お名前: 辰信
「大阪ひと物語」という本を
たまたま図書館で見つけて読んでいたら
エドワード・タウンゼント・ジュニア
のことが書かれていた。徐に山本茂の「
エディ」を読み返す。そしてまたこの人の
劇的な人生、心に残る言葉によった。
しかしエディさんは当時決して良いトレーナー
とされていなかったことは以外だった。
「反則ばかり教える」「才能のある良い選手にしか
教えない」しかし山本氏はこのことに関して「エディ
はこの世界でプロとして生きていく事が何であるかを
一番良く知っていたトレーナーかもしれない。」と語っている。
エディさんの名言「勝った時はおめでとうというだけ。でも
負けた時はずっとその選手のそばにいる。病院にも連れて行く。
それがトレーナー」
「ボクシングは戦争よ。リングに上がったら
相手殺すの。」
「僕はおかしな男です。こうして神に祈り、
人の愛を愛しむくせに、ボクシングでは人を
『殺せ!』というんですからね。とても矛盾してます
。でもそれが人生なのかもしれませんね。」
[2001/01/13 22:06:27]
お名前: 今年のお正月のTV番組は・・・:いしとび
昔を懐かしむ番組とか昔の番組の復活版とかばかりだった。
短期的な目で見ると、不況のせいだろうけど、
なんかあたかも「ポストモダン」が到来したような錯覚に陥る。
[2001/01/04 21:49:43]
お名前: それと、TBSのオリンピック番組の音楽な:いしとび
某箇所でたずねたら、↓こんなページを教えてもらった。
TBSのHPの質問ページ
きみきいてみよし。インターネットてべんりやな。
[2000/12/20 01:47:11]
お名前: お笑いねえ・・・:いしとび
偶然その番組わたしも見てたけど、あのダメ出ししてた連中、べつに「大御所」でもなかったよな。
で、あの企画自体、「なんばグランド花月をめざせ」みたいなことやから、もともと、
「華」のある、ダウンタウンみたいな才能を育てようというのではないでしょう?
どっちかっちゅうと、企画そのものを「なにわのどろくさーい根性モノ」として仕上げたいんじゃないかな。
でもって、二流の漫才師ができればいい、と。
だってそうじゃん。どんな業界でもそうやけど、私達の殆どは、天才でもなければ華もない、二流がせいぜいですよ。
トミーズとか、けんたゆうたとかまるむし商店とか、ああいう人たちが毎日がんばってるわけで、
べつに誰もがダウンタウンなわけではないんでさ。
*
ボランティアについては、なんちゅうか、ボランティアの意味を考えるというより、
もっと低レベルの問題として、くだらないイギリスの王子の話題をそれらしく放送してしまうTVの、
だれに迎合してんだかわかんないしっぽの振り方が不愉快だというのと、
きっとそんな「ニュース」をたまたま目にした「国際派」な連中が、
「イギリスではこうなんだ」とか無批判に言い出すに決まっているのが絶望的に不愉快なので、
書いておいたの。
たぶん、この問題は、「ボランティアの意味」なんて難しいことを考えたり言ったりしても、対処できない気がする。
事態はもっと低次元のところで進んでいるので、その低次元っぷりをきちんと分析しないと対処できないと思う。
[2000/12/20 01:29:27]
お名前: 辰信
「ガチンコ漫才道」という、いわゆる
オーディション番組の企画をみていた。
ガチンコという番組自体、うさんくさくて
あまり好きではないのだが、オール巨人師匠
のファンである私は、この企画だけは毎週見ている。
今回は大阪の大御所に漫才を実際に見てもらって
ダメだしをしてもらうという企画だった。
「街中の中学生が漫才ごっこしてるみたいな感じ」
「漫才は一人が引っ張っていくようではいかん。」
「稽古がたりない」
全部ダメだししてる人たちにもあてはまりそうなので
笑いそうになった。巨人師匠はこの企画の塾生にいう。
「二十四時間漫才のことだけ考えろ」と。しかし二十四時間
漫才のこと考えてる奴っておもろいやろか?俺は二十四時間
遊ぶこと考えてる奴の方がおもろいと思うけど。
お笑いって多分努力では上に行けない典型的な世界でしょ。
例えば、漫才って演劇より難しい世界だと思う。本来はネタは
漫才作家が書くはずだけど今の若手はネタをも求められてる。
「間が大事とかテンポが大事」というけれど一番大事なんは、まわり
反応やからね。それに「古典漫才」ってない。笑いはその時代によって
かわるから。落語と違って、いかに漫才がまわりの反応(笑い)に左右
されてるかがわかる。やっぱり努力家が上に行ける世界やない。
独自の存在感や「華」がアピールできる奴がうれるんだ。
ダウンタウンの松本が浜田にフリートークの中でツッコンだ
言葉が思い出される。「何が起こるかわからん空間に笑いが生まれるのがおもろいねん。(漫才みたいに)決まってしまってる笑いはサブいねん。それがフリートークの醍醐味やねん。」そういえば彼らの打ち合わせなしのフリートークは(本人たちが絶賛するように)素晴らしい間、
テンポ、勢いであり、あれがそのまま漫才やといわれれば納得してしまいそうなないようである。(故横山やすし師匠は彼らの漫才をチンピラ
の立話と評したようだがガラの悪さでは「やすきよ」も負けていなかった。)
*ボランティアの意味から考えるべきだ!!もうさっそく高校生は
「逃げる」ことを考えとるらしいぞ
[2000/12/19 23:46:05]
お名前: ところでこのあいだ気になったニュース:いしとび
先日、数回、TVのニュースで、
イギリスのウィリアム王子が「ボランティア」で便所掃除作業をやっているところが紹介されていた。
調べてみると、たしかに、12月12日付の「Sky News」というので見つかった。
しかし、わざわざ2回も放送するかね?
しかも、「ボランティア」という言葉を放送で使ってた。義務の奉仕作業やのに。
時節柄、意図があってのことのように思えへんか?
[2000/12/19 17:46:58]
お名前: 「冬の散歩道」といえば・・・:いしとび
Banglesなんだよねー。
学生の頃、よみうりTVの深夜枠で、「TVこうじ苑」ってのがあって、
たしかそのテーマ曲だったと思うけど違ったかも。
[2000/12/19 14:37:17]
お名前: 辰信
妹がホームステイで米国
から留学生を連れてきたとき
、サイモンとガーファンクル
って知ってる?って聞いたら
「古い」っていわれた。
何年か前「冬の散歩道」が
ドラマの主題歌になったりして
一時はやったけど、あれは俺が
はやらしたんや!!いいだしっぺは俺や!!
誰も信じへんけど。
「バリ天」っていう
言葉もいいだしっぺは俺や!。特許
とってたら良かった。
*そんなんより、今探してる
洋楽がある。シドニー五輪でTBS
が特集組んだ「二十世紀のアスリートたちへ」
っていうメダルに届かなかった選手たちの
映像にかかってたBGM。篠原選手が表彰台で
涙をこらえるシーンがとてもかっこよくうつった。
有名な曲やと思うけど。くるまのCMにも使われてた。
チャーララン。何ちゃらかんちゃら〜。わからんか。
言葉も俺がいいだんたんや!!
[2000/12/17 21:26:07]
お名前: MIDIファイルHP:いしとび
研究室の方の掲示板にBGMをつけたりしている。
今は、ポール・マッカートニーのクリスマスソングで、この曲を私はとても好きだ。
*
Gary's Room presents : The Big 80's MIDI Archive
などというサイトがあって、
このGaryというひとも、80年代チルドレン、「ジェネレーションX」であるらしい。
10代の時にラジオやTVやなんかで聞こえていたヒットソングがMidiで作られている。泣ける。
Heat of the moment / Asia
Breakout / Swingout Sister
Heaven is a place on earth / Belinda Carlisle
Bette Davids Eyes / Kim Carnes
・・・
とか、とても泣かせる。
*
そうそう、TVの「モグモグGOMBO」や「アド街ック天国」のBGMの選曲がいい。
あのノリで。
[2000/12/17 21:12:12]
お名前: 趙の番組、18日の深夜に再放送やて:いしとび
見よう。録画しよう。
*
そうそう、趙の棋風は、ボクシングで言うと、
とりあえずノーガード、だけど、血だらけの殴り合いでも強く、じりじりしたポイント勝負でも負けない、という。
[2000/12/16 12:50:53]
お名前: いしとび
いらっさい。
辰ちゃんのせいもあって、最近、ボクシングをTVでやってると結構、見るようになった。
サラゴサと辰吉の試合も見てたけど、たしかに強かったな。
年がいってる選手が活躍するスポーツというのは、たしかにおもろいね。
*
囲碁は、そういうのんでいくと、選手の息が長い方やと思う。
(将棋は、ほんとにガキの延長みたいなヤツらがやってるじゃん)
趙の強さはねえ、すごいのよ。素人が見ててもすごいの。
なんちゅうか、深いっつうか、暗いっつうか。底無し沼っつうか。
だから、タイトルをたくさん背負い続けてると、体力的にもたないのはよくわかる。
あと数年たって、体力が戻ってきたら、と思うな。
[2000/12/16 12:23:43]
お名前: 辰信
ダニエル=サラゴサという
チャンピオンがいた。ほんまに
チャンピオンか?と問いたくなるぐらいの
老け顔。実際3度目の王座についたのは、なんと
38歳のときだった。これが強い、と言うよりうまい。
「老い」を見事に利用したかく乱戦法を使いこなす。
辰吉が2度目の王座兆戦で圧倒的有利といわれながら
この人に血だらけのTKO負けをしたのは記憶に新しい。
「辰吉にはハートと執念があった。しかし私にはキャリア
がある。彼が最も嫌うKO負けのキャリアもある。だからこそ
勝てた。老いてこそ学ぶテクニックはいくらでもある。」
この言葉には感銘を持った。その後も王者は若き挑戦者
たちを次々と粉砕し、辰吉とのリマッチにも勝利した。
「大人と子供の試合。いいようにあしらわれた」試合ごの辰
吉にコメントだ。僕はこのサラゴサとのリマッチが辰吉の試合
の中で一番すきだ。生で府立体育館まで足を運んだ試合の一つだが
サラゴサのいう「強さ」、それを認めた上で乗り越えたいという
挑戦者の執念が伝わってきた試合だった。サラゴサは今から
思ってもすごい選手だったと思う。誰がみても、どのの試合も
後半はガス欠。それでも自分が前半に取ったポイントを試合中に
計算できる選手だったという。朝のロードワークは散歩を交え
て6キロぐらい。ファンに握手を求められると足を止めててなあ。
(ビデオで見た)どう考えても真剣にはみえんし、どこ狙ってんのか
、サウスポーなのか、変則的なだけなのか、よーわからん、ほんまに
やっかいな選手やった。だからこそ強かった。
[2000/12/14 20:35:42]
お名前: 辰信
俺は囲碁とか全く見んし知らんのだが
無冠になった趙さんの特集を教育テレビでやってた。
負けつづけるのも怖いけど勝ちつづけるのも怖いね。
その依田さんとかいう人に負ける時最後自分で「
まいった」いうたそうやからね。ほとんど無敵といわれ
てたひとが・・・・。
死んだ大場も同じ気持ちだったんじゃないかな。
長野マネージャーもいうてた。「チャンピオンでありつづける
ことへのプレッシャーを受けとめるという仕事は、あの子には
若すぎた・・・。」と。具志堅も最後は惨敗だったし。
ヤワラちゃんにもそういう日が来るのかなあ。
[2000/12/13 20:16:55]
お名前: T−REXトリビュート・アルバム:いしとび
CDやさんのカゴ売りで、安売りで、日本のアーティストによるT−REXのトリビュート・アルバムを買った。
よかった。
いかにもT−REXチルドレンだなあ、というイエローモンキーと、ローリーが、ちゃんと要所を締めていた。
Till Dawn / The Yellow Monkey
The Groover / Rolly
いちばん期待していた暴力温泉芸者と、いちばん好きな曲の「マジカル・ムーン」は、いまいちだった。
(サエキけんぞうというのは、じつはあまり好きなアーティストではない。野宮真貴もねえ、グラムはねえ・・・)
By The Light Of The Magical Moon / Maki Nomiya + Kenzo Saeki
Sound Pit / Violent Onsen Geisha
で、
発見は、
デミセミ・クエーバーというグループ。
恥ずかしながら、今まで知らなかった(せいぜい名前だけ聞き覚えみたいな)。
あと、ボアダムズのギタリストという印象しかなかった(別ユニット「想い出波止場」もやってるけど)
山本精一も、よかった。
Jeepster / Demi Semi Quaver
Metal Guru / Seiichi Yamamoto
*
このアルバムは、1997年に、マーク・ボランの生誕50周年で企画されたもので
当時、ラジオでたしかイエモンのやった曲がかかった時は、
「まあ、日本でわかりやすーにいえばイエモンやなあ」としか思っていなかったが、
こうやってCDを買い、色々なアーティストによるカヴァーをあらためて聴いてみると、
T−REXというグループの素晴らしさにあらためて思い至る
(とともに、やはりイエモンやローリーという、どっちかというとヘンチキなアーティストこそが、
マーク・ボランのヘンチキさ=グラマラスさ!を本質において掴んでるんやないかと思った。
イエモン吉井の日本語詞「こんなねえちゃんはイカさない・・・」や
ローリーの日本語(補)詞「想い出のティーンエイジ・アイドル/いざ歌わん・・・」
みたいなゲヒンなしょーもなさが、そのままロックに直結してるのが、グラムの精神なのだ)
[2000/11/08 21:20:51]
お名前: 結構いい感じのHPなのでリンク:いしとび
URL
「お笑いの世界へ」
ボケましょうのコーナーとかある。
芸人についてのコメントもある。
[2000/11/04 20:51:43]
お名前: 形勢判断はむづかしい:いしとび
囲碁だけでなく、たとえば野球でも、形勢の判断というのはあって、
たとえば昨日の日本シリーズ第一戦、途中まで巨人がリードしていたのに、
解説の江川や掛布は、ダイエーのペースだと明言していたし、じっさいにダイエーが逆転勝ちした。
ま、競馬やマラソンなんかもそうなんだろうけど、
「先行逃げ切り」タイプもあれば「追い込み」タイプもあって、
また、それぞれのタイプに関係なく、ある試合の中で、流れのバランスとして、
目に見える・形になったところで先行すれば、目に見えない・これから形になるかもしれないところが薄くなる、
というのはよくあることだ。
形勢判断というのは、こういう、
目に見えるもの・見えないもの・形になっているもの・これからなるかもしれないもの、
を総合的に(総合的、というのは、もともと同じ次元にないものをエイヤッと総合して、といういみ)
把握する、ということだな。
*
ていうか、今日のNHK杯囲碁で、解説の山田君が形勢判断をすっかりまちがっていた。
やーいやーい。
[2000/10/22 18:38:33]
お名前: 依田の形勢判断の明るさ!!:いしとび
BSの「囲碁・将棋ジャーナル」で名人戦の解説をやっていて、依田新名人も出ていた。
びっくりなのは、
中央の白石が殺されたのが、予定の行動だったということ。
「ここ全部とられても18目くらいでしょ? だから大したことないんです。
あれで弱い石がなくなったでしょ? で、この辺の地が確定してこの辺の締め付けが効いて、
結局、得してるはずです。」
だって。
くうーっ!!
[2000/10/14 13:06:21]
お名前: すげえ。なんで依田が勝ってんの:いしとび
7時にBSの中継がいったん終わったときには、解説のレドモンドさんは趙有利みたいなしゃべり方やったのに
なぜか結果は依田の中押し勝ちやった。
中央の石を殺された時点で、依田の息の根が止まったかと思ったら、
全局的な形勢は、なんと、慌てず冷静に打った依田がやはり厚かったという。
うわー。
依田4連勝で新名人や。
しつこいようだが、依田は私とタメ年である。
日本棋院HPの棋士プロフィール紹介を見ると、学年は依田のがいっこ上みたいやが。
名人かあ・・・
なんか、しゃべり方とか拗ねたみたいな感じで、とっちゃんぼうやで
親近感があるのだった。
[2000/10/13 00:15:08]
お名前: あらまあ。:いしとび
依田が勝ちそうだと書いた途端に、なんともないはずの中央の白石がごっそり殺されてしまった。
事ここにいたっては、趙が勝つのね。
*
趙は、七番勝負に強いのだそうで、
3連敗したあと4連勝、というのが何回もあるのだそうで、
ていうか、3連敗したら絶対勝つ、というぶきみな人なのだそうだ。
で、今回またしても依田の3連勝、で、迎えた第4局なのだが、
ここで勝つと、がぜんぶきみである。
[2000/10/12 18:31:20]
お名前: しつれい。マイケルは・・・:いしとび
・・・この9月に、9段に昇段してました。
[2000/10/12 17:55:08]
お名前: 囲碁名人戦で・・・:いしとび
依田が4連勝で趙名人を破りそうだ(いま、第4戦の中継をBSで見てる)。
(盤の右半分を占める戦いで、白の依田が不利そうだったのが、無難にきりぬけてしまったので。)
依田は私とタメ年なのだ。あと世界最強の男カレリンとな。スガシカオとな。
*
アシスタントの まんなみかな ちゃんが可愛い。
最近、NHK杯の秒読みをやってたりするけど、今日はアシスタントの大役。
なんか、発育不良キャラで、マニアごのみだ。
解説はやはり私の好きな、マイケル・レドモンド八段。
このかけあいがおもしろい。
*
「女性アシスタント」の役割というのは、なんか可愛い声でちょっと間の抜けた事を言う、
それを男性の解説者が訂正してみせる、というのだから、
かなちゃんはとてもはまり役なのだが、
さらにグッと来るのは、
かなちゃんが「役割」をいまひとつ飲み込めていなくて、
間の抜けていない事をときどき言っちゃう、というところ。
なんだかんだいって、かなちゃんもれっきとしたプロ棋士(初段とは言え)なので、
視聴者よりはぜんぜん強いわけだし、
ほんとは(たぶん)TV番組で解説者の言うことぐらい百も承知(のはず)なのだ
ま、そこのところを、「はぁー、そうなんですかあー!」と言ってみせるのがアシスタントのかがみってもんで、
そのへんのヤラセをふと忘れてしまって、ついプロ棋士の本性をみせてしまうところが
とってもとってもいいかんじだ。
*
レドモンドさんの解説は今も絶好調。
「私の予想手が当たるようでは趙名人も調子悪いのかな?」
とか。
[2000/10/12 17:38:41]
お名前: いっておくが:いしとび
↓下の文章を読んで別荘をめざしたりすんなよ。
・・・まったく。ちかごろの学生はわたしのハイセンスなアイロニーを理解せんで困る。
[2000/10/10 04:56:05]
お名前: そりゃきみ、別荘ってのがさぁ・・・:いしとび
すみごこちがいいからでしょう?
少なくとも、シャバの中には、別荘よりも生きづらいトコがあるって理屈だからね。
弱肉強食のシャバで、あるところまで転落すると、「基本的人権」なんてあっさり無視されちまうとか。
たとえば、これから秋冬にかけて、無職で路上生活だと、辛いっていうのは、理屈としてとてもわかる。
このあいだの人、シャバではろくなものを食べていなかったってんでしょう?
刑務所なら「人間なみの」最低限(?)の衣食住が保証されるんだもんね。
・・・と、ここまではO・ヘンリーのノリで。
*
しかし、そう考えると、なんでもっと多くの人たちが別荘をめざさないのか
わからなくなってはくるな。
*
『刑務所の中』
ISBN:4883790657
花輪和一 青林工芸舎 2000/07出版
って本がちょうど話題だから、それを読んでみたらいいのでは。
わたしは、ここ数日探していて、まだ見つからないの。
[2000/10/10 04:51:32]
お名前: かず
「刑務所に入りたい人」ってたまにいますよね。
この前もいましたよね。
あーいう人への対応って、どうすればいいんだろう。
刑期を長くしたら相手の思うつぼ。
年取ってたりすると、厳しい刑務所に入れたりなんかもできない。
ニュース見てて、解説員みたいなのが横にいたわけで、
どんなこと言うのかなぁ、って注目してたけど、
やっぱり「許せませんねぇ」みたいなことしか言わないですよね。
木村太郎だったらもう少しマシなこと言ったかなぁー???
法律?福祉?カウンセリング?教育!?
[2000/10/10 01:08:56]
お名前: バカラックのファンHP:いしとび
「a house is not a homepage」
[2000/08/29 06:17:04]
お名前: ニーチェの100回忌:いしとび
今日、ふと、今年がニーチェが亡くなってちょうど100年目だと思い出した。
で、命日にはさぞや感慨深いだろう(高校の頃からのニーチェ好きだったので)
と思って、過ぎていなければいいがと思いながら確かめてみると、
ニーチェが亡くなったのは 1900年の8月25日。
100年前の明日、だ。
すげえ。虫の知らせというやつだ。感慨深い以上のものを感じる。
*
高校生の頃から、ニーチェは読んでいて、あと、年譜を見ては、100年を足し算して、
100年前の今頃、ニーチェはこの本を発表していた、等々と思いながら過ごしていた。
で、90年代のニーチェは痴呆の状態で10年間過ごし(正確には89年1月に卒倒して以来11年)、
1900年に亡くなったのだけど、
この10年というのは、大まかに言うと、私が学会デビューしてからのちょうど10年、
に相当する。ふうむ。
*
明日が過ぎれば、大きなレファラントが無くなってしまうなぁ。
[2000/08/24 18:00:57]
お名前: 『ウォーホル日記』:いしとび
先日、『ウォーホル日記』(上下、文春文庫)を古本屋で買って
時々ぱらぱらっと2,3日ぶん、読んでる。
日記モノは、たとえば何年前の今日、何が書いてあるか、なんてのを読んで楽しい。
日付はとびとびになっているのだけれど、今日、見てみたら、
8月6日は、ウォーホルは結構毎年、日記をつけていたようなのだ。
なぜかというと、誕生日だから。
今日、ぱらぱらとめくっていて偶然発見したこと。
[2000/08/06 23:30:05]
お名前: 講読の授業のテキスト・・・:いしとび
ここからひろってこようかな。
キッズからの教育リソース集「studyweb」
「sociologists」
*
ちなみに、物色中に凄く感動した、ハワード・S・ベッカー本人のHP
Howie's Home Page
[2000/07/25 17:16:33]
お名前: 半田
犯罪です。
心理テストの図版は一般の人の目にふれないよう注意を払うことを
僕らは言われています。
安易に心理ゲームののりで心理テストをやるのは危険だし無責任で
すね。
でもそれだけ一般の人も心理学に興味をもっているということでも
あるのでしょう。
にしても分裂病患者の顔写真を見せるソンディテストですか。
すごいですね。
エニアグラムはソニーがソフトを作ってたような気がしましたが。
[2000/07/19 19:33:38]
お名前: うーむ:いしとび
できるときとできないときがある。
[2000/07/19 03:51:50]
お名前: 実験:いしとび
[2000/07/19 03:41:45]
お名前: テスト失敗!:いしとび
うーむ。「サイト内検索」ができるといいと思って、
やってるサイトのソースをはりつけてみたんだけどな。
[2000/07/18 20:49:34]
お名前: 心理テストはこうやって流行している:いしとび
はんだくんみてるかなあ。
ソンディ・テスト
これを公開している人って、どんな人かね。
心理テストって、こんな風につかうんだっけ?
でもたぶん、こういうの、「動物占い」のノリでアクセス数をかせいでるんだろうな。
にたような心理テストサイトってあるよね。
エゴグラムとか、複数あったと思うな。
[2000/07/18 20:37:00]
お名前: 半田
そうABBA。自分で何か違うくないかとか思ってました。
残念ながらジンギスカンはMDしかありませーん。
MDでよかったら貸しますけど。
永遠の少年は厳しいですね。
統計はとりませんって言ったら統計とれとか言われてます。
先生のHPは十分濃いですね。配色とか悪意を感じます。
ちなみに今日から卒論合宿です。
[2000/07/10 12:03:25]
お名前: 「サムライ」:いしとび
あったあった。
「サームライ、サームライ、イヨォッ(ペンペケペンペケペンペケ・・・)」
みたいなんじゃなかったですか? あれ? 噂で聞いただけかな?
今度CD貸してくれるように。
*
ちなみにABBEじゃなくてABBAでしょう?
きのう、ちょうどそのCDを買った店で流してました。
ノーランズとかドゥーリーズとかも含め、あのへん、
音楽を聴き始めた小学生ぐらい?のころ、現役で聴いているのでね。
きのうも、そのへんのLPも欲しかったのだけどな。
*
ちなみに、わたくしのHP、濃くないって。
最小限の事しか載せていない、薄い薄いHPよ。
*
ついでにいうと、「永遠の少年」、書けてますか?
書き上がったら曲をつけて観月ありさに歌ってもらうんやな。
[2000/07/10 08:15:57]
お名前: 半田
ジンギスカンはジンギスカンだけでなく「サムライ」や「モスクワ」
などの爆笑ものの曲がほとんどですがそこが私には格好良く見えます。
ABBEもいいと思います。(B逆だったような気がしますが)
ちなみにABBEは持ってません。
先生のHPは濃すぎて消化できないのでたわいないところだけ読んで
ます。
あと永遠の少年は私のことではないつもりなので。
[2000/07/10 00:27:11]
お名前: まけずぎらい:いしとび
本日の散歩で、「ジンギスカン」の入ったオムニバスCD(70.80年代ディスコヒット集)を発見。購入。
[2000/07/09 18:59:53]
お名前: いしとび
あれれなんではんだくんが!
いらっさい。
「僕は永遠の少年です」のはんだくんな?
*
ジンギスカン、流行っていたときにはよく聞いたけど、いまちょっとみつかんない。
いや、「恋のダンスサイト」のもとうたじゃん。
ちょっとあのへんのもとうたを手に入れておこうとな。
そうか、きみがもっているのか。
[2000/07/09 02:21:45]
お名前: 「ほなな」:いしとび
「パペポ」の後番組の「最後の晩餐」というのを見ていた。鶴瓶とかのやつ。
で、今夜の企画は、鶴瓶ほかが出していた疑問に視聴者から寄せられた答えを紹介する、というもの。
*
鶴瓶の疑問。関西弁の、別れ際に言う「ほなな」って何?
視聴者の解答。「それじゃあまたね」→「ほんじゃあね」→「ほんならね」→「ほなな」
というふうに、省略したらそうなった。最後の「な」を重ねることで、優しさを表現した。
*
視聴者の語感が悪いのは仕方ないが、その語感の悪い「解答」を紹介する番組担当者の方がどうかと思う。
*
第一に、「ほなな」=「それじゃあね」であるのは、誰だってわかる。
で、そうすると、「ほ・な・な」の前の方の「な」は「それなら」の「な」で、
後の方の「な」は念押しの「ね」であるから、同じものがかさねられたわけではない。
第二に、
従って、問題は、「なぜ、別れ際に「それじゃあね」と言うか」として提起される。
*
逆を、考えてみる。
a)会って喋っている状態。→b)別れ別れの状態。
ようするに、このa)→b)の移行がスムーズに行くためのジョイントとして、「ほなな」があるのだ。
極端な例。電話を考えてみる。
電話で喋っていて、用件(=a)が済んだ。いきなりガチャンと切る(=b)か?
切らないでしょう?
用件が終わってから、しばらく(少なくとも一言二言)意味のないやりとりをしてから切るでしょう?
「喋っている状態」と「(喋っていなくて)両者が没交渉の状態」とは、
会話状況として両極端といえるほど絶対的に異なっている。
だから、なんらかの「つなぎ」が必要なのだ。
そこで、「ほなな」。
つまり、
a)→「じゃあ」→b)
という形で、a)とb)とを、ひとつながりのスムーズな因果関係に文脈付けるのだ。
*
「ほなな」が、「じゃあ、またね」という意味なのか、「じゃあ、今日はここまで」という意味なのか
それは、どちらでもいいことで、ようするに、重要なのは「じゃあ」という部分だけなのだ。
いままでaという状態にあった両者が、いきなり突発的にbという状態を迎えないように、
「じゃあ」という言葉によって、
あたかもbが、aの論理的帰結であるように、互いに振る舞うのである。
[2000/07/09 02:17:44]
お名前: 臨床半田
あんまり関係ないかもしれませんが私はジンギスカンのアルバムの
MDをもっています。
[2000/07/09 01:25:29]
お名前: 散歩して収穫があった話:いしとび
午後から散歩。ふいと足を伸ばして六地蔵あたりまで歩く。
中古漫画屋では、70年代のディスコヒットのCDを探すが、無い。
しかし、ビル・フリーゼルのアルバムが思いがけず捨て値であったので、購入。
帰り道、以前から気になっていた寂れたセルビデオ屋に立ち寄る。
空気の澱んだような、アダルトヴィデオが主なような店なのだが、
店の表のほうには一応、普通の映画のソフトもある。
以前、石原裕次郎の『赤いハンカチ』があって、欲しかったがちょっと高かったのでやめたのだ。
今日こそ買おうか、と思って店に入ったが、やはり3000円出すならレンタルで探そうと思う。
(ルリ子が美しいのでいつかは手に入れる)
しかし、ここで、思いがけず、シンディ・ローパー主演の『マイアミ・ムーン』を発見してしまう。
以前、深夜TVでふと見かけて、しゃれたサスペンスだったので録画しなかったことを悔いたもの。
しかも、1480円。当然、購入。
また、ふと見た廉価版CDのコーナーに、ディオンヌ・ワーウィックのB・バカラック作品集があった。
これも絶対買い。
というわけで、かなりの収穫だった。
(といっても、だれも感心してくれないだろうなあ。)
[2000/07/08 17:34:18]
お名前: ん?まてよ?もっと単純な話か?:いしとび
まてよ?
あれはいちおう法的には「強制わいせつ」であって「強姦」ではないってことか。
そんだけのことか。
*
えーと、だから、下に書いたお話は、
「セクハラ」という表現が、女性の側から出たかマスコミの中で出たか、
というのがひとつネックになるのかなあ。
いずれにせよ、
あれを「セクハラ」と表現するのはまずい、と思えるのは間違いない
・・・と思う。
[2000/06/30 01:09:53]
お名前: ノック知事セクハラ事件についての疑問:いしとび
この事件、いまにしてよく考えれば、なぜ「セクハラ」事件として告発されたのかわからない。
裁判が始まって、事実関係が明らかになってきて、報道に接した誰もが驚いたのは、
ノック知事が「セクハラ」という言葉からイメージされるのとはかなり異質な、
むしろあれは「レイプ」でしょう? という行為を原告の女性にやっていた、ということだと思う。
これには、おそらく*誰もが*驚いた、と思う。
第一報からの印象を、覆されたと思う。
*
ここで、解釈。
なぜ、女性は「レイプ」としてではなく「セクハラ」として訴えたか。
「レイプ」として訴えれば、女性は、自分が「レイプされた女」として自己提示しないといけない。
それを回避しよう、という配慮は、十分に理解できると思う。
レイプの被害者は、被害者であるのに、不当に悪いイメージで見られてしまう現状があるので。
*
しかし、どうだろう?
「レイプ」を「セクハラ」として告発していいのか?
例えば、「殺人」を「放火」として告発するのが不当なように、
不当なんじゃないだろうか?
「レイプ」は「レイプ」、「セクハラ」は「セクハラ」、両者は別の概念ではないか。
「レイプ」されたと言うのが不都合だから「セクハラ」として訴える、というのは、不当じゃないか。
*
「レイプ」と「セクハラ」の違いは、法的には、どうなっているのだろう?
*
私の単純な*語感*(と、いくぶんか社会学的な解釈)からいうと、
「レイプ」とは、第一義的には、実際にレイプを実行した個人に罪のあるもので、
「セクハラ」というのは、第一義的には、
組織の中で、主に女性に対して、
その組織の「風土」が、「男性中心主義的なイデオロギー」を背景として、「性的」な事柄について
「当たり前のこととして」その女性の基本的人権をないがしろにする、
みたいなこと、
ようするに、「組織」の罪、「男性中心主義的イデオロギー」をあらためようとしないという罪、
だったと思う。
*
ということは、
「レイプ」を「セクハラ」として訴えるというのは、
訴える相手を違えるという、かなり重大な問題だということになる。
ノック「個人」を訴えるべき所を、
そうすると自分が不利益になるので(繰り返すように、この判断じたいには共感の余地が十分あると思う)
「組織」の犯罪として訴えているのではないか。
ノックが「自分は偉い、警察も自分の手下だ」と強調した、と原告は言っていたんじゃなかったっけ。
それによって、「社会的地位を利用して性的に人権を蹂躙した」という
「セクハラ」の定義を引き寄せようとしているのだと思う。
しかし、いくらなんでも常識的に考えて、警察がノックのレイプに職務として協力する事はないだろう。
つまり、ノックは、「社会的地位を利用して」行動したのではなく、
あくまで「個人として」レイプをおこなったとしか、いえないと思う。
*
なんでこんなことをいうかというと、
「セクハラ」という言葉の意味を敢えて混乱させるようなことを、
こういう社会的影響力の大きい事件でやってくれると、あとあとこまるからだ。
たとえば、レイプをする前にひとこと、「俺は知事だ」「俺は社長だ」etc.と言いさえすれば、
個人の「レイプ」が組織としての「セクハラ」になる、ということになったら
やっぱりまずいと思う。
また逆に、「レイプ」と「セクハラ」を、せいぜい程度のちがいというぐらいのいみで
安易に互換的に使っていたら、
「セクシュアル・ハラスメント」の告発、という、困難でかつ重要な運動が、
みすみす拡散してしまうことになると思う。
「セクハラ」というのは、性的な人権侵害を、
個々のちょっとしたその場・その人の冗談とか失敗とかとして片づけさせず、
組織ないし風土ないし社会全体の罪として告発しようという、そのための、言葉であるはずだ。
*
また、
「セクハラ」が告発するのが、現代の社会における「男性中心主義イデオロギー」である以上、
それはおそらく、現代社会の(ほぼ男女を問わず)すべての人が多かれ少なかれ抜け切れていない
「風土」のことであって、つまり、不特定多数の我々が潜在的には告発の対象であるはずだ。
現在の社会がいまだ深々と「男性中心主義的」である以上、この社会に生きる我々男女は潜在的に、被告だ。
だから、「セクハラ」の告発がおこなわれれば、我々は常に、「無実」を主張することができない。
そんな中で、ノックが個人的に行った「レイプ」を、「セクハラ」として訴えて
それによって、「組織」(とは、どの範囲だろう? 大阪府民全員? ノックに信任を与えていたのは彼らだ)
の有罪性を訴えるというのは、
*そのまま主張が通りそうであるだけに余計*、
やはり、やるべきではない事ではないだろうか?
[2000/06/29 19:37:14]
お名前: 算術の哲学:いしとび
「リンゴが2個、ミカンが3個、あわせて何個あるでしょう?」
「5個です」
*
・・・何が?
*
「果物」が。
ここで「果物」というカテゴリーが突然登場することに驚こう。
「リンゴ2個」と「ミカン3個」を「足し算する」とは、
たんに「2」と「3」を加算する、という以前に、
「リンゴ」と「ミカン」の共通の台座としての「果物」というカテゴリーを
発見することを意味する。
(ドゥルーズがゴダールにおける「と(et)」の働きに注目したのは、この様な意味だろう。)
これはとんでもないことだとおもうのだが、
そのとんでもなさを詰めていくには、何を読んだらいいのかな?
(カント? アリストテレス?)
*
「リンゴが2個と乾電池が3個あります。あわせて何個?」
「ミシンが2台と戦車が3台あります。あわせて何台?」
*
このへんのナンセンスになると、ヴィトゲンシュタインだろうか?
(つまり、「あわせて」という語を有意味にするような言語ゲームがみつからない、という意味で。
だいいち、実際問題、ミシンと戦車を「あわせて」なにをどうしようというのだ)
[2000/06/11 15:40:25]
お名前: 聴いていて心地のいい日本語:いしとび
NHK教育TVの日曜正午からの「囲碁の時間」で、
現在「囲碁講座」の講師をやっているマイケル・レドモンド八段の喋り方は
聴いていて心地よい。
声そのものも、ちょっとくぐもった感じでいいのだけど、
なにより、
日本語がいい。
*
そもそも、囲碁の言い回しというのは、独特で、
単に専門用語があるというだけでなく、
言い回しじたいが、囲碁解説独特のフレーズや構文によって作り上げられていて、
そこに独特の感覚や雰囲気がある。
レドモンド八段の話し言葉が心地よいのは、
そういういわば「囲碁語」を自由に喋っているからで、
「このアテ一本が気持ちのイイところですね」とか
「これは黒の注文通りの進行ですから」とか
「白の方がやや厚い形勢ですね、たいていの人が白を持ちたいって言うでしょうね」とか
そういう言い回しを自然に語っているのが気持ちいい。
*
もちろん、アシスタントの林芳美ちゃんがかわいいってのもある。
「囲碁トーナメント」のほうのアシスタントが、ゆかりん→繭さんと、
けっこう可愛かったのが、いまちょっといけてないので。
そういえば、TVで ゆかりん を見なくなって淋しい。
[2000/04/30 12:34:06]
お名前: 「一部の人にだけ面白いこと」:いしとび
「面白いこと」の開発に余念のないわたくしだが、
なんとなく、万人に面白いというのにスリルを感じなくなってきた。
やはり、「一部の人」にだけ面白いというほうが、スリリングな面白さがある。
*
しかし、「内輪受け」というのはもっとも詰まらない。
仲間内だけに面白い、というのは、スリルと正反対の保守反動だ。
*
ある「世代」なり「社会的集団」なりに受ける、というのも同じ事で、
ようするにそのグループの感性に対するマーケティングが出来ていれば
容易に可能だ。
マーケティングということは、ようするに、
「媚びる」「おもねる」という感じだ。
*
それよりも、ごくごく先鋭的な、「わかる人にしかわからない」、
エリート主義的な「面白いこと」のほうが、スリルがある。
*
しかし、本日、卒然と悟ったのだが、
「わかる人にしかわからない」ような「面白いこと」というのは、
要するに、笑いの仕掛けをより洗練させて性能を向上させさえすれば
さほど難しくない。
テクノロジーの問題、笑いのテクノクラシーの問題に還元される。
*
もっとスリリングなのは、
「内輪」でもなく、また「内輪」に準ずる「世代ないし一定の社会集団」でもなく、
また「特に笑いに敏感な人」でもない
任意の「一部の人」だけに局地的に面白いようなこと
だ。
*
そんなことがはたして可能か?
あるいは、方法論化できるか?
[2000/04/25 01:38:10]
お名前: 「薄紙を剥ぐように」:いしとび
風邪が治ってきている(ような気がしなくもない)
*
今年の年末に、師匠の柴野先生が、論文集を編集して出しはる
で、その中にまた一本、論文を書かせてもらえることになった
で、土曜日は大阪でその打ち合わせ会。
同業者(ていうか研究室の先輩ですね)の顔を見ると
勉強しようかなという気になる(かも)。
*
しかしとりあえずは今書いている論文。
*
Hi-standard 「Growing up」「Making the Road」
T.rex 「Bolan Boogie」
[2000/03/20 10:24:48]
お名前: 教育テレビの短歌の時間:いしとび
教育テレビでやっている、短歌とか俳句とかの番組は、別に特に見ようとは思わないけれど、
たまーに見たときは結構面白いと感じながら見る。
とくに、
視聴者から投稿された短歌を講師の歌人が添削するコーナーがおもしろい。
「短歌は詩だからして、正解も間違いもない」、などというきいたふうな意見は、
あのコーナーを見てからにするといいと思う。
へぼな作品はみるからにへぼであって、
私は別に短歌のおぼえなどないけれど、それでも「ここがいけない」と思う部分がくっきりとわかる。
で、講師がそこに手を入れて、直すと本当にマシな作品になる。
*
なんてことをいうと、
「それは、いかにも”お手本”みたいなパターンに押し込んでいるだけだ」
などとまたしてもきいたふうなクチを叩く者がおるが、とんでもないのである。
というのも、
決まり切ったパターンで歌っているのはもとの下手な作者のほうであって、
添削する講師は、そういう紋切り型の決まり文句をより柔軟で型を外したことばに置き換えているのだ。
*
要するに、日本語には七五調、五七調、七七調のフレーズ・パターンが大量にストックされていて、
日本語のネイティヴ・スピーカーは、多少の訓練をすれば、そうしたストックを資源として
いくらでも七五調、五七調、七七調の文句をダラダラと自堕落に吐き出すことが可能に出来ているのだ。
交通標語や地域の小学生が書いた標語、
「車は急に止まれない」「いじめはみにくいやめようよ」「会話のはずむ明るい家庭」
のような、いきおいだけで自堕落に吐き出されたような無内容でひねりのないフレーズは、
いま、世の中に充満している。
俳句や短歌は、(あるいは詩全般がそうなのかもしれないけれど、)
そういう自堕落に吐き出され流通される「ことば」の
殻を剥いて、新鮮な姿をあらわにさせるものだ。
*
でもって、このおはなしの「教訓」その1は、
「大学でやっている「教育」というのも、そういうものなのです」
というの。
*
もうひとつの「教訓」その2は、
「「めざましテレビ」の「松任谷由美撰集五七五」はひどすぎるからたのむからやめてくれ」
というの。
そうそう。松任谷の「春よー遠き春よー」だっけ、あの歌など、言語感覚がひどすぎる
古文「風味」にしようとして文法が中学生以下でめちゃくちゃ
すなわち、「朝ドラ」を視聴しCDを購入する層の聴き手の頭のレベルをその程度に見積もって
その程度の言語感覚のものを意図的に垂れ流している
で、
いまそれをまた「めざましテレビ」でもって、
頭の悪い視聴者がお手本にしてさらにめちゃめちゃな
紋切り型な上に文法的におかしい交通標語のできそくないみたいのを
放送しまくっている。
たのむからやめてくれ
[2000/03/17 23:01:21]