天理大学 生涯教育専攻 課題図書
稲垣 佳世子・波多野 誼余夫 『人はいかに学ぶか ― 日常的認知の世界 ―』
中公新書(907) / 1989年 / 198頁 / \660 / ISBN:412100907X
●いながき・かよこ●
1967年お茶の水女子大学文教育学部教育学科卒業。1969年同大学院修士課程修了。千葉大学教授。発達心理学、幼児教育学専攻。
著書:『知的好奇心』『無気力の心理学』(以上、中公新書)、『ピアジェ理論と教育』(編著、国土社)など。
●はたの・ぎよお●
1935年東京生まれ。1958年東京大学教育学部卒業。獨協大学教養部教授。発達心理学、認知科学専攻。
著書:『知力の発達』『知力と学力』(岩波新書)、『知的好奇心』『無気力の心理学』『人はいかに学ぶか』(以上、中公新書)など。
第1章 伝統的な学習観
第2章 現実的必要から学ぶ
第3章 知的好奇心により学ぶ
第4章 ことばや数を学ぶ種としてのヒト
第5章 文化が支える有能さ
第6章 文化のなかの隠れた教育
第7章 参加しつつ学ぶ
第8章 知識があるほど学びやすい
第9章 日常生活のなかで学ぶ知識の限界
第10章 新しい学習観にもとづく教育
学生の感想文(3)
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この本から生涯学習の大切さをとても感じることができた。それは「学習」というもの学校で行われる授業だけで出なく、普段仲間といっしょに遊んでいる時や趣味、知的好奇心、人との会話、様々な年齢の人との交流など、能動的で有能あれば、ほとんど全ての行為、事象が「学習」に繋がっている。しかしそれらを受動的、無能であれば話は別である。
ある時、自分の周りにあることが起こり、それをただ聞き、感じるだけでは受動的であり「学習」ではない、その起こった事に関し興味、関心を持ち、考え、自分の意見を持ち、発言できることが能動的であり「学習」であるのだと思う。自分の意見とは違う他人の意見を否定的に捉えるのではなく、肯定的に受け止め、その人それぞれの考えを知り、学んでいき、それを自分の知識として持つことが、人と付き合う事で得られる一つの「学習」である。他にも様々の場面、場合があるがその事に関し能動的、有能であれば人はより成長し、良い社会が創られていくのではないのだろうか。
(1回 I.T.)
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日本人は外国語が不得意というところが印象に残った。中学、高校と六年間、大学をあわせれば七年間も英語を勉強しているのに全くといっていいほど英語を話すことができない。日常生活で英語を話す機会があるならもっと英語を話せるようになっていたと思う。将来英語が必要とわかっていながらも英語を意欲的に学ぼうと思わないのはやはり、日常生活で必要性がかなりうすいからだと思う。こういうところが著者のいう日常生活では学習が積極的かつ効果的に行われているというところに共感できた。これは英語以外にもいえると思う。例えばパソコンを使うということもその一つだと思う。このような日常生活における学習を学校教育の場にいかせれば、学校教育がとても良くなると思う。そのためには教育の場の環境をかえることが必要だと思った。教師の生徒に対する教え方も改善する必要があるとも思った。学び手に必要性を持たせるということが大事だと思った。
(1回 T.K.)
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この本を読んで、はじめに感じたことは、今演習の授業でやっている事と似たようなことが書かれてあるなと思った。上から言われたことをただ単に学び、そのことに対し何の疑いもなく学んでいる国民。まさに、伝統的学習観そのものという気がした。これを解決していくためには、まず国民の教育に対する考え方から変えていかないといけない。自分の好きでもないことを学ばされ、いざ世間に出ると何もできない。こんな状態を早くなおすべきだ。子供たちの能動性を引き出していく学習を考え、教師も一緒に答えを見つけるといった授業展開をしていく必要がある。そうすれば、子供たちの能動性も上がり可能性も十分引き出せると思う。それぞれが、教育改革をすべき時なのではないだろうか。
(3回 S.N.)
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