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4年間を振り返って 生涯教育専攻 4回生  久家 郁子   

 最近よく4年間を振り返っているような気がしますが、季節がらということなんでしょうか?
 私の大学生生活はクラブとバイトばかりだったような気がします。クラブは放送研究部(放研)に所属していました。単に高校の時も放送部だったからと、将来的に音訳をライフワークに出来たらいいなぁと思っていたからです。
 『どうせ大學のサークル活動』と気軽に考えていました。それが大きな間違いだったのかもしれません。本当に大変なクラブでした。大學のクラブ活動で、しかも少人数であんなにマジメに活動しているクラブがあるんだ、と感心したほどです。
 その放研は私を良くも悪くも変えたと思います。
 1つ目、自分のしたいことははっきりと主張すること。
 確かにそれまでの私はワガママではあったんですが、しかし、優柔不断に人に合わせることが多かったと思います。クラブを運営していく上で、それでは通らないことが多くあるのです。私が皆の意見を聞き、まとめ、答えを出す必要がある。決断力がいやおうなしにも養われました。
 そして「ワガママ」と「自己主張」の違いも分かるようにもなったと思います。
 2つ目、人のつながりを大切にする。
 元々八方美人ぎみではありました。それがよりパワーアップした、と言えばいいのでしょうか。今すぐには関わりのない人(クラブ)であっても、いつお世話になるか分かりません。その為にあいさつは大切だと先輩から教えられました。
 人のイメージなんていいかげんなものです。少しでも良いイメージを持って頂く為のあいさつです。それが人と人をむすびつけるのだと思います。私は少しでも「放研」をイメージの良いものにしたいと思っていましたから。
 実際、いろいろな場面で多くの方々に助けて頂きました。
 3つ目、日本語の難しさ。
 高校の時、「心で聴いて、心で話せ」とよく言われました。それが本当の意味で理解できたと思いました。
 たった1文字言い違っただけで相手を傷付けてしまう、誤解をあたえてしまう、身にしみました。無意識の一言、悪気のない一言が一番相手を傷付けます。自分が日本語をきちんと使うように訓練していながらも、上手く使いこなせない・・・。私もこれからは「アサーティブトレーニング」しないといけないかなあ。(笑)
 アナウンスを学べば学ぶほどより日本語が難しく思うようになりました。
 4つ目、人前で泣く。
 これは良いことなのか? 多分良くはないでしょうね。しかし、私はよく泣きました。
 自分の意見を理解してもらえないと言っては泣き、人の意見が理解できないと言っては泣き、うーん、よく泣いた。特に放送祭と大学祭前には常に泣いていたような気がします。多分イベント前は気持ちが高ぶっているのもあるでしょうが、それ以上に皆が、「より良いものをつくりたい」という気持ち同士がぶつかっていたからかもしれません。そう言えば、泣きすぎてコンタクト(ソフト)が流れ出したこともあったっけ。
 泣くことは悪いことばかりではなかったのかもしれません。元々涙もろい方ではあったんですが、人前で泣くなんてはずかしいと考え、絶対人前では泣かないと思っていました。しかし、放研ではそんなこと言っていられませんでした。くやしくて、くやしくて、どうにかして自分の企画を、意見を分かって欲しくて、気持ちが高揚するのです。皆を信頼していたから、真剣だったから涙も出てくるのでしょう。
 私が以上のように変わった又はパワーアップした理由はいくつかありますが、最大の原因は二期連続で部長をしたことでしょう。したというよりは、しなければいけなかった。でもそのようなハメになったのも私たちが原因でした。因果応報、自業自得なんです。でもそのおかげで強くもなれました。
 普段は大切な友人が憎らしく思うまでの精神状態、気持ち悪くて立ち上がれなくて、道路に寝ころがる(飲みすぎではありません)ことも、いいものをあげると言われ、うずらのピータンを食べることも、デモンストレイトでけんかすることも、音楽番組を週一回企画することも、ラジオドラマの脚本、監督、演出、主演、全部一人ですることももうないんでしょうねぇ。さみしいなぁ。
 放研では本当にいろんなことを学んだし、体験しました。それが全部プラスになったとは言いきれません。それでも大切な思い出。
 クラブばかりで大学生生活は損した気もするし、本当にしんどかった。つらかった。でもクラブをしていなかったら、あの時(いつ?)退めていたら、多分バイト三昧の生活で、もっと大学生生活損していたんだろうなぁ。

 4年間、本当にいろんな方々にご迷惑おかけしました。そしてありがとうございました。これからも応援お願いします。よりパワーアップしますので・・・(もういいって?)