2011.04.27
◆大震災の被害者を励ましたい。オレの小さな支援例 
(1) この記録の概略
 仙台空港が使えるようになったり新幹線が動き出したりで、復興は少しずつ進んでいるように
見えます。しかし、福島第一原発の事故は出口が見えず憂うつな日々が続いているのは皆さん
同じだと思います。そんな中でも歌手やスポーツ選手や俳優などが被災地を訪れ、皆がそれぞれ
の立場で被災者を励まし、日本人が皆が力を合わせて立ち上がろうとのTVを見ていると感動して
涙が出そうになることがあります。

 我が家でも何らかの貢献をして被害者を励ましたいと思っており、娘は郵便局から日本赤十字へ
募金を送り女房も駅で募金をしています。オレも高校時代のクラスメイトが福島原発から5Km圏内
の双葉郡双葉町におり消息が判れば何か支援したいと思っていました。ここに記録したのは
双葉町の旧友の消息がつかめたので、昔のクラスメイトに声を掛けたところ多数の方から見舞い
金(支援金)を届けて欲しいと依頼されました。会ってそれを渡すと共に励ましてきた話です。

 本来なら取りまとめたオレとしては旧友支援に賛同してくれたクラスメイト全員に御礼の手紙を
出さなければならないが、約30名に封書で出すのは準備も大変であり、ハガキでこのページの
URLを連絡して、経緯及び最終報告といたします。したがって、個人的な連絡ページの意味合いが
強いが、一般公開しても特に問題はないので日記コーナーに掲載します。なお、対象の被災者は
仮名ですがその他は実名です。実名で問題のある方は連絡して頂ければ直ぐ仮名に変えます。

(2)先輩からの消息情報
件名:朝日新聞夕刊から、送信者:田澤、日時:2011年4月2日 11:44
4月1日の朝日新聞夕刊の、原発事故で退去者が対象の都営住宅入居説明会記事に
皆さんの同級生・瀬木守の奥さんの名前を見つけました。
旦那も一緒に避難していると思います。
住所がわかれば、4月7日の同窓会お花見に招待したいですね。
 
件名:Re朝日新聞夕刊から、送信者:井領、日時:April 02, 2011 5:27 PM
連絡有難う御座いました。
私も昨日の朝日の夕刊を確認しました。
避難先が判らないか東京都のHPを調べる等、捜してします。
 

(3)避難先調査
福島県双葉町は役場ごと3月19日にさいたまスーパーアリーナ(埼玉県)へ移転したが、
そこは3/31までであり4月1日には、埼玉県加須市(旧埼玉県立騎西高校内)へ移った。
ここの双葉町公式ホームページ(災害版)を見ると、安否情報の問い合わせ先がありご連絡
は「出来るだけFAX又はメールにてお願い」となっていたので下記メールで問い合わせた
件名:瀬木守さんの住所の問い合わせ、送信者:井領、日時:2011年4月4日 9:04
このたびの東日本大地震で被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。
 
先日、4月1日朝日新聞夕刊の都営住宅入居説明会の記事の中に、
瀬木美喜子さんの名前がありました。私は、美喜子さんの夫の瀬木守さん
の高校(長野県立△△△△高校)時代の同級生で井領邦弘と申します。
 
△△△△高校同窓生および同級生で、瀬木守さんの何か役に立つことが
あればお手伝いをして皆で励ましたいと思っています。
お忙しい所申し訳ありませんが、瀬木守さんの東京での住所が判れば、
教えて頂きたく宜しくお願い致します。
 
なお、瀬木守さんの双葉町の住所は
〒979-1400 福島県双葉郡双葉町大字新山字○○○  です。
以上 宜しくお願い致します。
返信は2週間以上経っても来ない。本人が現在の移転先を登録してない可能性もあり心配
で後日電話した時聞いたが、役場には現在の居場所を連絡してあるそうでした。何故返信
が無いか判らないが、混雑しているか個人情報を出さない方針によるせいかも知れない。

双葉町役場からの情報は期待できそうもないので、東京都庁のURLを調べ電話した。
件名:東京都一時提供住宅問い合わせセンターへ電話で住所の問い合わせ 4月4日
KI:内容は上記の双葉町役場に送ったメールと同じ問い合わせ。
A:問い合わせ内容は判りました。返答については上司と相談するので待って下さい。
 
A:相談の結果、個人情報は親族以外の他人にはお答えできません。
  ただし、連絡先を先方に伝え貴方が連絡して欲しいとの伝言は伝える事は出来ます。
 
KI:了解しました。それでは私の電話番号を先方へ伝えて下さい。
 
その日(4/4 11:00)のうちに本人から電話があり、住所及び電話番号の連絡先を聞きました。
移ったばかりでもあり忙しいそうだったので、後日会いたい件ともしお役に立つことがあれば
手伝うので何時でも連絡して欲しいと伝え電話は切りました。

(4)旧友を励ます方法の相談
件名:瀬木守さんを励ます方法の相談、送信者:井領、日時:2011年4月4日 19:34
TO:山和会メンバー殿
FM:井領
本日「東京都一時提供住宅問い合わせセンター」へ電話して、瀬木守君
の住所を調べました。個人情報であり教えてくれなかったが、センターから
瀬木守君へ連絡し、本人からオレへの電話ならOKとのことで、自分の電話
番号を伝え連絡を待ちましたが、電話連絡がありました。
 
福島での住まいは福島第一原発から3Km以内だそうなので今後数年間は家に
帰れないと思います。家があるのに帰れないのは本当に可愛そうだと思います。
 
住所が判ったので会うことが出来るので、山和会としても何かしたいが、
どのような方法で励ますことができるか皆さんのアイディアを教えて下さい。
 
また、今回の情報はメールで9人に送っているが、メールアドレスが無い方には
連絡していません。もし親しくしている山和会のメンバーがいたら連絡して意見
を聞いて頂けると嬉しい。
 
なお、本件の取りまとめは、瀬木守君とは数十年間交信はなかったが、同じ
上松町出身でそれなりに親しかったので、賛同者がいれば私が勝手に取りまとめます。
 

 上記のメール対する返信のうち1人分紹介
件名:Re瀬木守さんを励ます方法の相談、送信者:筒井、日時:2011年4月5日 11:34
情報ありがとうございました。
山和会の名簿では15名長野県に住んでいますが、Eメールのない方のうち
私の連絡のつきそうなメンバーには電話をしてみます。
 
私の意見としては、出来れば瀬木さんに会って、元気をつけながらお見舞い
を渡せたらと思います。
 
今の状況からすれば、おそらく福島には帰ることができないのではと思います。
この年齢になって、終の棲家を追われることを、自分に置き換えたとき、お先
真っ暗になってしまうのでは心配しております。
 
とにかく近くのメンバーに連絡を取って井領に情報を入れます。
取りまとめや今後の計画をよろしくお願いします。
件名:山和会情報返信、送信者:筒井、日時:2011年4月6日 6:44
昨日、5名の方と連絡が取れました。
全員、主旨に賛成です。どのようにするか連絡ください。
 
私たちはもう高齢者の仲間入りをしておりますので、大したことはできなくても
気持ちを寄せ合うことが大切だと思います。ともかく行動しましょう。
 
瀬木氏には、お見舞いとは別に当方で近々に米と野菜を送っておく予定です。
 
件名:Re: 山和会情報返信、送信者:井領、日時:2011年4月6日 9:18
多数の方に連絡して頂き有難う御座いました。
 
> 瀬木氏には、お見舞いとは別に当方で近々に米と野菜を送っておく予定です。
こう言う話を聞くと目頭が熱くなるほど嬉しい。やっぱり年だね。
皆で支援すれば大きな輪になると思います。
 
全員、主旨に賛成とのことなので、見舞い金集め(募金)については近日中に
皆に連絡します。

(5)お見舞い金集め
本当は瀬木君と親しい方のみに連絡すればよいが、誰が親しいかったか判らないので、
後から聴いた聞かなかったと言われないように、住所を知っている約30名のメンバー全員
に連絡しました。高校卒業後49年経っているので50年前の旧友に支援はあるかな?
件名:瀬木守君を励ます件、送信者:井領、日時:2011年4月9日 9:06
TO:△△△△高校S38年卒業B組 山和会メンバー
FM:井領
 
先にメールで、山和会メンバーにも今回の大震災の被災者がいた件を
連絡しましたが、多数の方から何らかの支援をして励ましたいとの返信
を頂きました。またメールを受け取った人から近所のメールの無い方の
意見も電話で聞いて頂きましたが同様に励ましたいとの事でした。
 
私としては、このメールと下記のハガキで情報としては全員に伝えるが
瀬木守君との何らかの思い出があり(殆ど記憶に無い方は無理しないで)、
賛同する方のみ協力して欲しい思っています。
 
************************************************************
前略
昭和38年3月△△△△高校卒業のB組山和会の井領です。
不用品の有効活用で残っていた年賀ハガキで失礼します。
 
東日本大震災で日本が大変なことになっていますが皆さん
に置かれましてはお変わりありませんか?
 
「頑張ろう日本」「ひとつになろう日本」等TVで連日放映され
ていますが、被災地・被災者のことを思うと心が痛みます。
 
個人としても何かしたいと思っていましたが、山和会メンバー
の瀬木守君の住所が福島県双葉町であり、福島第一原発
から3Km圏内で強制撤去させられたことが判り心配でした。
その後消息が掴めませんでしが、4月1日朝日新聞夕刊に、
原発事故で退去者が対象の都営住宅入居説明会の記事
に瀬木君の奥さんのインタビュー記事が載っていました。
 
都営住宅に当たった事が判ったので、住所を調べようやく
本人と連絡が取れました。4月末までには会いに行って
励ましたいと思っています。この会いに行く件を山和会の
メールアドレスの判っている方に話したら、一部の方から
見舞い金を預けるので届けて欲しいとの返信がありました。
 
私としては大げさにすると今後瀬木守君の精神的負担になる
事が考えられるので、見舞い金を預かる件をどうするか悩み
ましたが、純粋に何らかの支援をして励ましたいと考えている
元同じクラスメイトの気持ちを無視するのも問題であり、下記
の私の口座に4月22日までに振込んで頂ければ届けます。
  ・・・・・・・・・銀行   ・・・・・・支店
  普通預金口座番号???? ・・・・・・
  名前  イリヨウ クニヒロ
 
ただし条件があり、お見舞金は募金扱いでお返し無しを徹底
する意味もあり山和会有志一同の名前一覧は渡しますが、
個人の金額については本人から聞かれても答えません。
 
以上、瀬木守君を励ましたいと思っていますが、瀬木守さん
の思い出があり賛同される方がいらしたら協力して下さい。
(連絡が楽なので、もしメールアドレスがある方は教えて)
*************************************************************

上記のメール対する返信を1件紹介
件名:Re: 瀬木守君を励ます件、送信者:宮下、日時:2011年4月9日 9:49
この提案に賛同します。なるべく早く近実行します。
6日に石巻市のボランティアから戻りました。その直後に書いた感想文を添付します。
 
どのように使っていただいても結構です。
携帯メールの人にはコピーしてメール本文に貼り付けて送信ですね。 

 石巻から昨夜戻りました。
 ”壊滅”と言う日本語をこれほど実感したことは生まれてはじめてでした。
 津波の被災地は全てが押し流され、へし曲げられ、引き裂かれ、焼かれていました。
 漁港の海産物加工工場地帯は全滅、人影が全くなく、異臭のする死の街になっていました。
 まだ収容されていない遺体も多数あるとのことです。
 上記は感想文の冒頭ですが、全文は別ページ に掲載しました。

件名:瀬木守君を励ます件(宮下君からの返信)、送信者:井領、日時:4月9日 10:59
先ほど宮下君から返信があり、ボランティアの感想文の添付も届いたので参考に
皆さんに転送します。
 
心打たれる内容でしたが、オレは下記の1行が特に感動しました。
「私たちは今後、同じ日本人として、日本の将来の問題として物心両面で
全ての被災地の人たちを支えて行くのだ、と思います」
 
現在外国人はドンドン逃げ出し、外国からの観光客も殆どなしの状態です。
自国に帰りたい外人は自由に帰って下さい。日本は日本人が守り発展させます。
と、オレは思っています。
 

 この感想レポートに対しする返信メールを下記に2例紹介。
件名:Re: 瀬木守君を励ます件(宮下君からの返信)、送信者:勝野、日時:4月9日 14:09
感激をありがとう。
中津川市 すばらしいですね。
宮下君 登山と結い言い、今回のボランティアと言い 意義ある人生ですね。
このたびは、本当にご苦労様でした。
日本頑張れ                                    勝野 
件名:Re: 瀬木守君を励ます件(宮下君からの返信)、送信者:筒井、日時:4月9日 16:15
宮下さんの行動は、誰でも出来るというものではありません。
考える前に実行、尊敬します。
 
「自然はいつでも、あるがままに振舞うものです。これをありのままに受け止め、
この事から必ず学び、今後に生かさなければならない。」
そのとおりですよね。
 
ところで、瀬木さんの遭遇した災害はちょっとおもむきが違い、人間が自然を
むしばんでいる「仕打ち」と思えるのは私だけでしょうか。瀬木さんたちは、
その犠牲になってしまったのではないでしょうか。
あまりにも人間たちは、すべてを食い物にしている現実を改めて見つめなお
すよい機会かもしれません。
小さな一歩でも前を向いて、自然と仲良く生き抜いていこうではありませんか。

(6)瀬木守君を励ます件中間報告
件名:瀬木守君を励ます件中間報告、送信者:井領、日時:2011年4月22日 18:10
TO:△△△△高校S38年卒業B組 山和会メンバー
FM:井領
この度は、東日本大震災で被害に合われた、瀬木守君を元クラスメイトの
山和会としても何とか励ましたいとの企画に対し賛同して頂き有難う御座
いました。
 
4月24日頃に預かった見舞金を届ける予定でしたが、先週(4/16)連絡し
たところ23・24日は福島へ一時帰宅の予定で都合が悪いとのことでした。
緊急避難で何も持って来ていないし、車も途中に置いてきたので取って
来たいと言っていました。20Km圏内に入れるか聞きましたが、知りあい
が荷物を取りに帰っていると言っていました。しかし4/22日 0時をもって
20Km圏内は「警戒区域」に指定されたので状況は変わったと思います。
 
特に家は第一原発から3Kmの場所のようなので今後は近ずくことも出来ない
かも知れない。車をどこに置いてきたか聞けなかったが、せめて20Km圏外
で持ち帰れることを祈っています。
そんな訳で、現在は都合の良い日の連絡待ちです。会った後で義援金に
賛同された方に状況を報告するつもりでしたが、会える日がまだ決まらない
状態です。ただし、何時でも渡せる準備として、本日見舞金の袋に入れる
下記の用紙****を作ったので、取りあえず途中経過として報告します。
 
このメールはメールのある方へ送っていますが、会った後にメールの無い
方も含め賛同者全員に最終報告をする予定です。
 
**************************************************************
  お見舞い金  270,000 円
 
昭和38年3月△△△△高校卒業の3年B組山和会 有志
 
上松 正文、 新山 宗徳、 井口 佳彦、 井領 邦弘、 岩崎 健生
岩下 恒夫、 上垣 茂樹、 奥原 良平、 勝野 正平、 上谷 邦宏
小松  剛 、 石井 幸司、 田中 昭八、 平田 治雄、 田中 光男
筒井 寿清、 筒木 康昭、 中谷 泰治、 中幡 安弘、 中村 保夫
丸山 公威、 原   勝 、 佐藤  章 、 古本 茂幸、 松原  武
山田  誠
 
3年A組
大岩 金夫
***************************************************************
 
以上、沢山のお見舞金が集まったことを心から御礼申し上げます。

(7)瀬木守君を励ます件最終報告
(7)-1 会える日の調整
4月24日 11:00頃電話きて、昨日23日に日帰りで福島に行って来たと聞きました。
車は最初に避難した川俣町の避難所に置いてあり、そこは原発から約40キロで問題なく
入れるので車は東京へ持ち帰ることが出来たそうです。一時帰宅の件は20キロ圏内は
立ち入り禁止になっており行くことを諦めました。

また、東京へ戻ったのでので明日以降なら何時でも会えるとの連絡であった。 こちらも
出きるだけ早く会いたかったので、明日25日(月曜日)都内の○○駅の改札口で13:00時に
待ち合わせることにしました。

同じ山和会の勝野がこの○○駅から約40分程度と近くに住んでおり、前から一緒に会いに行
く約束になっていたので、彼氏に電話し都合を確認したが、OKとなり○○駅の改札口13:00
に会うことを決定した。

ただし、今回の募金集めをオレ1人で行い、何人から幾ら集まって、総額幾らになったと文字
では上記の(6)の中間報告で連絡したが、義援金であり相手から受け取りを書いて頂くつも
りはまったくないので、実際に見舞い袋に幾ら入れて渡しても判らない状態です。
全て信頼され任されて行ったことであるが、オレとしては大勢から預かったお金であり、
何の疑問も残らない方法で瀬木守君に渡したいので、勝野に第三者として中身を確認して
欲しいと依頼した。本人の前で中身確認はまずいので、一時間前の12:00に会うことにした。

(7)-2 第三者としての募金内容の確認
[1]協賛者の氏名確認
前述(6)で27名の一覧は出したが、もし見舞金を送ったがその名前がこの1覧表に載って
いないケースがあればオレの集計ミスであり問題です。その確認の為に俺の口座の入金
履歴のコピーを渡し、27名で(手紙の受け取り3名あり)モレのない確認をして頂いた。

[2]27万円がお見舞い袋に入っている確認 
これは実際に数えて頂きました。

[3]合計が27万円の確認
各人の募金額は公表しない条件で預かったので、上記の口座の入金履歴のコピーでも
金額覧は黒塗りにしました。したがって合計額が27万円になった件はチャックなしで信用
して頂くことにします。

以上の[1][2]について第三者として勝野が立ち会い確認したサインをして頂いた。

(7)-3 お見舞い金渡し
予定通り13:00待ち合わせ場所で会いました。その後場所を移してまず見舞金を渡しました。
高校卒業から約50年経ち、殆どの方とは50年も会っていないが多数の方から支援して頂い
たことに感激していました。私の方からも「何時家に帰れるか判らない状態であり、今後に
つては不安で一杯と思うが前向きに頑張って欲しい」と伝えました。

袋には前述(6)項に記載の山和会有志一覧を同封しましたが、中を開き27名から賛同を
頂いたことを伝えました。その時本人から賛同者の住所が知りたいと言われたので、今後の
連絡の関係もありオレとか同席の勝野の住所を知らせる目的で、山和会のメンバー全員
記載の住所録は準備していたので渡しました。なお、一覧表は有志の気持ちを伝える意味も
あり名前を書きましたが、お返しの気遣いを避ける関係もあり各人の金額は公開しない条件
で集めた見舞金です。住所は渡しますが誰の募金か判らない、日本赤十字社から届いた
義援金と同じだと思って下さい。

このページは旧友支援者への最終報告を兼ねて書いているが、50年も会っていないので
あり現在の顔を見ても判らないと思う。取りあえず最新の写真を掲載します。


[撮影日時 2011/04/25 13:08:10]
久しぶりに会ったので
記念写真を撮りました。
(中央が瀬木守君)

お互いに年を取って、
会っても直には判らな
かったが、話していると
声とか穏やかな話し方は
昔と変わっていなかった。




(7)-4 地震発生時の話
3月11時の地震発生時はハウスで盆栽の手入れをしていました。約10年前からは基準監督
所に勤めていましたが、この3月31日付けで退社することになっており年休が残っているの
で3月は出勤せず家にいたとのことです。

震度6強の地震でハウスの植木ハチ全部倒れた。家は倒れなかったが瓦が落ち壁が落ち
家の中の冷蔵庫や洗濯機・食器棚は全て倒れ足の踏み場ない状態になった。その時
奥さんはまだ家の中におり心配だったが怪我はなかった。早く外へ連れ出そうとしたが、
ドアが開かなくなり台所の窓から奥さんを引き出した。
なにしろひどい揺れで蛍光灯などはコードの元からチギレテ落ちていたそうです。

一波が収まったところで高台へ避難した。津波は家には来なかったが500m先まで来ていた
そうです。夕方まで高台にいたが、薄暗くなり家に戻ったが大きな余震が続いており、
家の中は危険であり近所の人達と一緒に11日の夜は役場に避難していました。夜11時頃
に東京電力の広報の方が役場にきて「原子力発電所は問題なく大丈夫なので安心して下
さい」と避難している人に説明があったそうです。

余震が続き眠れない夜であったが、12日のまだ暗い早朝に「国の命令としてただちにこの地
から退去しなさい」とのアナウンスがあった。その時役場の回りには数十台の自衛隊の車
が着ていた。既にバスも待機しており車のない人はバスで退去で車のある人はともかく直ぐ
西の方へ逃げろとの指示だった。家は役場から60m程度と近い所あり(何もなければ町の
中心部のいい所に住んでいたのだね)家に戻って必要品を車に積んだが、暗いのと、
慌てていたのと、気が動転しており持ち出したのは、何時も使っているカバンと懐中電灯1個
と毛布3枚であった。車は3台あるが軽トラと大きい方の乗用車はガソリンが殆どなく、使用
不可だったが、幸いにもパジェロミニの軽は2日前にガソリンを満タンにしてあったのでそれで
逃げた(免許証・保険証についてはカバンに入れてあり持ち出せたそうです)。

(7)-5 避難所以降の話
西へ逃げろと言われても何処へ行けば判らなかったが、川俣町へ向かへとの事だった。
同じように避難する車が脇道から国道114号に入り国道は大渋滞になり、通常なら1時間で
行ける40Kmほどの川俣町へ着くのに7時間掛かった。
川俣町では道路に役人が立っており避難先を指示してくれた。指示された場所は旧小島小
学校の「ふるさと交流館」だった。その日の夕食はお握り1個の支給があった。
この時点では1週間もすれば戻れると思っており、その後1号炉3号炉が爆発し3キロ圏内
が一時帰宅も認められない立ち入り禁止区域になるとはまったく思っていなかった。

川俣町の「ふるさと交流館」の避難所には3/12〜3/18までいました。食事については
地元のボランティアの方から炊き出しがありました。車はガソリンが無くなるのでなるべく
使わないようにしたが1度だけ下着を買いに使った。ガソリンについては3時間待って1000円
だけ入れることができた。風呂は1度入れたがお湯が冷たいし汚かった。この避難所は
寒くて奥さんはかなり風邪がひどくなった。自分もうつったようでセキが出始めた。

避難して来た人は全員被爆していないかチャックされたが、規定値オーバーの方はい
いなかったそうです。また、子供は全員薬を飲まされたそうです。
(薬はヨウ素剤と思いますが、その名前と何時被爆検査があったか聞くのを忘れた)

3月19日にバスで(車は川俣町の避難所に置いたまま)さいたまアリーナへ移った。
その頃2人とも風邪がひどくなってきたこともあり、奥さんの姉が東京にいるが、さいたま
アリーナへ迎えにきてくれたので19日から2人とも奥さんの姉の家に移った。
20日は日曜日であったが奥さんの風邪がひどいので、緊急対応の病院で診察して頂いたが
肺炎の可能性との診断だった。21日も祭日であり22日に大きな病院へ行ったが、進行した
肺炎で危険な状態と言われ即入院した。自分の方は風邪薬で治った。

3月22日〜3月29日まで入院していたが、その間に奥さんの妹も東京におり都営住宅の
申請をしてくれた。都営住宅に当たり4月1日に入居説明会があった話以降は、
本ページの「(2)先輩からの消息情報」になります。

4月2日に現在の都営住宅に入ったそうです。新聞報道によれば都からの支給は毛布のみで
他の生活用品は自分で揃えなくてはならないので大変と報道されていたが、彼氏の当たった
都営住宅は、布団・TV・冷蔵庫も備えてありガスもOKで風呂もその日から入れたそうです。
ただし、6ヶ月間は光熱費以外は無料となっているが、その後についてはここにそのまま
居られるかどうかもまだ判らない言っていました。オレとしては近所付き合いも良い田舎で
育った人であれば、東京の真ん中の大きな都営住宅で気を使って生活するのは精神的
にもストレスがたまると思うので、もし双葉町の知り合いが同じ場所に住める仮設住宅が
出来たらそちらに移った方がいいとアドバイスしました。

(7)-6 最終報告のその他
地震災害保険に少しは入っていおり、保険会社に申請はしてあるが、被害の程度(半壊
全壊等)ついては、保険会社の調査員が3キロ圏内で近づけないので現在進展なしで、
いつ保険金が下りるかまったく判らない状況です。

福島第一原子力発電所は、福島県双葉郡の大熊町と双葉町にまたがる地域に所在するこ
とは新聞報道等で知っていたが、今回話の中で、1号炉〜4号炉は大熊町で、5号6号炉
が双葉町であることを始めて知った。瀬木君の話では双葉町が大きく取り扱われ、問題
発生の1号炉〜4号炉のある大熊町が注目されなくて可愛そうだと言っていた。

駅の改札口の待ち合わせ場所で最初に会っ時は、お互い知らない人と会った感じで緊張の
せいか、今までの疲れが溜まっているせいか元気がなく、笑顔もなかったが、前述の災害
発生時の話が主であったが、その他の雑談を交えて2時間以上話をしたが、帰りの別れ
の時にはお互いに打ち解けたこともあるが、元気な笑顔になっていました。
本日は元クラスメイトを代表して、元気付けに会うのが目的だったが励ますことは出来ました。

なお、東京近郊在住の昭八と岩崎からもそのうち会いたいと言われています。別途機会を
設定してもいいが、高校同窓会東京支部の年1回の総会が青山で6月第1土曜日にあります。
総会と言っても30分間の会計報告が終われば後3時間は単なる飲み会です。
気楽なパーティーであり仮かも知れないが東京在住と言うことで、出来たらこれに参加して
欲しい。来年のことは判らないが今年については特殊事情があるので会費免除を幹事に
依頼し了解を得ています。

瀬木君に総会の案内状を出すように幹事に伝えるが、参加できる場合はオレにも参加の
電話を下さい。その場合瀬木君が総会に出る件を今まで出席していない昭八と岩崎と
その他東京近郊の中幡、松原にも伝えてみます。この総会は昔からあるそうですが、オレの
参加し始めたのは定年後であり、最近は6回ほど続けて出ているが年寄りが多く出席者が
減る傾向です。1名でも2名でも増えれば喜ばしい話で幹事も大歓迎です。 

(8)瀬木守君を励ます件賛同者への御礼ハガキ
件名:賛同者への御礼はハガキ、送信者:井領、日時:2011年4月27日 9:30
TO:△△△△高校S38年卒業B組 山和会メンバー
FM:井領
私としては、本メールと下記のハガキを送り協力者への礼状とします。
 
************************************************************
前略
この度は、東日本大震災で被害に遭われた、瀬木守君を元
クラスメイトの山和会としても何とか励ましたいとの企画に対
し賛同して頂き有難う御座いました。
 
27名から総額27万円の募金(支援金)が集まりました。
4月25日に瀬木守君と会って渡してきました。すでに高校卒業
から約50年経ち、高校時代の思いでは薄れてきていますが、
それにもかかわらず多数の方から多額の支援を頂いたことに
対し、瀬木君も感動していました。
 
当日は私と勝野と2人で会ってきましたが、家は一時帰宅も許
されない福島第一原発から3キロ以内です。「何時家に帰れる
か判らない状態であり、今後につては不安で一杯と思うが前
向きに頑張って欲しい」と励まして来ました。
 
詳しく聞いた大震災発生時の状況や、その後の避難所生活が
寒くて奥さんが肺炎になり入院した話等をまとめましたが、
本来ならそのまとめを封書にて賛同者全員に協力御礼の手紙
として送るべきですが、手紙の場合準備が大変でありこのハガ
キで失礼します。
 
なお、瀬木君支援の詳細は私のHPの一部へ掲載しました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~iryo/kabu/niki/hozyo/
santokai.html
 
上記URLを手入力は大変ですが、Yahooで「土手の上の花壇」
と入力して検索して、「土手の上の花壇」を開くと最終行に、
「旧友を支援例←山和会への報告」があるのでそこをクリック
して瀬木君支援のまとめページへ飛んで下さい。
 
詳細報告がHPへ掲載の手抜きで申し訳ありませんが、このハ
ガキを持って最終報告と致します。 
 
支援に協力して頂き本当に有難う御座いました。
 
 .                      2011/4/27  井領 邦弘
************************************************************
 

(9)最後に
地震発生後のTVから普通のCMが消え、多くのスポンサーがCM放送を自粛したことを受けて、
民放各局が「ACジャパン(旧公共広告機構)」が作成したCMが大量に放送されている。


「遊ぼう」って言うと、「遊ぼう」って言う。
「バカって」って言うと、「バカって」って言う・・
こだまでしょうか?
いいえ、誰でも。

中でもこの「こだまでしょうか?」が人気があり
インターネットにはパロディツイート集まであったが、
下記パロディを見て思わず微笑んだ。

「品川駅」って言うと「止まります」って言う。「浜松駅」って言うと「通過します」って言う。
「名古屋駅」って言うと「止まります」って言う。そうして、もうすぐ着く頃になって、
「京都駅」って言うと「止まります」って言う。 こだまでしょうか、いいえ、のぞみです。

日本が完全復興して、昔こんなCMが流れていたと思い出になるような日が早く来て欲しい。

               以上、「ガンバレ日本」 




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