中央大学文学部社会学科矢島ゼミナール・青少年健全育成史研究会編

『戦後わが国の民間における青少年健全育成活動史』1997:1-8

(これは、報告書の序文として書かれたものです)

 

 

序章 「戦後わが国の民間における青少年健全育成活動史」を研究するために

 

はじめに −暮らしの中の「健全育成」

 本報告書はわが国、とりわけ東京都を中心として戦後の青少年健全育成活動の歴史と現状を調査研究し、報告するものである。「健全育成活動」といっても茫漠とし、具体的なイメージがわかないかもしれない。だが、私たちは誰もがみな、そうした活動を見聞きし、また実際に経験しているはずである。ただそれが「健全育成」という趣旨をはらんでいることに気づかないだけなのである。

 例えば今日、カラオケボックスで歌を披露したことがあるものは少なくないであろう。その際、どんな店に行っても必ず「ガラス窓」があり、死角のないような造りになっていることを思い起こしていただきたい1)

 「近年全国的な増加が見られるカラオケボックスについては、構造上の密室性とあいまって、青少年のたまり場化、非行の温床化などが懸念されるところから社会問題となった。総務庁では、関係省庁等と連携して平成3年11月に設立された日本カラオケスタジオ協会に統一的な自主規制基準の制定を働きかけた結果、平成5年7月から、18歳未満の入場時間の制限、飲酒・喫煙・シンナー吸引の防止、内鍵の不設置、外部から室内が見渡せる窓の取り付け等の自主規制が行われている」(総務庁青少年対策本部『青少年白書』平成6年度版 424-425頁)。

 特に関心がなければ気づかないようなささいなところに、子ども/青少年の保護・健全育成のための配慮がなされているのである。

 また、駅頭や街角の掲示板にある「青少年を非行から守ろう」「青少年に夢のある街づくりを」といった標語も、言われてみるとどこかで目にしたことを思い出していただけるのではないだろうか。広義に言えば、ラジオ体操や運動会、地域での芋掘り、美化活動なども健全育成活動の一環なのである。したがって、私たちが研究対象とする「健全育成活動」とは実は日常的にごくありふれた、だれもが知っているはずのものであり、とりたてて物珍しいものでは決してない。

 だが、ひとたび、どんな個人・団体・機関がそのような活動を担っているのか、何を、どのように実施しているのかと問うてみれば、案外的確に答えられるひとは少ないのではあるまいか。一体どのような人びとが「子どものため」「青少年のため」に労を惜しまずに地域でそうした活動を支えているのであろうか。本報告書の第1の狙いは、端的にそうした「ありふれてはいるが、あまり知られてはいない」事実を明らかにすることにある。これは、今、この社会についての問いである。これについては第1部第1章「青少年健全育成活動に関わる組織構造 −東京都を中心に−」で展開される。

 

T.青少年をめぐる健全育成の歴史

 ついで、歴史をひもとくならば、「何が子ども・青少年にとってよいことなのか」は歴史的に変化する相対的なものであり、私たちが自明視している様々な事がらもまた、「健全育成」ということをめぐって変化してきたのである。例えば今日、小説を読むということは「教育的」で、基本的には青少年にとって「よいこと」とされている。もちろん、ポルノ小説の類は別だが、筒井康隆が教科書に登場する時代である。小説一般はすでに教育的と認知されているといってよいだろう。マンガすらもその気配が出始めているのではないだろうか2)。だが、明治なかばまでは決してそうではなかったようだ。「例えば、以下はある中学校の生徒取締規則の一部である。『小説類は年少者を耽溺せしめ且つ空想に趨らしめ易きものなれば中学程度の少年には余り有益のものに無{・・・}候』」。こうした見解が教育者向けの雑誌にもしばしば登場し、「探偵小説が犯罪を誘発する可能性についても、かつて真剣に論じられ」「恋愛小説が学生生徒の性的逸脱をもたらす、という見解も広く流布していたようである」とのことである3)。すなわち、時代時代によって「子ども・青少年のために」何をなすべきとされていたのかは異なるわけである。

 そうした事情は戦後においても同様であろう。かつて映画が非行の温床となりえると位置づけられ、あるいはマンガ一般も決して「教育的」なものではなかった。私たちの日常生活における「子どもにとってよい/悪い」がどのように変遷してきたのか、という問題は第1部第2章「戦後の青少年問題と制度化の過程 −全国と東京−」で展開される。

 

 

U.「健全」概念をめぐって

 ところで、本報告書は「戦後わが国の民間における青少年健全育成活動史」と銘打っている。「戦後わが国の民間における」は単に研究の都合上、対象とする範囲を限定しているだけである。とは言え、「戦後わが国」はある程度明確な区分ではあるが、実は「民間」という概念が曲者で、我々を大いに悩ませる事態になるのではあるが。この点については後ほど展開しよう。

 「青少年」という概念は、例えば「少年法」では20歳未満の者を「少年」とし、「児童福祉法」では18歳未満の者を「児童」とし、総務庁青少年対策本部『青少年白書』では0〜24歳を「青少年」とするなど、様々な分類の仕方があるが、我々の研究においてはそうした法的な区分をさほど気にしてはいない。法令によって区分の違いがあることを確認しておけばよいであろう。

 むしろ我々の研究において関心を保持したいのは、「健全」という概念の用いられ方である。とりあえず手持ちの辞書をみれば、「健全」とは、「@健康で完全であること。すこやかで欠けている所のないこと。『−学』『−な肉体』。A物の考え方や状態などが確固として、片寄ったところのないこと。『−な思想』『−財政』」(『新潮現代国語事典』第1版 新潮社 1985)、「@すこやかで病気のないこと。たっしゃ。A意志が確固で中正を失わぬこと。感情に偏せず、分別のあること」(『広辞苑』第2版補訂版 岩波書店 1979)とある。「健康」「欠けていない」「確固」「片寄っていない」、「すこやか」「中正」「偏せず」といった概念規定からして、そもそも「健全」という概念にはプラスの価値が付与されているということは自ずと明らかであろう。

 この点に関しては法令でも同様である。児童福祉法では第1条(児童福祉の理念)において、「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、かつ、育成されるよう努めなければならない」と定めている。教育基本法では第1条(教育の目的)において「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」としている。児童憲章にもまた、「すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される」との文言がもられている。いずれも「健やか」「健康」といった表現がなされており、児童/子どもをめぐって「健」であることが目指されるべき価値として掲げられていることが分かる。

 また「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の第1条(目的)はこのように述べている。「この条例は、青少年の生活の環境の整備を助長するとともに、青少年の福祉を阻害するおそれのある行為を防止し、もって青少年の健全な育成を図ることを目的とする」と。ここでは、「生活環境の整備」と「福祉を阻害するおそれのある行為を防止」することが、「健全な育成」につながるものとされている。同条例は6章31条からなり、第1章「総則」、第4章「東京都青少年健全育成審議会」、第5章「罰則」、第6章「雑則」を除いてみると、先の「目的」を達するための具体的な条文は、第2章の「優良図書等の推奨及び表彰」ならびに第3章「不健全な図書類等の販売等の規制」の2本柱からなる。すなわち、後者はマイナスのもの、「不健全」なものを排除することを目指し、前者はプラスへ導くための条文構成であると言えよう。

 さらに、少年法においては第1条(この法律の目的)において、こう述べられている。「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」と。

 荒木伸怡はこの少年法における「健全」概念をめぐって、こう論じている。「(1)少年が将来犯罪を繰り返さないことの上に、(2)平均的ないし人並みな状態に至らせることが積み上げられ、更に、(3)秘められた可能性をひき出し個性味豊かな人間として成長させることが積み上げられる」「三種の意味はそれぞれの円の中心的意味でしかなく、三つ円が相互に重なり合いつつ段階構造をなしている」と4)

 この荒木の議論に関連して澤登俊雄はこう論じている。「非行少年のすべてについて上記3要素の積み上げが実現できることが理想であろう。しかし、問題は、その積み上げのために、少年に対する強制が不当に拡大されることにならないかという点である。この意味で最も問題なのは、第3の要素である。この意味での健全育成は、原則として家庭および学校教育の任務であり、かつ、あくまでも非強制的な働きかけによって可能になるものである。しかも、たとえ学校教育のなかであっても、学校全体が第3の要素に気を取られすぎて、第2の要素がおろそかになる恐れがないとはいえない。とりわけ、保護処分という強制力を背景に置いた処遇においては、第3の意味での健全育成については、謙抑的でなければならない」5)

 上記の両者の議論は少年法を念頭においた公的機関による「健全育成」を想定したものだが、私たちの研究の一指針としておおいに参考になる。私たちが研究対象として設定するのは「民間」による「健全育成活動」であり、それは荒木のいう3つの類型のいずれをも包括するような活動であろう。また、「家庭」や「学校」におけるものよりも、むしろ「地域」の活動を主要な対象とするであろう。

 ここで確認したいのは、「健全育成」のとりあえずの意味内容である。荒木と澤登の議論に依拠し敷衍するならば、先に東京都健全育成条例でみたように「健全育成」とは「マイナスの価値」とされるものをなくす面と、「プラスの価値」を伸ばす面、さらに「人並み」「平均的」な範囲に至らせる面の3つが析出されることになる。地域の民間活動においては「マイナス」をなくす面は非行防止、事故防止といった活動において具体化されている。「人並み」にとどめ、「プラス」をのばす面の活動は各種リクリエーションにおいて、同時にその活動を担う人々の「やりがい」「たのしさ」とともに達成されているのではないだろうか。本報告書は、そうした具体的な「健全育成活動」の記述をめざす。

 ついで社会学的議論をみていこう。矢島正見は、「有害環境」概念についての文脈において、こう論じる。「有害環境の概念は、『非行化』『被害』『健全育成の阻害』という3つの要素より構成される」と6)。この規定を逆に読み解くならば、「健全」概念の対概念として「有害」「非行」「被害」といった概念を析出できる。すなわち、「健全」というプラスの価値を付与された概念は、上記のマイナスの価値を付与された概念に支えられて成立していると言えるのではないだろうか。

 

 

V.健全育成活動を担う人々

 国レベルでの、政府主導による青少年健全育成活動ないし非行防止活動の概略を調べるのは、さほど困難なことではない。総務庁青少年対策本部が毎年刊行している『青少年白書』をみれば、その概略がかなりのスペースを割いて解説されており、またこの他にも政府関係機関によって少なからぬ刊行物・パンフレット等がある。

 だが、私たちの主要な関心は「民間」による健全育成活動にある。なぜそこに重きを置くかといえば、それはひとえに、地域での住民による活動こそが、最も子ども/青少年に身近で、直接ふれ合う機会の多いものであろうと考えるからである。「非行防止」を説く抽象的な啓発活動よりも、じかに子ども/青少年と顔を会わせる人びとの活動を追いたいのである。むろん、国や自治体の文書を最大限収集し、どのような施策が行われているのかを押さえるというのは最低限の基礎作業であり、それを行った上でのことではあるが。

そうした基礎作業は、本報告書第1部でなされている。とりわけ、第4章では法務省による「社会を明るくする運動」に絞った記述を行い、第5章では総務庁と青少年育成国民会議による施策について記述する。

 だが、地域という現場においては、政策的な公式見解の枠組みとはまた別の論理で活動が実施され、またそれぞれ多様な諸個人の「思い」で運動が担われていることが、どのような活動であってもしばしば見いだされるのではないだろうか。政策と現場現場での思惑が微妙なずれをはらみつつ、各地で固有の試みがなされているのではないだろうか、という興味関心を保持して研究を進めたいと考えている。

 こうした私たちの関心に対応する記述を青少年白書から拾ってみると、こうある。「少年の非行防止のためには、警察等の行政機関による活動のみならず、家庭や学校によるしつけや指導、さらには地域社会における非行防止のための積極的な活動が必要であり、それぞれの地域において、関係機関、関係団体、ボランティア等の緊密な連携による地域ぐるみの活動がより強化されることが大切である。現在、地域における非行防止組織としては、少年補導センター、防犯協会、母の会、学校警察連絡協議会、職場警察連絡協議会、保護司会、BBS会、更生保護会、更生保護婦人会等があり、それぞれの立場と特性をいかしながら活動している」(『青少年白書』平成4年版 第3部第8章第2節第2項「非行防止のための地域組織」460頁)

 こうした諸団体が、どのような活動をし、その活動をどんな人がどのような思いで担っているのか、を私たちは明らかにしたいのである。

 

 

W.官の領域と民の領域

 『青少年白書』より引用した上記の記述の、「警察等の行政機関による活動のみならず、家庭や学校によるしつけや指導、さらには地域社会における非行防止のための積極的な活動が必要であり」という部分に注目しよう。そもそも「健全育成活動」という領域は活動内容のみならず、その担い手においても非常に広範におよぶものである。

 政府機関レベルにおいては総務庁、警察庁、法務省、厚生省等々、4庁10省におよび、また司法機関である最高裁判所も「青少年対策関係諸機関」のひとつに位置づけられている(『青少年白書』平成6年版 502-507頁)。

 また、東京都においても、中心となるのは生活文化局女性青少年部青少年課であるが、「東京都青少年施策関係機関」の一覧においては、その他に福祉局、教育庁、警視庁など8局3庁が掲げれらている(東京都青少年協会『青少年育成マニュアル』1966 62-64頁)。

 公的機関レベルにおいても、様々な機関・部局が「青少年健全育成」に携わっていることがお分かりいただけよう。 

 そうした公共機関による施策と連動しつつ、地域で健全育成に携わる人びとがいる。町内会、PTA、民生委員、児童委員、女性団体、保護司、小・中・高校の生活指導主任、等々である。実はこうした地域の人びとを一同に束ねる団体がある。「地区委員会」というものがそれである。これは、「地域に居住する青少年育成関係者はほとんど網羅されている」、「青少年育成の一貫として、青少年の健全育成を目的とし、コミュニティ・オーガニゼーションの形式をとった市民活動」と位置づけられている(東京都『東京都の青少年’95』1996 195-196頁)。地域で活動する人びとはこの「地区委員会」で連絡があるわけである。

 この地区委員会が「民間」の健全育成を代表するものと言えるわけだが、この地区委員会は歴史的には、行政機関の「指導」によって結成されたものである。「東京都では、地域社会における青少年の健全な育成を図ることを目標として、昭和30年9月『青少年問題に関する地域組織活動の強化及び補導体制の整備強化要綱』を定め、都内全域の区市町村に対し、『青少年問題協議会』ならびにその下部組織として『補導連絡会』の設置等を勧奨するともに、昭和32年11月に『地区委員会設置基準及び運営要領』を作成し、区市町村青少年問題協議会の下部組織として『地区委員会』を結成するよう指導してきた 」(前掲書195頁)。

 すなわち、行政の「指導」によって誕生した経過があることが分かる。これについて、都自身が「行政主導型で組織化をすすめたため、設置目的に対する委員の理解が不十分で、自主性に欠けるところがある」(前掲書196頁)との問題点を指摘している。

 さて、私たちは調査を始めるにあたって「民間の健全育成活動」に焦点をあてようとした。ところが、第1部第1章をご覧いただければお分かりいただけようが、純然たる「民間」での活動というのは、あまりないようなのである。というのは、ほとんどが何らかの形で公的機関と連携・連絡の関係を有しており、むしろ半官半民といったことが、健全育成活動の特徴であるということが分かったのである。

 とはいえ、あくまでも「民間団体」による活動であり、公共機関は単にその援助、お手伝いにすぎないとの形式が多いのである。よって、私たちの調査研究の枠組みとしては、必ずしも「民間」にこだわるわけではなく、むしろ公的機関とどのような関係を構築しつつ、活動が展開されてきたのかに留意しつつ調査を進めていくことになるであろう。

 


1)カラオケボックス問題の経過を研究したものとして、永井良和「カラオケボックスに穿たれた窓」、佐藤毅編『現代のエスプリ312 情報化と大衆文化』至文堂 1993 124-137頁がある。参照されたい。

2)逝った後での手塚治虫のメディアにおける取り扱われ方を思い起こしてみられたい。

3)高橋一郎「明治期における『小説』イメージの転換 −俗悪メディアから教育的メディアへ−」、『思想』812号 岩波書店 1992 175-192頁

4)荒木伸怡「少年法執行機関による働きかけとその限界についての一考察」、『ジュリスト増刊総合特集No.26 青少年−生活と行動』有斐閣 1982 291頁

5)澤登俊雄『少年法入門』有斐閣 1994 36頁

6)矢島正見「有害環境と非行」、『少年非行文化論』学文社 1996 188頁