天理大学 生涯教育専攻 課題図書

川喜田 二郎 『発想法 ― 創造性開発のために ―』

中公新書(136) / 1967年 / 220頁 / \660 / ISBN:4121001362



●かわきた・じろう●
1920年三重県生まれ。1943年京都大学文学部地理学科卒業。大阪市立大学助教授、東京工業大学教授、筑波大学教授中部大学教授を経て、KJ法本部川喜多研究所理事長。文化人類学専攻。理学博士。
著書:『続・発想法』(中公新書)、『KJ法−混沌をして語らしめる−』ほか多数。


1 野外科学 ― 現場の科学
2 野外科学の方法と条件
3 発想をうながすKJ法
4 創造体験と自己変革
5 KJ法の応用とその効果
6 むすび

学生の感想文(16)

 私が発想法というか発想という言葉で思い出したのが日本人は発想がとぼしいといわれていた事だった。日本人は他の人がつくったものに応用を加えることは得意としているのだがモノをつくりだすという発想という点ではとぼしいものがあると聞いたことがある。ようするに発想法というものが身についていないという事であるように思われる。KJ法の訓練がされていないという事である。日本人は、素直に現実を受け入れる柔軟性のセンスにおいてはすぐれたものがある。しかしその感覚は庶民層においてはみられるけれども日本の現状では知識人になるほどその素朴なセンスの芽を失いがちではないかと思うという文が書いてあった。ということは私達の方がもしかしたら発想法がうまくつかえているのではないだろうか。しかし発想法がうまく使えているからといって庶民層のヒラメキは世間にでる事はないだろう。でもそのヒラメキを大切にあつかわなければならないと思った。
(2回 S.I.)

 KJ法=川喜田次郎法はほとんどの社会や地域などに階層に関係なく広がっていると思った。同じテーマにおいて話し合っているとき、同じテーマで活動を行っているときに内容を分かりやすく図解化することによって、よりみんなに分かり易く効率があがるという事は、便利で有効的であると思った。意味や内容などでつまずいてしまったりすることは、誰しもが経験することであるし、その中で発想法を用いる事ができればより早い解決に進むであろうと思った。しかしながら、生活においてそのさまざまな法を使いこなせるようになるにはそれなりの知識が必要であると思う。自分が理解に苦しんで、まだしっかりと理解できていないので早く自分の物にして役立ってほしいとおもう。物事に対し、発想法は無意識のうちに活用しているようでもあると思う。その中でより良い発想法を柔軟に使いこなせる事ができればよろしいことであると思った。
(2回 H.K.)

 この本を理解するのは、とても難しくて未だに理解できていない。わからない言葉が多く苦労した。古い本なので読みにくかったが、今でも勉強になる内容であった。KJ法は、大学の授業で学んだことがある頭の中だけで考えるのとは違って、目を通して構造的にまとめられることができるので理解しやすかった。あとがきに書かれてあるKJ法の原点は、「人間が全人的に生きるとはどういうことか」を問うものがある。この意味がまったくわかりません。
 私はより多くの人にこのKJ法を伝えるのが必要であると思う。KJ法のマニュアルを作り高校の授業などでも取り入れていけばいいと思う。私自身このKJ法と発想法をあまり理解できていないのだが少しは興味のあるないようでした。
(2回 T.K.)

 まず最初に、この本は難しくて理解できませんでした。でも、発想法には、国の考え方や文化の違いがでるので面白いと思いました。たとえば、アメリカ人は物事をはっきりし、意見を述べるが、日本人は昔からの風習ではっきり口に出さず、白黒つけない部分があります。しかし、発想法はそこをよい部分ととらえ、生かしています。ブレーンストーミングという会議の仕方で途中まではこのやり方は発想法を作った著者も賛成していましたが、会議が終わり、内容をリストアップするとき、いらない部分は切り捨てています。しかし、発想法はこの部分も受け入れて考えています。そしたら、もっと考えも広がり色々と生かしていくことができます。発想法はすばらしなと思いました。あと、まだぜんぜん理解できていないので、もっと理解しようと思います。
(2回 K.K.)

この課題図書は難しいと思った。大学受験の時、塾で、国語の先生が「難しいことを難しく論じる事は簡単だ。本当に人に伝えたいのなら、難しいこともわかりやすく説明するべき。」とおっしゃっていた。本当に、その通りだと思う。僕も課題図書を何冊か読んだが、この本が一番意味がわからなくて、変な英語をカタカナにしていっぱい使っていたり、難しい漢字を沢山使っている気がした。KJ法は素晴らしいと思う。一見何も関係のない事でも、共通する事柄を考え出し、関係性を見つけることができるし、何よりも全ての物事に活用できる。世界中の人がこの方法を使ったり、これによって様々な問題が解決したりしていると思う。けれど、それとこの本自体の評価とはまた別だと僕は思う。極端な話、何もKJ法を発見したからといって、川喜田二郎さんがこの本を出版しなくてもいいんじゃないかなぁと思う。もっとうまく、もっとわかりやすくかける人がいると思う。 僕の頭が悪いだけなら、川喜田二郎さんごめんなさい。
(2回 T.K.)

この本ははっきり言って難しくてわけがわかりませんでした。授業で体験したことで、少し見えたかなと思います。でもいちいち紙に書き、それを切るという作業が私にはとても面倒くさいと思いました。これは日々考える人にとっては画期的ですばらしい方法でしょう。自分の考えがはっきり見えてくるし、小さいものもむやみにつぶれて消えていくこともなく、ちゃんと意見の中に組み込まれることができるわけですから。この本で言う発想法は日本人専用のもので、日本人の良いところを生かしていけると思います。
野外科学の野外と科学の意味がわかりませんでした。
まだまだおくが深そうです。私は発想法を学ぶ前に、考えることをしようと思いました。
(2回 Y.A.)

 発想法には、地域差・文化の違いがでるのがおもしろく思いました。アメリカ人は物事をはっきり述べ、自分の意見を出そうとします。反対に日本人は、思ったことを口に出さず白黒はっきりしないとよく批判されています。でも、発想法では、その性質を「受け入れ」の能力と良いほうに捉えられていました。みんなの意見を用い発想していくのだから、いろんな意見があって、その国々の個性が出れば面白いのではないかと思いました。偏った意見ばかりでは広がりに欠けると思いました。まだまだ理解できない部分がたくさんあり、難しい本でした。
(2回 S.O.)

この発想法の本は読みにくく、少しわかりづらかった。やっぱり、授業でしたように実際に自分で体験したほうが一番いいと思う。1回しただけなので、完璧に理解したとはいえないけれど、KJ法を実際に行って、確かに多方面から物事を考えるとき、また、何でもない意見等が重要な位置であったという事にと気づくにはまとめやすい方法だと思った。最後の結びに、著者が「無の哲学。受け入れの心が大切」だと言っている。外にだけのみ目を向けるのではなく、ありのままの世界を受け止める心を、私も持っていたいと思う。そうすれば、何か問題について考えるときにあらゆる方向から考えることができて、思考の幅も広がってよいと思う。
(2回 S.E.)

 1968年初版である本にもかかわらず、今でも勉強になる内容であった。KJ法は、大学の授業でも学んだことがあったので、少しは知っていたが、やはりマスターするには難しいと思った。筆者による考察は鋭いもので、とても勉強になる本であった。KJ法で用いる用具が簡単で安いためにKJ法を甘くみる人がいると書かれていた。本格的な訓練もせずに、すぐに誰でも使いこなせる方法ではなく、私のような初心者が利用した場合、失敗はつきものであると思う。けれど、KJ法を利用できるようになれば、将来、会議や仕事面で役に立つのだと思った。
 KJ法を分かったつもりでいても、周りの観念や価値観が入ってくると間違った方向にいくことも充分あり得ると書かれていたので、きちんとした訓練の元で態勢を崩さないようにすべきであり、日頃から使い慣れることが大切だと思った。
(2回 T.O.)

同じテーマで話し合いをしているとき、同じ主旨のもと活動をしている時、そのひとりひとりが、主題や活動者のおもいを理解していなかったら、意味がなくなってしまう。口で説明するだけでなく、内容を図解化することで、より内容が分かりやすくなり、効率よく物事がすすむように思う。話し合いをするときには、話し合いの場の雰囲気が大切だと思う。その場にいるみんなが、意見を出し合える和やかな雰囲気でないと、よい意見など出てこない。緊張した状態の頭からは、とてものびのびとした発想など思いつかないと思うから。話し合いや談じ合いといったネーミングはすでにかたい印象を受けるから、もっと軽い呼び方があってもいいかとも思う。その呼び方を考えるのにはきっと、KJ法が使われると、効率よく話し合えると思う。
類型的行動、状況、主体、対象、手段方法、目的、結果の7項目が、物事を観察するときの重要な点だと知った。メモをとる時もこのことを忘れてはいけないと思った。
(2回 R.A.)

 KJ法、すなわち川喜田次郎法は、今や、日本のみならず、世界中に拡がり、ほとんどのあらゆる社会階層に浸透しているというのは、私も授業で、このKJ法を用いた経験からして、当然のことだと思う。確かに、わかりやすく、結果を導きやすかった記憶があるからだ。初めからあれこれ考えず、少しずつ整理して先に進むので、グループの様々な意見が迷子にならず、きちんと盛り込まれている。かといって、大雑把なまとめ方にもならないので、最終的な結論が、それぞれチームメイトの意見の対立もなく、皆の納得のいく形に収まるのだ。
 この方法が日本人に向いているという考えにも納得がいく。日本人は世界的に見て、まじめで、地道な努力をする国民だと位置付けられている。生活様式などを相手にかまわず、外の世界に押し付けようとし、しばしば外の世界の猛烈な抵抗を受けているアメリカなどの文明と違い、素朴なセンスをもち、優れた「受け入れ」の能力を今後は自覚的な形に育て上げ、理論化して、今日の国際社会に提供する責任がある日本人にこそ、このKJ法を使いこなせると思うからだ。外からあらゆるものを受け入れようとする姿勢こそが、創造性開発につながり、発想法の根本の問題につながるのではないかと思う。私も一人の日本人としてこの事を胸に留め、普段の生活に大いに役立てていきたいと強く思った。
(2回 H.K.)

発想法の特徴は図解によって視覚的に問題点をとらえることができることである。 これは本書に述べていた利用法を実践すれば会議などがスムーズに進むであろう。 ここにあるプロジェクトがあるとする。これを完成するにはかく部署との連携が 必要条件である。ここでこのKJ法を利用する。すると各部署ごとの進行状況を視 覚的にとらえることができる。さらに責任者が集まり企画全体でKJ法を用いれば 携わる全ての人が状況把握できるのである。それにより意識が向上する。ここで ポイントなのは二段階においてKJ法を使うことである。まず部署ごとにさらに全 体にと分けることによって問題意識がさらに明瞭になるはずである。さらに、「 KJ法AB型」において図を書くときに矢印の種類(因果・強調・強弱など)を増や せば互いの関係がより分かりやすくなるのではないだろうか。
(2回 Y.N.)

 授業でも何度かKJ法を行ったことがあるのだが、頭の中だけで考えるのとは違って、目で見て構造的に動かしていくことが出来るので、まとまりやすく、理解しやすかったように思う。
 その時はいくつかのグループに分かれて行ったのだが、やはり様々な経験を積んだ人の居られるグループは、問題をより多方面から見ており、問題構造がとても分かりやすかったように思う。
 KJ法を数人で集まって行う場合に、偏った考えを持った人ばかりが集まって議論をしまうと、見落としてしまう部分がたくさん出てくると思う。また、人間は集団になるとリスクを低く見積もってしまう傾向があるようだ。そういったこともしっかり考えないと危険な方向に向かっていくのではないかと思う。
 KJ法を成功させるためには論者も言っているように、個人の能力を高めていくことが重要であると思う。さらに個人が様々な経験をしていくとより発展的なものになるので、授業でもよく言われるのだが、あまり大きなリスクを伴いにくい若い時にこそ、いろんな経験をして知識を広げておくことが必要だと思う。
(2回 M.I.)

この本を読みとうして、KJ法が独創的発想をうながすものだということはわかったし、納得はいった。しかし、実際に、自分で行ってみないことには、このKJ法が役立つかは不明である。それに、KJ法は、すぐれた方法であるとは思うが、グループ編成などの時に多大な時間がかかりすぎるのは少し弱点ではないかと思う。しかも、本文にも書かれてあるように相当な精神的重圧を感ずることになるのはあまり感心ではない。熟練者ならまだしも、初心者にはかなりきついものだと思う。でも、それが元となって教育上の効果があるとかいてあったので、仕方のないことなのかと思った。
もし、このKJ法の訓練用のマニュアルが完成し、多くの人が使えるようになれば、会議や職場でいかせるようになる。どんなことにでも利点と欠点はつきものであるから、細かいことは抜きにして、このKJ法が多くの場所で力を発揮してくれるようになればいいと思う。
(2回 K.K.)

著者の名の頭文字を並べた「KJ法」という言葉を私は初めて知った。そのKJ法を使 う際の、アメリカ人と日本人の発想の仕方について述べられていた。それは大変興味深い ものであった。
『KJ法の手続きのうち、「単位化」の段階はアメリカ人向きであるが、データなどを「圧縮化」して一行見出しにするのは、日本人のほうが得意であろう。』『概念をとりまいてはっきり限定を加える輪郭のないのが、日本人の世界で、修正をする程度の創造力はきわめてすぐれている。』
アメリカ人は白黒はっきりしているが、日本人はグレーである。また、アメリカ人は自己主張が強いが、日本人は受け身である。私は今まで、日本人のこういった性質をマイナスにとらえていた。しかし、KJ法では、輪郭がないことで共通点を見出せたり、徹底した受け身の精神が素直に現実を受け入れることにつながる。
KJ法は、まだ世に浸透していない、これからのものであると思う。KJ法の発展とともに、日本人の良さも生かされれば嬉しい。
(2回 M.H.)

この本を読むまで、発想法やKJ法という言葉、そしてその意味を私はまったくしりませんでした。しかしこの本を読みあらたにたくさんのことをしりました。まずKJ法をとはそのやり方をしっていれば誰でも使いこなせるということ、そのKJ法にはA型やAB型といったものがあるということです。そして、その2種類を実行したときの結果に大変驚きました。AB型でデータを文章化すると今まで30枚の論文を書くのに苦労していた人が平気で何百枚も書けるそうです。これは是非参考にしようと思いました。またこの本の中で興味深かったのは、民族によってKJ法を使いこなす能力に相当のバラエティがあるということです。日本人やアメリカ人、また英国人などでは持っている創造性に大きく違いがあるそうです。「日本人はよく真似をするだけといわれがちですが、いいかえれば他の国の人には真似創造力がないのである」という筆者の意見にとても共感しました。今回読み終えて、完璧にKJ法、発想法を理解できたとは言いがたいが、この二つには多くの可能性と実用性があるということを学ぶことができました。
(2回 Y.M.)