天理大学 生涯教育専攻 課題図書

鮎川 潤 『犯罪学入門 ― 殺人・賄賂・非行 ―』

講談社現代新書(1365) / 1997年 / 196頁 / \640 / ISBN:4061493655



●あゆかわ・じゅん●
1952年、名古屋市生まれ。東京大学卒業、大阪大学大学院修士課程修了。スゥエーデン国立犯罪防止委員会客員研究員、南イリノイ大学フルブライト研究員を経て、現在、金城学院大学教授。専攻は犯罪学、逸脱行動論、社会問題研究。
著書:『少年非行の社会学』(世界思想社)『少年犯罪』(平凡社新書)ほか。


第1章 殺人
第2章 薬物犯罪
第3章 性犯罪
第4章 「企業犯罪」「組織体犯罪」「犯罪組織」
第5章 少年非行
第6章 犯罪者の処遇と司法制度
第7章 被害者学と社会環境の変化

学生の感想文(20)

昔、「平和」といえば日本の名が挙げられていたのに、今「この国」は危険に溢れているんだなあと思った。それは多くの面で技術革新が進んだからだと思う。犯罪といってもいろいろあるが、どんな犯罪でも一度犯してしまうとその人には、「犯罪者」というレッテルが貼られてしまい、服役を終えたところで、社会の目という点では一生服役しなければいけないのだ。大人はもちろん、少年もである。
今「少年法」という法律が改正されたりしているが、僕は少年法はいらないと思う。
13歳の子供が大人を殺しても、その子の将来を考えて死刑はまず有り得ない。でも大人が13歳の子供を殺してしまうと、下手すれば死刑だ。同じ人間なのに。
13歳であろうと8歳であろうと、犯罪を犯せばその子は犯罪者なのだ。その子の未来を思うならもっと厳しい処罰も必要だと思う。そして、大人は全ての子供の見本となるように生きることが義務だと思う。
また僕もこれから犯罪を知って、「見本」という義務を果たそうと思う。
(1回 K.Y.)

 この本を読んで感じた事は、人間の欲というものは、尽きないという事であると思います。自分の姿と、他人の姿とのちょっとした違いで、それを紛らわそうとして、自分の欲望を最高まで高めた結果、犯罪というものが発生してしまいます。
 犯罪が起きるという事は、自分の欲望をただひたすらに増やす事を考えて、抑制する事ができなくなってしまった、という言葉に言い換えることができると思います。しかし、今の日本において、一度貼られた「犯罪者」としてのレッテルはなかなかはがされるということはないということであります。犯罪者は傷つける反面、その後それと同じくらい、またはそれ以上のに社会や周りの目に傷つけられて、追いやられてしまうのでしょう。更に思う事は、日本の裁判において、犯罪者の権利は守られるが、被害者の権利は守られないという事、さらには、判決を下す時に、国民の意見はあまり反映されないということを不満に感じます。
(1回 Y.T.)

 ここ数年相次いで起こっている青少年による凶悪事件の現状を見ていると、「日本人のしつけは衰退しているのか」という問いに対して、私は素直にそうではないかと感じます。
家庭での子供に対するしつけがダメになっていて、今の親たちはしつけを学校にまかせるなどしてほとんど放任主義になっている、もしくは子供可愛いゆえ叱るところを叱れていないのではと感じます。
 しかし、そのような「教育する家族」になれない家族がかかえる子供の問題もあれば、「もっと母子密着を」と強く感じることによって、牢獄のような逃げ場のない人間関係になってしまった「教育する家族」がかかえる子供の問題もあるのだと感じさせられました。
「子供にもっと配慮しなさい、だがしすぎてはいけない」また「子供を放任してはいけない、だがもっと自由にさせなさい」といった境目を判断することがとても難しいと感じました。
(2回 Y.M.)

 この本を読んで、少年犯罪がとても印象深かった。一九九七年に起こった「酒鬼薔薇事件」を思い出した。あのころから少年犯罪がメディアで良く取り上げられ、報道されている。私はその頃、まだ中学二年生ぐらいで、同じぐらいの年の子が、こんなに残虐な殺人(犯罪)をするなんて、とても異常で考えられないと思った。
 どうして、少年達は、犯罪をするのだろう。やはり、少年にとってはゲームの一種なんだろうな。「オヤジ狩り」「万引き」など、どれも軽いノリで仲間と一緒に、仲間にそそのかされてやっているのだろう。犯罪をゲーム感覚になってしまっている今の時代は本当に恐い。そういった子達が大人になったら一体どういった大人になるのだろう。とても不安に思う。
 この本を読んで、本当に犯罪について考えさせられた。犯罪はやはり無くなって欲しいと思った。
(2回 K.M.)

 「烙印」というものは本当に重いもの。これはこの本を読み、私が思ったことである。一度何らかの罪を犯してしまったら、「烙印」が重くのしかかる。例えば、一度窃盗で捕まったことのある人が地域に住んでいて、その地域で、窃盗事件が起こると、まず地域住民は、前歴のある人を疑う。これはいたしかたないことかもしれないが、当事者にとっては本当に重くのしかかる問題である。疑われるかもしれない自分、疑われているであろう自分を意識して萎縮したり、強い精神的ストレスにさらされるということである。前歴のある人達はまだ仕方ないが、何の関係もなく容疑者扱いされ、「烙印」が押された人達もいる。その人達は本当に可愛そうだ。
 この本を読み、本当に「烙印」の怖さが分かった。
(2回 T.M.)

 この本を読んで、最初の章で書かれていたのが、自分の住んでいる近くで起こった事件のことが書かれていたので、驚いた。とはいっても、僕はまだ生まれるまえのことなので、よくは知らないが、結構有名な事件であったらしい。
 大高緑地アベック殺人事件のように最近は、少年犯罪が凶悪になってきているが、このような犯人の親がアル中であるとかなにかしら問題があることが書いてあった。同様に、ある連続殺人の犯人も、少年院にいたそうだが、上司から「少年院あがり」とひどく罵られていたらしい。犯人に同情するなと起こられそうだが、事件を起こした少年や、犯人もかわいそうだと思う。
 個人的な意見だが、タバコや酒も薬物であるが、マリファナより、タバコのほうがよっぽど体に悪いのに、なぜ、タバコがよくて、マリファナが禁止されているのか、不思議だ。
(1回 K.M.)

犯罪のない社会を作り出すのは不可能だろう。犯罪はなくならない。なくなるとすれば法律をなくし罪というもの自体をなくすしかない。この本にも書かれているように犯罪が起こるのを認めたうえで犯罪にあわない政策が必要である。私も車上荒らしにあい警察に被害届を出したが警察では取られる方にも否があるといわれた。その時は腹が立ったが今考えてみるとそういう世の中なのだと認めるしかない。法律は犯罪が出てくるから作られるのであって犯罪の起こる前に未然になかなか作られないのもそういうことである。法律ギリギリの商売をする。するとそのような商売に法律で規制をかける。これが繰り返されまるでいたちごっこである。
(3回 T.K.)

ここ何年かの間、さまざまな「事件」が毎日のようにニュースや新聞で取り上げられ、騒がれています。その事件とは、はっきり言って関係のない私たちは感覚がマヒしてしまい、ニュースを見ても「またかぁ…」とか「かわいそぉ…」と他人事でしか考えてないところは、実際誰もがおもっているところだと思います。だけど、この本を読んでいると、決して他人事ではなく、いつ自分の身にふりかかっても、おかしくない時代なんだと思いました。もちろん犯人は悪いし、それなりの罰を受けることは当然だと思います。しかし、私が引っかかるのは少年犯罪や売春です。「殺してみたかった。」とか「興味本位。」という理由で人の命を奪ったり、自分の体を「ウル」というのは絶対に許せません。でも、ここで「最近の子の考えることは分からない」とか「時代は変わった」というのだけでは片付けてほしくないです。どうしてそういう事件を起こさなければいけなかったのか。本当に「興味」だけで行動したのか。どういう気持ちで普段生活しているのか。家族や友達との関係は。。。気になることは、たくさんあります。もしかしたら、寂しかったのかもしれない。誰かに気づいてほしかったのかもしれない。甘えたかったのかもしれない。本当の所は、本人しか分からないし、時間だってすごくかかるかもしれない。でも、こういうことに時間をかけるのは無駄なことじゃないし、その子たちの心理が少しでも分かれば、犯罪を減らすことができるかもしれないです。だから、ただマスコミが騒ぎ立てて終わるのではなくて、もっと色んな人が色んな面で考えていくことが大切だと思いました
(1回 K.I.)

 私達に今一番身近な犯罪といえば、やはり酒とタバコである。未成年の今だから、そのスリルを楽しみ、タバコを吸っている子がいる。未成年だからこそ吸いたいのであり、二十歳になるとやめると言っている子もいる。しかし、この本にも書いてあるように、タバコは薬物であり、依存性がある。今まで吸ってきたものを、「今日二十歳になったからやめる」などありえないだろう。きっと今後も吸い続けていく。
 未成年者の喫煙問題が叫ばれている。少しずつではあるが、夜中になると販売をしないタバコの自動販売機が設置され始めた。未成年者の喫煙を少しでも減らす為である。それなら、いっそのこと自動販売機をなくし、全部手売りにすればいいのではないか。そうすれば、未成年者がタバコを買うことが難しくなり、未成年者の喫煙が減る。
今少しずつだが、世の中が変わりつつある。世の中の未成年者の体のためにも、一日でも早く、タバコや酒の販売方法について整備されることを願う。
(1回 Y.I.)

この本は、殺人・薬物犯罪・組織犯罪・・とあらゆる犯罪について書かれている本でした。中には、感情に基づく殺人もあり、一時的な感情から衝動的におこなわれるものが多いと書かれていました。そして今現在の犯罪に対する判決の仕方が問題としてとりあげられている。おにぎりを2個盗んでも懲役1年6ヶ月をかせられます。諸外国と日本の法律の違いもまた問題として取り上げられています。最近は犯罪の低年増加が問題とされていますが、実際はそうではなく、昔から犯罪は多く極端に増加したわけではないということが述べられています。日本の犯罪についての対策はまだ十分とは言えず、不充分で刑罰についてもいろいろな問題があると思われます。中には私達が解決できない事件もあるのだと感じました。
(2回 E.F.)

最近の日本は犯罪の増加によって、日本の安全社会という信頼感が揺らいでいるように感じました。犯罪や非行は被害者だけでなく、その周囲にいる人たちに苦しみや悲しみを与えます。社会は法律や制度を作り、犯罪や非行の予防に努めていますが、今も増えている犯罪・非行が人間の手によってどんどん行われてると思うと予防の意味がないように感じます。
近年、暴力団を背景とした暴走族の凶悪化、ひったくりなど街頭における犯罪、ピッキングなどを用いた住宅侵入犯罪などさまざまあり日常生活の場で、いつでも犯罪被害者となり得る状況にあります。よって、このような状況に歯止めをかけ、犯罪を減少させるには、県民一人一人の犯罪意識のみならず、県民、事業者、などが一体となって犯罪の起こりにくい環境つくりを広げていく必要があると思いました。
(1回 Y.A.)

 レイブリング・パースペクティブって言うのがこの本の中で大きくとりあげているだけど、このレッテル貼りに一役買っているのはやっぱりマス・メディアの存在がかなり大きいだろうね、最近見た映画に『破線の「マリス」』というのがあり内容的には5へぇ〜くらいのくだらなさのものだけどテレビの報道番組の作り方の曖昧さ、それによる報道被害の凄惨さが浮き彫りになっており、犯罪者であるかのように報道された人間が社会的に抹殺されて本当の犯罪者のようになっていく様が描かれている。
 恐いですね、ホントにレッテル張りっていうのは普通の人間がほんの些細なことで悪人のレッテルを貼られたばっかりにホントに犯罪者となっていくって言うのも、なんか社会が積極的に犯罪者を作っているように思える。
 ということは、犯罪っていうものはこの人間社会がある限りはけして無くならないんだろうな。
(2回 S.K.)

この本を読んで、犯罪を行った人の心理というものを初めて考えた気がする。『盗難を例に挙げれば、窃盗の前歴のある人、あるいは過去に窃盗をしたことが周囲に知られていることを知っている人は、職場・学校などの様々な社会生活の場面で、「ものが盗まれた」とか「ものがなくなった」と聞く度に、疑われるかもしれない自分、疑われているであろう自分を意識して萎縮したり、自分の過去が再び人々の話題とされることを恐れたりし、強い精神的ストレスにさらされるといったことだ。』とあるように、犯罪を犯した人は強い精神的ストレスを抱え、社会復帰しにくい実状も分かった。また、その犯罪者というレッテルに長く苦しむだろうと思った。私も「犯罪者」や「前科者」と聞けば、かまえてしまうと思う。しかし犯罪は個人で成り立つものではなく、その犯罪に至ったまでの背景をしっかりと把握し、二度と犯罪を起こさないように手助けすることが犯罪者の心のケアにつながると思った。
(1回 M.H.)

犯罪は昔からあったが、最近では社会や生活環境の変化と共に犯罪にも変化が見られる。インターネットやケータイなど情報交換のツールの普及、交通機関の拡張・改善により短時間で長距離の移動が可能になるなど、生活環境が良くなる反面それらが犯罪に用いられ、解決の困難な犯罪も増えつつある。自殺サイトや出会い系サイトなどの利用者(あくまで一部の人)、ネットによる麻薬などの売買や、新しい(社会に不適応な)宗教団体 の出現などあるが、これらは、社会環境の変化の中で生まれた、国民のメッセージではないかと思う。不安定な国政や、めまぐるしく移り変わる環境に振り回される人々、その変化に追い付けない政治や犯罪の対策など。このままでも、国民の生活水準が下がるわけではないと思うので、変化に力を注ぐ前に、一度立ち止まってこの生活環境に対峙し、自分たちの求める生活環境はこれだったのかと考え直す必要があると思う。
(2回 H.H.)

日本で非行または犯罪を行う少年が増えつつある背景に、不幸な家庭環境や家族背景があることは、とても悲しいことだと思う。だが、軽いノリで犯罪を犯す少年を増やしている社会環境や少年たちをとりまく人間関係にも問題があるように思えた。また、日本では、犯罪を犯した十四歳未満の少年に対する処罰が甘すぎるように思えた。私は十四歳未満の少年が「刑事責任」がないとされていること事態が間違っていると思う。十四歳未満の少年のなかにも一人一人違った考え方や個性があり、良い意味でも悪い意味でも頭の良い少年がいると思う。そのような少年たちに「刑事責任」がないとしてしまえば、「罪にならないのだから」という考えを持ち犯行を行う少年が増えても仕方がないように思える。今の少年たちは自分という存在を見てくれるひとを求めているように思える。満たされない気持ちを埋めるための軽いノリの犯行。そう思えてくる。
(1回 A.M.)

 私がこの本を読んで性犯罪についておもったことがある。その中でも、売春についてである。この本を、読むまで気がつかなかったことだが、日本において売春禁止法ではなく売春防止法であることについてなぜだろうと疑問に思ってしまう。筆者は、昔は貧しくて、家族のために売春をやっている人もいたが、今は違う。現代は、強制されていない。お金を稼ぐためや遊ぶお金のために売春をやっている人が多い。そこでも、また違う犯罪にもつながる。私は、買う人が一番悪いと思う。考え方が悪いかも知れないが、国が合法的に認めている「風俗に行けよ」と思う。(自分はいかないが)売る人のもっと自分を大切にしてほしい。今は、それでいいかもしれないがいつか後悔に変わると思う。もし将来、自分の娘がやっていたら気が狂うだろう。国ももっと売春防止に力を入れて欲しいし、親も、自分の子は大丈夫だとか信用してるなどと、思わないはない方がいいと思う。
(2回 M.A.)

私がこの本を読んで一番気になったところは、新たな問題現象が出てきたときに新しい法律を作って対応しようというのではなく、既存の法律の解釈によって対応しようとしてきたというところです。インターネットや携帯電話の普及していて、高校生はもちろん中学生までもが携帯電話をもっています。教育コンテンツの充実や、教育現場へのインターネットの導入と、いろいろな取り組みがされています。情報機器を使える環境を整備して、それを提供するという場になっています。インターネットは発展途上のメディアであるし、テレビや雑誌でもよく取り上げられているように、日々新しい取り組みがおこなわれている。インターネットは、教育現場において子供の好奇心をかき立てるのに十分な魅力を持っていると思います。自分のしたいことを見つけをうまく活用するかどうかが、教育現場の課題だと思います。
(1回 J.H.)

 私は「非行少年の矯正」ということに興味があり、それを卒業論文にまとめようと   思い、「非行少年」についての基礎が知りたくてこの本を読みました。元々興味があるだけで何も基礎知識がなかったので成人犯罪との違い、犯罪を犯した後の処遇など学ぶことが沢山ありました。
 特に少年事件の一例として取り上げられていた<大高緑地アベック殺人事件>にはショックを受けました。あまりにも単純な思考からの犯行。軽い海苔で凶悪な犯行が犯されてしまうのが少年犯罪の大きな特徴と筆者は述べているが、とても切ない思いがした。  そしてこの本を読んで、少年に限らず、<犯罪>を犯すということをもう少し知っていきたいなとおもいました。
(3回 J.W.)

 現在犯罪の中には様々な種類があるが、犯罪防止のために色々な事を行っているが、犯罪をおかしてしまうと、その罪を償っても、社会の人々からは常に犯罪者の目で見られ、社会復帰することはなかなか難しい。その結果、一度犯罪をおかした人たちは、精神的ストレスを受けながら、自分が再び話題になるのを恐れながら生きていかなくてならないのである。だから、犯罪者として警務署では解放されているが、社会の中では解放されていないのである。そういった環境こそが犯罪を“ゼロ”にできない原因の一つではないかと思う。また、現在社会の中では、犯罪を起こしやすい環境が多く、そして防止しようという対策も不十分である。また不景気や学力のことなどによって、会社や学校で精神的ストレスを感じることも多い。
(2回 M.S.)

 犯罪とは一つの事件が起こることで関係のない人が容疑者扱いされ、職を失い、とりかえしのつかないことになったりして他人まで巻き込むことがあり、本当に社会で重要な問題だと改めて感じた。他にも犯罪は万引きなどささいな犯罪から外見だけでは分からないことが多い商売や組織内での大きな犯罪も止めどなく起こっていることが本当に恐いと思った。周りの環境にも犯罪が起こる一つの理由で、現在では、情報化やマス・メディアによる影響も大きいなと思った。特にマス・メディアが流した情報は当たり前だとか、みんながやりつつあると受け取ってしまうために犯罪が多い。それは昔よりも犯罪が多くなった理由でもあると思う。現在、犯罪が起こった後の問題点など上げられていることが多いが、もっと犯罪を防ぐことも考えるべきだと思う。
(2回 Y.N.)