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IT革命と生涯学習

 

大串兎紀夫

 

はじめに

 

 今年1月、奈良市が主催する「IT講習」を受講してみた。昨年4月から国の大号令で、全国の自治体が全住民を対象に始めた講習会に、遅まきながら参加したのである。週2回、火曜と金曜の午後6時30分から2時間ずつ6回、計12時間の、入門講習である。受講費用は無料、テキスト代1,000円のみという御手軽なものである。会場は、市内のコンピュータの専門学校。講師、アシスタント2名もその専門学校のスタッフであった。

 受講生は20人。男女ほぼ同数。1受講生の立場だったので確認はしていないが、見たところ20、30歳代の人は少なく、50、60代が多いようだった。また、夜の教室ということもあって、仕事を持っている人が多いようだった。私のとなりの席の、60歳ぐらいの男性は小さい会社を経営しているということだし、前の席の女性2人は(多分50代)昼間パートをしているということだった。

 この講習は、1990年代のアメリカ経済の好況を支えたのがIT産業だといわれる中で、平成12年、当時の森内閣が、長い不況を脱出する施策のひとつとして、遅れているIT産業の基盤整備のために、全ての国民にコンピュータに親しんでもらおうと企画し、平成13年の4月から全国の地方自治体が無料で講習会を開いているものである。

 この講習を受講して特に感じたのは、講師の教え方の手際良さと受講生の熱心さであった。教える内容が、本当の初歩・入門であり、マニュアル化されているといっても、年齢も経歴も多様な受講生に限られた時間内に、一定の内容を、だれにも不満がないように教えるのは、かなりのテクニックと臨機応変の柔軟性が必要である。この講師たちも、春から何十回も繰り返し教えている中で、教授力を高めたものと思われる。また、受講生たちも、短期間であったとはいえ、欠席者がほとんどいなかったことでも分るように、受講態度は真面目で熱心であり、そのモーティベーションの高さが印象的だった。この、成人の学習にとって欠かせない要素である、学習動機の高さは、IT、特にパソコンの、社会・生活両面での急速な普及・浸透を背景とした、人々の興味・関心の高さと、生活上の必要性が高まっていることが原因であるのは容易に想像がつく。

 この所、ニューヨークの世界貿易センタービルなどへの同時多発テロやそれに続くアフガニスタン戦争などの国際的事件や、国内でも長く続く不況など政治・経済・社会に次々起こる深刻な事件の陰に隠れる形で、ITが話題に上ることが少なくなっているが、携帯電話やインターネットを例にあげるまでもなく、ITは社会的にも、個人個人の生活にもより深く入り込み、それを無視しては何も語れない状況になりつつあるのは確かである。

 しかし、この巨大な流れとなっているIT化に対して、われわれは、新しい事態・技術を一生懸命受入れるだけ、ただその流れに身を任せているだけでいいのだろうか。社会全体がいかに便利に、効率的になっても、その構成員である一人一人が幸せな、人間らしい暮らしや人生が送れるようにならなければ無意味ではないのか。IT革命を放置しておくだけではよくないことは確かだが、それでは、IT化という社会的な変革に対して、生涯学習、生涯教育はどう対応していくべきなのか。このことについて考えるため、先ず、『このIT化は、人々の生活課題・学習課題にどう関連しているのだろうか』について今こそ真剣に考えるべき時ではないか。以下、若干の考察をしてみたい。

 

1、IT関連機器の普及状況

 

 まず、われわれの生活・暮らしの中での、IT化(IT革命)の状況を概観したい。 21世紀のキーワードといわれたIT(Information Technology=情報通信技術)は、アメリカのいわゆる「ITバブル」の崩壊でネット産業やパソコン産業が不況になり、その部品を供給していた日本やアジアの半導体産業も不況に陥っており、IT革命が足踏みしているようにもみえる。しかし、日本国内でも世界でも経済・産業面では技術やシステムのIT化・IT革命が急激に進展しており、生活面でもパソコンや携帯電話などのメディアや家庭電化製品などのIT化が進んでいるし、むしろ、ますます加速しているともいえる。

 図−1は、主なIT関連機器の世帯保有率の推移である。携帯電話(PHS含む、以下同じ)、パソコン、ファクシミリの、ここ数年の急激な普及の様子がよく分かる。特に、携帯電話は、この世帯普及率と、この図にはないが契約数の増加を合わせてみると一層急激な増加の様子がよく分かる。すなわち利用契約数は、1991年に100万台を超えたものが1995年に 1,000万台を超え、1996年 2,700万台超、 1998年 5000万台超、そして、2001年秋にはついに 7,100万台を超えて、ほぼ普及の臨界点に近づいたといわれている。

図−1から読み取れるように、2000年の携帯電話の世帯普及率は8割弱だから、2001年には8割を少し超えたであろうが、これを実数として推計すると、約3,600 万世帯になる。すなわち、現在のわが国では、3,600万世帯が 7,000万台の携帯電話を持っている(8割以上の家庭で、一家に平均2台の携帯電話)ということである。

 同様に、情報メディア機器を中心とした家庭で所有している生活機器の所有状況を示したのが、図−2である。(縦軸が世帯普及率、横軸が 100世帯当たりの所有台数。データがやや古いので携帯電話とパソコンについては筆者が他の資料から推計した値を入れた)。

 図−2のグラフで最も上にあるもの(すなわち、世帯普及率が 100%に近い、ほとんどの家庭にあるもの)は電気洗濯機などの家事のための機器とテレビである。それに次いで普及率が80%を超えているのはカメラ、乗用車、自転車、エアコンで、次いで高く70%以上のVTR、プッシュホン(家庭用電話機とほぼ同じ。それまではダイヤル式が多かったので1990年代以降普及した押しボタン式を分けて集計していた)、ミシンなども含めて、家族そろっての利用が多いものである。

 要するに、世帯普及率が高率のものは、家族用のもの、家庭単位のものである。これに対し、携帯電話は、ほとんどが個人利用であるが、それがこれだけの普及率を示すのは、これがすでに衣服、靴、カバン、アクセサリー、筆記用品など個人個人が持っているもの、個人単位のものになりつつあるのではないかと思われる。

 また、パソコンもこのまま普及が進むと、乗用車やカメラなどと同じくどの家庭にも1台かそれ以上ある、ということになりそうである。そして、パソコンを使って様々な情報をやり取りする「インターネット」は、携帯電話で利用できるようになり(iモード、Ezwebなど)その利用者数が急増している。すなわち、1997年に571 万件だった契約者数が、'98 年には1,000 万を超え、2000年1,930 万になり、'01 年2月には3,200万 を超えた。そのうち携帯電話での利用者が1997年には100 万以下だったのが、'01 年には 652万人になったという(『インターネット白書2001』による)。

 ということは、テレビが家族単位のものだったものが個室ごとに持つようになって、リビングや食堂にある家族のものと個室にある個人のものとに機能がわけられていったように、パソコンも普及の伸びと、技術革新で携帯電話とその機能が融合していくことで、インターネットやメールなどの利用を中心に、家族利用と個人利用に機能分化がますます進むとおもわれる。

 

2、生活面からみたIT化

 

 IT化が進んでいるのは、情報・通信の技術の世界に限った事ではない。経済・産業の世界で、生産・流通のあらゆる面でIT化が浸透しているのはもちろん、社会のあらゆる面でIT化を背景に、変革が大きく進んでいるが、我々の生活の面ではどうだろうか。

1、でみたように情報関連の機器、これまでの電話やテレビに続いて、パソコンや携帯電話がどこの家庭にも、個人利用を含めて普及しつつあるだけでなく、生活のあらゆる面で、IT化がその背景を覆い尽しつつある。

 身近な例をいくつかあげてみる。

 

* 個人同士や、個人と組織との用件、挨拶などのやり取りで、手紙に代わってメールや

 ファクスが、多く使われるようになってきた。

* 旅行の乗車券や宿泊などを、電話やインターネットで手配・購入することは、今や、

 かなり通常のこととなっている。

* 何かを調べたいとき(日常の疑問や勉強など)インターネットで調べる。

* 小学校の授業で、インターネットを通じて外国の小学校と、質問し合ったり意見交換

 したりする。

* 学校卒業予定者が就職活動に、インターネットを使う事は、かなり前から当り前のこ

 とになっているが、最近は、ハローワークでの求人・求職も、パソコンを使って行われ

 ることが多くなっている。

* 新聞・雑誌やダイレクトメールを通じて商品を購入する、通信販売(いわゆる通販)

 は、テレビ通販が盛んになったが、最近は、インターネットを通じての販売がかなりの

 勢いで盛んになりつつある。

* さらに、最近、インターネット・オークションが急激に広がっているという。普通デ

 パートで扱う商品は30万点といわれているが、インターネット・オークションのサイ

 トでは200万点以上といわれ、手軽さも手伝って若者だけでなく主婦にも”はまって

 しまう”ものが多いという。むしろ、現在、そのマイナス面・トラブルも多く、法整備

 も含めルールづくりが急務となっている。

* 法律の整備が急がれているものとしては、一般的とはいえないが、インターネットの

 「出会い系サイト」といわれるものがある。伝言ダイヤルやテレクラなどと同じく売春

 行為の温床になっているばかりでなく、殺人などの犯罪も多発しており大きな社会問題

 になっている。

 

 まだまだ、あげればきりがないが、これらに、これまであった情報・通信メディア−マスメディアの新聞・雑誌、ラジオ・テレビ、映画・ビデオなどや、個人メディアの手紙・電話・電報など、技術・システムとして、当然、ITが使われているものと合わせると、われわれの生活がいかにIT化されているか分かる。

 しかも、以上あげたのは、直接的に情報通信技術(IT)にかかわる事・物であったが、間接的ということになれば、われわれの暮らし・生活のあらゆる事や物が、ほとんど全てITにかかわっているのである。新幹線や飛行機などの運行、日常の買い物をするスーパーやコンビニの商品管理や販売、購入する商品−工場で生産されるものはもちろん生鮮食品なども生産計画・生産管理・流通などあらゆる面でIT化されている。さらに、住民登録・介護保険など役所との関係も届け出は人対人だがその情報管理は、IT化されているように、関係ないことがないといった方がいいかもしれない。

 さらに、ほとんどの家庭に普及している機器のほとんどにエレクトロニクス技術が用いられていることから、光ケーブル網の整備など通信回線のブロードバンド化が進むなかで、IT化されていくと予想されている(いわゆるIT家電、ITハウス)。

 こうなってくると、「IT化社会」とか「インターネット社会」とかいわれた近未来社会の宣伝予想図−教育も医療も何もかもが便利で良くなる−という社会に近づくのだろうか。

 

3、IT化社会と生涯学習

 

 IT化が、社会全体を覆い、われわれの生活全般に深く関係してきているなかで、われわれの”生活課題”と”学習課題”はどのように影響をうけるのだろうか。どのように対処したらよいのだろうか。以下、生涯の各発達段階ごとに簡単にみてみたい。

 

「乳幼児期」

 胎児期を含めて、この時期が、後の人生を大きく左右することは、最近の研究でますます明かになってきている。すなわち、子供にとっては、どの様な環境で、どの様に育てられるかであり、親(または同様の役割を果たすべき大人、以下同じ)にとっては、どの様に育児をするのかが、極めて重要だということである。もちろん、取り返しがつかないという、いわゆる決定論はいいすぎで、人間は柔軟性・潜在的可能性があり、取り返しは可能だが、それには多くの時間と細心の対処が必要になるということのようである。

 これまで、赤ちゃんはなにもわからない、白紙のような状態で生まれてくるのだと考えられてきたが、最近、胎児期から既に、様々な能力を持っているということが分かってきている。しかし、この時期は、本人(子供)は基本的には受け身であり、どう育つかは、親やそれを取り巻く環境にまかされる事には変りがない。

 とくに、生まれて先ず最も大切なことは、『人間として生まれてきてよかった』という、この世・人生に対しての肯定的感覚(エリクソンのいう原信頼)がもちろん無意識ではあるが育ち、定着することだろう。そのためには、まずは「安心感」が必要だろう。それは、何より人との、普通は親、との直接的触れ合い、いわゆるスキンシップやアタッチメントである。それが、周りへの興味・好奇心が育つ基だろう。それがあって初めて、子供の持つ、能力が生きてくるのではないだろうか。すなわち、医療的場合はともかく、通常の育児ではIT化は、むしろ、できるだけ避けるべきであろう。

 そして、次に幼児期では、周りの人、まずは親だがその他の人、大人や子供との関係ができ、さらに草や花、鳥や虫、雨や風などの自然(山川草木)との関係に発展させることが順番であろう。この時期は、遊びや、手伝いを通してなるべく自分の周りの環境(人や物)と直接に触れ合う経験が必要と思う。すなわち、この時期にも、IT化されたものなどによる、間接経験は避けるべきであろう。

 ただし、親など育てる側では、子供の環境を安全で快適なものにするために核家族等で、人手が足りない場合など特に、ある程度のITの活用は必要だろう。もちろん、快適といってもエアコンで四季、夏の暑さ、冬の寒さを全く感じさせない、ハウス栽培のイチゴのような育て方は、行き過ぎであり、ここでもやはり、その地域の自然環境や風土に合わせるのがよいであろう。

 また、最近のように育児ノイローゼや幼児虐待が多くなる状況では、親のためにこそ、IT化の成果を活用して、手軽に相談したり、気分転換・癒しができるようにすべきであろう。

 

「児童期」

 この時期も、生活課題、学習課題は、基本的には前の幼児期の延長であり、同様に対処すべきだろう。ただし、子供の生活空間は、学校への入学などを機に拡大し、人間関係や社会との関係も、年々かなり広がって行く。その広がりを、より豊かなものにしていくために、生活や教育の場面でITを活用することは、当然である。

 例えば、学校教育では、現在、小学校5年生は様々な産業(農業から工業、商業など)を生活の視点もいれながら学んでいる。この場合、かつては教科書と地図・写真・映画・テレビなどの視聴覚教材と見学などの体験だけで学んでいたが、現在では、インターネットなどのIT化された仕組みを教材として活用することで、グローバル化した産業社会をよりリアルに学ぶことができている。

 しかし、この場合でも、かつて視聴覚教育が、農業などについての幼児からの実際経験が基礎にあって、より実質的な効果をあげていたのと同じく、IT化した教授法もその基礎としての、自分の環境での実際の体験・経験が重要であるのはいうまでもない。

 この点に関して、コロンビア大学教授のジェラルド・カーティスは新聞のコラムで次のように言っている。

 『インターネットの全学校への配備など、それ自体は良いことだが』としたうえで『ITはその名の通り、情報の技術であり、コミュニケーションを容易にする。だが同時に、人間をより孤独にしかねない。(中略)小学生でEメールのやりとりをして、電話であまり話さない子がいるそうである(中略)コンピュータの画面に向かって「会話」するのである。相手の表情を見られない。声も聞こえない。こういう会話が流行すればするほど、人間として失うものは非常に大きいと思う。(中略)子供には、何でもスピーディーにやってしまうという教育をすべきではない。大学はともかく、小学校や中学校の教室に、ITをあまり取り入れるべきではない』(『東京新聞・時代を読む』2001年 9月 3日付)

 前の幼児期で私が述べたのと同じく、要するに、IT化は、子供本人のために必要なのではなく、それを育て、教育する大人が、より効率的に行うことができるために有効だということである。

 家庭でも学校でも、現在のようにIT化された社会では、特に、必要課題としての学習課題が重要な幼児期・児童期に、親として子供のために考慮すべきことは、ITを取り入れることではなく、むしろ、あえていかにそれから子供たちを遠ざけて、将来大人として自立するために、この時期に必要なものを身に付けさせ、育てられるかであろう。

 

「思春期・青年期」

 この時期の、特に前半の思春期は、子供が様々な試行錯誤をかさねながら、一人前の大人へ成長し、自立するための人生の激動と混乱の時期である。悩み、考え、挑戦し、協調し、反発したりするなかで、アイデンティティを確立していく。

 その時、多くは古いものに反発し、捨て、新しいものに目を向ける。従って、ITなど新しい技術もこの時期の者がいち早く、必要性よりも、ただこれまで無かったものだから取入れる。取り入れることで、新しい世界が開け、自分が成長し、人に認められたように感じられるのであろう。それは、成長の一段階として、必要なことであろう。

 しかし、気を付けなければならないのは、これまで幾つかの例であげたように、ITも含め、新しいものには、功罪、プラスとマイナス、良い面と危険な面が付き物である点である。人生観、価値観が定まった経験豊かな大人の場合は、社会的にも、自分のためにも慎重に考慮してその利用方法を自主的に判断できるであろうが、この時期では、むしろ新しい、一般と違うということに価値を置くため、危険に対する配慮を軽視ないしはわざとそれに魅力を感じがちである。ITの世界でも、コンピュータのハッカーなど若者に多いし、出会い系サイトで犯罪に巻き込まれることも多くなる。この点を、社会としてどの様にコントロールしたらよいのか、また、学校教育でも社会教育でもこれらに対する判断能力をいかに育てていくのかが課題であろう。

 

「成人期」

 成人とは、原則的には、自立した人、一人前、大人ということである。近世までの身分制社会では支配層や特別の技能を要する人々以外の大部分の人々は、変化しない、安定した暮らしがよしとされたが、近代になり社会そのものが常に変化していくなかで、成人も常に変化、成長・発達して行く事を求められている。だから、自分自身のライフステージの変化や、社会の変化により、常に新たな生活課題が発生するし、それを解決するために常に新しい学習課題が存在することになる。

 IT化もその発達、変革が急激で止むことがないため、生活課題・学習課題も、自分から新しいことを学びたいという動機による課題(要求課題)としても、職業上、生活上の事情で学ぶ課題(必要課題)としても、多様な課題が、次々と発生することになる。

 これらの課題に対して、どう対処するのか、学ぶのか、学ばないのかは、自分自身にとって必要かどうかはもちろんだが、それだけでなく、周りが勧めるからとか、世間がやっているからとかも含めて、一人一人が自主的に判断することになる。

 ただし、IT革命による社会・生活の変化は、”情報”という形でこれまでとは比べ物にならないくらい、大量に、多様に流通することから、これまでと同様な判断は、出来にくくなってきている。このため、情報の個別の内容や質について多面的な角度から判断するだけでなく、情報がどの様な仕組みで作り出され、選ばれ、流されているのか、個別の仕組みと、経済的、政治的、世界的な状況までも含めて知識を持つ必要が叫ばれている。いわゆる「メディア・リテラシー」の養成である。これは、当面、成人教育として緊急に実施しなければならないが、将来のことを考えれば、学校教育でもパソコンの操作などよりも優先して、早急に導入する必要がある。

 

「高齢期」

 近代の生涯学習社会にあっては、成人も高齢者も、学習課題に違いはない。成人は、それぞれ個性があり、その生活もそれぞれ多様なのだから、それに応じて自分の学習課題を決定する。高齢も一つの個性であると考えるべきであRということである。特に、わが国のように保健・衛生や医療が発展し平均寿命が80歳にもなると、通常、高齢期といわれる65歳になっても、まだまだ心身ともに健康で元気な人がほとんどである。平均寿命が50歳前後だった半世紀前と比べると、現在の65歳は当時の40代半ばといってもいい。

 ただし、人によりかなり差はあるが、いくら元気といっても身体の機能の衰えは、急激に訪れる。これを、ITが補うことは、大いに期待される。それは、高齢者本人はもちろんだが、介護する側にとっては非常に有効であろう。本人と介護者の双方にとって、これの有効性をきちんと認識し、活用するように学習することは重要であろう。

 ここで一番重要なのは、高齢者のその長い人生経験に対しての尊敬の念を周囲がもつことであろう。高齢者は、多少、心身の衰えがあってもその存在を周囲が認め、尊厳をもって暮らせれば、生きがいをもって、幸せな人生の終末を迎えられるということである。キンさん、ギンさんが、社会の注目を集めるようになってますます元気になり『幸せだ』と言っていたようにである。

 アメリカ・ケンタッキー州のメアリー修道女は、100歳を過ぎても立派な社会活動を続け、尊敬されて102歳で亡くなったが、その脳はさぞかし衰えていないのではと、解剖したところ、普通の100歳と同様、萎縮していたということである。すなわち、脳は、その量ではなく使い方であり、例え萎縮しても使い方で立派な生活が送れるということである。(注1)

 高齢者にとって、慣れないIT化された生活も、『どうしてできないのか』とか『どうせ分からないだろう』、ではなく、できる限り自立できるようにするのに有効だということが分れば、決して受け入れられないものではないであろう。

 

 以上、簡単に、IT化された生活の中での生涯各期の生活課題と学習課題を見てきた。人生のすべての段階、場面でIT化による影響があるが、重要なことは、例え社会状況や生活状況が変わろうとも「人生の主人公は人間であり自分である」という原点さえ忘れなければ、柔軟に対応できるということであろう。

 

おわりに

 

 最近、新聞の生活欄の投書で、大変、感心したものがあった。大阪府の36歳の主婦の『見破られた』という見出しの投書だが、主人が出張の日に、夕食を出来合いで済まそうと、惣菜をスーパーで買ってきた、という。以下、原文のまま紹介する。

 

  すぐに子供が「おなかすいた」と帰ってきたので、「もうできてるよ」とお皿に盛り  つけながら食卓に並べた。すると5歳の息子が「何これ。こんなんやったらいらん」

  と言う。おいしそうなハンバーグもあるのに。

   「なんで、おいしいよ。さあ食べよう」と言ったが、息子は突然ポロポロと涙を流

  し「適当に作らんといて」と言う。どうして買ってきたものを並べただけとわかった

  か不明だが、私はショックだった。手は抜いたものの、きちんと栄養を考えて7、8

  種類のお惣菜を並べているのに、息子には味気なく感じられたのだ。上の娘は気を使

  って「おいしいよ」と言ってくれたが、私は白状して子供にあやまった。でも息子は

  朝作った雑炊の残りを食べただけで「もういい」と泣き続けた。

 

として『深く反省した。』と結んでいる。

 細かい状況に、多少の脚色があるかもしれないが、この家庭は大変素晴らしいと感じた。お母さんも、二人の子供も素直によく育っているようだ。栄養も、美味しさも、便利さも大切ではあるが、子供にとって何より大切なものは、お母さんの手作りの料理であり、食事は、単に食べ物を摂取することではなく、家族の愛情をはぐくみ、確認する場面だということを、誰よりもこの息子さんは感じていることの証であろう。それを無意識に、子供たちに実感させている、家族、家庭が素晴らしいのだ。

 このことはなにも、家族の食事の問題に限ったことではない。何のために暮らしをIT化するのか、何のために社会を変革していくのか、人間が、生き、生活していくうえでなにが最も重要なのかを、しっかりと認識しておくことが、最も肝要な点であろう。

 生涯学習にとっても、IT化による生活の変化は、学習課題にも様々な影響があることは間違ないが、それはあくまでも、われわれの生活、人生をより良く、豊かにするための手段であって、真の目的と主人公を忘れずに、賢く選択、判断していく事が大切であろう。 初めに触れた「IT講習」だが、そこで私が感じた一番の点は、職業上は、必要になることはやむをえないが、個人的な日常生活では、特には必要ではないし、むしろ、敢えて利用しないでおくことの大切さを、改めて確認したことであった。私は、多少不便でも、手紙を書き、新聞や雑誌、本を読み、絵は筆で描き、野山や街を歩き回り、人に会って話を聞くというような暮らしの良さをこれからも味わいたいからである。

 

 1)東京都多摩老人医療センター院長 林 泰史氏『健康ライフ・心の老化を防ぐ』よ

  り(2002年 2月 8日放送、NHKラジオ第一)

 

参考文献

・溝江 昌吾『数字で読む日本人2002』(自由国民社、2002)

・電通総研編『情報メディア白書1999』(電通総研、1998)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図−1:主な情報通信機器の世帯保有率の推移

 

(出典「数字で読む日本人2002」)

 

図−2:情報メディア関連機器の普及率と保有数量分布図(1997)(*は筆者推計)

 

(出典「情報メディア白書1999」)