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大学生の人生段階意識 〜発達段階アンケートから〜
大串兎紀夫

はじめに
「近頃の若者は……」という、成人から青年への批判的な言い方は、洋の束西を問わず、古代から常に繰り返しいわれてきたという。ここ数十年を見ても、’60年代以隆「団塊の世代」論や「三無主義」から「モラトリアム」「ピーターパン症候群」「アパシー」、そして「新人類」「浮遊する若者」などなど、多様な若者に関する言説が、マスコミでばかりでなく学術的な若者論として論じられている。また、このような前の世代から後の世代に対する、批判的な言い方に対して、当の若者世代はもちろん成人世代をふくめて、学者・評論家などから様々な反論・異講がなされているのは、当然のことである。
このことについて、若者たち自身はどう受け止めているのだろうか。同世代については、どう感じているのだろうが。また、自分自身については、どうなのだろうか。
「若者」とひとくくりにして、ある世代全体を決め付けるのは、安易であり、乱暴である。どんな世代・年齢の人でも、ひとりひとり違っており、個性を持った独立した存在である。だから、各個人が自分自身を、どの様に思っているか、意識しているか、自己認識しているかは、それこそ百人百様、千差万別なのは当然である。自分の性格や感性、能力や精神的発達状態、社会適応能力などの、認識の内容について多様であるぱかりでなく、いつも自分のことを意識している人もいれば、余り気にしないで過ごしている人もいるように、認織の仕方・程度なども多様である。
この多様な若者の自己認識を知る一つの手掛かりとして、私が担当している授業の受講生に、自分の人生段階(ライフステージ)についての簡単なアンケート調査を試みたので、その結果を以下に報告する。

1、調査の概要

この調査は、大学の授業の中で、E.H.エリクソンの「心理社会的人生段階」(次ぺ一ジ表参照)を用いて、人の発達段階(生涯発達)の考え方を解説した後、受講生に対し「自分自身の人生段階」と「発達は順調だったか」についてたずねたものである。

表 心理社会的人生段階

老年期               統合

絶望
英知
成年期             生殖性

自己没入
世話
 
成年前期           親密性

孤独
   
思春期         アイデンティティ

混乱
忠誠
     
学童期       勤勉性

劣等感
才能
       
遊戯期     自発性

罪悪感
決意
         
児童初期   自律

恥と疑惑
意志
           
幼児期 基本的信頼

基本的不信
希望
             

エリクソン他著、朝長正徳他訳『老年期』より

〈調査の概要〉
対象・・・近幾圏私立大学(文系)2年生163人(男75、女88)
時期・・・平成9年(1997)10月
方法・・・授業出席者に用紙を配り、黒板に書いた質問に答えてもらう(氏名も記入)
内容
問1・自分はどの人生段階にあると思うか、
問2・幼児期からこれまで順調に発達したと思うか、またその理由は
の2問

2、調査の結果

問1の”自分はいまどの人生段階か”についての回答は、表1のとおり、男女をあわせた全体では、「思春期」が34%で最も多く、ついで「成年前期」が31%で、いずれもおよそ3分の1ずつであった。また「思春期と成年前期の間(二つの過渡期、両方が混ざっている、など多様な表現をまとめた)」も29%あり、「学童期」と答えたものもわずかだがいた。要するに、自分は「思春期」「成年前期」「両方の間」の段階にあると思っている者が、3分の1ずつである。

表1、「自分はいまどの人生段階か」

    学童期 思春期 思春期と
成年前期の間
成年前期 わからない
D.K.
全体 n=163 3.1% 33.7% 28.8% 30.7% 3.7%
n=75 5.3 28.0 21.3 38.7 6.7
n=88 1.1 38.6 35.2 23.9 1.1

男女別に見ると、男性では「成年前期」が4割近くなのに対し「両方の間」は21%である。一方、女性でほ、「思春期」が4割近いのに対し「成年前期」が24%で、男性のほうが「大人」と自覚しているものが多い。しかし、”まだ「学童期」だ”と思っている者も男性に多い。
なお「学童期」と答えた者の理由を見ると、”これまでずっと受験勉強など、受け身(親などからの)に生きてきた”や”思春期の悩みなどまだ無い”というものであった。
間2・幼児期からこれまで、順調に発達したと思うか,についての回答は、表2、のとおりである。

表2、「順調に発達したと思うか」

    順調 つまずいた どちらとも
いえない
D.K.
全体 n=163 66.9% 22.1% 8.6% 2.5%
n=75 65.3 21.3 10.7 2.7
n=88 68.2 22.7 6.8 2.3

まず、全体では「順調」に発達した(だいたい順調、一応順調など含む)と思っているものが67%でほぽ3分の1、「つまずいた」と感じているものが22%、「どちらともいえない(よくわからないも合む)」が9%であった。
男女で比較すると、女性で「順調」がやや多く、「どちらともいえない」は男性のほうが多かったが、およそでいえば「順調」が3分の2、「つまずいた」が20%強で、男女間に差がないといえる。
次に、間1と間2のクロス集計の結異が、表3−1(全体)、およぴ、
表3−2(男性)、−3(女性)である。

表3−1.「人生段階」×「発達」(全体)

    順調 つまずいた どちらとも
いえない
D.K.
学童期 n=5 80.0% 20.0% -% -%
思春期 n=55 67.3 25.5 7.3 -
n=47 66.0 14.9 12.8 6.4
成年前期 n=50 66.0 24.0 8.0 2.0
わからない n=6 66.6 33.3 - -

まず、全体についてみると、人生段階が「思春期」、「成年前期」、「両方の間」と思っている者は、いずれも「順調に発達した」と感じている者が3分の2であった。一方、「つまずいた」と思っているのは、「思春期」と「成年前期」では4分の1だが、「両方の間」では15%と「思春期」「成年前期」と比ぺて少ないかわりに「どちらともいえない」が多くなっている。なお、「まだ児童期だ」と答えたもの5人のうち4人は「順調に発達した」と答えている。(表3−1)。
次に、「思春期」「成年前期」「両方の間」について、男女別に見てみる(表3−2,3−3)。

表3−2.「人生段階」×「発達」(男)

    順調 つまずいた どちらとも
いえない
D.K.
思春期 n=21 61.9% 28.6% 9.5% -%
n=16 68.8 - 25.0 6.3
成年前期 n=29 65.5 24.1 6.9 3.4

表3−3.「人生段階」×「発達」(女)

    順調 つまずいた どちらとも
いえない
D.K.
思春期 n=34 70.6% 23.5% 5.9% -%
n=31 64.5 22.6 6.5 6.5
成年前期 n=21 66.7 23.8 9.5 -

男女を比較してみると、「思春期」の者で「順調」と答えた者が、女性のほうが多いのに対し、「つまずいた」者が男性にやや多い。また、「両方の間」では男性で「つまずいた」者がいない。「成年前期」と思っている者の発達のしかたの意識には男女にほとんど差がない。この事から、全体(表3−1)で「両方の間」で「つまずいた」が少なく「どちらともいえない」が多かったのは、男性にその様に意識しているものが多いからである。

3、分析と考察

以上、大学生(2年生であるからほとんどの者が19〜20歳)が、自分の人生段階(心理的・社会的発達段階)をどのように見ているかをみてきた。これをまとめてみると、大部分の者がその年齢に相応しく「思春期」と「成年前期」の間にいて、迷っているように見える。それは、エリクソンが『思春期にはアイデンティティの感覚の発達とその混乱との相互作用との間の緊張があり、それが解けるとその人のアイデンティティが自然にでき上がる』そして『次ぎが成年期である』(1)としていることから、多くの者はまだ自分にはアイデンティティができていないと感じているためと思われる。一方、「成年前期」と答えた者の多くは、”もう一人で生活している””恋変している”などの理由であるが、”年齢的に成年期のはずだ”または”そうあるぺきだ”という建て前で答えている者もいると思われる(これにはアンケートが記名式であることが作用しているかもしれない)。
一方、発達については、過半数のものがこれまでの人生を「順調」と肯定的に感じているのは極めて健全に成長しているようにみえる。しかし、「順調」と答えたものの多くが、その理由を答えていないのに対して、「つまずいた」と答えたものの多くが”子どもの頃の劣等感をまだ持っている””幼児期(小学生)の頃に失敗した(いじめられた)のがまだ残っている””家庭の事情でいろいろあって””受験の失敗から立ち直れない””高校時代に自分がわからなくなった”など、具体的に自分を見つめ、その結果、答を見つけられないでいる。
このことがら、「つまずいた」と答えたものは、アイデンティティの獲得のために思い悩み、迷っている「思春期」にいるものであり、これに対し「順調」と答えた者は、本当に「思春期」を卒業したりその最中の者も多いであろうが、一方、まだ悩み・葛藤がなく、そこに達していない者も多いのではないかと考えられる。それは、わずかだが”まだ「学童期」だ”と答えた者が、前述のように、”まだ悩みなどない”ということを理由にあげ、大部分が「順調」と答えていることからも、推測される。
要するに、大学生の多くは、標準的な発達の教科書に示された、表面的な年齢に自分を照らし合わせて、「思春期」や「成年前期」または「その間」と位置づけており、日常生活でもそれにあった生活をおくっているのだろう。これは、わが国では大学生が極めてモラトリアムに位置づけられていることが、大きく影響しているであろう。しがし、精神発達の上から見ると、必ずしもこのとおりではなく、いわゆる「思春期の葛藤」を経験していない、当然、アイデンティティもできていない者が多いのではないかとおもわれる。

4、まとめにかえて

2年程以前、私の「成人教育輪」の授業で、「自分はまだ大人じゃない」という新聞記事(2)を示して、学生に”自分ば大人だとおもうか”を聞いたところ、大部分の学生が”まだ大人ではない”と答えた。この結果は、今回紹介した、「成年前期」が3分の1いたという結果と、かなり異なる。これば、今回が「社会心理的人生段階」を示しての答なのに対し、前に示した記事が「アンケートでは、大人だと自覚した年齢は25歳までにが60%で、30代、40代でも20%前後が、まだ大人ではないと答え、その理由は、”外で自分の意見を主張できない”や”子どもを持ってまだと気づいた”や”なりたいと思わない”が多かった」であったことが影響していると思われる。つまり、前回は大人の条件が「自覚」や「自立」、つまりアイデンティティの確立であり、現代では30代でもなかなか持てない人が多いという前提での答えであり、今回は、「学童期」「思春期」「成人前期」と順調に発達していくのが普通だという前提だったことが、答えが大きく異なることになったのであろう。どちらの答えも、建て前でもあるがまた本音でもあろう。
すなわち、現代の大学生は、日常的には”もう大人だ”と思っている者がかなりいるが、それは、社会の中で確固とした実感を持ってのものではないし、家庭的にも自分の精神的な面でもアイデンティティの確立しているわけでもない。これは、大学生という日本社会ではモラトリアムと位置づけられた状況から、当然のことである。むしろ、私が問題だと思うのは、大学生時代に(本当は高校生からのはずだが)しっかりと「思春期」葛藤、この時代でしかできない人生について、人間について、社会について等々、おもいっきり考え、思い悩んでいないようだという点である。エリクソンのいうように、この緊張の中から自然にでき上がってくるのが自分のアイデンティティであり、さらに他人や社会のアイデンティティとも融合できる素地ができるのであろう。
これができ上がらないうちに大学を出て、就織したり、結婚し子供を持ったりすることから、職場や家庭、地域で様々なトラブルにであったとき、それにまともに向き合うことができず、ストレスから、自分自身をせめたり、逆に弱いものを攻撃したりすることにもなるのではないか。
初めに書いたように現代の若者は、「モラトリアム」だ「アパシー」だといわれているが、それが社会、家庭、教育のどこが悪い、ここが間違っているからだという追求も必要であろうが、一方、社会も、親も、教育者も、なによりも若者自身も、これらの一くくりの決め付けにむしろ安住しているのではないだろうか。その方が、まともに葛藤や緊張などと向き合うよりも楽なことは確かである。しかしそれは、一時しのぎであり、おっつけどこかで真っ正面から取り組むぺきことであり、そうしなければ、それから先の人生はないということに、社会・教育者・親たちが気付かなければらないのではないだろうか。


1)E.H.エリクソン他、朝長正徳他訳「老年期」みすず書房、1990.p.34〜35
2)「読売新聞」1991年10月8日付記事。