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・「知らなければよかった」『天理大学生涯教育研究』no.3,pp.29-42.天理大学人間学部人間関係学科生涯教育専攻研究室(1999/3/22)


知らなければよかった

                                 石飛和彦

 こんなことを私は常によくしゃべるものの、実を言うと食物に精通するということ、なかなか考えものである。
 現に私は自分の家以外の食物は、楽しく美味く食えない現実にあって苦しんでいる。人にご馳走してもらう楽しみなど、もとよりあろうはずもなく、楽しみであるべき旅行も不愉快になることが多い。つまり、宿屋の食物などは、てんで食えないからだ。一流の料理屋とて大抵はいけない。これは食えない、あれは美味くないと、一々人の楽しむところに楽しめない憂き目は、あたかも過去における美食過剰の罰であるようにつきまとう。ものを知り過ぎるということも考えものである。
(北大路魯山人「料理一夕話」『魯山人味道』p.240.)
 
0:はじめに
 冒頭に挙げたのは、稀代の食通、北大路魯山人の食味随筆からの引用である。「明けても暮れても、ただもう美味いものばかり食って能事終る私の人生」と題された断章の結語にあたるこの文章は、全体の文意から考えればさほど本気とも思われない修辞、単なるフリとも受け取れるものである。しかしながら、教育にかかわる者としては、とくにこの最後の一文「ものを知り過ぎるということも考えものである」というのを聞き逃すわけにはいかないだろう。ものを知るということ、すなわち教育は、わたしたちの人生を豊かにしわたしたちに幸福を約束するものではなかったのか。にもかかわらずその逆が言われてしまい得るというのは、いったいどういうことなのだろうか。
 この問題は、意外と深刻なものだと思われる。なぜなら、それは教育の本質にかかわる問題だからである。つまりこういうことだ。近年いわれる教育の価値低下とは、教育を受けて学歴を取得してもその労力に相当する社会的地位を得られなくなった、という、いわば教育の道具的価値の低下を意味している(1) 。それは2つの意味において教育の本質的な危機ではない:第一に、いかに価値が下落しようと、価値がゼロに近付くだけで、教育が負の価値を持つ(つまり人を積極的に不幸にする)ということにはならない;第二に、現在言われている価値低下は教育の道具的価値にかかわるものであって、教育そのものの本質にかかわるものではない以上、むしろ今こそ教育の本質的な善性が見なおされるべきだ、ということにさえなるのである。ところが、魯山人の言葉の意味するところは、まさにその教育の本質にかかわるものであり、しかもそれによって積極的に不幸になってしまうということだからである(魯山人は「苦しんでいる」とさえ言っているではないか)。

1:知のアノミー
 もちろん、引用した文面を素直に読めば、次のような解答を与えることができる。すなわち、魯山人の苦しみは、R.K.マートン論じるところの「アノミー」現象であると。
 マートンは、ある社会が逸脱者を産出する仕組みを「アノミー」という概念で説明しようとした(2) 。彼によれば、ある社会で成員たちに認められている「文化的目標」と、その社会で成員たちに実際に与えられている「(目標達成の為の)制度的手段」とが剥離するときその社会は逸脱者を産出する。百万長者になる夢がしきりに喧伝されていながら、実際に合法的に百万長者になる道はほとんど閉ざされている、というような社会であれば、なるほど、人々の欲求不満が高まって犯罪も増えようというもので、これをマートンは「アノミー」の状態と称した。
 魯山人の場合も同様に考えてみよう。「美味いものを食べること」が、彼に与えられた「目標」である。彼は、食について深く精通し、「知る」ことによって、その「目標」を高く掲げるようになった。ところが、そのための制度的手段である「自分に見合ったセンスのいい料理人に料理してもらうこと」が、困難だ。だから、欲求不満に苦しめられるのだ、と。
 このように考えた場合、次のことが言える。すなわち、ふつうわれわれは知の獲得が人を幸福にすると思っているが、そのためには少なくとも、知を獲得しようとする本人以外の他者もまた同程度に知を獲得するのでなければいけない、ということである。知は、常に他者とのかかわり合い、コミュニケーションと共にある。舌の肥えた食通がそれに見合ったセンスの料理人を必要とするように、知の獲得は、コミュニケーションの相手を必要とするのである。そうでなければ、知を獲得すればするほど、他者との間のコミュニケーションが非対称的に − いわゆる「浮いてしまう」という状態に − なり、その事態に欲求不満を − ちょうど魯山人が外食で覚えるような欲求不満を − 覚えるようになるのだ。
 ものを知れば知るほど不幸になっていくのである。

2:知の階層化/逆説
 もちろん、魯山人の感じた苦しさは上に述べたような欲求不満に尽きるものではない。第一それは、それだけのことであれば不幸を必然的に引き起こすものでさえない。
 コミュニケーションだけが問題であるとするなら、互いに同程度の「知」を共有する者たちからなる小コミュニティをつくれば、問題は解決するのである。じっさい、このようにして知はそれぞれの分野で社会を階層化している。P.ブルデューが詳細な研究を行っている(3) 通り、我々の社会はじっさいに、想像以上に細かな階層に分化している。各々の階層に属するメンバーは互いに一定の傾向の嗜好・趣味・行動様式・ライフスタイルといったものを共有している。また、階層が異なれば、たとえそのチャンスがあっても、趣味やライフスタイルの違いによって、交流することなく互いにごく自然に遠ざけあう可能性が大きくなる。結果として、社会の階層分化は(見かけ上)ごく「自然」な形で形成され、維持・再生産される、というのである。
 魯山人の次の文章を見ると、彼もまた「味覚」をそうした階層化のイメージで(ただし、より内面的な意識の次元ではあるが)把握していたことがわかるだろう:

 ・・・いかに味が分からない人と言っても、まったく分からぬわけではないから、その人なりの嗜好を尊重することが、ものを美味く食わせる第一課である。
 ところで、世の中には、自分は味覚の通人である、と自任しながら、その実、なにも分かっていない人々がいる。こういう人々は、第一義の誠実と親切心だけでは了解できかねる、いわゆる、半可通に属する連中であって、なにか賢い話を付け加えて押しつけなければ、美味いものも美味いとは言わない。/そこでこれらの手合いには、トリックを用いるのが一番よい。・・・
 次は味の分かる人だ。味の分かる人に、どうしたらものを美味く食べさせることができるか。それは少なくとも、自分に相手と同じだけの実力がなければ、不可能といえよう。・・・
 自分の実力が相手より上であれば、相手の実力が手にとるように分かって、おのずと余裕が生まれてくる。絵で言うなら、自分の鑑賞力が高ければ、いかなる名画といえども、自分だけの価値を見出すことができる。しかし、絵が自分の鑑賞力より数等上であれば、その美の全部を味わうことはできない。反対に自分の力がより上であれば、今度は相手の絵が不足になってあらゆる欠点が発見される。/かくの如く、鑑賞力なり味覚なりは、分る者には分るし、分らぬ者にはどうしても分らない。・・・
 富士山には頂上があるが、味や美の道には頂上というようなものはまずあるまい。仮りにあったとしても、それを極めた通人などというものがあり得るかどうか。おそらくはないだろう。/ただ世間で言うところの通人にとっては、その道が広い原を通り抜けて、非常に狭くなっている。それだけに、ある意味では不自由であるといえるが、また微妙なものが分かって来て、通人でなければ味わえぬ新発見の味感がある。/しかし、世間には語るに足る相手が稀なために、結局は当人と材料と二者だけの世界に入ってしまう。これを三昧の境地とでも言うのであろう。(同書「道は次第に狭し」p.174ff.)

 こうした文脈で、魯山人は「美食倶楽部」をつくり、それが会員制の「星岡茶寮」へと発展する。魯山人のいわゆる「味道」は、そこでひとまずは十全に達成されることになるのである。これはまさに、食をめぐる知を介した小コミュニティの形成の典型例と見ることができるだろう。
 さて、繰り返すように、もし問題がコミュニケーションをめぐるものだけであったとすれば、魯山人はそれで満足してしかるべきなのである。第一、引用文を見ればわかるように、彼は結局、最終的には、自炊することによって(すなわち成員1名、一人二役(「作り手としての自分」と「食べ手としての自分」)、あるいは自分と食材との内密な対話の場、としての完璧な小コミュニティをつくることによって)美味いものを食べているので、その意味では欲求不満の起ころうはずもないではないか − 。
 にもかかわらず、実際には魯山人は苛立っているのだ:

 私が自分自身でふしぎなと思われるくらい考えつづけているのは、食物すなわち美味探究である。つまらないものを食って一向気にしない人間を見ると馬鹿にしたくなる。私は今でも自炊している。三度三度自己満足できない食事では、すますことができないからだ。美食の一生を望んでいる。(同書「味覚馬鹿」p.245.)

 魯山人は苛立っている。満ち足りた人間は、人が気分よく食べているときに横から難癖をつけたりしないのだ。冒頭の引用文中で、彼は「苦しんでいる」と言った。それは、じつは単に自分が美味いものを食べられないというためだけではない。むしろ、自分だけが辛うじて助かっているものの、自分の舌が肥えれば肥えるほど、逆説的に世の中が不味い食物で充満していくということが堪え難く「苦しい」のである。この孤立、あるいは階層化の逆説 − 自分以外の世界が没落していくという、逆の意味での「階層化」 − を、さらに解明しなければならない。

3:豊かにする知と排除する知
 我々はふつう、知を獲得すればするほど人生が豊かになる、と考えている。もしそうならないとすればそれは、勉強のし過ぎで神経が衰弱してしまったからだ、とか、優等生過ぎてちやほやされたあまり傲りが生じて心が歪んでしまったからだ、とか考える。いずれにせよ、知そのものは本来的には人生を豊かにするものだ、という考えを疑わない。いわゆる「学歴社会」が常に批判の槍玉に挙げられている一方で、学校教育以外の「教育」そのもの − 言うまでもなく、「生涯教育」じたい、そうした文脈にあるのだが − に期待が集められているという現状も、そのような形で理解することができるはずだ。
 ところが、いま魯山人を例にとって明らかにしようとしているのは、知そのものが本来的に人生をいかにして貧しくするか、という問題である。
 この問題を解決するには、これまで一言で「知」と言っていたものを、2つのタイプに分類することが有効だと思われる。それはとりたてて珍しい分類ではない。ようするに、「知」と「知識」とを区別しようというのだ。広い意味での「知」を構成するひとつひとつの項目を「知識」と呼び、それら「知識」を用いながら真理へと向かおうとする精神の働きを、あらためて「知」と呼び直そう、というわけである。このように区別をすれば、人生を豊かにするといわれているものは実は「知識」だけであって「知」そのものではないのではないか、ということになるだろう。そして「知」そのもの、精神の働きとしての「知」というものこそが、魯山人を苦しめていた当のものだということがわかる。なぜなら、「知」は、唯一の真理へと向かうというその本性のために、真理ならざるあらゆるものを虚偽的なるものとして排除するからである(4) 。それゆえに、魯山人は、食物についてあれこれ知れば知るほど、自らの世界を狭めたのである。
 それならば、「知識」こそが我々の求めているものであって「知」は我々を不幸にする悪しきものであるのか? 奇妙なことに、そうとばかりも言えない、むしろ、その反対なのである。というのも、ほかならぬ我々じしんが、「知識」よりも「知」を上位のものと考えている、ということに気づくからである。我々は、「知識」とは「死んだ知」であり、精神の働きとしての「知」こそが「生きた知」だ、と考えてはいないだろうか。そもそも、ソクラテス=プラトン以来、我々は、個別の「知識」ではなく「真理への愛」「知への愛」(=philosophy!)をこそ顕揚していたのではなかっただろうか。「知識偏重つめこみ教育はよくない」という言葉によって、ある種の教育を批判する一方で、より学習者の「主体性」を重視した教育に期待が集められているのではないだろうか。とすれば、「知」と「知識」を区別することによってわれわれの問題は、まさにいわゆる「知」の本質の核心部分にかかわるものとして位置付けられることになるのである。

4:卓越化と貧しさ
 知が、しかもわれわれが軽蔑する「知識」ではなくまさにわれわれが尊重するところの精神の働きとしての「知」が、世界を狭め人生を貧しくする。もしそのような危険があるとするならば、そもそもなぜわれわれは「知」を尊ぶのか。
 もちろん一般的なことは言えないが、少なくとも魯山人を「知」へと駆り立てたのは、彼じしんの育ちの貧しさだったと想像できる(5) 。魯山人にまつわるエピソードの記述や彼自身の言葉から、それを読み取ることができるかもしれない。
 第一のエピソードは、彼の渡欧時の有名な逸話である(6)。パリの「ツール・ダルジャン」で鴨を料理するボーイの手元を見つめながら「あんなことをしていちゃあ美味く食えない。食ったところで肉のカスを食うみたいなもので、カスに美味い汁をかけているに過ぎない。ほかの客のはあれでよかろうが、こちらは丸ごと持ってこいと言ってくれ」と文句を言い、ボーイに相手にされないと、重ねて「料理屋で、身銭を切って食べるのになんの遠慮がいるものか。こちらがお客だ。もっと堂々と言ってくれ給え」と案内人を追及する。結局の所、衆人環視の前で大見得を切り、懐からかねて持参の醤油と山葵を取り出して調味してみせるという芸当までやってのけたというのだが、ここで興味を引くのは、魯山人がボーイの手元を見つめているその姿であり、また、「身銭を切って」という、対価へのこだわりである。
 その姿は、貧しかった子ども時代のものだというもうひとつのエピソード(7)の記述に無媒介的に通底している。「ピカピカ光る五銭玉を握って肉屋の店先へ立ち、猪の肉を切ってくれる親爺の手許をじっと見つめながら、今日はどこの肉をくれるだろう、股っ玉のところかな、それとも腹のほうかな。五銭ばかり買うのだから、どうせ上等のところはくれまいなどと、ひがみ心まで起こしながら、いろいろ空想していた」という子供時代の魯山人の姿、肉屋の親爺の手許をじっと見つめる姿と、握りしめられていた「ピカピカ光る五銭玉」の記憶にそのまま重なるだろう。
 常に「より美味いものを食べたい」といういわば美食の「真理への意志」は、魯山人においては常に「同じ身銭を切るなら」という暗黙の前提の上に成り立つ効率性追及であるがゆえに、貧しさから発しかつ自らの人生を際限なく貧困化していく。
 前述したブルデューであれば、「知」と「貧しさ」とのこうした結び付きを、社会全体の中でのある特定の集団に特徴的に見られるものとして論じるだろう。彼の議論を一言で単純化してしまえば、「文化資本」と「経済資本」という二つの資本の量を変数として社会の階層分化の布置関係とその力学を記述するもの、ということができる。彼の描き出す図式の中では、魯山人的のようにラディカルに審美的な趣味・嗜好の追求者というのは、「文化資本」が高い割に「経済資本」がいまひとつであるような階層(いわゆる「知識人」あるいは「自由業」のイメージ)という位置づけを割り当てられている(8) 。彼らのラディカリズムは、伝統的な富裕層の文化(時間をかけて培われ身体化されてきた、富裕層の生活様式や趣味・嗜好・審美観と不可分であるような文化)に対する差異化・卓越化の戦略として描かれることになるだろう。じっさい、食文化という極めて生活に密着しているはずのものについてさえ、ひとたび「味道」なるものを打ち立ててしまえば、ひとつの独立した価値世界を立ち上げることが可能なのであり、しかも、その新しい価値世界においては、伝統的な食文化に先んじてまず魯山人自身が第一人者になれる、経済においての敗北を、文化における勝利で挽回することができる、というわけなのである(9) 。
 こうしたブルデューの説明は、確かに一定の説得力を持っている。しかし、彼の分析について誰もが感じ、また彼自身ある程度まで認めているように、彼は文化の背後にある「利害関心」を暴露することを第一義とするために、文化の内部論理そのものを軽視することになるだろう(彼によれば、そうして文化の背景まですべて明らかにすることによってあらためてより深く文化を感受することができるようになる、というのだが)。魯山人の本質的な「貧しさ」がどれだけ暴かれようと、食に関して彼が培ってきた・あるいは彼が追求した感覚の冴えそのものは、全く揺るがないだろう。無論、ブルデューの理論枠組にやすやすと乗ってしまうような、ごく単純にスノッブな出世主義的な動機をありありと持つような文化的集団やその追従者もたくさんあるだろうし、じっさい、あれも、あれも、といくらでも思い当たりそうな気さえしてくる(無論、その中にほかならぬ自分自身の後ろめたさが濃厚に含まれもするために、誰もがブルデューに対する反論の舌鋒をついつい鈍らせてしまうことにもなる)のだが − しかし、言うまでもなく、そうしたスノビズムの戦略論だけでは、文化の内部論理の最も重要な部分に理解がいきとどかなくなるのは仕方のないことなのだ。そして、つけくわえるならば、そうして文化の内部論理を軽視することで、けっきょくのところブルデューの文化論の枠組じたいが社会理論としてひとつの限界にゆきあたることになると思われるのだ。
 というのも、いま魯山人を例にあげて見てきた「知」と「貧しさ」との関係は、食にまつわるある文化領域のもんだいであるというより、じつはこの近代社会全体の原理的な問題として読めるのである。M.ウェーバーが資本主義の誕生について明らかにしたように、あるいはM.フーコーが監獄や病院や学校について語っているように、近代社会は決して豊かさの側からではなく、貧しさの側から、プロテスタンティズムの禁欲主義の側から、一望監視的な監獄に囲われた囚人の側から、診察=試験されカルテ=成績を点けられ自己管理へと水路づけられる病人=生徒の側から、まさにある本質的な「貧しさ」と「知」との結び付きとして(そこには当然、「教育」という契機が大きく働いていると思われる)、立ち上がり、押し広げられてきたのだ。魯山人的なエートスは、ごく通俗的な卓越化の戦略としては片付けることのできない、「知」を介した「近代的主体」の成立の問題として再検討されなければならないと思われるのである(10):

 天下の富豪と言われる金には不自由のない岩崎でも、三井でも、好き嫌いの自由こそ与えられてはいようが、美味いものばかりを食っているとは言えない。これらの事実をほぼ知っている私は、自慢するではないが、私だけが事実上日本一の美食大家だ…などと考えることがある。過去五十年の人生において美食に関するかぎり、この人にはかなわない…と感じたことは一度もない。・・・
 好きであるなら、深く吟味して、最高的に美味いものを食ってのけるだけの精魂があってよいと思われるのに、大概はそうでない。だらしのない望みに夢を見ながら、大口利くふうがある。・・・
 宇宙間に存在する自然の理法など知る者は、調理人にはひとりもないようである。せっかくの天産物も、無知のためにもったいなく殺してしまうか、余計なことをして、愚にもつかぬものにしてしまうか、どちらかである。それは調理人が無学か、生もの知りか、いずれかに原因している。それらの事情を知らない人たち、それらから学び、それらから覚える素人料理、それには理法に徹したものがあろうはずはないのである。理法と調和に未熟な料理、それに美味はあるはずはないのである。(「料理一夕話」同書p.238.)
 さて、料理人だが、なぜ今日まで、このように料理を不純にし、不合理にしてきたのだろう。識者をして、笑止の沙汰としか言いようのないことを、敢えてつづけてきたのだろう。小生は先に料理人の無知に由来すると言ったが、なぜ無知であるかについては言わなかった。諸君がすでに自覚するとおり、従来の料理人は、みながみな、あまりにも無修養であったということ、それが根本になっている。読書はおろか、世上のことについて、あまりにも知らなすぎる。/この世間知らずの無教育者が、世上のあらゆる階級を相手の料理をしているのだから、すでに、そこに無謀が胚胎しているのである。矛盾が生じているのである。料理人の料理を口にする者には、大臣級から労働者階級まであるのである。労働者下級の欲するものは、比較的単純であるから問題はない。料理人の生活と労働者級の生活とは、それほど生活程度がちがわないから、調子のはずれるようなことはまずないのだが、これが貴人だったり、大臣級であっては、一料理人の生活及び頭脳とは、あまりにもへだたりがありすぎるため、到底、高級生活者の趣味嗜好を理解することは困難である。/ただ幸か不幸か、高級生活者の大部分が料理づくりにうとく、存外無知であるところから、要求するところの好みも、実は幼稚な希望にとどまっているために、かろうじてともかくも、お茶を濁せるようなものの、もし頭もよく、金に不足もない、知的生活者が、一度料理を理解し、料理の知識を得て、われわれに迫ってきたならば、料理人は到底今日のように安閑としておられるものではない。・・・
 そうであるなら、趣味嗜好に徹する大臣級をして、満足させるには、料理人において、たとえ教育や学問は身に具えなくても、質においては、まさに大臣級の天分を有する者でなければ、真に大臣級を動かし得るものではないという理論も成り立つだろう。/またまた人間の問題に陥ったが、小生自身が、古人のいわゆる「文は人なり」と喝破されたことに、一も二もなく同感する者であるがゆえに、料理づくりにおいても、もとより人であると深く信ずる。(同書「日本料理の要点 − 新雇いの料理人を前にして」p.281ff.)

5:知らなければよかった
 話がせちがらくなってしまったので、魯山人から離れよう:

 清潔ということをいうならば、死んだ上司小剣さんの口から聞いたか、文章で読んだ かした話がある。/大和の山の中の寺で、夏時、水飯というものを食う。最も上質の米を選び、うまく炊き上げ、直ちに、清流のもとに運ぶ。この清流が、非常に冷いのだそうだが、熱い飯をザルに入れて、たんねんに水でサラす。これは、小坊主の役らしい。飯粒が米にかえったように、固く、透明になる。同時に、手オケに清流の水を充たし、ザルとともに、寺へ持ち帰る。/それを、すぐ食べる。冷たくなった飯に、冷い水をかけて、食うだけのことである。オカズは、ナスのつけ物に限る。それ以外に、何か食うと、水飯がまずくなるという。これ以上に清浄な、もしくは厭世的な食物は、絶無であろう。この水飯を、小剣さんの潔癖と個人主義とに結んで考えると、面白くなる。昔、私はあの人とともに、文芸協会の理事をしていたが、始終、世の中がツマらなそうな顔ばかりしていた。 (中略) 美食家なんてものは、文句ばかりいってるうちに、こんな所へ落ち込んでしまうのだろう。食通のトドのつまりは水の飯 − と、一句できそうであるが、なにか気の毒の感にたえない。上司小剣さんも、なにか気の毒な人であった。暑い銀座で、ギョーザでも食っている方が幸福であり体にもよいにきまっている。 (獅子文六「水飯」『飲み・食い・書く』p.80.)

というような文章を読んでひとまず安心するのだが、しかしその安心も束の間である。私達の感性は既に幾分か魯山人的「美食への意志」に浸食されている。「暑い銀座で、ギョーザでも食っている方が…」という文を、新たな美食のスタイルとして読んでしまうのである。いわゆる「美食」がダメだからといって、ムキになって暑い思いをしてギョーザを食べてはいい気になるというのでは、結局同じ貧困化に過ぎないではないか。
 今や世間には、とんでもない高級レストランから、「ちょっと気取った店」「気のおけない店」「懐かしの洋食屋」「B級グルメのラーメン屋」「わたしたちの学生食堂」そして汚いのがウリというような「隠れた名店」まで含め、ありとあらゆる食が提供されているのであり、またそれに関するグルメ情報が私たちの感性に対して与えられている。こういった状況の中で、たったひとこと「めしがうまい!」と心の底から言える可能性が、羨望されてやまない。
 私は、おそらく、ルソーに倣って「自然に帰れ!」と狂ったように叫ぶべきなのだろうか。しかしその「自然」など、未だかつて存在したことのないユートピアに過ぎない。だから、私は、魯山人的な美食趣味をひたすら恨みながら、つぶやくしかないのだ。
「知らなければよかった」

【 註 】

* 本稿は「教育社会学・俳句の会」での発表原稿をもとに加筆・修正したものである。発表時には、研究会に参加された諸先生から有効なコメントをいただいた。記して謝辞に代えさせていただく。

(1) その典型として、いわゆる学歴社会”虚像”論を想起されたい。
(2) マートン(1957=1961),p.121ff.「社会構造とアノミー」参照。
(3) ブルデュー(1979=1989/90),(1992=1995)参照。
(4) 言うまでもなく、こうした「知」のありかたを最初に体系づけたのはソクラテス=プラトンである。ソクラテス=プラトン的ないわゆる「対話術=弁証法」こそは、対話を通じて日常的な概念を吟味し、夾雑物を取り除いて洗練させていき、次第に抽象的で絶対的な「イデア=真理」へと接近する方法であった。
(5) 関(1996)は、西欧近代の資本主義のエートスの背後にソクラテス=プラトン主義の影を見出そうとする興味深い論考であるが、そこで強調されるのが、ソクラテスの「貧しさ」である。
(6) 北大路魯山人(1980),p.166.「すき焼きと鴨料理 − 洋食雑感 − 」参照。
(7) 同上書,p.110.「猪の味」参照。
(8) 大商人の趣味が「乗馬」や「競売場で家具を買うこと」「ホテルでのヴァカンス」であるのに対していわゆる「知識人」は現代音楽や前衛美術に傾倒し、哲学や心理学に親しみ「前衛フェスティヴァル」に参加する。ブルデュー(1979=1989),p.192.「図5:社会的位置空間/図6:生活様式空間」を参照。
(9) ブルデューの分析はもちろん食生活の嗜好にも及んでいるが、魯山人の「味道」のように審美性の追求が問題になっている場合については、むしろ、芸術についての分析の方がより当てはまると思われる。ブルデュー(1992=1995)「立法者ボードレール」の記述を参照されたい。
(10)なお、アメリカの家庭料理にまつわる「知」と「貧しさ」と「近代」との絡み合いについて、シャピロ(1986=1991)の興味深い研究があるので参照されたい。そこでは、アメリカの「家政学」が、プロテスタント的なキリスト教、女性の主体性の確立、栄養学の発展、家庭の近代化、社会改革、食品産業といったさまざまな文脈の交点に成立・展開してきたさまが描かれている。それは、魯山人的な急進性をどこかで欠落させることによって、全社会的に浸透 − 広く、そして浅く − することに成功し、それがひとつの輝かしい「成果」として、千切りにした野菜をコンソメのゼリーで固めたサラダ(原題"Perfection Salad"とは、この食品のことである。ゼラチンは栄養価が高く、また野菜をゼリー寄せにすることによって皿の上に載った姿を整えやすく、また見た目がきれいに見える − そういえば最近のレシピ本では見かけない気がするが)のような面妖な人工料理に結実(徒花?)しながら、結局の所、TVディナーやジャンクフードの蔓延する現代アメリカの食文化を準備することになったのである。


【 文献 】
ブルデュー,P.(1979=1989/90)『ディスタンクシオンI,II』藤原書店
 −      (1992=1995)『芸術の規則I』藤原書店
北大路魯山人(1980)『魯山人味道』中公文庫
マートン,R.K.(1957=1961)『社会理論と社会構造』みすず書房
関曠野(1996)『プラトンと資本主義』北斗出版
シャピロ,L.(1986=1991)『家政学の間違い』晶文社
獅子文六(1980)『飲み・食い・書く』角川文庫