卒業にあたって
生涯教育専攻 4回生 柏原櫻子
私が天理大学に入学させて頂いて、はや四年の月日が流れようとしています。大学生活も残すところ卒業式のみとなり、卒業生の皆さんは、学生という枠組みから外れてしまう寂しさと、これからの新しい生活に向かって不安と期待のまじった面持ちで、残りわずかな大学生活を有意義にお過ごしのことと思います。思えば入学したての頃、かわいがって下さった先輩に、「私やってついこの間入学したとこやのに」「四年ってほんま早いで」とよく言われたものです。卒業を間近に控え(多分・・)あの時の先輩と同じことを思っています。そんな中、勉強は二の次三の次にしてきた私が、このような場に執筆をさせて頂けることになり、先生方には感謝の気持ちでいっぱいであります。
私の大学生活を振り返るうえで、まず、述べたいことがあります。それは祖母の存在です。私は大学在学中、ずっと祖母と一緒に暮らしてきました。(愛称は”ちゃい”と言います)祖母は孫との生活を本当に喜んでいるようで、毎日のように「私は幸せだ」と言ってくれます。しかし本当のところは、あっち行きこっち行きの私でしたから、祖母には寂しい思いをさせてしまったり、心配や迷惑を多々かけた事と思います。まずそのことをお詫びしたい。とともに、多くは語らない祖母の寡黙な中にも溢れる愛情のおかげで安らぎ、私はこうして無事に大学生活を終えようとしていることを、心からありがたく思います。
私の大学生活は出会いの連続でした。もともと好奇心旺盛な性格なので、せっかくの人生、一度きりしかないのならいろんなことを経験したい、自分が経験せずには分からない、そういう思いが私の心の中にはあったように思います。在学中、学科会、よふぼく会、自治会、また、私は幼いころから天理教の教えの中で育てて頂きましたので、学外でも、お道に関するたくさんの行事に携わらせて頂きました。アルバイトもしました。そんなよくばりな性格がたたり、いろんな人から声をかけて頂き、やりたい!と思う事が重なって、何を優先したらいいのか分からなくなって思い悩んだ事もありました。そんな私ですから、親には何もかも中途半端だと叱られることも多々ありました。しかしそんな時には、井戸先生のいつかの授業でおっしゃっていた「やりたいと思うことを一生懸命やりなさい。大学生活四年の間にどれだけ付加価値をつけて卒業出来るか、そこが大切。それがこれからの人生の大きな糧になるから。」という言葉を胸に、乗り越えて来たつもりです。もしかしたら井戸先生の言葉の意味を私は取り違えているかもしれません。人生の大先輩から見れば、私のやっていることはままごとに思えるかもしれません。しかし、これまでの人生の中で一番たくさんの人々に出会い、私は周りの人達に支えられ生きているということを痛感したのは、この大学時代ではなかったかと思います。学生という立場だからできることがある、またその時にしか経験できない事がある。私はそう信じています。
人との出会いとは不思議なものです。今まで出会ってきた人達のおかげで今の私がいます。人生まだまだこれから。この先どんな事があるのか、どんな出会いがあるのかなんてわかりません。でも、その人の人生にとって必要であるからこそ、神様が出会わせて下さるのだと思います。どんなに年老いても、ひとつひとつの出会い、人とのつながりを大切にしていきたいものです。いつも楽しませてくれた友人たちよ、十年後でも二十年後でもどんなに久しぶりに会っても、ヨウッッ!って声かけ合おうな。最後に、いつも近くにいてくれた友人が私に贈ってくれた詩を披露して筆をおきたいと思います。
いつかきみが全てから逃げようとも
私達のことを忘れようとも
同じ空の下に生きています。
どんなにくじけても、
人を信じる事を忘れずにいよう。
強くなんてならなくていい
弱い立場の人の心がわかる支えの人になって下さい。
いつも気にかけてくれてありがとう。
みなさん、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしく。