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大学4年間を過ごして

生涯教育専攻 4回生 栗原 たみ 

 入学した年の1月に阪神大震災。2年後その傷が癒えたかと思いきや神戸小学生殺傷事件の発生。そして就職難の大不況・・・・・。大地にも人の心にも亀裂の走った4年だった。
 自分にとっての学生生活はボランティア、アルバイトや遊び、そしてインターネットという手段で人間関係が広がった4年間だった。と同時に本を読み、様々なことを学んだ貴重な時間だった。自分自身ここで勉強出来て良かったと思える。
 生きてる限り勉強する・・・。当然のようなことのようで実際はあまり「いつでもどこでもだれでも」が浸透してないことが残念にも思う。休暇の間やったアルバイトや就職活動を通じて私は「毎日が学習の場であること」を改めて認識することが出来た。私たちは日々何かを学んでいこうという姿勢でなければいけない。
 インターネットのメール友達の中には家族関係が悪い人、父子家庭の人、幼いときに傷を負ったまま人を信用できないで殻に閉じこもった人・・・が居る。
 数限りない家族形態の中で子どもは育ち、学び、成長する。犯罪が起きる要因として挙げられる家族の問題については様々な意見があるが、論文の中で敢えて私は食事の取り方を例に挙げて考えてみた。そして自分なりに出した答えが理想的かも知れないが、家族が揃って食べること。少なくとも週に2回は子供と一緒に食べる時間を作ること。これは当然のことだが、大変重要なことだと思う。 当たり前で通ることが当たり前と言えない。これは近年起きた事件に共通しているキーワードではないだろうか。昨日あったビルが崩れ、一日で瓦礫になった阪神大震災の傷跡は人の心の奥底にしまわれてしまうことになった。神戸小学生殺傷事件は傷を自分で治せなかった少年の一人が起こしたと思う。傷つけることでしか傷を癒やすことが出来ない少年の精神状態も大きな問題であろうが。
 少年が学ばなければいけないことは「罪の重さ」はもちろん、「人の痛みが分かる」事だろう。人が生涯学習しても習得できない、一生を終えるときに初めて知る「死」の概念は永遠のテーマだ。 ある人がこんな詩を送ってきた。
「神亀命長しといえど
 なお終わる時有り
 騰蛇霧に乗ずるも
 終に土灰となる
 老騎れきに伏すも
 千里に在り
 烈士暮年
 壮心不まず」
意味は「神亀と言われるほどの長生きの亀でもその命に終わるときはある。霧に乗じて雲に登るような龍でさえも、最後には土塊となってしまう。その若いときは日に千里を走るといわれた名馬も老いては厩につながれてしまう。しかしそういった名馬はその身は衰えても志だけはいつも千里の彼方に馳せていているもの。」という。
 自分が「死」を知るとき、決して悔いの残らないように楽しんで生きていきたい。幸福は自分でつかめ。したいことはしたいときにやれ。

これが私の生きる道!