天理大学 生涯教育専攻 課題図書
中根 千枝 『タテ社会の人間関係 ― 単一社会の理論 ―』
講談社現代新書(105) / 1967年 / 189頁 / \660 / ISBN:4061155059
●なかね・ちえ●
1926年東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業。のち、ロンドン大学で社会人類学を専攻。現在東京大学名誉教授。研究対象は、インド・チベット・日本の社会組織。
著書:『適応の条件』『タテ社会の力学』(以上、講談社現代新書)、『家族を中心とした人間関係』(講談社学術文庫)など。
まえがき
1.序論まえがき
2.「場」による集団の特性
3.「タテ」組織による序列の発達
4.「タテ」組織による全体像の構成
5.集団の構造的特色
6.リーダーと集団の関係
7.人と人との関係
おわりに
学生の感想文(25)
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日本は「ウチ」、「ヨソ」の意識が本当に強い国であると思う。本書が出版された1967年当時でさえそのような意識が強かったのだから、現代ではなおさらであろう。本書を読み、中でも『「ウチ」のもの以外は人間ではなくなってしまう』というところが非常に強く印象に残っている。自己中心的な考えというのは、非常に弱く、悲しいことである。無数に銃などが溢れており、いつ何時自分が事件にまきこまれるかもしれないアメリカなどの方が「ヨソ」という存在に強い警戒心をもって、そのような考え方になっても仕方がない。が、逆に、アメリカなど外国のほうがそういう考え方はないのである。むしろ「ウチ」、「ヨソ」の「壁」みたいなものがなく、非常に開放的である。
日本は平和であり、しかも人口密度が高く、人と人とが接する時間が長いのに、このような考え方というのは本当に恥ずかしいとしか言いようがない。
(1回 Y.M.)
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タテ社会の人間関係を築いていくにあたって鍵となるのがトップに立つリーダーである。
自分は前々からリーダーになる人物とはどのようなパーソナリティの持ち主であるのかに興味があった。それは、自分もなってやるという野望があるからだ。この本に書かれている日本の真のリーダーというものは、独裁制的なもので孤立に近いもので部下に気などつかわないものでは全くなく、むしろ非常に大きなエモーショナルな部分にエネルギーをつかわなければならないものであった。そのような関係に力を注ぐ日本の社会は珍しく、他の社会にはこの様な力はあまり注がれない。
日本のリーダーになるにはその特徴を知り、エモーショナル関係をいかに上手く築けるか、築けないかでリーダーの資格のあるものない者、そうでない者に分かれる。いくら一人が頭が良くても部下を道具としてしか見ていなかったら、部下は就いてはいかないし伝える事もできない。真のリーダーとは、ただ賢いのだけでなく人に対しての心の配り方や相手を分かろうとする思いやりなどを持つ者なのである。それを持った者には必ずその者のパーソナリティに魅せられた者達が集い上手く調和のとれた社会を創っていけるのではないだろうか。
(1回 I.T.)
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この本を読んでまず私思ったことはタテ社会というものは消えないしまたこれがあるということがたいした問題には思えないと思ったのがまず初めでした。本の中に書いてあった大学、高校の先輩と後輩の関係という例これがかなり頭の中に残っています。私はこの先輩、後輩の序列これはとても大事だと思っています。この先輩、後輩の序列により礼儀などを知りました。先輩、後輩の序列というものは社会集団において機能することは当たり前だと考えます。日本人は下の者なら自分の考えをも言えないず思考、意見までもがこの序列意識を強く支配していると書いていました。これをほんとにその通りだと思いました。下の者が上の者に意見、思考を言うことはかなり厳しいことだと思います。こういうことが今でなお社会で普通に行われているのならば、序列意識は強くなっていく一方ではないかと思いました。
(1回 S.T.)
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現代の日本社会構造を述べたうえで他の社会と比較している点がわかりやすいももだった。個人の能力重視ではなく、人間的感情に比重をおくタテ社会という点で日本の文化が外国人に理解されにくいことがわかった。もう少し個人の能力に重視するべきであると思う。女性の社会活躍が他国に比べて大幅に遅れているのも、それが大きな原因となっているといえる。日本の独特の文化として今の社会構造を引き継ぐのではなく、他の社会構造の様々な面を理解し、もちろんその前に、日本の今の社会構造をしっかりと理解して、少しずつ土台を崩さない程度に変えていく必要があるのではないか。国民の不満が頂点に達する前に。どれほど努力しても、認められずリーダーになれない社会に不満をもっている人は、少なからずいるはずである。
(1回 Y.I.)
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私は生まれてこの方日本人なので、「タテの関係」を体感してきた。だから「タテの関係」がない社会というものが少し味わってみたい気がした。本の中に中国・インド・チベット、イギリス・アメリカとの比較として書かれてはいるが、それだけではもちろん実感がなく、ほんの一部の事なので「ヨソの者」の事はわからない。しかし幼い頃に一度だけアメリカに行ったことがあり、幼いながらも「アメリカ人のヨソの者の意識」を見た。
アメリカでは日本人ほどの「ヨソの者」の意識はなく、宿泊していた家の人の知り合いの人に、初対面ながらも向こうから気軽に「アメリカを案内してやる」と誘ってもらい、色々とお世話になった。
私はいかに日本人が「ウチの者」「ヨソ者」意識が強いのか、この本を読んで改めて理解した。特にこだわらずに「ヨソ者」であろうと良い所は吸収して、これからの生活に役立てていこうと思った。
(1回 H.K.)
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どんな社会も当然それを支えるある一定の社会構造というものを持っているわけだけど、その社会構造からなる日本の社会集団のあり方について考えさせられました。取り上げられた『資格』と『場』においての、日本人の集団意識というのが非常に場におかれている、という事実に対し、なぜ個人が本質的に持つ資格自体が会社とか大学という一定の枠の次に重要視されてしまうのかと不思議に思いました。自分が記者であるとか、エンジニアであるとかいった本来の自分である前にA社、S社の者といった団体の一員であるということを強く働きかけさせる一体感に驚きを感じました。本書に書かれてあるように、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が入ってきて、徹底した仲間意識による安定感というものよりもむしろ、どこまでが社会生活でどこからが私生活なのか区別がつかなくなるような個人の尊厳を侵す危険性の方が強いのではないかと私は感じました。
(1回 Y.M.)
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日本社会ではタテの関係が強い。現代では会社でも上下の関係が厳しいのではないかと思う。学校にしても先輩や後輩の関係があり、あたりまえだと思っていたがインド人、中国人、ヨーロッパ人たちが現地においてゆうゆうとして仕事をし、落ち着いた生活をしているのだということを知り日本の人間関係というのはとても厳しいのだと思った。外国では、下の者が上の者に対して自分の考えを述べることはあたりまえなのだが日本では表面的な行動ばかりでなく、思考、意見の発表までにも序列意識が強く支配している。
集団組織においては、リーダーシップというものは制約される。リーダーというものは、権力をもっているように思っていたが他の社会におけるリーダーに比べてリーダーとしての権限を制約される点が多いという。日本ではいろいろな人間関係があり、社会とは厳しいのだと感じた。
(1回 Y.N.)
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私は本の中に示されている「タテ」の関係と「ヨコ」の関係について、一番関心があった。それは日本社会においてどこでもあるものだからである。
現在においても、私は大学の中で四〜一回生における「タテ」の関係と「ヨコ」の関係の中に位置している。そして今までもずっとその関係はあった。それが当たり前のように育ってきたし、その枠を超えるということは、まったくというほどなかったと思う。序列意識が強いということについては、あまり深く考えたことがなかった。
今改めて考え直してみると、中学校や高校の時の部活においては、この意識がとても強くあらわれていたのだと気づいた。特に運動部においては、ことさら強かったと思う。
これらの関係は日本社会において、根強くあるのだとあらためて感じさせられた本であったと思う。これから先にこの関係がなくなるとは、考えられないことだと思った。
(1回 K.O.)
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小、中、高、大学と進む中で先輩、後輩、教師と自然に上下関係は成り立っていた。これまででは、年上年下という理由が前提だったが、この先社会にでてなんらかの仕事に就いたとき、それはこれまでのようにはいかなくなる。学歴や、資格の有無、仕事のでき次第でその上下関係は年齢に関係なく変わってくる。このような人間関係は日本では1つの価値観であり、これから先も変わることはないだろう。タテ社会ではたとえ同じ学歴、資格等を持っていてもなんらかの方法で「差」が設定されてしまう。年功序列制と能力制という二つの方法は、多かれ少なかれ存在しているが、日本の場合、常に前者に圧倒的な比重がかかり、バランスがいつもそちらにかかるという現象がみられる。日本の現代社会は「タテ」ばかりのような気がする。アメリカなどのように「ヨコ」をうまく取り入れていけば日本という国ももっといい方向に進めるのではないかと思う。しかしそれがなかなか難しいというのが実際である。
(2回 S.F.)
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昔、テレビで「韓国ではよくキムチなどの辛いモノを食べるので興奮しやすく、日本ではワサビが用いられているのを食べるので冷静である。」と両国の国会の様子で説明しているのを見たことがあり、日本人は冷静に論理的だと私は解釈していた。だけど、この本を読み、日本人は感情で動く人種なのだと思い改めることになった。
確かに、どんな場面でも、上下関係が厳しく、上司が白といえば白、という風に、間違っていても言うとおりにしなければならならず、自分の考えを言うことができない。そんな事は外国では、ありえないと思う。
そういうマイナスな面も、もっているけれど、感情をことのほか楽しみ、愛する日本人は、ここに書かれていた「論理のない世界で遊ぶ」ということができるのであり、それは素敵なことだと思う。しかもそれが一種のリラクゼーションをともない、重要な社会的機能を果たしているのだから、なおさらであると思った。
(1回 K.W.)
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日本という国がこれほどまでも独特な社会構造になっているとは知らなかった。そしてその構造を見つけ出し理論化して、諸社会と比較しながら人類のもつ社会というものを分析していく社会人類学に興味を抱いた。しかし実際に日本社会を振り返ってみると「ウチ」「ヨソ」の意識が強い。たとえば電車の中で知らない人だったら、突き飛ばして席を獲得したその人が、親しい人(特に職場で自分より上の人)に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽な姿がみられる。また日本人は仲間と一緒にグループでいる時、他の人に対して実に冷たい態度をとる。このような特色が多く目立つ日本も世界へどんどん進出している。だからといって無理やり日本社会の構造を変える必要はないと思う。少しずつ欠点を直していき変化に対応していけばいいのではないか。人間が作った社会に人間が飲み込まれているような気がする。
(1回 K.U.)
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現代日本的社会構造を他の社会と比較しながら探求していくやり方、特に重点項目を簡明なキーワード(資格と場、ウチとヨソ、タテとヨコ、単一社会、ワンセット主義等)を用い、また目にみえない集団の内部構造を図式化し本質を解明している点、明瞭でわかりやすくしている。
タテ社会の人間関係で一番切実に感じるのは序列意識ではないかと思う。特にサラリーマンにとって仕事以外、これに費やされるエネルギーとストレスは、はかりしれないものがある。したがって人事異動ともなれば、悲喜こもごもな人間模様が展開される事は必定である。
日本の基本的な社会構造が「単一性」と「タテ」の構成であるならば、各個人が必然的にこうした社会構造に組み込まれ、人間関係、生活環境等に大きく影響していることを認識すべきだと思う。
しかしながら、近年このような社会とは別な、独自の行動をとる人が多くなる現実がある。やりずらい社会情勢の変化はあるにしても安易な考えに同調せず、個性を発揮し、かつ軌道修正しながらも自分の将来のありかたを考えていくべきであると思う。
(1回 T.I.)
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自分の中のリーダーとは、権力があり、人間的に魅力があり、みんなを引っ張っていくことができる人だと思っていた。本では、人間に対する理解力、包容力をもつということが、何よりも日本社会のリーダーの資格であり、どんな権力、能力、経済力を持った者でも、子分を精神的に把握し、それによって、彼らと密着して「タテ」の関係につながらないかぎり、よきリーダーにはなれない。と書かれている。その通りだと思う。権力だけでは、下は、ついてこない。だが、上の人が日本では、年をとっていなければ、リーダーに、なりにくいと言うのが、納得いかなかった。それは、アメリカでは、年をとっていなくても、若い人が、上に立つことが多いからである。アメリカ的な考えが、私の理想である。日本の「タテ」の関係が前提にあるのは、いけないと思う。リーダーになれる人の力が短い期間になってしまうからである。この本を読んで、若い人でも上に立てるような社会になったほうがよいと思った。
(1回 M.A.)
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私が一番心に残ったことは、「ウチの者以外は人間にあらず」でした。日本人は「ウチ」と「ヨソ」には、何か太い境界線を引くかのように使用される。そのためか、あまりいい意味で使われない。『日本人は仲間と一緒になるとき、他人が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり、「ヨソ者」に対する非礼が大っぴらになるのがつねである。』という一文に、納得してしまたと同時に、このような態度は他の国ではそうではない事を知り、情けなく思った。本文の事は、私も日常では普通の事のように、知らない人には少し冷たい態度をとってしまいがちになる。
何故「ウチ」と「ヨソ」によって態度が変わるのかと言えば、まず相手を知ってるかどうかであるが、例えば、知らない人に席を譲るかどうかの時に、その人が疲れているか年齢などから少しはその人を知る事ができる。知ろうとする事が大切だと思う。
(1回 A.O.)
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今回この本を読んで日本とイギリスなどの外国との違いを感じました。日本のたて社会というのは、ただ年下であった、年下だからといったように理屈っぽいと思いました。しかし、本の中でイギリスでは先生は生徒に名前の前にミスターをつけるそうですが、博士号を取ったその日から仲間意識のためファーストネームで呼ぶそうです。そして先生と先生の間でも、先生の前ではプロフェッサーとかドクターを使うが、先生同士になると、教授も、助教授も講師もすべて同僚であり、ファーストネームで呼ぶそうです。それも日本からしたら考えられない事だと思います。イギリスでは当前のことかもしれませんが、日本では相手の人によって判断、区別して先生のことを友達かのように呼ぶ人も居ます。そう考えると日本の人と人とのたて社会もまだまだこれから改善すべき点がたくさんあると思います。そして今まで思ったことはなかったですが、日本はとても単一性の強い国だと思いました。
(1回 K.M.)
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私は、この本を読んで私自身、高校時代は寮生活だったのですが、そのときの生活をとても思い出しました。今までタテ社会の人間関係はごく自然なもので、自分より年上の人の場合や自分より多くの経験をしてきたひとはたてる。そして敬語を使う。これは私自身の中で本当にあたりまえのことであったので、改めてこれについての本を読むのはとても新鮮な気持ちがして、今までのことを考え直すきっかけにもなりました。やはりそのせいか、自分と比べてしまうのですが、たとえばなぜリーダーには年長者がなるのか?などと書かいていましたが、やはりその場その空間に長い間いる人、そしてそれが年長者になるのは自然なことなのかなと思います。その他感じたことは、日本と外国にはやはり違いがあるということです。日本は「タテ」の意識が強いわりには教師と生徒の関係は階層分化の機能が弱まっているのに対し、外国はそれぞれの「ヨコ」の機能が強く、日本が見習う点は多々あるように思います。
(1回 K.S.)
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対立ではなく並立の関係といった基本的な社会構造の運動法則によってできる社会の全体像というものは、カーストとか階級によってできる横断的な層化ではなく、企業別・学校別のような縦断的な層化であるみたいです。西欧にみられるような社会階層というものは日本にも客観的にみられ、西欧の社会学のお手本に照らしていちおう似たようなものが設定できるとしても、それが現実の社会において、機能をもちがたいことと、真の社会構造を反映するものではないということが、指摘されるのだと思います。西欧的な意味でのコントラクト関係が設定されにくいということは、丸抱え式雇用関係にもはっきりあらわれているみたいで、日本の近代企業が、その初期から、労働力の過剰・不足にかかわらず、終身雇用的な方向をとってきているという事実は、雇用において、西欧的な契約関係が設定されにくいという理由に求められるのではないのかと思います。コントラクト精神の有無というのは、経済的・文化的変動・歴史的推移などというレベルをこえたところに起因していると思われるほど根強いものに通ずるのではないかと思いました。
(1回 T.N.)
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私の中で印象に残っているところは、リーダーの資格というところだ。リーダーは天才的な能力よりも、人間に対する理解力、包容力を持つということが何よりも「日本社会におけるリーダーの資格」であるというところがまったくその通りだと思った。逆に日本には頭が切れ、器用でよく仕事をこなせるようなリーダーは数少ない気がする。私は、頭が切れ仕事をよくこなせるようなリーダーに魅力をかんじる。これからの社会には、そんなリーダーが必要とされていると思う。先頭に立ち、独創的な意見で周りを動かしていけるような。なぜそのようなリーダーが日本に少ないの教育面などが少なからず関係していると思う。日本には上下関係というのが外国に比べて強い気がする。能力があるのに上にいけない人がたくさんいると思うがする。才能をうもれたままにすることは非常に残念なことだと思うしこれからはそういう能力を持っている人たちをのばしていけるような国になってほしいと思った。
(1回 T.K.)
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私はまだ社会に出て、自律した生活をおくっていないので「タテ」「ヨコ」や立場などいまいち理解できていない気がする。しかし、今までの学校生活でも、多少は「タテ」「ヨコ」があったかも知れない。「タテ」は先輩で「ヨコ」は同級生だった。部活にも多少はあっただろう。そういうふうに考えていくと、私の周りは自分の立場と相手を固定しているような気がする。
私が集団の中の1人として存在しているとき、私は1人ではないので周りのことはきにせず、自分たちのことばかり考えている。本書を呼んで私は驚いた。私には関係のないことだと思っていたが、結構自然に「タテ」「ヨコ」などの存在を無意識にしているようだった。
日本に生まれたから、私たちの身体にしみついているのだろうかと私は感じた。
私が社会に入る頃には「タテ」「ヨコ」などの存在はどのように変化しているのか気になると感じた。
(1回 E.F.)
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この本を読んで、日本人は人間関係において、日本独自である感情を優先するということがわかった。人間は生きていれば様々な人間関係を持つ。その中で日本独自のものがあるというのは、誇りを持つべきであると思う。
人間生活において、集団というものは、必ずできる。誰一人として、集団に属さないことはないとわかった。それを構成するものが「資格」・「場」であることもわかった。
日本のタテ集団において、リーダーは必要不可欠である。集団でリーダーシップを発揮することは難しい。周りを束ねていく力がタテ集団のリーダーに必要であり、その力によって、周りをも左右することもわかった。
情を優先し、なおかつリーダーシップをとれる人間になりたい。
(3回 H.M.)
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日本とインドでは集団意識などの点で全然違うことに驚きました。日本では子供の喧嘩に親が関与し、嫁姑の問題は「家」の中のみで解決されなければならないなど「場」に重点におかれているが、インドでは何かにつけて資格を同じくする者の社会的機能が発揮されている。また、インドでは居住家族というものは、日本の「家」のように閉ざされた世界ではなく、個人は家の外につながる社会的ネットワークにとっても強く結ばれており、ここにも資格を同じくする者の社会的機能が発揮されている。
日本では「ウチの者」「ヨソのもの」意識がかなり強いのではないか。特に相手が自分より劣勢であると感じられる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり「ヨソ者」に対する非礼がいつもより大っぴらになるのではないでしょうか。このように他の国と比較してみると、日本の地域差といわれるものは同質社会の中の相対的差の問題であり、共通性のほうが重要なウエイトを持っている。
(1回 M.S.)
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戦後飛躍的に日本人の生活形態がかわってきている。西欧的な様式をぐんぐん取り入れて。目に見える文化という点では、これほどに変わってきているのに、日常の人々の付き合いとか、人と人とのやり取りの仕方においては、基本的な面ではほとんど変わってきていないことについてとても印象に残った。また、終身雇用制(仕事を中心とした従業員による封鎖的な社会集団)について、従業員は家族の一員であり、私生活にも会社が入り込んでくる。そしてそれが常に成果をおさめてきた事実は、驚きを与える。会社忠誠心は高まり、士気は上がると思うが、途中入社などが難しいのではないかと思った。また、日本人の求める民主主義とは、人間平等主義である。これは「能力差」を認めようとしない性向に密接に関係している。私は何か社会主義国家なのではないかと感じた。リーダーは天才よりも人間に対する理解力・包容力を持つ人だそうだ。日本は天才が生まれにくいことが良くわかった。
(1回 S.N.)
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私は日本の社会構造が国際的でないといわれても私自身がこの日本の社会構造を否定することはできない。なぜなら私自身がこの「タテ」の構造にどっぷりつかっているからだ。先輩には敬語を使うし後輩からは敬語を使われる。私は高校生活を寮で過ごしたのでこの構造から抜け国際的な見方をすることは確実にできないしそうしようとはこの本を読んでも思わなかった。私は先輩から少々きついことを言われても自分が悪かったのかと反省するが、逆に後輩からいわれるとむかっとくる。「タテ」の構造が自分の中で確立されてしまい変えられないものになっている。日本の文化とか言う問題ではなく自分的にこの考え方が好きなのかもしれない。先輩にはきちっとした態度を取ることは当たり前のことである。確かに先輩の人柄というのも多少関係してくるが全ての人にきちっとした態度を取っている。だから後輩がかんまんな態度をとると気に食わない。これは私の勝手な考え方ではあるが私は国際性をとるより昔からの日本の文化をとるだろう。
(2回 S.I.)
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タテ社会の人間関係は日本の国では1つの価値観であり決して消えることは無いだろうと思った。なぜならば自分もその価値観を持った人間の一人であり先輩後輩、年上年下と言う事を前提として物事を考えてしまうからである。このことは自分にとってごく普通であり間違っているともおもわない。思わないがヨコ社会になれば経済的にもプラスになると思うし日本の発展につながるだろうと思う。場と資格との関係においてこれからの社会、両方を優先し異なる2つの集団を形成して行く上で最も考えていかなくてはならない問題だと思うし、自分がそのような場に入っていくとき能力主義であれば頑張れるだろうと思う。しかし、自分に都合の悪いことになれば直ぐに「タテ」に戻してしまい都合の良い時にだけ「ヨコ」にしてしまう事は無いのだろうかと思う。現代の日本にとって「タテ社会」は大切であると思うし、その構造を理解した上でヨコ社会に取り入れる事ができれば、よりよい社会になると思ったが難しい事だと思った。
(2回 H.K.)
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筆者は日本の社会構造の特徴を「場」と「枠」と言う言葉で示しており、家や会社などの社会的集団構成を成しているとまとめている。さらに日本における人間関係の基盤となっているものを「単一性」というキーワードで言い当てられると主張している。また、単一性が強く集団が「場」によってできている特徴として内輪意識を強く持つことがあげられる。そして「集団成員が自分たちに常に他とは違うということを強調する」(P49、l12参照)となる。この特徴の例として先の銀行の合併問題において互いに違いを認めないことが原因で起きたシステム障害があげられる。これらの主張に私は賛成する。最後に日本の社会・文化は論理より感情が優先するという特徴をもつことが外国人に理解されないと筆者は述べている。だが、80年代の日本の経済発展のように、現代では日本的な感情的な付き合いが国際的に認められていると私は考える。
(2回 Y.N.)
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