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4年間を振り返って

生涯教育専攻 4回生 中沢 恵美

 
 「大学生」という響きも、あと一ヶ月で終わってしまう。この4年間を振り返ってみると、色々なことがあったが、大学に入って本当によかったと心から思う。
 高校3年の進路を決める頃、正直言ってとても悩んだ。将来何になりたいという、しっかりとした目標もないのに、大学に通わせてもらっていいのだろうか。目的がないなら大学になんて行っても意味がないのだろうか、と考えたこともあった。
しかし、大学で4年間過ごした今、思う。大学とは、やりたいことができるところ。4年間という許された自由な時間をどのように使うかが問題だと思うが、私は、この4年で教養も身についたし、色々なところに行ったり、いっぱい遊んで思いっきり楽しむことができた。決して無駄ではなかったといえる。大学生は、親のスネかじりだと言われりゃそうかもしれない。でも、人生一度しかないんだから、楽しまなきゃ損!
 この4年間は、本当に色々なことがあったが、なかでも私にとって思い出深い年は、1回生と4回生である。
 まず、1回生の時は、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。研究室に行けば先輩達や、先生方とコミュニケーションがとれた。いつ行っても笑いの絶えない生涯教育の研究室が私は大好きだ。誰もが居心地の良い場所だと思う。
飲み会も沢山あった。専攻内だけでなく、学科会の親睦会などがあって他の専攻の人とも話ができて、天理大学ってこんなに楽しいところなんだと、心から思った。
またこの頃は、学校がメインなのか、アルバイトがメインなのか分からないくらいよく働いた。飲食店での接客のアルバイトだが、仕事が身につき、ちょうどなじんできた頃で、金稼ぎというよりも、遊びに行っているような感覚であった。授業が終われば、ダッシュでバイトに向かい、11時すぎに帰宅し、次の日は朝6時半に起きて学校に行くという、正直言って今の、この私のだらけた生活からは想像もつかない毎日であったが、学校もバイトも楽しくて仕方がなかったから、キツイと感じたことはなかった。今考えると、この頃が一番輝いていたのかも(笑)。
 次に4回生だが、4回になったら授業もほとんどないし遊べる、と考えていたが違った。意外と忙しかったように思う。まずは、就職活動。就職困難とは言われているが、なんとかなるだろうと思っていた私の考えは甘かった。最初のころは、書類選考や筆記試験で落とされて面接さえも受けさせてもらえなかった。やっと、コツがつかめてきたかなと思ったら、あと一歩ってところで落ちたり。何しろ、受けても受けても落ちてばっかりの日々が続き、もう、何十社会社説明会に足を運んだのか数え切れないくらいで、何もかもが嫌になり、投げ出したくなったこともあった。結果的には、希望していたサービス業から内定をいただくことが出来たのであるが、この一枚の内定通知書をもらうまでにここまで苦労するとは考えてもいなかった。就職活動で、かなりの挫折感を味わったと共に、努力や忍耐力が身に付いたように思う。
 次に卒業論文。就職活動中は、それだけで頭がいっぱいで、就職が決まると今度は気が抜けて、皆より卒論の出発は遅かったように思う。あまりにものんびりとしていたので、ゼミの担当の井戸先生に怒られたのを覚えている。
論文の内容は、87歳にしてぴんぴんしている祖父の、あの元気のもとは何だろうと考えたことから、高齢者についてのことを書くことにした。しかし、一言で高齢者といっても、何を書いたらいいのかが分からなかった。図書館に行って文献を探しても、高齢者を扱った本なんて腐るほどあって、全部読むことなんてとうてい無理。とりあえず、生涯教育と結びつけてみようと思い、文献を見ていると「老人大学」という言葉が目についた。聞いたことはあったが、いまいちどんな大学なのか分かってなかったので、おもしろそうだなと思い、論文の1章節で述べようと考えた。しかし、調べていくうちに、この大学によって高齢者の方々はどう変わるのだろう、どんな影響をもたらすのだろう、と考えるようになり、この老人大学にスポットを当てることに決めた。それからは、色々な図書館に行き、老人大学について書かれている文献を集めた。読んでいくうちに、老大を扱っているどの本を見ても兵庫県の加古川市にある「いなみ野学園」のことが書かれていることに気付いた。老大のメッカとも言われ、大学専用のキャンパスがあるというこの学園をぜひ、見学してみたいと思い、インターネットで連絡先を調べ、訪れることになった。また、自分の住んでいる大阪府の生涯学習活動を調べると、3ヶ所で老人大学講座が開かれているということだったので、連絡をとってみると、こっちは実習生として通わせていただけるということで、3日間の実習を体験した。正直言って、実習や見学に行くまでは、「高齢者とは思えないくらいみんな元気だった」みたいなことを、まとめて論文を書くのだろうと軽く考えていたが、実際に行ってみると、私が想像していた以上に高齢者の方々は元気だった。また、老人大学とは、単なる生きがいや仲間作りだけでなく、卒業後、自分はどのように社会貢献していくべきか、を考えるきっかけ作りであることが分かったし、現状の問題点や事業者側の役目など、本を読んでいるだけでは見えてこないことが沢山あり、実際に自分の目で見るということの大切さを実感した。いなみ野学園の、キャンパスの広さも、文献だけでは伝わってこなかったはずである。
 ここでは、1回と4回の思い出しか述べられなかったが、もちろん2,3回生も大学生活を楽しんだ。やはり、これだけ充実した4年間を送ることができたのは、天理大学であったからだと思う。先生方とこんなにコミュニケーションがとれるのは、この大学のメリットであると思うし、4年間仲良くしてくれた友人にも深く感謝している。本当に楽しくて充実した4年間であったと思う。4月からは、社会人となり、色々と困難にぶちあたることもあるだろうが、天理大学にきて本当によかったと思えたと同じように、この会社に入って本当によかったと思える自分でいたい。