天理大学 生涯教育専攻 課題図書

谷岡 一郎 『「社会調査」のウソ ― リサーチ・リテラシーのすすめ ―』

文春新書(110) / 2000年 / 222頁 / \690 / ISBN:4166601105



●たにおか・いちろう●
1956年、大阪生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、南カリフォルニア大学行政管理学修士課程、社会学部博士課程修了(Ph.D.)。現在、大阪商業大学教授、学長。専門は犯罪学、ギャンブル社会学、社会調査論。
著書:『ギャンブルフィーヴァー』(中公新書)、『ツキの法則』『ラスヴェガス物語』(PHP新書)など。


序章 豊かさ指標はなぜ失敗したか
第1章 「社会調査」はゴミがいっぱい
第2章 調査とマスコミ―ずさんなデータが記事になる理由
第3章 研究者と調査
第4章 さまざまな「バイアス(偏向)」
第5章 リサーチ・リテラシーのすすめ

学生の感想文(13)

 「社会調査のウソ」をよんで、私は改めて情報を見極める力の大切さをかんじました。テレビ、新聞、インターネットなどで多くの情報が氾濫していますが、私自身メディアで流されている情報をウソだとかんじたり疑ったことはほとんどありませんでした。というよりもウソの情報が流されていることなど考えられませんでした。しかし、半分以上の社会調査がウソだということにはとても驚かされました。また、ウソの情報により自分考え方や毎日の生活に影響を及ぼされるかと思うと恥ずかしくかんじるとともに、とても怖く思えました。これからは、今以上に情報が氾濫し、自分で正確な情報を見つけ出す力がもっと必要になるとかんじました。
 この本はとても身近にかんじて読みやすい1冊でした。
(3回 Y.F.)

 今回、谷岡一郎氏の『社会調査のウソ』を読んで日本の「社会調査」をゴミと呼んでいることが初めは意味がわからなかったが、読み深めていくにつれて理解したように思う。
新聞や週刊誌で書かれている記事で考えると、スポーツ新聞や面白さだけを求めている週刊誌は今までも真に受け止めてはいなかったが、5大誌と呼ばれる新聞であっても鵜呑みにしてはならないことがわかった。そういったでたらめとも言える「社会調査」を行っている学者や研究者がおり、無知な学者たちを生み出したのも日本の教育であったことが悲しいものだと思う。
これから新聞を読む時には背景も踏まえメディアリテラシーだけでなく、リサーチリテラシーをできる限り働かせ読まなければならないと感じる。だが、鵜呑みにしないが参考程度にすることは悪くはないはずであるので、どの「社会調査」にしても拾捨していこうと思う。
(3回 T.M.)

この本を読んで“何でもカンタンに信じてはいけない”ということを改めて実感するとともに、例題に的はずれな回答をするたびに、情けなく感じた。私自身、今まで筆者がゴミとして紹介している社会調査を目で見るたび、耳で聞くたびに疑うことなく受け入れていた。“そうなんだぁ〜”と感心しながら・・・
読み終わって、ゴミを判断することの大切さを学んだ一方で、自分もゴミを出す危険性をもっていることにも気づかされた。これからも私は他の人が調査した資料を参考にすることも、自ら調査をして人になにかを伝えることがあるだろう。そのとき、ゴミを判断する目も、ゴミを出さない方法も知らなかったら、新しいゴミをまき散らしも平気な顔をして社会を混乱させているだろう。これを機に判断する目、方法論を身につけていこうと思った。
(3回 E.Y.)

私はこの本を読んで一番はじめに思ったことは、この本はなんて過激な本だと思った。それを最初の部分でストレートに書いてあるのには驚いた。最後の部分では実名を挙げて批判をしているし、その批判に文句があり、反論したい人は文章でお願いしたいなどといった非常に挑戦的な文章には驚くどころか、あっけにとられてしまったが、大変面白い文章であった。
現代の社会では、学者、官公庁がマスコミを通じて、いろいろな社会調査というゴミを出しているが、よく考えてみれば、私もそのマスコミが報じた情報や社会調査をうのみにしてしまい、それを事実だと勝手に思いこみ他の人に広げていると思った。そこで、今私達は、その情報・調査がウソか真実かを見極めるリサーチ・リテラシーの能力を身につけていくことが重要だと思った。最後にこの本に実名で取り上げられた人達はどのような反論の文章を著者に送ったのかが気になる。
(3回 H.N.)

 この本を読んで、著者が言っている、「データがゴミならば、それをどんなに立派に分析したところで、出てくる結論は、ゴミでしかない。」という事に納得できる。マスコミにしても、データを見分け、ゴミが一般の元に届く前に防ぐキーパー的存在でなければならないのに、安易に見逃したり、悪用したりとゴミを撒き散らしている。こんなにゴミが、散乱してくると、本書にあるようにリサーチ・リテラシーが本当に必要なんだと感じた。ゴミに対して、対抗できる力を身につけなければ、今の時代呑み込まれてしまうことも感じた。これから四回になり、卒論とか論文を書くケースが増えてくると思うので、自分が得る「社会調査」がゴミにならない様に気をつけていきたいと思う。
(3回 S.N.)

 この本を読んで、普段私たちが目にしたり、参考にしたりしているものが「ゴミ」と呼ばれたことにまずびっくりしました。そして、私から見ればりっぱな論文や記事でも、実はずさんなデータ集めや分析をして書かれているものがあることにも驚かされました。朝日新聞の同じ日の紙面に4割も違う投票結果を載せることや、ノックに投票したと言ったのに、実際には違う人に投票していたという風に、調査される側に、忘れ・ウソがあること。また、『選挙の当選予想というと決まってマスコミに登場してくるF教授がテレビに出て「アナウンス効果が心配です」と指摘しながら一番アナウンス効果を作り出している』、という筆者のつっこみには笑えました。
 しかし、このようなウソや間違った情報を見ていても気付かないのが普通だと思う。何が正しい情報で、どれが間違っているのかなんて、細かい数字をつきつけられて判断しにくい。それでも、それを判断できる能力を身につけなければならない事がわかりました。
(3回 M.O.)

 筆者が言わんとしていた事は、前表紙の裏とあと書きを見れば分かったような気がする。後のページは、リサーチ・リテライシーの能力をつけるためという意味では必要であったとは思う。参考文献を見ても、筆者の過激な発言からも今までに無い感じを受けた。  菅谷明子著「メディア・リテラシー」と本書を読んだせいか、批判的に読むことができた。納得のできることからどうでもいいことまで学べた本で、なかなか面白い後味がある。
(2回 T.O.)

 のっけから「この本は少々過激な内容である。」と書いてある。多くの社会調査を実名で批判し、「反論があればお答えする。」と自信満々。しかし鋭い分析・指摘、批判は読んでいて痛快であった。
 筆者は「社会調査」の過半数はゴミである、と言う。そしてゴミは引用、参考され新たなゴミを生み増殖を続ける。私たちが普段、おもしろ半分で話していた事が少しずつずれて大きな噂になってしまう事があるが、そのような事が社会調査の場で起きているのである。
 ゴミを撒き散らかしているとして特に「マスコミ」と「学者」について深く述べているが産経新聞と朝日新聞の二紙の一面を並べて比較していたのが印象的だった。同じ事件・出来事でも書き方、写真の選び方でここまで印象が変わるものなのか、という良い例であると思った。
 これから大切なのは「ゴミ」か「本物」か見極める能力が大切で筆者はリサーチ・リテラシー教育の必要性を述べている。確かに、新聞でもインターネットでも情報が簡単に手に入る時代になった。その分、その情報を自分で篩いにかけられる力が要ると思う。それは学習の領域だけでなく趣味の領域のも役に立つと思うので皆、この本を読んで一度リサーチ・リテラシーについて考えてほしい。
(3回 S.K.)

普段新聞や、雑誌、その他広告など、日常生活の中で自然と入ってくる、膨大な情報を、立ち止まっていろいろと考えたり、その情報についてどのくらい突きつめた疑問を持つことを考えたこともなかったので、もしかしたら、聞き流している情報を、真実と思い込み、その情報を友達などにあたかも知っていることのように話していたら、著者の言っているゴミをまき散らす行為をしているのではないかと思った。実際、「コーヒーはカフェインが強く、夜眠れなくなる人が統計で78%という結果になった。」と雑誌に書かれていたら、私は夜、快適な睡眠を求めるために、コーヒーは一滴も飲まなくなるだろうし。雑誌に書いてあった統計を信じ、疑うこともしないでしょう。そう考えると、著者の言う、ゴミは私の中にたくさん存在していると思う。また、この情報社会の中で、ゴミを見分ける訓練は、得る情報をよりよく理解し、真実を見抜く力を養うために大切だと考えさせられた。
(3回 K.H.)

この図書では、様々な社会調査が、その欠点を指摘されており、非常に興味深い内容であった。実際に、読み始めた時と、読み終えてからでは、調査・データの「項目」に注目するようになった。「該当でXXX人にアンケート調査」という類の調査において、アンケートに答えている人は、そのアンケート調査の項目に何らかの問題意識を持っているのではないか?だからこのように結果が出たのでは?と考えるようになった。このように、アンケートの質問や文章にもウラがあることを意識できるようになる図書であった。
(3回 T.I.)

 情報化社会の進めとともに、社会調査が増え、玉石混交となってくると、それらのリサーチが本物であるかどうかを見極める能力が必要になってくることが分かるようになったリサーチに対する「読み書き」の能力のことがリサーチ・リテラシーである。人々のリサーチに対する無知につけ込み、ゴミの情報を流す者、それを広める者、それを利用する者たちが、あまりにも多いから、リサーチ・リテラシーの教育は必ずしも必要である。情報機器やシステムの進んだ現代では情報を進めるのが重要でない。必要であるのは、あふれるデータの中から真に必要なものをカギ分ける能力を養い、まずゴミを仕分けることが効果的である。調査の情報の中で圧倒的に多い「ゴミ」をすぐに捨てることのできる人は、できない人より、かなりポジションを占めることになる。この能力がリサーチ・リテラシーのある人とない人の差となる。今後は情報を得る能力よりも捨てる能力の方が、はるかに重要な素養となってくるから、今からゴミを見分ける目を養い、ゴミを作らないための方法論を学ぶ必要性を実感した。
(3回 S.B.)

 私が自ら調査に乗り出すことはめったにないが、世に出ている調査を使って論文を書く機会はしばしばある。その場合、自分の都合のよい結果になっている論文だけを使って書いている。これが新しいゴミを生み出してしまっているのかと反省した。
私たちは、見たものすべてをそのまま受け入れてしまう。マスコミが間違ったことを発表していても、何の疑いもなくそのまま感じてしまう。そのことが間違いであると教えてくれたのが、本書である。いろいろな調査が本書にのっているが、その調査を見てはなるほどと思い、その調査に対する筆者の批判を見てはまたなるほどと思う。どちらにも納得してしまう自分はまさに疑わずにそのまま受け入れてしまっているのだなと思った。情報が錯乱しているこの時代、見極める目は非常に大切だと思った。
 筆者が大阪出身であるので、大阪の味が出ていて私にとっては非常に読みやすい一冊であった。
(3回 Y.A.)

 「ゴミ」という単語は「不必要で無駄な物・捨ててしまう物」を指す。しかし、別の人の視線で見ると、それが生きていくうえで必要不可欠な大切な物になっている場合もある。
 私たちが「ゴミ」と認識した古い家電製品や家具、または古新聞・古雑誌でも、リサイクル業者からすれば大切な金のなる木である。人間が「生ゴミ」と、捨ててしまう野菜クズや残飯もイヌや・ネコからすれば生きていくための大切な食料になるのである。
 この本の中でとりあげられている「ゴミ」(社会調査のウソ)も、著者にとっては不必要で排除したい「ゴミ」であるが、他の誰かにとっては大切な物であるだろう。もちろん、悪質に一般大衆を騙そうとして発表される「ゴミ」に対しては排除すべきであるし、著者の批判する気持ちに賛同する。ただ、揚げ足取りで欠点が取り上げられている調査も含まれているような気がする。読んでいると納得できる部分と、反論したくなる部分とが大きく分かれる本だと思った。
(3回 S.S.)