天理大学 生涯教育専攻 課題図書
保阪 正康 『あの戦争は何だったのか − 大人のための歴史教科書』
新潮新書 / 2005年 / 251頁 / \756 / ISBN:4106101254
●ほさか・まさやす●
1939(昭和14)年、北海道生まれ。ノンフィクション作家、評論家。同志社大学卒業。近現代史、特に昭和史の実証的研究を志す。立教大学非常勤講師などを務める傍ら、個人誌『昭和史講座』を主宰(
著書:『昭和陸軍の研究』『安楽死と尊厳死』『「特攻」と日本人』『三島由紀夫と「楯の会」事件』など。
第1章 旧日本軍のメカニズム(職業軍人への道
一般兵を募る「徴兵制」の仕組み ほか)
第2章 開戦に至るまでのターニングポイント(発言せざる天皇が怒った「二・二六事件」
坂を転げ落ちるように―「真珠湾」に至るまで)
第3章 快進撃から泥沼へ(「この戦争はなぜ続けるのか」―二つの決定的敗戦
曖昧な“真ん中”、昭和十八年)
第4章 敗戦へ―「負け方」の研究(もはやレールに乗って走るだけ
そして天皇が動いた)
第5章 八月十五日は「終戦記念日」ではない―戦後の日本
学生の感想文(3)
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戦争はいけないこと。それは小学生でも社会の授業を習えばわかるような内容である。しかし、過去日本はそれを行ったのであり、核兵器の使用という形で最悪の敗戦を喫している。果たして何が原因であり、開戦から大戦の拡大、さらには敗戦という結末になったのか、筆者の永年の研究によって書かれていた。この本を読んでいて興味深く、面白いと思ってしまった自分に少しいやになった。戦争のことを様々な見地で見ていくのはいいのだが、どう見たとしても戦争は戦争。人が死に、様々な苦しみが生まれているのである。それを面白いと思ってしまい少々不謹慎な気がした。最近ではアメリカの映画で様々な戦争ものが取り上げられている。しかもそれは戦争をきっぱりと批判したような内容ではなく、感動を誘うような誇らしげなものになっている気がする。どう描こうと、どう語ろうと戦争というのは最低最悪なものだと思う。戦争のないようなすばらしい世界が今のままでは来ることが無いように思った。
(2回 S.H.)
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小学校の修学旅行とかで広島に行って被爆者の方の話を聞いたり、おじいちゃんの戦争に行ったときの話を聞いたり、学校の授業で学んだりと戦争についての知識はある程度あると自分では思っていました。でも、聞いたり・習ったりした知識には、「なぜ太平洋戦争が始まったのか」ということは、今の人々に教えられていないし、伝えられていないように思います。この本を読んでからは、テレビドラマなどで放送されるときの戦争シーンも、何か美化されているように思えてきました。日本では、戦争は二度と繰り返してはいけないというものの、戦争に関しての教育があまりにも少ないと思いました。8月15日を終戦記念日として、毎年毎年、必ず黙祷しているけれど、ただ単に黙祷をしているだけで、そこにどんな思いが込められているのかは、あいまいにされているように思います。他の国を見習って、戦争がどういうものであったのかというのを、もっと明確に伝えていかなければならないような気持ちになりました。
(2回 S.M.)
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高校時代に日本史をとっていたので、この本は、わかりやすかったし、読みやすかった。だけど、高校の日本史では学ぶことが出来なかった、多くの事実を学ぶことが出来た。私は、太平洋戦争の開戦を促したのは、陸軍で首相の東條であると習っていた。しかし実際は、「武力発動」権のあった海軍の責任だったのである。
また、この本を読んで驚いたのは、日本の政府の戦争に対する曖昧さである。真珠湾攻撃での奇襲作戦も、山本五十六の博打によるものであり、調子に乗っていると、「ミッドウェー海戦」や「ガダルカナル攻防戦」により敗北をきっすることになる。山本は「半年か一年の間は暴れるが、二、三年となれば全く確信は持てない」と疑問に感じることが多かった。さらに戦況が悪化すると、東條は「B−29は精神力で打ち落とすんだ」や「負けたと思ったら負けである」など、根拠の無い精神論を説いた。そして何より驚いたのは、第二次世界大戦が終わったのは8月15日ではなく、9月2日だということだ。
私は日本の政府の人々がもっとしっかりしていれば、戦争は防げていたと思う。この本を読んで改めて戦争の恐ろしさを感じた。もう二度と犯してはならない過ちであると思う。
(2回 Y.H.)
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