天理大学生涯教育専攻研究室『生涯教育研究』、第2号、1998

L.A.キャバリエル「ライト兄弟の冒険−空を飛ぶための学習−」翻訳ノート

− 成人の自己管理的学習と認知プロセス −

                                                岡田 龍樹

T.学習プロセス研究と自己管理的学習

 本稿は、アメリカ合衆国のラトガーズ大学で継続研究の指導を担当しているローレイン・A・キャバリエル(Lorraine A.Cavaliere)の論文「ライト兄弟の冒険−空を飛ぶための学習−」(The Wright Brothers' Odyssey: Their Flight of Learning.1992)の全文を訳出して紹介するものである。 彼女の論文は、雑誌『成人継続教育の新しい方向』 (New
Directions for Adult and Continuing Education)に発表された。この雑誌は季刊で毎号特集が組まれている。キャバリエルは、アンジェラ・スグロイ(Angela Sgroi)とともに編者として「個人的発達のための学習」という特集を組み、ここで紹介する論文を第5章として掲載している。
 彼女は、この論文において、ライト兄弟による飛行機の発明過程を事例分析することによって自己管理的学習(self-directed learning)研究に取り組んだ。自己管理的学習研究は、 (1)成人学習の重要な形態を確認するとともに、学習プロセスへの洞察を提供し、
(2)成人学習者に顕著な特徴を定義し議論することに挑戦し、(3)フォーマルな設定における学習についての思考を広げることによって、広く「学習」の理解に貢献してきた。キャバリエルの研究は、学習の形態とプロセスに関する理解を深めるものとして位置づけられるが、この領域(学習の形態とプロセス)における自己管理的学習研究は、当初、フォーマルな設定における学習プロセス−すなわち、学校教育おける児童・生徒の学習プロセス−と同様に、成人の学習が直線的・段階的に進行していくものとしてとらえる研究によって発展してきた。その後、学習プロセスにおける偶発性を強調する、環境決定要因に注目した研究が注目されるようになり、複雑な成人の学習プロセスについての知見が蓄積されつつある(Caffarella,R.S.,1993)。キャバリエルの研究はこうした研究の動向にそったものであり、学習者を取り巻く環境の中にある特定の機会と資源が、学習努力の成功には決定的に重要であることを明らかにしている。
 成人の学習については、「自発的で自律的な」学習者像に対する懐疑が表明されている(三輪,1995)。成人の意識変容に関する研究から、容易に変容しない成人の意識構造が指摘され、その文脈では、成人は「自発的・自律的な学習をしたいというニーズを持つ存在」であり、自己管理的学習は成人の達成目標と規定されている(三輪,1997)。こうした指摘はあるものの、調査研究によって自己管理的学習を実践している成人の存在も報告されており、筆者も、学習プロセスに対する環境の影響力を重視するスピアーとモッカー(Spear,G.E. and Mocker,D.W.,1984)の研究成果に依拠しながら、自己管理的学習が成立する要因について考察してきた(岡田,1996)。
 キャバリエルの論文は、「成人の学習方法に関するもっとも洗練されたデータベースとなるモデルであり、学習プロセスの段階だけでなく、主要な学習努力を通して用いられる認知過程をも記述した点で特に有用である」(Caffarella,R.S.,1993)と評価されているように、自己管理的学習の成立に関わって、環境要因の重要性を指摘するとともに、学習者の学習−認知プロセスに焦点化している点で、自己管理的学習研究に新しい視点を提供している。
また、事例にもとづいて成人の学習活動を記述していくことは、多様な環境の中で学習する成人の実像を明らかにする上で非常に有効であり、キャバリエルの研究は方法論的にも意義あるものと考えられる。歴史上の人物を伝記や歴史的資料をもとに分析した研究には、キボンズらによる組織的な教育を受けることなくエキスパートになった人びとの特徴を導き出す研究(Gibbons,M.,et al.,1980)があるが、学習プロセスに焦点化している点でキャバリエルの研究はユニークである。


U.全文訳

 1900年5月13日、著名なアメリカ人エンジニアー、オクターブ・シャヌート(Octave
Chanute)に宛てた手紙の中で、ウィルバー・ライト(Wilbur Wright)はこう述べている。「ここ数年間、私は空を飛べるんだという信念に苦しんできた。」この精神と信念こそが、ライト兄弟が立案、開発、完成させたもっとも生き生きとした自己計画的、自己管理的成人学習プロジェクトの実例である。このような学習プロジェクトという概念を最初に定義したタフ(Tough, A.)は、それを「なんらかの知識と技能獲得のための十分に考慮された主要な努力」として表現している。
 ライト兄弟が飛行機をつくり、うまく飛ばすという夢を最初に意思表示したとき、彼らはまず、明確に限定された目標のある独立学習のプロセスとして始めた。しかし、当初、彼らの夢を実現してくれるステップと方法は、全くの「夢」でしかなかった。ふたりには、自分たちの発明に指針として役立つような固有の戦略計画も、科学的な設計図もなかったのである。しかしまた、彼らは作業のための固有のデザインと計画を欠いていたにもかかわらず、1903年12月17日に、ノースカロライナ州のキル・デビル・ヒルズにおいてフライヤー1号(Flyer T)を平らな地面から浮き上げ、飛ばし、操縦するところまで達成したのである。その時、コミュニケーション、輸送、教育、そして世界事情の未来が大きく変化し始めた。これらの変化は、自転車の製造販売を生業としていたオハイオ州出身のふたりの成人による独立した自己計画的学習によってもたらされたのである。こうしたことはどのようにして起こったのか、そして彼らはこの偉業を達成するために何をしたのだろうか?
 この問いに答えるため筆者がおこなった研究は、ライト兄弟がプロジェクトで示した行動を分析することであった。この事例研究は、制度的な設定の外で起こった独立学習の有効な実例について、そのプロセスとパターンを分析する試みであった。学習プロジェクトの概念特性を定義する変数は、ライト兄弟の学習努力においても次の点で当てはまっていた。 すなわち、 (1)知識と技能を獲得するために十分に考慮された試みであったこと、
(2)情緒的な変化のみならず、認知的、精神運動的技能の発達も含んでいたこと、(3)目的、学習の決意、資源の所在場所とその利用、進捗の度合い、評価の方法が学習者(たち)によって決定されていたこと、(4)フォーマルな教育システムや制度への参加とそこからの援助がなかったこと、である。
 本章の目的は、ライト兄弟が1875年から1903年の間にたどった学習プロセスを分析することである。この学習プロセスが、人類史上最初の空気より重くて維持飛行可能な機械を開発させたのである。筆者の研究が焦点化しているのは、ライト兄弟による発明プロジェクトのプロセスにおいて開発された資源とコミュニケーション・ネットワークである。自己管理的学習理論に関する文献と社会ネットワーク理論に関する文献をもとに、ライト兄弟の学習行動と戦略を歴史的・伝記的なデータ・ベースを用いて描き、そこから学習プロセス・モデルを開発した。


冒険旅行:ライト兄弟の学習プロジェクト

 幼年時代のライト兄弟は、好奇心の強い家族という環境の中で、技能および人格特性の発達段階を過ごしたようである。そのことが彼らの学習に影響し、彼らの目標の達成へと導いたのであろう。ウィルバーはミルトン・ライト(Milton Wright)とキャサリーン・ライト(Katharine Wright)の子どもとして、1867年に生まれた。ウィルバー4才の時(1871年)、オービル(Orville)が5人兄弟の4番目として生まれた。家族史からは、開拓精神、独自の思考、機械への適性が見られ、兄弟は知的好奇心の追求を刺激される家庭で成長した。
 歴史的な文書によると、彼らの興味をそそった最初の資源のひとつは玩具のヘリコプターであった。それは1987年父から贈られたものである。オービル7才、ウィルバー11才のことである。ふたりはこの模型で遊び、もっと大きな複製をつくり、テスト飛行させたがうまく飛ぶまでには至らなかった。この幼年期における技能発達が、飛行機の発明という努力にとってもっとも大きな影響を与えたもとの思われる。
 ふたりのフォーマルな学校教育は、正式的には卒業していないが、高等学校で終了した。1899年、ふたりが32才と28才の時、真剣に自分たちの夢を追い始める。ふたりは成長し(どちらも結婚していなかったが)家族への責任を持つ成人となり、ふたりとも事業の経営を任されていた。生活環境はごく普通で、慎み深いものであったけれども、ふたりには大志があり、目的の達成のために何とか時間を見つけようとしていた。ふたりの作業は、組織性、徹底性、細かなことへの注意、問題解決の戦術、好奇心、機械いじりを組み合わせて、若い時から習慣化していた。こうした習慣と技能、明確な目標、そして環境が彼らを励まし、成功の礎となっていたのである。家族や、好奇心、問題解決能力、忍耐、革新性と言った人格特性は、有能な成人学習者の特徴であることが、ロエ(Roe,A.)、グロス(Gross,R.)、フール(Houle,C.O.)によって確認されている。
ライト兄弟の冒険旅行(odeyssey)は、古典的な学習アドベンチャー、トロイア戦争から凱旋したギリシアの英雄オデュッセウス(Odysseus)の旅になぞらえることができる。ライト兄弟とオデュッセウスはともに自分の最終的な目的を理解していた。両者は幸運の風と気まぐれに後押しされていた。すなわち両者の道は環境と文脈によって決定され、決意は進む道となった。そして道々で乗り越えられそうもない障害に出会ったのである。しかし環境と文脈が情報と資源を提供し、忍耐が両者の旅を通じて味方となっていた。
 ライト兄弟は学習プロジェクトのプロセスでは問題解決者として活動し、学習行動にあらわれるコア・カテゴリーを示していた。それはヘンリー(Henry, J.)、ブルックフィールド、オッディ(Oddi,L.F.)が列挙したのと同様のものである。すなわちモデリング、概念構成、読書、観察、議論、熟慮、計画立案、実験、試行と失敗の利用、実践、比較と対照といった行動は、学習プロジェクトを通して継続され、循環していた。
 特定の学習行動が起こり、それがライト兄弟の学習プロジェクトの進行の地図となっていた。旅の出発点と到着点が決められ、プロジェクトを通して特定の行動が確認されていた。しかし、飛行へ向けた旅のステージはまだ発見されていなかった。ふたりの旅の地図は描かれていたが、それには地形図がなく、既成の道もなかった。情報を集積するもの、つまり「基礎認知過程」(basic cognitive processes)と呼ばれるものが、期待水準の結果および失敗に対する、ふたりの反応としてあらわれている。ちょうどオデュッセウスが旅が進むにつれて凱旋へのステップを計画したように、ライト兄弟の学習旅行は毎日、同じ基礎認知過程の連続を構成していた。すなわち、目標設定(われわれの今日の目的地はどこか?)、焦点化(どの道が最良なのか?)、辛抱(今日の目的地に到達するまでどれほど遠くまで旅しなければならないないのか?)、再定式化(われわれの計画はどのように変更しなければならないのか?)である。旅の文脈にかかわる力のために、旅は日々変化を作り出す。個人の学習行動は旅のあいだ同時的に継続して起こる(すなわち、旅行者はいつも、観察、議論、熟考、比較といったいくつかの学習行動モデルにかかわっている)。
 ふたりの学習旅行が展開するにつれて、5つに区別されるステージがあらわれた。それぞれのステージに、先の4つの基礎的な反復する認知過程(目標設定、焦点化、辛抱、再定式化)が生じていた。それぞれのステージは明確に確認できる折点で終了し、ライト兄弟どちらかのフラストレーションと混乱がその先にあった。それぞれのステージは解放期間によって分離され、基礎的な問題解決過程における異なる位相−探求と遂行にかかわる主要な学習理論によって確認されている−によって特徴づけられていた。これらのステージはふたりが目標に近づくにつれて勢いを増していた。それぞれのステージにつけられた名称は、全般的な活動の焦点の特徴をあらわし、各ステージにおける学習プロジェクトの強度の水準を表現している。(1)探求、(2)モデリング、(3)実験と実践、(4)理論化と仕上げ、(5)実現化。
(1)探求
 ライト兄弟は人を乗せて飛ぶという問題解決のために自己計画的学習プロジェクトを開始した。このような自己計画的学習による問題解決志向は、ノールズ(Knowles, M. S.)とペンランド(Penland, P. R.)によって注目されるようになった。ふたりがこのプロジェクトへと進む引き金となったメカニズムは、ドイツの有名なグライダー愛好家、オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal)の急死であった。(1896年の夏、リリエンタールはグライダーで飛行中、失速し50フィートの高さから落ちて死亡した。)ライト兄弟はリリエンタールの挑戦した実験の詳細を世界中で報道された新聞記事から知り、想像力と賞賛の念をかき立てられたのである。リリエンタールの死がライト兄弟の動機づけ効果となったということは、スピアーとモッカーおよびブルックフィールドの主張と一致している。彼らによると、特定の目標をもって学習プロジェクトを始める決意は、通常生活環境における何らかの変化、もしくは探求や問題解決を引き起こす何らかの不幸な出来事にもとづいている。
 ふたりの学習プロジェクトにおいて最初におこなわれた行為は、飛行に関する書物の検索である。「しかし、ふたりは、鳥類学に関する数冊の本と、あまり信頼性のないものや詳細な新聞記事以外には、ほとんどなにも見つけることはできなかった」(Crouch)。ライト兄弟は空を飛ぶという問題の解決に向けて、その当時に書かれたあらゆる資料を集中的に探し始めた。書物を読むというふたりの最初の努力は、デイトン図書館からはじまり、ソミソニアン研究所とのコミュニケーションへと広がっていった。ふたりは当時の指導的な飛行術の専門家の著作を数多く読んだ。その中には、リリエンタールや、ラングレー(Langley)、シャヌートも含まれていた。幅広く書物を読んだ後、ライト兄弟は獲得した知識が自分たちの学習目標には役立たないことを知ったのである。

(2)モデリング
 文献に情報がなかったことがふたりの好奇心をさらに刺激し、鳥が飛ぶのを何時間も観察することにふたりを熱中させた。 リリエンタールによるグライダーの実験も、凧の構造と飛行に関してふたりの指針となった。
 このステージでは、ライト兄弟は飛び方を発見するという自分たちの努力を、過去の情報と実験法式を用いて競わせている。この局面において、ふたりは、他の人のこれまでの努力を模倣し、そうしてつくった飛行機とふたりが基礎とした概念が間違っていることを発見した。
 単一のモデル(パラダイム)を利用し、それを洗練していったこと−他の人は多様にデザインされた飛行形態を実験したのとは反対に−が、ふたりが成功した理由のひとつであることがわかる。ふたりはリリエンタールの基本的なデザインを維持し、実験と飛行の失敗からのフィードバックをもとにそのモデルを継続的に洗練していった。

(3)実験と実践
 読書、観察、モデル構成という初期の学習行動が終わると、ふたりは凧と模型のグライダーで、実験過程を始めた。翼の形状、操縦、復元力について実験から得た情報は、飛行に関するふたりの理解を促進するに十分であった。しかし、ふたりは科学的変数をさらに研究する能力において高原(プラトー)に達していた。ウィルバーがオクターブ・シャヌートと会うことを決意したのは、この時−1900年、ふたりは最初の実物大模型の飛行機をつくった−であった。この決心は、自分たちの実験と観察からは発見できなかった情報を獲得するために、ふたりにとって必要なものであった。ふたりはオクターブ・シャヌートが国際的な飛行術の専門家であり、また最初の飛行機を発明しようともくろんでいる個人やグループにとって水路となりうる人物であることを知っていた。
 ライト兄弟がおこなった外部との接触のパターンを見ると、最も頻繁に接触し利用していたのはシャヌートであることがわかる。ふたりはプロジェクトを進めるうちにできたコミュニケーション・ネットワークで、4年間にほんの17回の接触を試みただけであった。ふたりが接触を求める主要な理由は、情報の獲得であった。情報の必要性が、自分たちの内的な資源を越えて大きくなったときはいつも、ふたりは外部と接触していた。ところがいつも獲得された情報は不正確で、不十分で、意味のないものであった。ふたりの進歩を進めるようにはみえず、それを止まらせているようであった。しかしこの接触は、フィードバック・メカニズムとして機能しており、ライト兄弟が次の行為を修正し、調整するために利用可能な認知要因を提供していた。
外部の情報源は、ふたりが自分たちの実験結果を比較し対照できる出発点と、参考の枠組みを提供しているにすぎない。実験データの獲得は、試験飛行についてのふたりの慎重な観察と計測と記録−風洞模型からキティーホークにおける実物大模型に至るすべて−の結果であった。これらの結果は、基礎認知過程よりももっと直接的に、学習行動の選択に影響を及ぼしていた。
 ライト兄弟は実践が成功を保証してくれると信じていた。実践と反復を通して開発された技能は、熟練の初期段階において、統制され意識された身体の動きと、認知的処理の必要性から解放してくれるだろう。意識された努力は無意識の心の一部となり、飛行機を操縦するために必要な技能が第二の活力となるために、この解放は起こるだろう。この時点で、パイロットとしてのふたりは飛行の「わざ」を説明すること−解釈すること、理論化すること、革新的になること、創造すること−ができるようになった。(たとえば、ピアノの演奏やダンスでは、反復と練習によって基礎技能を獲得するだけで、即興や複雑な統合のレベルに到達できるのである。)このような熟練のレベルは、成功への道であり、基礎技能よりもむしろ、全体像や成果が焦点となるときに生じる。

(4)理論化と仕上げ
 1902年までに、ライト兄弟が実験と実践によって開発し、洗練してきた模型は、十分飛行に耐えうるところまで達していた。飛行機を飛ばすふたりの能力も、飛行機を操縦でき、パイロットと飛行機の作業における失敗について推論できる地点にまで達していた。ふたりの最初の仮説が証明され、操縦と翼のデザインと動力源という3つの問題が解決されたのがこの段階である。基本モデルを何度も洗練することによって、ふたりはいま自分たちの技能と飛行機を完成させたのである。このレベルに達して個人の技能と認知的理解は結びつけられた。

(5)実現化
 1903年までに、ライト兄弟は自分たちの作業がこの分野での誰よりも進んでいることを認識した。この認識は、ふたりが接触から得た外的フィードバックおよび自分たちの実験から得た内的フィードバックにもとづいていた。この時点で、受け取った情報は学習サイクルを完結した。基礎的な情報力を保持しているものとして、ライト兄弟の他者への感覚は、初期の目的を最終的に達成する行為にとって強い刺激もしくは動機づけとして役立っていたようである。そしてふたりの最後の行為−飛行の達成−は、パラダイムの転換、つまり科学革命を意味するものであって、それは個人の学習努力の力を示している。



学習における文脈の影響

 ある事象が現出する文脈は、しばしばその現象を記述し説明する際に、現象それ自体と同じくらい重要である。この事例研究の分析にもとづくなら、学習プロジェクトの文脈的枠組みは、成人学習者がおこなう意思決定の多くを制御しているようだ。そしてライト兄弟の作業は孤立して進んでいったのではなかった。伝記的な背景が示すようにふたりの兄弟のあいだにはいつもコミュニケーションがあった。加えて、ふたりは、その当時のインフォーマルな情報ネットワークの指導者であった、オクターブ・シャヌートとの接触を欠かさなかった。彼は国際的な航空学のネットワークと情報がつながっていた。
 ライト兄弟のネットワークは特定の目的のためにつくられており、ライト兄弟が情報を必要とする限りにおいてのみ機能していた。問題が解決されるとすぐに、ふたりは自ら結びつきを断った。しかし、ネットワークによって、ライト兄弟は、情報と支援、そしてふたりの進歩が仲間とかかわって存在するということを理解した。ライト兄弟の作業にとってこうしたネットワークが重要であったが、このことはボランタリーな組織やインフォーマルな学習ネットワークがいかに学習を支援できるかということを意味している。こうした発見は、リカート(Luikart, C.)やベーダー、ダーケンバルト、バレンティン(Beder,H.,Darkenwald,G.G., and Valentine,T.)によって確認されている。
これまで見てきたように、空を飛ぶという謎を解決するために必要な情報は外部の資源からは獲得されなかった。操縦と翼のデザインと動力源という3つの重大なパズルの断片は、まさにライト兄弟の発明の才によって解決されたのである。一連の行動の後に生じた問題を解決できたのは、連続する特定の行動の後であり、それはライト兄弟によって達成されていた。この結果から、スピアーとモッカーが主張した、学習プロジェクトが学習者の環境内の限られたオルターナティブから構造化されるという組織的状況の概念構成は支持される。 認知的資源と物質的資源が提供されるところで、絶妙のタイミングで組織的状況が生じて、技術が進歩してきたのである。ライト兄弟がこの偉業を15年早く試みていたならば、当時の情報を統合することはもちろん、物質とエンジニアリングにおける技術の進歩も利用できなかったのであろう(Kuhn,T.S.)。
 ふたりの学習プロジェクトは、直接的な制度からの支援(たとえば、情報、経費、技術的資源)もなく、まったく制度上の設定の外で起こっていた。このような学習の文脈は、ペンランド、フール、タフ、グロスによる発見と一致する。彼らは学習にとってもっとも好ましい場所は家庭や職場であることを示していた。ライト兄弟の場合もまさにその通りであった。


冒険旅行の力:飛ぶことの学習

 ライト兄弟の学習旅行に関する事例研究は、個人の学習の力を生き生きと描いている。このような学習のタイプは個人と社会全体を劇的に変化させる力を持っている。本研究はまた、学習者と学習環境の中にある固有の力を明らかにした。それは学習プロジェクトを進行方向に押し進める力である。これらの力を筆者は力の変数(power variables)と呼んでいる。それは明らかに学習プロセスに影響を及ぼしており、内的な資源と外的な資源の両方から出てくるものである。
 数多くの力の変数がライト兄弟によって示された。フィードバック、情報、忍耐、実践、省察、タイミング、直感力、失敗、勢い−恩師、模範、パートナーの力も−は、学習者と学習プロジェクトに対して指導的な力を発揮していた。これらは今後の研究調査が期待される。
 たとえば、フィードバックや動機づけを提供するパートナーシップの力は、ライト兄弟のプロジェクトの進行においてはダイナミックな力として働いていた。ライト兄弟はチームで作業をし、お互いの強さと弱さを補い合っていた。ふたりは一緒に、働き、実験し、議論し、じっくり考え、論争し、成功したのである。ふたりはパートナーであり、鏡、すなわち省察のための資源として役立っていた。アイデアを再定式化し、パースペクティブを広げるためにフィードバックを提供し合っていたのである。ふたりはパートナーであり、言葉の交換や精神的な思いやりを通して、相互に援助者として役立っていた。共同作業のもつ力強さと力学はさまざまな研究テーマをうみだすことができるだろう。
 情報の力は、観察によって示されている。観察の流れは基礎的な情報力をもつ人−いちばん新しくてかけがえのない情報をもつ人によって方向付けられている。情報を必要とする人は、情報をもっている人を見つけ、請求することができる。したがって情報はデータを必要とする人によってネットワークを通じて引き寄せられるのであって、情報をもっている人によって押し出されるのではない。このように資源ネットワーク内の動きにかかわる力の位置づけは、学習者を行為へと動機づけるものと、システムの中で情報を動かすものを理解する上で、重要な要素となっているようだ。こうした解釈はフィッテンとウォルフェ(Whitten,N.E. and Wolfe,A.W.)の研究にうまく当てはまる。彼らは、ネットワークの中で人と情報を動かすプロセスと力に関心をもっている。
 要するに、飛行機の発明はライト兄弟にとっては学習旅行の終わりであり、その後の空を飛ぶ冒険旅行の世界にとっては始まりであった。ふたりの個人的な波瀾万丈の物語から明らかなように、学習プロジェクトにおいてライト兄弟に見られた行動は、行為の反復、連続、集合、ステージだったということである。ふたりの行動は単線的なものではなく、学習者は学習プロジェクトが進むにつれて熟達を獲得することを示していた。ふたりの共同的なチームワークと共同作用が生み出した成果は、目標設定、フィードバック、動機づけといった循環する力によって動かされていた。ふたりの長期的な目的は明確であったが、学習プロジェクトにおいて起こる計画立案と目標設定は、文脈上の状況とフィードバックにかかわる偶発的なものであった。学習プロジェクトの努力がうまく完結するために、このようなフィードバックがひとつの動機づけの型を提供していた。フォーマルな情報ネットワークへのかかわりもまたふたりの活動を動機づけていた。この事例研究は、自己管理的学習が孤立しては起こらないこと、限定された目的は実践と忍耐力によって達成されることを示している。



参考文献

Caffarella,R.S.(1993), Self-Directed Learning. New Directions for Adult and
Continuing Education. n.57, Spring, pp.25-35.
Cavaliere,L.A.(1992), The Wright Brothers' Odyssey: Their Flight of Learning.
New Directions for Adult and Continuing Education. n.53, Spring, pp.51-59.
Gibbons,M., et al.(1980), Toward a Theory of Self-Directed Learning: A Study of Experts without Formal Training. Journal of Humanistic Psychology, v.20, n.2, pp.41-56.
三輪健二(1995)『現代ドイツ成人教育方法論−成人の日常意識とアイデンティティ−』
東海大学出版会。
三輪健二(1997)「成人の自己決定型学習と意識変容の学習−P.クラントン『大人の学びを
つくる』翻訳ノート−」、『上智教育学論集』第31号、21-34頁。
岡田龍樹(1996)「self-directed learningの成立と環境的要因」、中国四国教育学会編
『教育学研究紀要』第42巻、第1部、294−299頁。
Spear,G.E. and Mocker,D.W.(1984), The Organizing Circumstance: Environmental
Determinants in Self-Directed Learning. Adult Education Quarterly, v.35, n.1, pp.1-10.