天理大学生涯教育専攻研究室HPトップへ

「加齢」の生涯学習的意義

〜年をとることのすばらしさ〜

                               大串兎紀夫

 

1,「若さ」重視、「老い」軽視の風潮

 

 最近、少子・高齢化が社会の問題として大きくクローズアップされ、21世紀の日本社会がどうなっていくのかの、基礎的条件として扱われている。そして、その議論や、論評のイメージは、バブル崩壊後の経済の停滞とも相まって、“暗い”ものである。高齢化率の高い地域は活力のない、“暗い地域”となる。「老い」は、社会にとって迷惑なもの、必要悪であり、高齢者・老人は迷惑な、困った存在となってしまっている。

 一方、現代社会では、「若さ」は重要な、大切なものとなっている。近代になって我が国では、特に、高度経済成長期以降、社会的にも、個人的にも「若さ」が尊重され、重視されている。

 “お若いですね”は、老若男女を問わず、誉め言葉として通用する。それは、身体的なものだけでなく、それに密接に関連して外見・見た目、化粧や服装、はては動作やしぐさにも向けられる。そして、単に外見にとどまらず、考え方や生き方さえもが「若々しい」ことがよいこと、価値があることとして、世間一般に常識として通用している。

 この「若さ」の尊重は、個人の外見や生き方に限って語られるだけではない。いや、むしろ社会的により大きな影響を及ぼしているのは、経済・産業の世界からの意図的なメッセージであろう。テレビのコマーシャルや新聞・雑誌の広告で明らかなように、消費行動のターゲットとして、若者向けが中心になっているし、若者たちが好む物・デザインを買うのが“かっこいい”のだという、雰囲気ができあがっている。それを、メディアが極端にまで増幅している。若いタレント、子供たちまでがもてはやされ、大人たちも若い感覚をもち、若く見せることが、人生の重要な価値であるかのようにあつかわれている。

 経済・産業界がマーケットの中心を若者・若年層におくのは、高度経済成長期以降、あらゆる分野で一般的に見られる状況である。それは、成長・発展していくには、新しい世界を切り開いていくことが必要であり、経済成長のためには、新しい感覚の新しいライフスタイルを作りだし、新しい製品・商品やサービスを消費させなければならないからである。これまでの物、古い物の消費を、単に量的に増やしても大きな、高度の経済成長にはならない。質的な変革を、生活レベルで起こさせ、それを社会全体のあり方にまで推し進めて初めて、高度成長が達成される。生活や生き方で新しさを取り入れるのは、若者ほど積極的である。消費のターゲットを、より若い層に絞り、新しい物・生き方にニーズを誘導していくのは当然である。

 そして、これを政治・行政も後押ししている。政治の業績評価が主として経済の成長・拡大に重点を置いているため、変革=新しく始める事を政策目標(選挙スローガン)にしており、政府・自治体は、経済・産業界と一体となって、さらにマスメディアも協力して、国民の間の雰囲気作りを進めている。

 こうした「若さ」=「新しさ」を重視・尊重し、反対に「古さ」=「老い」を軽視することが社会一般の常識という状況が出来てしまっている。そして、人々は長寿を喜ぶよりも、老いることをおそれ、不安に思う心理状態にさせられている。老いることについて、ぼけや寝たきりなど暗いイメージを持たされ、老後の生活、人生に不安になったり、年をとることを子供や社会に対しての負担や負い目に感じさせられてしまっている。

 

2,近代社会と「新と古」、「老と若」

 

我が国は、幕末の開国以来一貫して、それまでの社会を変革する、近代化=欧米化を進めてきたが、これは社会を変革し、人々の暮らしも意識も変えていかなければならないから、社会全体の雰囲気、イメージとしては、「新しさ」の重視になり、「若さ」の尊重になる。そして、「古いもの(物、事、人)」は価値が低いものであり、変えなければならないものとなり、年をとること、老人、老いの軽視、蔑視へとなってきたのも必然といえた。

近代社会は、政治的には国民国家であるが、同時に経済的には産業社会である。技術革新によって、まず工業化が進められ、同時にその産業社会を維持・発展させるための体制の整備が必要であったが、その為の人材〜労働者と事務・管理要員(ブルーカラーとホワイトカラー)の育成が必須条件だった。新しい知識や技術の教育に順応できるのは、若者である。そして、その労働者や事務職としては新しい知識や技術の教育を受けた若者、初等・中等教育を受けた若者が、そして、管理職としては中等・高等教育を受けた若者が養成された。新しい社会を担ったのは若者であり、古い社会を担ったのが相対的に高齢、現代で見れば中・高年の、新しい教育を受けられなかった人々だった。

一般に人口の年齢構成は、15歳未満の「若年人口」、15歳以上65歳未満の「生産人口」、65歳以上の「老年人口」と分けている(このうち生産人口と老年人口を分ける年齢は、以前は60歳だった)。そして、若年人口と老年人口をあわせて「従属人口」といっている。要するに、近代産業社会では、労働者・勤労者として働ける間(生産人口の間)が主であり、それ以外の人々は従属している立場であると見なしているわけである。

近代化は、工業化、産業化、都市化であり、生産人口の中に、労働者やサラリーマンという新しい人々を作っていくことであり、生活を豊かにするためには会社や工場で働き、都会で暮らさなければならず、それが多くの人々のあこがれにもなっていった。しかし、近代化の初期の明治・大正時代は、資本主義経済も近代産業もまだまだ未成熟であり、工業化のための資金を農村に基盤をおく生糸の輸出に頼っていたように、社会も経済も古い人や物に頼らざるを得なかったこともあり、実際には、結果として、目標としての「若さ」へのあこがれと現実としての「老い」への依存がバランスを保っていたといえる。

さらに、“文明開化”の一方、“和魂洋才”のスローガンに象徴されるように、国家指導者は、近代化を進める一方、欧米諸国の植民地化を避ける=民族の自立のためにも、また、中央集権国家の秩序維持のためにも、江戸時代以来の社会規範であり、国の隅々にまで、家庭でも地域でも仕事の場でもゆきわたっている、儒教的な「長幼の序」を尊重することをはかった。実際、政府をはじめ産業界など各界の指導者たちも、維新の時には若者であったが、社会が発展の軌道に乗り、その中心になって指導的立場に立ってみると、相対的に高齢者となっており、より若い後継者を育てることになっていく。

企業や官庁の職場では、勤労者たちは、学歴を基本として労働者、工員や事務員と

管理者(エリート)にまず分け、その上に年功序列の職階制を確立して、組織内の秩序を保ち、生産性を上げていった。勤労者の10代後半で就職し、当時の平均寿命とほぼ同じ50歳台で定年を迎えるというライフスタイルが、企業の組織原理と合致したものだった。1)

こうして、大正・昭和初期には、「新と古」、「老と若」が、よく言えば調和、バランスがとれている、悪くいえば徹底せずごちゃ混ぜの状態が続いた。この状態が第2次大戦を挟んで、戦後の驚異的な経済成長の要因となった。農村を中心とした伝統的な家族制度の社会と、都市の新しい社会とのバランスだけでなく、都市においても、職場(企業)では、年功序列・終身雇用(日本的経営)によって、その状態の不安定さに対する歯止めとなっていたと思われる。もちろんこうした状況の基礎には国民の進取の気象に裏打ちされた、教育の普及があったことは言うまでもない。

こうした中で、加齢に関していえば、医療、栄養状態、生活環境の改善・充実などにより、平均寿命が急激に伸びて長くなり、今や80歳という世界一の長寿社会を達成した。人間にとってもっとも価値があるのは“生命”であり、それが幸せの基本だとしたら、我が国はまさしく世界一幸せな国ということにまでなった。

しかし、近代化がもっと進んで、高度経済成長の時代、資本主義経済の市場化と3次産業化が進む、いわゆる先進国になってくる段階では、変革のいっそうのスピードアップと徹底が求められる。農業はもはや社会・経済の基幹ではなくなり、大都市圏(我が国では太平洋ベルト地帯)に産業も人もすべて集積され、その他の古い地域は崩壊していく(いわゆる過密過疎問題)。また企業でも、日本的経営の見直し、いわゆる実力主義・実績主義という名による見直しがはかられつつある。こうした中で、それまでかろうじて保ってきた「新」と「古」、「老」と「若」のバランスが崩れ、都市の産業、生活にとって都合のよい「新しさ」「若さ」だけが突出して重視され、「古さ」「老い」はよけいなもの、迷惑なもの、マイナス・イメージになっていったのである。

 

3,歴史にみる加齢の意義

 

 ここで、近代以前の「年をとること(加齢)」が持っていた意味を、考えてみたい。あらゆる生物がそうだが、人間も自己の命を守り生き続けることが、最も重要なことである。一つ一つの個体、個人個人が十分に生きていくことで、全体の種としても生き続けられる=種の保存、発展が出来るのであろう。生き続けた結果が、年をとる=加齢であるから、加齢は生き物としての人間の、存在の本来の目的に合った、めでたいことである。だから、世界のどの民族でも、年を重ねるごとに、様々な儀式をしてそれを祝うのである(通過儀礼)。医療が未熟で衛生状況が悪かった近代以前では、出産も危険がいっぱいであったが、無事生まれるても、乳幼児の死亡率がきわめて高かったので、特に子供の無事な成長は、親・家族だけでなく、地域全体のめでたい事であり、様々な祝賀の行事が行われていた。 2)

当然、高齢になることも、同じく、本人・家族はもちろん地域にとっても喜ぶべきものであったので、長寿ということで還暦、喜寿などの祝いが行われた。かつては、平均寿命が、現在の日本と比べ物にならないほど短かったこともあって、70歳では“古来まれなり”という意味の“古希”の祝いがおこなわれたが、それだけ、めでたさもいっそうであったであろう。

近代以前は、長寿、長く生きることがめでたいというばかりでなく、農業中心の社会であり、その他の商・工業も含め、経験の積み重ねが物をいう仕事であり、社会であったことも、長い生活、仕事の経験を持つ高齢者が、社会にとって重要な役割を果たしていたことも、加齢が重視・尊重される極めて重要な要因であったと思われる。それは、農業に限ったことではなく、江戸時代までの我が国では、儒教の影響もあり、というより我が国の社会・文化に儒教の思想があっていたためであろうが、例えば、幕府の実務者のトップを「老中」、それに次ぐ地位を「若年寄」と称したことにも表れている。

 また、最近生涯学習などとの関連で注目されている、伊能忠敬の例でもわかるように、平均寿命は短かったが、その代わり、加齢を重ねて老齢になった人たちは、社会のあらゆる分野で、元気に価値ある役割を果たしていたし、尊重・尊敬されていた者が多かった。3) それは、政治・経済・社会のあらゆる場で、人生を積み重ねることでの知識や技能、人間関係、社会関係などでの経験を生かした、客観的で冷静な理解と判断を期待されていたし、有効に機能していたということである。

 我が国は、欧米諸国以外では唯一、早い段階の近代化に成功したが、その基本的な要因は、かつては他国に先駆けて思い切った近代的制度や科学技術を取り入れたからといわれてきた。しかし、最近の定説では、それらの施策を十分にこなしていける、社会の成熟、国民の能力が、江戸時代の成熟した社会状況にあったといわれている。先に述べたように、近代化を進める初期の段階(明治時代)ばかりでなく成長期(大正・昭和時代)でも、結果として「古さ」と「新しさ」のバランスのとれた施策が進められた。前述のように、都市の産業は若者のエネルギーに依存してはいたが、企業、そして社会の秩序という点からも、当時の高齢者(といっても50歳台)にも重要な役割を与えていた。意図して行ったことかどうかはおいて、実はこれが、我が国が他に例を見ない急速な近代化を成功させた鍵だったのではないだろうか。

 

4,生涯発達と加齢

 

近代になって、社会や科学の成長・発達になぞらえて、人間の成長・発達も子供から大人になることだけだという考えが支配的になった。医学・生理学の進歩で、「人間の身体や能力は、青年期までは発達するが、後は衰える一方」という考え方であり、この考え方によって、社会も経済の教育もが、進められるようになった。

確かに、身体的には子供から成人に成長・発達すると、後は停滞し衰えていく。身体的なピークは、10代後半から20代であり、30代には衰え始める。例えば、スポーツでは、種目により技術や戦術という経験が物を言う競技もあるので多少の差はあるが、基本的には10代後半から30代が最も高いレベルを発揮できる。身体やそれを基にした運動能力からみた人間のピークは、20歳から30歳であろう。そして、一般的には年をとる、加齢に従って、身体・運動能力は衰えてくる。ある程度の能力を維持しようとするには、かなりのトレーニングと節制が要求されるが、それでも衰えは止められない。

一方、知的能力でも、一時、知能テストの得点が20〜30歳を頂点として、以降は加齢に従って低下するという結果が示され、高齢者の能力は衰えていくという根拠とされたことがあった。しかしこれは、テストのやり方や内容などに多くの問題があることが指摘され、中高年者の知能が低下していくというのは「作られたもの」であることが次第にはっきりしてきた 4)。

 社会の実生活に当てはめてみれば、中高年齢の者が一律に衰えていくだけでないばかりか、むしろ、様々な面で多様な新しい能力を身につけ、あるいは伸ばしてより有能になっていく例は、普通に見られることである。これまでも現在も、中高年齢者が社会の様々な分野のリーダーとして役割を果たし、有効に機能してきている。高橋、波多野は「中高年が衰えていく情けない世代だとされる大きな原因は、生産性第一主義の現代の現代の価値観が、ゆがんだ高齢者像を生んでいることにある」としている。5)

このような、近代産業社会の一面的な人間観に対して、疑問を持ち、異議を唱えたのが、「生涯発達」の人間観である。この考え方は、近代産業社会の成熟と生きづまりに対して提唱された「脱近代」の基本的な考え方の一つであり、「生涯教育・生涯学習」もこの人間観にたっている。

生涯発達は、人間の一生を単なる身体などの成長や量的な増大ではなく、心身、特に人間を他の生物から特徴づけている、精神的な様々な能力、機能・働きが統合されていく過程であることを前提に「完態という目標に向かって進む秩序と一貫性のある一連の前進的な系列」という、考え方である(Hurlock,E.B.1964)。6)

すなわち、生まれてから、幼児期、児童期などの子供時代を経て、思春期、成年期から老年期へと至る一生の全体(生涯)を通じて、心理的、社会的に前向きにより充実した人生を歩んでいく、そして人生の最後は「英知」といわれる境地に至るととらえている(Erikson,E.H.)。7) 

これは、一生を「人間としてより豊かな生き方」をするものとしてとらえる、人間の生涯を肯定的にとらえる人間観である。このように生涯をとらえれば、「加齢」(年をとること)は、豊かな、すばらしい人生に向かっての一歩一歩の歩みということになる。

 前述のように、江戸時代には生き生きとした高齢者が多かったが、その一人、世界的に評価が高い、葛飾北斎は60代になってから「北斎漫画」「富岳三十六景」などの代表作を次々と出版したが、74歳の時に

“己(中略)七十年前画く所実に取に足るものなし、七十三歳にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟り得たり、故に八十にしては益々進み九十歳にしてなおその奥意を極め(後略)”

と、自己の画風完成を百歳以上に定め、怠ることなく精進するとの、決意をのべている。ここには、芸術の高い境地に達した者ならではの、謙虚さと自信が表れており、現代的に言えば、生涯学習の生き方そのものである。8)

このような生涯発達、生涯学習の人間観が社会に広まれば、人々は、人生のどの段階でも、その時その時を、希望を持って前向きに、明るく生きていくことが出来ることにつながっていくし、自分より長く生きた人に対して、人生の先輩として敬意をもって接するし、「老い」を明るいイメージでとらえられるはずである。

 

5,「老い」の重視は「若さ」の重視〜充実した生涯を目指して

 

 はじめに見たように、現代の「若さ」重視、「老い」軽視は、近代産業社会の生産性第一主義、大量生産、大量消費の「もの」重視の社会がもたらした人間観であった。欧米先進国では、かなり以前から、近代の限界・行き詰まり、その非人間的な側面の克服が叫ばれ、未来の社会をどのように変革していけばよいのか盛んに論議されてきた(脱近代社会論)。

 しかし、我が国は、第二次世界大戦で社会・国土が壊滅的な破壊を受けたこともあって、脱近代どころか、むしろより徹底した近代産業社会、経済優先社会へ突き進んだ(高度経済成長)。確かに、それによって産業は、奇跡といわれるように急激に発展し、人々の生活も物質的には、誰も予想できなかったほど良くなった。それも、バブルといわれる極端な(醜悪な)肥大化とそのあっけない崩壊を経て、今や、経済のみならず政治も社会も誰にも先の見えない状況が10年以上続いている。物質的には、世界トップクラスの豊かさを手に入れたが、精神的には、大人も子供も、当然高齢者も、空虚で目標も定まらず自信も持てない、不安な人生を送っている。

 それに拍車をかけて、人々の未来へのイメージを暗くしているのが『少子化・高齢化』である。人口の高齢化の第1の原因である平均寿命の延び、人々がより長く生きられるのは、豊かな社会の成果であり、喜ばしい、誇っていいことのはずである。一方、高齢化をもたらしているもう一つの原因、少子化は、社会の未来にとって、克服していかなければならない緊急の課題である。ヨーロッパ諸国ではすでに20世紀に少子化による人口の減少の危機を経験しており、それを様々な施策で克服しつつある。それらの先例に学んで、結婚や子育てなどを含む社会全体の少子化対策(政治、経済、労働など総合的な)を早急に立てなければならないのは勿論だが、それにしても、人々が人生に、希望を持って明るく生きていこうという社会全体の状況が出来るのが、まず重要ではないだろうか。

 そのような状況を作り出していく、主要な要素として、これまで述べてきたように、「加齢」を明るい、前向きの者として、もう一度とらえ直すことが大いに役立つと思われる。社会が、これ目でのような「若さ」重視でなく、「若さ」も「老い」も含めて「人生全体」を前向きにとらえていくことが必要である。高齢者について言えば、現在のような、高齢者を保護の対象としてしか見ないのではなく、60歳、70歳でも個人個人の持っている能力に合わせて社会の中で役割を持ってもらい、有効に機能できるようにして社会の仕組みを変えていくべきである。

 最近、ボランティア等の、仕事を離れての活動が盛んに行われ、それに高齢者も積極的に参加している例が珍しくなくなったのは、これまで述べてきたことから見ても歓迎すべきことだが、それを人々の善意や余暇に頼っているだけではいけない。社会システムのノンフォーマルのものとして、政治や経済の正規のシステムが見落としている、手の届かないところを埋め、便利に使うという見方ではなく、高齢者も、女性や障害者なども含めて、すべての人が生涯にわたってその能力に合わせて、社会の中で役割を果たし人間としての尊厳を持って生きていけると言う仕組みを、正規の社会システムとして構築できるように、社会構造自体を作り直していくことが重要である。 

一方、高齢者自身も、自らの人生を肯定的にとらえて、それぞれの持っている能力にあわせ、自信を持って社会に積極的に参加し続けなければならない。その能力も、生涯発達の見方によれば、一生涯、前向きに獲得、発達させられる。たとえ身体的に衰えても、人間としての生き方は、「あんな人生を送りたい」「あんな人になりたい」と若者など他の人々に希望を持たせる生き方を、自分なりに送れるはずである。現在でも、多くの高齢者が、その自分らしい、自信を持った、前向きの生き方で、周りに明るい、希望を持たせている。

 「子は親の背中を見て育つ」といわれるが、その背中が自信のない、暗くては、後ろから見る者も、見習おうという気持ちになれないだろうし、希望ある生き方は出来ない。

少子高齢化の問題を克服し、生涯学習社会を実りあるものにしていくためには、まず、「年をとることはすばらしい」と「加齢の持つ意義」を再確認することが何より重要であろう。

 

 

1)平均寿命が50歳を超えたのは、1940年代後半であり、1930年代までは男女とも40歳台だった。それが、1970年代に男女とも70歳を超えて世界のトップクラスになり、このころから、高齢化が社会問題になっていった。

2)正確な統計が得られる1900(明治33)年の乳児死亡率(出生1000人あたり生後1年未満に死亡した人の比率)及び新生児死亡率(同生後4週未満に死亡、1940以前は生後1ヶ月未満)は、155.0と79.0であった。

すなわち、100年前の日本では、流産や死産もかなり高率であったが、ようやく生まれても、4人に1人は1年以内に亡くなってしまうのが実情であり、子供の無事な成長に対する人々の、喜び、感謝の念は想像以上であったと思われる。

なお、その後の   乳児死亡率  新生児死亡率 は

    1920    165.7  69.0

    1940     90.7  38.7

    1950     60.1  27.4

    1960     30.7  17.0 

    1970     13.1   8.7

    1980      7.5   4.9

    1990      4.6   2.6

2000      3.2   1.8 

  と急速に改善され、1970年代以降、世界のトップクラスになり、90年代からは世界一である。  (資料出典 厚生労働省「人口動態統計」)

 

3,氏家幹人「江戸人の老い」(PHP新書) 本書には、江戸時代の将軍から庶民まで、様々な人々の「老い」の生きた例が挙げられているが、そこでは、現代以上に

  社会全体で高齢者が、主要な役割を果たしていた様子がうかがえる。

4,高橋、波多野「生涯発達の心理学」(岩波新書)pp3−5

5、 同   pp7−8

6,「新・教育心理学事典」(金子書房、1979)の「発達」の項より

7,大串兎紀夫「生涯学習概説―学びの諸相」(学文社、1997)pp14−15

8,永田生慈「北斎の生涯と芸術」(奈良県立美術館「北斎展」図録、2002)

p88

 

 

 

参考文献

      高橋、波多野「生涯発達の心理学」(岩波新書152)1990

      楠戸義昭「老益〜歴史に学ぶ50歳からの生き方」(NHKブックス724)1994

      氏家幹人「江戸人の老い」(PHP新書143)2001

      ユネスコ編「世界教育白書1996」東京書籍、1997

      日本人口学会編「人口大事典」培風館、2002

      依田新監修「新・教育心理学事典」金子書房、1979

      溝江昌吾「数字で読む日本人2002」自由国民社、2002