天理大学 生涯教育専攻 課題図書
河合 隼雄 『子どもと学校』
岩波新書(赤212) / 1992年 / 234頁 / \740 / ISBN:4004302129
●かわい・はやお●
1928年兵庫県生まれ。1952年京都大学理学部卒業。1965年ユング研究所(スイス)よりユング分析家の資格を取得。国際日本文化研究センター教授。臨床心理学専攻。
著書:『コンプレックス』『子どもの宇宙』(以上、岩波新書)、『宗教と科学の接点』『昔話と日本人の心』『心理療法序説』(以上、岩波書店)など。
1 教育の価値を見直す
2 大人が子どもにかかわること
3 教える側、教わる側
4 こころが育つ環境
学生の感想文(16)
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私が最も印象的に頭に残ったのは、個性の問題である。欧米人の近代合理主義に支えられた自我の確立ということを日本人がいまだ十分に成し遂げられていないということである。どうしても日本人は、「個人主義」というものが受け入れられていない気がする。本書でも書かれている、アメリカから帰国した中学生の例でもあるように、同級生や、先生からの圧迫によって一個人の発言が抑えられてしまう。このことが「個性」の発展を著しく阻止しているようにしか思えない。このような状況から脱出することは非常に難しいと思う。なぜなら、日本は母性原理が強い国であるからだ。母性原理というのは絶対的と言っていいほどの「平等感」がある。つまり、一人の積極的な意見は、ただの自分勝手な意見とみなされるのである。
今日の日本人は、現状を脱出しようとも考えていない。一人一人がもう一度「個性」というものに向き合っていかなくてはいけないと思う。
(1回 Y.M.)
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この本でも取り上げられていますが、人はそれぞれ感じ方や考えが違い、特に教育の問題に関しては人によって大きく分かれ、また自分自身の意見でもそのときの問題を見る角度によって変わるものだと感じました。親や教師が子供のためと言い、よい子になってほしいがために教え込みすぎるのも、子供にとっては大きな負担となるのだと思います。しかもそのような影響を与えているのは、子供にとって自分の一番身近な大人である親や、教師がほとんどの場合だと感じます。本当に子供に幸せになってほしいと願うのなら、子供の気持ちを理解することに努力をし、よく考えてみる必要があると思います。とは言っても教師という職業はとても大変だと感じました。生徒からすると自分の先生であるので、先生から見た場合もたくさんいる生徒のうちの一人ではなく、一人一人の人間として見、生徒にとって大事な時期に教育を任せられてる身として自覚を持たなければならないと感じました。
(1回 K.S.)
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改めて子どものすごさを感じた。大人が驚く様な感受性を持ち、発想をする純粋な子ども達。その驚く大人もひと昔前はそんな純粋さを持っていたのかどうだか疑いたい所だが、それはともかく、私は最後の章の子ども達が書いた詩に興味が惹かれた。子どもらしい価値判断や、大人の矛盾する行動を子どもの視点から見たままの形で、子どもらしい表現で書かれている。
私も小学生の時、先生に自由に書けと言われ書いた詩が先生に高く評価された事があった。当時の私も同じで、身近な大人の矛盾した事を詩に表現した訳だが、今さら考えるとただの「痛いところを突く子ども」だと思う。ただ当時の私らしく感じた事を何も考えず表現したのは覚えている。私もそんな純粋な心を持っていたことはあったのだろうかと考えさせられた。
(1回 H.K.)
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本書を読み、自分自身の「生涯教育」に対しての考え方が大きく変わった。近年、生涯教育が望ましいということは誰しも異論がない。定年退職を迎えたりした人が、常に新しい知識を吸収し、進歩しつづけるということはすばらしいことである。しかし、それだけではダメなのだ。それだけを善しとする生涯教育を考えると「死」というものを入れ込むことができないのだ。私が生涯教育について考える時、「死」というものは考えつかなかった。しかし、よく考えてみれば、生涯教育というのは一生涯を通じての教育である。一生涯の中には当然最後に「死」という枠があるのだ。「いかに生きるか」ということだけが生涯教育の本質だと思い込んでいた私に「いかに死ぬか」ということも考えねばならないということに気づかせてくれたこの本に感謝である。
(1回 K.M.)
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教育に対する親の価値観が、「素直な良い子」といった理想像にほとんど一様になりがちな為に、子どもの自主性を奪うことがあるのだなと感じさせられました。病気による心の安定感の維持、想像性豊かなる上での「遊び」の必要性があげられているように、健康と病気、仕事と遊びといった対極的な見方の、どちらか一方に片寄らず物事を見ていくことは、本当に教育の上で大切なのだと考えさせられました。
教師というのは「教える」と同時に生徒を「育てる」立場にあるわけだが、教育する側からの視点に目を向けすぎることにより、生徒自身への配慮がおろそかにならないようにするべきだと思いました。生徒1人1人の「個性」が壊されることがないよう、一般的な「教え」に乗ってこない、あるいは乗れない子どももいるということなどと様々な視点にたって考え、知識の注入に力を入れすぎないようにすることも大切だと感じました。
(1回 Y.M.)
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誰かを教育する場合の価値のあり方が違うのはあたりまえだと思います。その為の価値の問題はしかたないと思います。価値の多様性と最近よく言われていますが生き方が多様になっただけだと思います。教育の実状では日本人すべてが「勉強のできる子はえらい」というかたよった価値があります。少しでもいい点を取ろうとするために勉強するのだと思います。子供の個性によって違う勉強の仕方もあり進む道も違うと思います。また勉強以外では「素直なよい子」という理想像がありますが自分的には勉強のできる子より素直でよい子の方がえらいと思います。でもこの素直なよい子にもいろいろあり、親や教師など目上の言うままにそれに従うことを意味している場合があると思います。そんな子が急に「自主的判断」をもって生きていかなければ行かないとき、優等生だった子供がすぐに挫折したりするものだと思います。これを一様な価値観の犠牲者といってもいいと思いました。
(1回 T.N.)
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教育の問題は大人も子どもも考えていかなければならないのだと改めて考えさせられた。
現代では大人が子どもに対して詰め込み教育をしすぎてあらゆる才能を壊していると思う。それは個性さえも壊している。子どもにもっと自由を与え見守るということも大切なのだと思う。大人も最初からよい教育をすることはできない。たくさんの問題にぶつかりそれを解決することによって得ることがたくさんあると思う。そこからよい教育をしていくことが大切なのだと思う。同じ性格の人というのはいない。子どもにもすぐに人に対して心を開く子やなかなかそうはできない子がいる。大人や先生は先に子どもに求めるのではなく大人が心を開くことが大切だと思う。たくさんの問題があるが教える側というのは子どもは何らかの問題をかかえていることを頭の隅におきちょっとした行動にも気付くべきであると思う。
(1回 Y.N.)
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現在、日本が学力重視であることによって、親は子供に勉強ばかりさせ、子供の自由・幸福を平気で奪っている。また、子供が悪いことをすると、子供は親に何かを訴えようとしていることにも気づこうともせずにすぐに子供を叱る。そのために子供たちの個性・自由が壊されているのである。教師もまた「教える」ことに夢中になりすぎて、子供の気持ちや意見を聞こうともしない。このようなことがあるから不登校や盗みなどをする子供が増加しているのではないか。親や教師は子供が何か問題を起こしたときには、すぐに叱るのではなく、子供たちをよく見て、何故そのような事を起こしたのかについて考え、暖かい目・長い目で見ることが大切である。つまり、親や教師は子供と共にさまざまな発見をし、相互の気持ちや考えを知りながら、お互い成長していくことが大切である。そのことを現代の人はもっと知る必要がある。
(1回 M.S.)
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親が子を思い、良い学校に入れるのは普通だと思っていた。多分、この本を読む前の人のほとんどが、僕と同じだと思う。でも、それ自体がすでにおかしかった。今は能力社会、実力社会になっているが、つい最近までは学力社会になっていたからだ。しかし、未だに学力社会から抜けきれてない気がする。だからこそ、親もいい(学力が高い)学校に入れようとしているのだ。中学3年、高校3年になればやはり塾に入る。それも自分自身の性格や人間性に合った高校、大学に入学する為に塾に入る者は少ない。多くは塾でできる限り学力を上げ、その学力に見合った学校を選ぶのだ。だから、その学校に入学した者でも、校風や教育目標を知らない人も多い。それだけでなく、学力のみで入ったが故に、充実した学生生活がおくれない事も少なくない。充実した学生生活こそが自分自身の能力や実力を、最も向上する事ができると思う。
(2回 T.K.)
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子どもが成長していく上で、親の影響というものは多くの割合を占めていると思う。そういった中で、親の価値観を無理にでも押しつけようとすると、逆に言うことを聞かなくなる。本書でもたくさんの例をみることができた。子どもは親に似るものである。
本書の中で、小学校一年生の詩がいくつかあげられていたが、全て非常に興味深いものばかりである。子どもはすごく親を観察して生活している。それと同時に、小学校一年生ながらも、ちゃんとした道徳性を持っていることがわかった。読んでいて、なるほどと思うような詩である。
人と人との人間関係において、大事なことは、相手が大人であろう子どもであろうとも、相手の気持ちを知ることが、とても重要なことだと思う。しかし、簡単には人の気持ちはわからない・・・
この本は自分にとって読みやすく、共感できる部分が多かった。本書の中にある小学生の詩は是非読んでみてほしいと思う。
(3回 F.S.)
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本の中に「生徒たちのほんとうの幸福を願うのなら、親も教師も、もっと多様な価値観をもつべきではなかろうか。」ということが書かれていた。この本を読んで普段は何も思っていなかった、気付かなかった大人の子どもに対する価値観を知ることができた。だからこそ、この文の内容には納得ができた。うんざりするくらい日本では、「いい子」や「一流大学をでた子」が高い評価を受ける。「いい子」といっても、一般的な価値観で位置付けられた模範のようなものではないだろうか。個人の中身を見るのではなく、その子の経歴ばかりを重視する。そのことは、日本人の価値観に植え付けられている気がする。私は、今はまだ学生という立場なのでこのような考えに様々なことを思うが、はたして大人になって社会にでてからも思うかというと不安である。周りにながされたりしていつのまにかこの価値観が入るのではないだろうか。そんな人がいると何も変わらないのだろう。この本の内容を自分の中にとりいれることが出来たらいいと思う。
(2回 K.K.)
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最近、よくニュースなどで言われている「個性」に関して、教師の判断の重要さについて、数十年前に、ある昆虫好きな少年が不登校症になる話がある。少年は自殺を考えるほどだった。ある日、担任教師が家庭訪問やってきて、少年が自殺を考えていることを見ぬき、その親に、少年に昆虫学をやらせるように言った。そして、そのために適切な学校を調べて進めた。その少年は今や一流大学の教授である。と言う教師の判断が書かれていた。私は誰にでも出来ることではないと思った。この判断は、才能や経験があっても簡単に出来ることではないだろう。改めて、教師という職業は大変な仕事だと思った。しかし、現代の教師は何かと問題を起こしてはテレビで報道されたり、学園などでドラマで面白おかしく画かれる事が多くなったように思う。学校も裏口入学を行っていたと聞く。今日、注目されている問題ではあるが、なかなか解決できないのはやはり、人には個性があるからではないだろうか。
(1回 A.O.)
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子どもってスゴイなあ、とつくづく感心させられた。観察力・感受性・創造性・素直さ・自由さ・価値判断能力など、大人では気づかないところでも子どもは気づく。全く驚かされるばかりである。それどころか、大人が子どもから教わることも多々ある。素晴らしく賢いと私は思う。
だけどまだ分からないことや未完成なものがあり、それを大人が教えるのだが、教えることに熱が入りすぎて、それが子どもの「育つ」力を押え込んでいるなんて思ってもみなかった。「待つ」ということはとても大切なんだけど、放っておくのとはまた別で、それがとても難しい。
そして、その子の気持ちに気付いてやれるかが最大になってくるのだと思う。人は結果だけを重視することがあるが、それは違う。何故そうなったのかを考えることが必要である。
そのことに気付いただけで、まずは一歩、本当の教育というものに近づいた気がする。
(1回 K.W.)
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今年から完全週5日制が公立学校に導入され、心の教育や個性の尊重を重要視したゆとりのある教育が始められた。休みの日は、家庭や地域社会で色んな体験をさせようとしているが、実際のところ、宿題に追われ遊ぶ時間が以前より減ってしまったり、学力低下を心配して塾に通う子どもも多いようだ。筆者は、子どもの個性について、「子どもの個性を伸ばす教育をするためには、教師自身が画一的な方法にしがみついていたのでは駄目であることを自覚しなくてはならない」と主張している。そのためには、教師は生徒一人一人の個性を発見し、伸ばすための教育をしなければならなくなる。「子どもの好きなことをやらせてやる、そこから個性は開花してくるのだ」という意見は、私も賛成だ。しかし、それは本当に教師の役目なのだろうか。果たして、教師が学校という場で自分の受け持つクラスの生徒一人一人に目を向け、個性を破壊しない教育をするのは可能なのだろうかと感じた。
(2回 M.H.)
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今、キレる子供が増えている。これは価値観の一様性が問題といえるだろう。小さい時から自由を奪われ「教える」ことばかりで「育てる」事をしないと、その人の感じ方や考え方というのは伸びないと思う。よい高校に入りよい大学に入りよい就職についてほしいという親の考えだけでは生きていくことはできない。小さい頃に感じ方や考え方が伸びなかった分心のやりどころがなくキレるという行為に出るのだと思う。教師が壁になって守りとしての役目をするという文があった。思春期というのは何にでも反抗する時期である。私は今の教師は教育をしにくいと思う。思春期というのは何を言っても人の言うことを聞けない時期だと思う。だから少しは力でおさえてもいいと思う。壁として立つことを誤解してしめつけるという意味ではなくそれも必要なことだと私は考えるからだ。でも最近の親の過保護さのせいでそんなこともできない。私はこれからの人を「育てる」という面では教師だけの努力だけではなく親の考え方も変えなければならないと考える。
(2回 S.I.)
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子供と学校という本を読んで、自分も一様な価値観で教育を見ているような気がします。
その価値観の違いによって子供の自主的判断が奪はれ自主性と自由が奪はれていることを知りました。自分から進んで物事を考え行動に移していくことが重要であり認識していかなければこれからの社会に通用する人間にはなれないと思いました。教育は、教えると育つと言う文字に分かれるように、教える側の人間も教えられて育つこともあり、教えられる側も育つという二面性を知っておくべきだと思いました。また教師側、生徒側との間にある壁をより低くし互に個々を伸ばしていかなくてはいけないと思いました。また感情と言うものを一つの物として考えていくのではなく、一つ一つ異なった個性として生かしたり、また時には他人の個性を生かしてあげられる人間にならなくてはならないと思いました。生涯教育はその中で欠かせない事であり生かして行けるよう学んでいきたいとおもいます。
(2回 H.K.)
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