天理大学 生涯教育専攻 課題図書

夏目 房之介 『マンガと「戦争」』

講談社現代新書(1384) / 1997年 / 179頁 / \640 / ISBN:4061493841



●なつめ・ふさのすけ●
1950年、東京都生まれ.1973年、青山学院大学文学部史学科卒業。出版社勤務を経て、現在マンガ・コラムニストとして活躍。
著書:『マンガはなぜ面白いのか』(NHKライブラリー)、『手塚治虫の冒険』(筑摩書房)、『青春マンガ列伝』(マガジンハウス)、『マンガの読み方』(共著、別冊宝島)ほか。


1 手塚マンガと戦争―『幽霊男』と『来るべき世界』
2 戦記物ブームと『紫電改のタカ』
3 水木しげると戦記マンガ
4 戦記物とSF―『サブマリン707』
5 ガロとCOMの「戦争」
6 戦後世代の「戦争」マンガと『ゴルゴ13』
7 終末としての「戦争」―『デビルマン』と『宇宙戦艦ヤマト』
8 大友克洋と『AKIRA』
9 神話とシミュレーション―『風の谷のナウシカ』と『沈黙の艦隊』
10 「戦争」と身体―『僕らはみんな生きている』と『新世紀エヴァンゲリオン』

学生の感想文(3)

本書で述べている、戦争観が中性的になるとどうなるのだろうか。本書の最終章で身体イメージと戦争をとりあげ、現在「日本人の自己イメージは、その身体観を人気マンガやアニメから読む限り、相当分裂し、病んでいる。自己イメージは卑屈で、不安神経症的で閉塞感に満ちている」と述べている。このことは著者の表現を借りれば、日本人の変化に接する位相を反映しているのではないか、もしそうだとすれば、深刻な問題である。
戦争体験のない、戦争の恐怖や、危機感を伴わない戦後世代にとって、(著者は戦争体験が蓄積しにくい現在と、婉曲に表現しているが)コンピュータゲームでしか実感できない。
テクノロジーを駆使した実戦争でも、オペレーションにおいてゲームと似通っている点は皮肉である。
本書は学術論文でないと断っているが、寓話的、寓意的、隠喩的、脱倫理的、短脈的反映論といったことば群を目にし、若干肩を凝らしながら読まざるを得なかった。このことに対し著者は「軽さのない文章になり、読者にはもうしわけがない」と謝っている。
(1回 T.I.)

漫画と戦争を読み一見この二つはかけ離れているようみ思いましたが、じつは、そうではないということをしりました。60年代から現代にかけて漫画の中で描かれる「戦争」のイメージは時代の流れとともにどんどん変化してきました。この本で、実際に戦争を体験した手塚治虫や水木しげるの描く戦争漫画がいくつか紹介されていましたが、戦争を知らない私でもすごくリアリティを感じたし、考えさせられるものがありました。彼らの描く「戦争」というものには、生命の重みや人間っぽさが溢れていると思います。戦争の事実をそのままえがいているわけではなくSFや妖怪といったものに形は変えていますが実際に戦争を体験した彼らの伝えたい事が十分描かれていると思います。しかし、戦後生まれの私達が読む現代の戦争漫画というのは、ロボットと戦っていたり個人個人の戦争のようなものばかりでリアリティがなく「戦争」というものの重みを感じないような気がします。漫画というものは子供が好んで読むものであり、それによって受ける影響も多大だと思います。だからこそ60年代のすばらしい戦争漫画をもっと伝えていくべきだと思いました。
(2回 Y.M.)

 私たちは日常「生きている」ということを意識せずに生きている。「生きる」ことと「死ぬ」ことは紙一重であり、「死」に直面して、改めて「生きる」ことを思い知らされる。戦争となると、人が人を無秩序に殺し、善や不善の倫理から離れてしまっている。また、人間だけでなく地球上の生態系全体にわたり展開した。自分の意志とは関係なく、国家のために自分の命を自ら捧げる。喜怒哀楽を決して表に出さず、「生きる」という状態から切り離されてしまっている。「生きる」ということは、他のなにものにも侵すことのできない、聖域が存在するように思う。核家族が増える今日、祖父母の「死」のに直面することも少なくなり、「死」の存在がどこか遠くにあるように思う。自分自身の身体にある「自然」を見つめ、大切にしていきたい。それと同じように、相手の「自然」も大切にしたいと思う。
(2回 R.A.)