さ、霊妙さ。上と同じ『黒桧』所
 収の歌です。


[Up]




      雪の宵
              青いソフトに降る雪は
              過ぎしその手か囁きか 白秋


   ホテルの屋根に降る雪は
   過ぎしその手か、囁きか

     ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
     赤い火の粉も刎ね上る。

   今夜み空はまつ暗で、
   暗い空から降る雪は……

          中原中也「雪の宵」1〜3連(詩集『山羊の歌』所収)


 雪が「過ぎし」ものの「手」か「囁き」か、と問うのは、いってみれば
 カトリック的な宗教的感情に由来するように思え、いかにも降誕祭の宵
 に降る雪への讃のようでせう。白秋のソフト帽に降った雪は、中也のホ
 テルの屋根に降り、そして、中也の「生い立ち」を通して降るのです。


        幼年時
   私の上に降る雪は
   真綿のやうでありました

        少年時
   私の上に降る雪は
   霙のやうでありました

       中原中也「生ひ立ちの歌」1〜2連(詩集『山羊の歌』所収)

 「汚れっちまった悲しみ」とはなんでしょうか? 悲しみがどのように
 「汚れた」というのでしょうか? 汚れる前の清浄無垢な「悲しみ」が
 存ったのでしょう? それとも、自分が「汚れてしまった」ことが悲し
 いというのでしょうか? 中也にとっての「貞潔」と「汚穢」という観
 念はやはり宗教的な、特にヴェルレーヌの作品からの影響が大きいとみ
 られています。


   汚れつちまつた悲しみに
   今日も小雪の降りかかる
   汚れつちまつた悲しみに
   今日も風さへ吹き過ぎる

                中也「汚れつちまつた悲しみに……」初節


 個人的好みでいうと「よごれっちまった」というような訛りは好きじゃ
 ありません。ま、関西弁をきくとむかむかする人もいますから、お互い
 さまなところですが、ちょっと不良っぽく肩をそびやかし、「よごれっ
 ちゃったがなんでぇい」と強がりぶってるシーンでしょうか。

 暗い列車に乗り込み、いつしか降り出した雪は乳白色の霧のように降り
 つのり、行く手は雪闇知れず、まるで、無数の雪がマリンスノーの海の
 ように、また、雪の星の銀河のように鉄紺色の世界に漂い、舞ひふぶく
 のです。その雪片のひとつづつが、ソフト帽に、またホテルの屋根に、
 また幼年時に、あるいは、狐の皮ごろもに降りかかった雪なのです。


  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。
                          三好達治「雪」

 ちと長くなりますが、この達治の「雪」に対する山本太郎の評を紹介し
 ますと、「俳句や短歌の伝統詩形にはない新しさが感ぜられる。/巨き
 な時の脈動、自然の無言の営為の底で、植物のように生きる人間の運命
 といったものまで含んだ宇宙的な茫漠を僅か二行で描き切る詩の見事さ
 を味わうべきだ。」と激賞しています。
 それにしても「植物のように生きる」とは、どこからの発想でしょうか。
 いささか牽強附会ぎみでしょう。「伝統詩形にはない新しさ」という評
 には首をかしげてしまいます。むしろ、二行詩だからこそ俳句短歌の伝
 統型に近づき、その抒情の内実も短歌俳句的になっているのではないで
 しょうか。実際、短歌俳句ではなかったからこそ1行目の太郎を次郎に
 換えただけでおなしフレーズを繰り返せたわけで、もしも、短歌俳句だ
 とすると冗漫な印象を避けられないでしょう。すでに見てきたように、
 雪は、聖ニコラスの冬至祭のずっと太古から、あらゆるものの上に降り、
 まぶたの裏にも、眠りの中にも降りそそぎ、降り積んできているのです。
 太郎や次郎の屋根に降り積もれ、というだけでは「小さい」と評する向
 きもあるわけです。
 それはともかく、山本太郎が「植物のように」と受けたのは、「眠らせ」
 という詩句によるのかもしれません。深く深く雪の下に埋もれた家の暮
 し、その家に横たわって眠る……。その眠りの夢の中で、雪が深く深く
 積もり、太郎も次郎も眠って横たわっている、そのようすを眠りながら
 互いに感得している暮し……。


 北原白秋の青いソフトに降った雪は、中也のホテルの屋根に降り、赤い
 煙突の火の粉をはね上げたのですが、実は、白秋のホテルにも降ってい
 たのでした。白秋詩集『思ひ出』では、


   青いソフトにふる雪は
   過ぎしその手か、ささやきか、
   酒か、薄荷か、いつのまに
   消ゆる涙か、なつかしや。
                     「青いソフトに」全行

 とあり、その後に、


   意気なホテルの煙突(けむだし)に
   けふも粉雪のちりかかり、
   青い灯が点きや、わがこころ
   何時もちらちら泣きいだす。
                     「意気なホテルの」全行


 とあって、中也は「雪の宵」の着想を白秋の「意気なホテルの」から得
 ているのでせう。が、「雪の宵」全篇を読めば、中也独自の世界が了解
 できるでしょう。


   君かへす朝の鋪石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 のちに姦通罪で告訴され拘留されるもとになった人妻との恋の歌のよう
 です。明け方、小雪が降り初め、樹々や路石を飾る…。清爽とした林檎
 の香に彼女が包まれ、そして自分もまたその香に酔いたい。それは、道
 ならぬ恋を高めたい気持ちの現われであり、彼女にもそうあってほしい
 し、そのような<劇的時間>を生きていると実感していたいというせつな
 い願望なのでしょうう。(白秋歌集『桐の花』)


 異色の官能詩人大手拓次は、自選詩集『藍色の蟇』に「わたしのひかり
 である北原白秋氏に献ぐ」と献辞しました。


   自然をつくる大神(おほかみ)よ、
   まちの巷をくらうする大気のおほどかなる有様、
   めづらしい幽闇の景色をゑがいて、
   そのしたしたとしたたる碧玉(サフイイル)のつれなさにしづみ、
   ゆたかにも企画をめぐらすものは、
   これ このわたしといふ
   青白い幻の雪をのむ馬。
                      大手拓次「雪をのむ馬」


   ゆきがふる ゆきがふる。
   しろい雪がふる。
   あをい雪がふる。
   ひづめの音がする、
   樹をたたく啄木鳥(きつつき)のやうなおとがする。
   天馬のやうにひらりとおりたつたのは
   茶と金(きん)との縞馬である。
   若草のやうにこころよく その鼻と耳とはそよいでゐる。
   封じられた五音(いん)の丘にのぼり、
   こゑもなく 空(くう)をかめば、
   未知の曼陀羅はくづれ落ちようとする。
   おそろしい縞馬め!
   わたしの舌から、わたしの胸から鬼火(あをび)がもえる。
   ゆきがふる ゆきがふる、
   赤と紫とまだらの雪がふる。
                   大手拓次「曼陀羅を食ふ縞馬」


 拓次の詩は一般にあまりなじみがないでしょうから、予断をもたずにじ
 っくりと鑑賞していただきたいと思います。いわば「生と死の夢幻的象
 徴詩」です。


 発句が俳句となって「独立」して以来、その作品としての自律性の困難
 さが常にアポリアとなってつきまといます。病床の子規の状況を前提と
 しないで子規の「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の句が俳句自体の自
 律性をもって成り立つのかどうか、ということです。詞書にしろ、作者
 自解にしろ、前提となるべき事柄が存るのならそれが分かるにこしたこ
 とはありません。つまり、自律していない形での〈鑑賞〉がいちおうは
 成り立つということです。


   はんざきの哀しみ知らず雪が降る   廣岡麻実

 この句を〈前提無し〉に自律的に〈鑑賞〉するとしたら、なんといって
 も初句の「はんざきの」に引き付けられるのです。方言として山椒魚の
 ことを「はんざき」の呼称の由来をふだん全く意識しないで使っている
 地方があったとしても、いまこの初句に遭遇しているわたしには直接関
 わりのないことで、なにゆえに、山椒魚と表わさないで、「はんざき」
 とするのかという疑問をただちに励起しつつ、次句の「哀しみ」へと移
 ります。そして、「はんざきの哀しみ」と受けて、この曖昧な表現から、
 近代に生きるわたしは、「自我の分裂」「自己疎外」の人間存在の曖昧
 な状況の苦悩の「哀しみ」を想起するにいたるのです。これは、はんざ
 きの呼称の由来、つまり二つ裂き(半裂き)になっても生きるという山椒
 魚の生命力の逞しさを現わしている呼称であることに、わたしの想像力
 が働く(憑く)のです。

 不条理な自己疎外化の現実にあって、人間存在は苦悩しつつその状況に
 生き続けていることが象徴されていると感受できるでしょう。
 次の「知らず」も〈曖昧〉です。結句にある「雪」がはんざきの哀しみ
 を知らないと解するのか、初句から「知らず」までにおいて、語り手が、
 「はんざきの哀しみ」を提示しつつ、それを語り手は「知らない」と否
 定しているのか、あるいは、語り手は「はんざきの哀しみ」を知ってい
 るが、はんざき自身は、その哀しみを自覚していないということか、こ
 こで、語り手の視点を〈神〉の位置まで引き上げてしまいますと、はん
 ざきにしても自分の不条理(自己疎外)の世界の真の意味を「知らず」、
 むろん雪もそういうことはいっさい「知らず」、神の摂理の現われとし
 て、はんざきの上にただ雪がふる、ということになるでしょう。

 はんざきが棲むのは、山間の渓流で、たいてい厳冬に雪に覆われ、自然
 の「死」と「再生」の胚胎期になります。はんざきは「二つ裂き」にな
 りつつ、幾十年も耐えて生き続け、雪による死とその雪が春の生命の水
 になる再生とを経験してきたわけです。そのはんざきの哀しみはだれに
 も知られず、はんざきは孤立した存在でせう。四季の廻りのごとく擬制
 の自然性のままに生きる存在からは知られることがなく、しかもはんざ
 きはその環境から逃走することもできず、その孤独に耐え、二つ裂きの
 苦悩に耐えているのでしょう。それは語り手自身の投影か。結句「雪降
 れり」というような詠嘆に流れず、「雪が降る」と断言することによっ
 て、はんざきの苛酷な生を屹立させているのでしょう。


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 凡兆の「下京や雪つむ上の夜の雨」をきくと、蕪村の「木屋町の旅人と
 はん雪の朝」を想起しませんか。で、「下京や〜」はいっしゅの枕詞と
 いうか、冠付の上句みたいにして、「下京や、なんとかかんとかの、な
 んとやら」と句立する雑俳の遊びがあるそうです。


   下京や紅屋が門(かど)をくぐりたる男かはゆし春の夜の月
                            与謝野晶子

 この歌は初句に、「下京や」として〈俳趣〉をもたせているといいます。
 下京の商家の紅屋といえば、口紅など化粧品や婦人用の小間物を商う店
 でしょうか、その店に入っていった男を「かはゆ」いという与謝野晶子
 の表現が当時「大胆な詠法として評判になった」そうです。


   ひと花はみづから渓にもとめきませ若狭の雪に堪へむ紅(くれなゐ)
                            <みだれ髪>

 ま、この花だとか紅(くれなゐ)だとかいうのは、晶子や登美子の心のこ
 とでしょう。登美子が去るときの歌「それとなく紅き花みな友にゆづり
 そむきて泣きて忘れ草つむ」がありますが、「紅き花」は鉄幹との愛を
 暗示しているのでしょう。


   さしかざす小傘(をがさ)に紅き揚羽蝶小褄(こづま)とる手に雪ちり
    かかる                        晶子

 舞妓の褄とる手にちりかかる雪の美を詠んでいるのですが、この歌の前、


  四条橋おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲(う)つ夕あられ

 と詠んでいて、この「撲つ夕あられ」を美しい響きの造語として佐藤春
 夫が絶賛したそうです。ま、晶子にしたら、このくらいの技巧はたえず
 こらしているわけでしょう。


   別るゝ日君もかたらずわれ云はず雪ふる午後の停車場にあり 牧水

 若山牧水が小枝子との恋の清算を決意して別れた日。
 明治42年1月作、23歳。


   おとろへしわが神経にうちひびきゆふべしらじら雪ふりいでぬ

 明治43年1月〜44年5月に制作された作品の歌集『路上』から。この頃、
 牧水は詩歌誌「創作」を創刊して編集に携わったものの、心の悩みと疲
 労とで酒にまぎらわし乱酔する日が多かったとか。「わが小枝子思ひい
 づればふくみたる酒のにほひの寂しくあるかな」。


  いつか見むいつか来むとてこがれ来(こ)しその青森は雪に埋れ居つ

  鈴鳴らす橇にか乗らむいないな先づこの白雪を踏みてか行かむ

 これは、大正5年3月〜4月の東北旅行での歌。南国育ちの牧水は深い雪
 に埋れた北国にこがれていたようです。特に、青森には牧水系の歌人が
 多かったといいますから、揮毫旅行も兼ねてのことで、県内に1ヶ月も
 滞在したとか。


  つぎつぎに影を投げつつ連なるや朝日さしそふ雪のむら山

  峰を離(さか)り空にながれし朝雲のいま焼けそめぬ雪の山のうへに

 大正7年11月の「みなかみ紀行」の、伊香保での作。牧水は川の水源に
 たいへんな愛着をもち、この時も利根川の水上に憧れて渓谷を旅したそ
 うです。牧水には、山の歌が非常に多いが、徒歩の旅ゆえか、雪山の歌
 はごく少ない。連山の雪に朝日が次々に光り輝いていくさまがなかなか
 動的にとらえられています。


  天城山わが越ゆる道の杉の木に降り積る雪は枝垂(しだ)れそめたり

  ひと夜寝てわが立ちいづる山かげのいで湯の村に雪ふりにけり

 牧水の旅姿の写真などをつくづく眺めていますと、なんとも不思議な気
 持ちにさせられます。20代から晩年まで、そんなに大きな変化はなく、
 山川草木、花鳥など<旅路>に目にするものを淡々と、しかも深いこだわ
 りもなくスケッチして流れていくという感なのです。まるで、ひたすら
 <歩きまわる>ということをたのしみとしていたかのようです。


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 新宿の花園神社を追われた紅テントは、あちらこちらとさまよい、吉祥
 寺や墨田の川船、日本各地を回って、はては韓国、ベンガルへと奇怪な
 唄を流し、〈崩壊〉を予兆しつつ、70年代を駆け抜けた…。


   コンコンコン
   あたしゃ雪肌 牡丹ぐち
   コンコンコン
   夢のお宿に雪がふる
   ほたるの暗灯さし上げて
   あなたのお帰り待ちまする
                  唐十郎「腰巻お仙・忘却篇」より

 当時の舞台写真をみると、死の匂いがたちこめ〈卒塔婆〉が林立してい
 る。


   雪が降った。けれど、地面が血に染んでいるので積らなかった。
                   アントン・チェーホフ『手帖』


 次に紹介するのは、以前、自作詩の前置きとして組合わせ、PC-VAN の
 SIG に掲載したもので、第二次大戦末期に、兵庫県下で、子供たちの手
 まり歌として歌われていたものです。


     雪はちらちら むこうから
     から傘片手に あや抱いて
     坊や泣くなよ なぜ泣くの
     死んだかあちゃん 帰りゃせぬ
     かあちゃんと別れて もう七日
     たよりにたよった とうちゃんも
     いかねばならない 戦争に
     ゆくとうちゃん よいけれど
     あとにのこった この坊や
     どうして月日が 送らりょか
     汽車の窓から 顔出して
     坊やさらばよ さようなら

     ある日のがっこの 先生が
     親のない者 手をあげよ
     七十四人の その中で
     坊やひとりが 手をあげた
     親のない者 ばかにすな
     親はあります 天国に
     白いべべ着て じょじょはいて
     大石まくらに 寝ています
                  「雪はちらちら」(兵庫・手鞠唄)


 プロレタリア詩人は逮捕弾圧され、反発する者は監視の重圧下にあり、
 前線の死地に故意に狩り立てられ、「社会」という文字のある昆虫の本
 まで押収されて取調べの拷問を受け、国民のほとんどが物言えば唇寒し
 どころか、死体寒しとなる状況でなんと子供たちが、雪はちらちら……
 と、このような歌で手鞠ついていたとはたいへんな驚きです。兵庫とい
 えば、神戸空襲で孤児となった野坂昭如の「火垂るの墓」を想い起こし
 ます。雪ぼたるの暗い灯がいまも漂っている。








pict:neko


1995.12〜96.1

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