大学生活四年間の日記

 

                         生涯教育専攻 4回生 古森 亜季

 

 私がこの天理大学に入学してから、早くも四年が過ぎ卒業のときを迎えました。卒業できるという喜びとともに、正直大学を卒業して“学生”でなくなることに不安も感じています。石飛先生から「『生涯教育研究』に載せる、卒業にあたってのコメントを書いてほしい」と言われたときは何も考えずお受けしましたが、いざ書こうとしてみると何を書いていいのかさっぱり分かりません。先輩方が生涯教育研究に書かれたものを読ませていただきましたが、私には皆さんに胸を張ってお話しできるようなこともなく、本当に困り果てました。しかし、一度お受けしたお話しを断ることは出来ませんし、私の大学生活四年間を振り返って、思い出すことや感じたことを素直に書いてみようと思います。私の大学生活日記になりますが、皆さんに私の大学生活四年間の思い出から、何か感じていただけたらうれしい限りです。

 私のこの四年を振り返ってみると、たくさんの人達に支えられ、育てて頂いた四年間だったと感じます。私は高校まで地元で生活していたため、大学入学とともに生まれて初めて親元を離れての生活が始まりました。といっても詰所において頂いたため寂しさはあまり感じませんでした。入学してからの半年は一限目から詰まった授業に追われながら、たくさんの人に出会い、新しい人間関係を築いていくうちあっというまに過ぎていきました。高校では三年間無遅刻無欠席の皆勤賞を頂いた私も、たまに友達と授業をさぼって研究室に来て世間話で盛り上がることもありました。私の実家は天理教の教会ですが、入学して行動を一緒にするようになった友達は不思議と信仰のある子ばかりで、うれしかったのを覚えています。高校時代の友達は私が愚痴をこぼすと、一緒になって愚痴を言って私を励ましてくれましたが、大学での友達は優しく諭して励ましてくれました。この変化は私の中で大きな変化でした。

 入学から半年が過ぎ後期の授業が始まると、私はバイトを始めました。体力的にきつい仕事でしたが、それまで親からお小遣いを貰っていた私にとって、お金を手にする大変さを知ることが出来ました。バイト先でも人間関係に苦労することはありましたが、パートの方々がお母さん代わりのようにかわいがってもらいました。結局四回生の秋までこのバイトを続け、最後はバイトの中で一番長く勤めていました。体力的につらい仕事のせいか、バイトの子は長続きせず困っていたので、私はみんなの気持ちをまとめようと必死でした。

 いつのまにか一年が過ぎ、あっという間に新入生を迎える立場になりました。自分も一年前までそうだったのに、先月まで高校生だった新入生に対してジェネレーションギャップを感じたのを覚えています。一回生の頃から研究室にはよく行っていましたが、このころになると授業のある日は毎日研究室に足を運んでいました。もともと私は一人でいるのが寂しくて、誰かと一緒にいたい性格なので、顔を出せば友達や先生がいる研究室が大好きでした。そういえば研究室のノートにいろんな出来事を書き込むのも楽しかったです。誰かのコメントに返事を書いたり、私のコメントに返事を貰ったり、普段はあまり話しの出来ない友達とコミュニケーションをとれる場でもありました。とにかく研究室でみんなといるのが楽しくて、七夕のときに石上から笹(よく見ると竹でしたが‥‥)を取ってきて、みんなで短冊に願いを書いたりもしました。

 二回生後期頃から、私は詰所を出て一人暮らしをしたいと思うようになり、親にどうしてもとわがままを言い、三回生から一人暮らしを始めることになりました。それまでにバイトで貯めていた貯金から敷金などを出し、新しい生活が始まりました。料理はほとんど出来ませんでしたが、本を見ながらがんばって作り楽しい一人暮らしのスタートでした。友達を呼んで料理を出して食べてもらうことも好きになりました。また、節約の意識も高まり、一円の重みを知ることになりました。私のお金に対する意識は、バイトと一人暮らしで大きく変わったと思います。また、三回生になってからの変化がもう一つありました。卒業論文について考えるようになったことです。私にははっきりとしたビジョンがなかったため、なかなかテーマは決まりませんでした。自分のテーマが決まらないことに不安はありましたが、研究室でみんなに話を聞くと、みんなもはっきり決めていないというので安心しました。しかし、先輩からは「早く取り組んだほうがいいよ」と何度も言われました。今になってこの先輩の言葉が身にしみています。結局テーマを決めたのは提出ぎりぎりの一月でした。決めたといっても大きな枠だけで、内容などはほとんど考えていませんでした。春休みも卒業論文については頭の片隅において、バイトばかりしていました。

 大学生活最後の一年は四年間で一番早く過ぎ去っていきました。卒業論文のテーマも先生に相談に乗っていただきながら何とかテーマを絞っていきました。友達と卒論について話すことでも自分のやりたいことがだんだんと見えてきました。それでもバイトばかりで卒論を後回しにしていたため、夏休みになると「本当は他にもっと研究したいテーマがあるかもしれない…」など、卒論を先延ばしにする言い訳ばかり考えるようになりました。その時は本当に他にテーマを見つけたいと思っていましたが、今落ち着いて考えるとただのわがままでしかなかったと思います。卒業を一年延ばしてテーマを考え直したいと親にも相談しましたが、やはり親にこれ以上迷惑をかけてはいけないと思い、バイトを辞めて卒論に集中することにしました。この時、私の両親は「亜季が本気でもう一年行きたいなら、行ってもいいよ」と言ってくれました。「お金がかかるし、そんなの絶対ダメ」と怒られていたら、私は意地になってもう一年行くと言っていたかもしれません。

 一回生から続けたバイトも、やると決めた卒論のために辞め、自由な時間が増えました。卒論はもちろん、それまでなかなか出来なかった朝寝坊や、買い物、手のかかる料理など、いろんな事をしました。卒論は、先生や友達、親や教会関係の方々に協力してもらいながら、何とか完成。今思うのは「もっと早くから真剣に取り組んどけばよかったぁ…」の一言に尽きます。

卒論の追い込みの時期になると、私はしょっちゅう研究室にいました。みんなと一緒だと相談も出来るし、安心できました。また、もともとの私の性格もありますが人のお手伝いをさせてもらうのが好きで、製本や資料の整理を手伝ったりもしました。好きで研究室にいて、好きでお手伝いさせてもらっていただけなのに“大串賞”というすばらしい賞まで頂き、申し訳ない気がします。こんな賞まで頂くと、私のお節介な性格がますますひどくならないかと、自分でも心配なくらいです。

 この生涯教育の研究室は私にとって、おもちゃ箱のような宝箱です。あければたくさんの楽しいことがあって、そのひとつひとつの思い出が私の人生の宝物です。私の四年間の大学生活を支え、育てて頂いた人間関係の基本はこの研究室です。研究室で、特に何をしたわけではありません。ただ、みんながいて、話をして、笑っていました。これから、人生の中でこんな素敵な場所に出会えることはないかも知れないと思うくらいです。それは先生方のおかげで、先輩、同級生、後輩みんなのおかげです。本当に感謝しています。それでも一つだけ、最近気になることがあります。みなさん、研究室に入る時「こんにちは」とか、出る時「おつかれさまです」とか「失礼します」とか、言ってくれてますか?誰かが入ってきたら、声をかけてますか?最近そんな声が聞こえなくなってきたように感じます。私も先輩方と仲良くするのは苦手な方でしたが、あいさつの一言だけでも、そこに人間関係は生まれると思います。ニコッ笑顔であいさつすれば、いやな気持ちになる人はいません。私は人生に無駄なことはないと思って生きています。自分が笑顔であいさつすることで、相手は嬉しくなるかもしれない。人間関係の基本ってそんな所からだと思います。その基本を、この生涯教育研究室で築いていってくれたらいいなと思いながら、卒業を迎えます。本当にみなさん、ありがとうございました。