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卒業に当たって

生涯教育専攻 4回生  宮崎 亮 

 私が大学に入学してからもう4年の月日が流れようとしている。生涯教育という言葉に出会い、考えるようになってもう4年である。あっという間であったが、自分自身にとっては充実していたように思う。
 この大学に入学して、もともと教育には関心があったものの生涯教育とはどういうものか分かっていなかった。最初の1年間も自分は何を勉強しているのか分からず、授業時間が長く感じられていた。しかし、生涯教育も2年目をむかえると、専門が増え、各ライフステージの教育を学ぶ上で、最初の1年間学んだことが、無意味なものでないことが分かった。そして、専門の勉強をすればするだけ、生涯教育の奥深さを感じた。
 そういった中で、教育=学校という考えが強かった私は、学校教育をとりあげ、特に義務教育に絞り、卒業論文をすすめてきた。学校教育を考えたときに、頭に浮かんだことが学校5日制であった。
 国の考えとしては、社会の週休2日制に伴い、先生や生徒にもゆとりをつくろうとしたようであるが、実際本当に、学校5日制がうまく順応し、受け入れられているのか疑問を持った。生徒中心と言われている学校で、生徒が学校5日制をどのように感じているか、アンケートを利用して、現場の生の声から現状を考察することができた。このアンケート結果が全てではないにしても、少しでも確かな反応を知ることができた。アンケートを作成する上で、上から下にものを見るのではなく生徒と同じ立場で考えなければならなかった。アンケート調査は、大変ではあったが現状を知る上で、私の論文では必要であり、最終的にやってよかったと思えるものとなった。
 私には、大学生活において、勉強以外に力を注いだものがある。学科会である。大学に入り、学科会というものがあることを知り、これからの学生生活に不安を持っていた私を多くの先輩方が優しく迎え入れてくれたことが事の始まりであった。
 少人数の大学の特権であろう学科会は、同じ学年はもとより、上下の学年また他専攻の仲間とも交流を持つことができる。しかし、学科会の存在理由は単に親睦をはかるだけのものではないのだ。個人の持つ可能性を手助けするためにあり、そのきっかけを作るためのものなのである。自分の積極性があって初めて学科会の意味があるのだ。
 私は一回生の時から、学内行事から学科内行事までほとんど参加した。それは、私自身が多くの人と話をすることが好きということと、先輩方が良くしてくれたおかげで楽しかったからだ。また参加するたびに、知り合いが増え、自分の専攻のことから、他専攻のことまで話を聞くことができ、私はますます学科会にのめり込んでしまった。
 そして、二回生の時には、先輩に一緒にやろうと誘われ、幹部(庶務)をした。幹部になっていても、なっていなくても学科会から離れることはないと思っていたが、先輩方と一緒に学科会を運営できる事がうれしかった。庶務といういわば雑用係ではあったが、学科会の中心として自分がいられることがなによりもうれしく、みんなと話をすることが何よりも楽しかった。こういった楽しんでいた中でも、私の頭の中には常に来年の学科会を想像していた。今は、先輩方がいるが、来年は、私たちが中心となってこの学科会を盛り上げていかなければならないということを、行事ごとに考えていた。その年ごとの良い点、悪い点を知ることで、自分たちの時にはどうすればよいかを考えていた。
 三回生になっても幹部として学科会に残るつもりであったが、まさか会長になるとは私自身思ってもみなかった。私には、雑用があっていると思っていたからで、誰が会長になっても、その下で一緒に頑張ろうと思っていたからである。だが、私たちの学年だけで話し合った時に、会長であっても、幹部の一人にすぎないし、皆で協力して頑張ることを決め、私が、同じ学年の幹部との間に信頼と安心を感じることができたので引き受けた。
 会長の時の幹部交代式では、今までで、またこれからも一生こんなに飲むことはないだろうというぐらい飲んだが、それも今思えば懐かしい忘れられない出来事である。また、会長をしたことで他学科に知り合いができ、今まで以上にいろいろな話を聞くことができたのが、自分にとってプラスになったと思える。そして、行事に参加してくれた学科会会員の、楽しかった、おもしろかったという一言と、笑顔が、何よりもうれしかったし、やってよかったと思う瞬間であった。
 私が学科会に参加し、携わってきて最も印象に残っているのは、私達の年の学祭である。三つの専攻が一つの学科として、同じ目的、目標をもつことができ、同じ達成感を皆で共有することができたからだ。私自身も、あの一ヶ月が一番頑張り、充実していたと思う。学科の中心となってする学祭において、まさしく完全燃焼した私達には、御輿と劇で総合三位というおまけまでつき、私は感無量であった。学科会をしていて、私の学生生活は、本当に充実していたと思う。また、学科会での経験は、これからも私の財産となるであろうし、無駄にすることなくいかしていきたい。
 卒業論文を書いていても、学科会をしていても同じように感じたことは、表の部分より裏の部分、つまり、目に見えている部分より目に見えていない部分の方が多くあり、大変である分より重要なことだということである。
 最後になりましたが、論文を書くにあたって、アンケートにご協力いただいた小・中学校の先生方、生徒の皆様、そしてご指導いただきまた最後にこのような場を下さった先生方に厚く感謝いたします。本当に有難うございました。