天理大学 生涯教育専攻 課題図書
藤田 英典 『教育改革 ― 共生時代の学校づくり ―』
岩波新書(赤511) / 1997 / 256頁 / \630 / ISBN:400430511X
●ふじた・ひでのり●
1944年石川県生まれ。1969年早稲田大学政治経済学部卒業。1975年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1978年スタンフォード大学教育系大学院修了(Ph.D.)。東京大学教授。教育社会学専攻。
著書:『子ども・学校・社会』(東京大学出版会)、『文化と社会』(共著、有信堂)、『教育社会学』(共著、放送大学教育振興会)、『教育学入門』(共著、岩波書店)など。
第1章 教育改革の時代
第2章 「六・三・三制」と中等教育
第3章 教育福祉社会の思想―青少年の生活空間をどう考えるか
第4章 教育問題と教育改革
終 章 学校再生の戦略―学校選択か、学校づくりか
学生の感想文(27)
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私が小学校を卒業してからもう10年近く経っている。この10年で社会は変化し、また、「学校」というもののありかたも変わり、学校に求められるものも変わってきているのだと思う。新しい時代には新しい制度を。ということで公立中高一貫校の導入・学校週五日制などが推進されているが、私はこの本を読んだ限りでは賛成できない。特に公立中高一貫校の導入は知識の詰め込み、受験戦争の低年齢化などの問題緩和を意識してのことであろうが、結局何も変わってないのではないかと思う。
学校というものは今の日本では家庭と並んで、人間の人格形成に大きな影響を与える重要な場所のひとつであると思う。そこで行われる「教育」というものを完璧なものにしていくのはそうそう容易い事ではない。しかし、未来の日本を支えていくのは今の子ども達なのだ。現在の教育に何が必要なのか。この問題はもうすぐ学校教育から離れていく私たちにも関係のある問題である。もっと重要な問題として考えていく必要があると思った。
(3回 J.W.)
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小・中・高を選べるようになるには、それだけを見ればとても幅広い選択肢が誰にも広がってとても良いことのように感じていました。しかし、それを一様に親や子どもに任せるというのも無責任というか、安易な考えだとも思いました。学校に通う子どもにしては、何年も通い、学校がクラスが小さいけれどその空間こそが世界の全てにもなります。誰と出会うか、どんな環境で過ごすか、それはとても大事なものです。それをその時その学校が評判が悪かったとか事件がおきたなどの出来事で行かせる、行かせないかを左右してほしくないのです。参考にすること自体は有益なものではあるが、学校の制度や状態をしっかり見極めてほしい。そして、学校側も選んでもらえるようにただひた隠すのではなく、授業内容や学校制度の情報を配信し、切磋琢磨してよい学校にしていってもらいたい。私達選ぶ側も全て学校のせいにして、学校を全否定することで問題が解決するものではないということを頭に置いておかなければならないだろう。
(3回 S.O.)
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今、日本の教育が大きく変わっていく過渡期で、学校現場はいちばんやりにくい時期だろうと思う。おおざっぱに言うと、2000年までが「ゆとり教育」だった。新学習指導要領も、あるいはいろんな学校教育の仕組みも、「ゆとり教育」をいっそう推進するということで準備されてきたわけである。ところが2001年の1月、文部省と科学技術庁が合併して文部科学省になり、これを機会に国の方針が「基礎・基本の徹底」という180度違う方向に変わったわけである。政策を転換するにきっかけになったのは、2000年の12月に「教育改革国民会議」という内閣総理大臣の私的諮問機関が出した「教育を変える17の提案」だ。「ゆとり教育」もきわめて問題だったし、「基礎・基本の徹底」も、今になって考えるときわめて問題である。「ゆとり教育」の問題は、「子どもたちは勉強で疲れ果てている」という認識が土台になって、「教え込みをやめよう」とか、「子どものいいところだけを見よう」とか、もっと言うと、できるだけ楽なこと、楽なことをさせてきたことであると思う。
結局は大人の都合に子供たちが振り回されていると思う。もっともっと根本的なことを考えていかないと?思った。
(3回 K.K.)
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この本でもっとも気になった点は、いじめの部分である。現在のいじめは水面下でおきており、見つけることが困難なケースが多いらしい。しかも、被害者もSOSを出さない場合が多く、誰も気付かずにハードになっていく。これはいじめをする者、される者だけでなく、大人の問題でもあると思う。
もちろん、子どもの教育のしかた、親が学校に教育の全てを任している事が問題にあると思うが、実はアメリカでは、日本のようないじめはおこっていないという事を何かの本で読んだことがある。アメリカでいじめが広がらない理由は、複雑に入り組んだアメリカ社会で仮にいじめが発展した場合、人種の差別に発展し子どもだけの小競り合いだけではすまされない事になるからである。そのため、スクールカウンセラーが学校や地域に深く関わっているのである。
このような制度や責任感が日本人にはまだない。マスコミなどでとりあげたりはしても、まだどこかで蔑ろにしている気持ちが日本ではあるのではないかと思った。
(3回 T.K.)
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アメリカ、イギリスが日本の教育に関心を持っているということに少し驚いた。これだけ日本国内で教育の批判が高まってきているなかで日本の人材養成の教育が正しいのかわからなくなってしまう。日本は今までの教育の制度、方針をあらため「ゆとり教育」などの新たな改革をすすめているなかでこういった諸外国からの関心を無視せず新たな政策を打ち立ててほしい。現在学校の統合問題や、学力低下、学校自体の経営不振など数多くの問題がでている。私は評論家でも研究者でもないのでなにもわからないが少し不安である。
私の持っている学校のイメージは楽しくてたまらないものだ。勉強はあまりした覚えがない。多分こういった学校に遊びに行くというふうな環境を作り出しているのも問題だろう。学校は学びにいくところという考えより、楽しく友達と話ができる場所になっている気がする。
(3回 T.K.)
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確かに日本の教育は優れていると思う。 教育が優れているというべきか、環境が優れているというべきか・・・。 お受験、教育ママ、パーフェクトチャイルド、塾や家庭教師の競争も激しい。日本では学力や地位はお金で買えるような気がしてくる。本書にもあったように完全に受動型人間である。
身近なことでいうと、カナダに行ったとき自分の英語は全く使えなかった。いくら知識があっても無駄と痛感したし、単語や文法、英作ばかりで議論(ディスカッション)するという機会があまりに少なかったのも原因だと思った。英語ができない子でも積極的な子は問題なく現地の人とコミュニケーションをとっていた。学校の授業でも先生はよく「最近の大学生は進んで自分の意見をいわない」と言われているが、それも詰め込み教育の影響なのか。 とにかく、個性とは教育課程を改善するための至上の価値であるのだから日本は「個性化教育」を基本としてもっと子供のいろんな能力、可能性を引き出せるような教育をしていくべきだと思う。
(3回 S.F.)
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アメリカの教育に対する姿勢にびっくりした。アメリカや、大陸の方の国では、とても自由でのびのびとした環境で、たくさんのことを勉強できるのだと思っていたのに、違っていたようだ。暗算もろくにできないような教育環境なのか・・・。勉強の内容については、日本のほうが全然濃いなあと思った。あと足りないものは、精神的なゆとりかなあと思う。その点では、アメリカに学ぶべきかも知れない。
学校については、私自身はもう卒業してしまったので、中学・高校がどうかということは、あまりよく分からないが、大事なのは学校が変わることばかりではなくて、私たち生徒の側がそれに対応することだと思う。思えば、わたしの学校生活はそんなに悪くもなかったし、環境も別に不自由はなかったので、それで十分だと思う。大人になったら昔の学校生活なんて、どんなものでもいい思い出になるのだから。
(3回 Y.A.)
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私ははじめてオールターナティブ・スクールやマグネット・スクール、チャータースクールを知り、こういう学校もあるんだと思った。この本と出会わなかったら、知らないままで、教育での選択が少し狭くなっていただろう。
「ゆとり」教育といわれているが、私も、授業時数を削減したら、本当にゆとりが生まれるのだろうかと思った。私だったら、何をしているだろうかと考える。友達と遊んでいるのかな…と思う。本文中にもあるように、<怠惰な時間>も大切な「ゆとりと休養」の重要な要素ではあるとは思うが、そこに少しでも何か自分自身にとって勉強になるものがあるならばいいなと私は思う。
(3回 A.K.)
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著者は改革より内側からの変化が望ましいと述べていたが、改革が実行された今この制度は当たり前になっている。この本が出版されたのは1997年で今は週休二日制が完全に導入されて2年経っているが、本当に教育界の全体に理解され改革の意味があったかどうかという点にはまだまだ疑問がある。さまざまな問題が残っているのが現実だからだ。また最近の小学生と接していても自分が小学生だった時との違いをよく感じる。テレビやインターネット、携帯電話など人との関わりの中でなくても情報を得られ生活が出来る、今の時代には大勢の人間の中でもまれて育つことができる環境が乏しいと思う。私はこのことが教育問題の原因の一つであると感じている。いつの時代でも完璧な制度を作り出し完璧に実行をして完璧な結果を得ることは不可能だ。しかし、より良い方向へと思考を続けて行く事に情熱を感じ意義があるのではないかと考えさせられた一冊であった。
(1回 T.N.)
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学校には、不登校やいじめなど様々な問題がある。日本の教育はかなり高い水準でおこなわれていると思う。義務教育で生活するのに必要なものはほとんど学べているので、みんな字が読め、単純な計算はできる。それは、他の国と比べて、かなり自慢できることだと思う。教育の問題というのは、次から次へと出てきて、難しいものである。週5日制、ゆとり教育にも様々な議論がなされている。それぞれによい部分、悪い部分はあるのだが、しっかりと論議を交わしてもらいたい。そこで大切なのは教師と生徒が一緒に作り上げていくことだと思う。一方的に押し付けるだけの教育ではなく、皆で考えていくことが必要なのだと思う。学校を秩序ある快適な場にしていくために、教師と生徒が共に規則にのっとって行動していくとき、校則はつくられていくものである。これからの学校教育は、学校・教師をはじめとして、教育をよくしたいと願う人びとの努力によっていくらでも改善されていくと思う。
(3回 H.I.)
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「教育改革―共生時代の学校づくりー」を読んで、私は、教育改革の一つである「学校週5日制」の事が印象に残りました。はたして週5日制はゆとりのある教育なのかとすごく考えさせられたからです。週5日制を実施したら学校で勉強する時間が少なくなるので授業の進むペースは遅れてきます。それなのに、学力向上を要求してくるので、休みの日に塾などで勉強する子は多いはずです。週五日制は、子供たちの首を絞めているようにしか見えません。週5日制はゆとりのある教育にはつらがらないのでは?と思いました。休みが多ければ、ゆとりある生活が送れるかと言ったらそうではないと思います。大人の高さからみた教育改革ではなくて、子ども達にとってなにが必要なのか、子ども達の高さで考えてやる。そこが教育改革の一歩ではないかと思いました。そのためにはもっと子どもの意見を聞き、理解して生かしていくというさいくるを作っていった方が良いと思いました。
(3回 M.W.)
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さまざまな事例を諸外国から持ち出してきて説得力のある文章であった。またひとつの問題を解決する視点を模索していく上で生じた新たな問題に対して新たにかぶせる様な形で述べている点も印象深かった。著者はタイトルにあるように比較的現状に批判的な立場で文章を展開している。そして学校・地域・家庭の連携による教育の再生を願って結びにかえている。私はこの著書が「バカの壁」のようにブームになれば教育に関心のない家庭や世間の話題にもなるが、そうでないのなら絵に描いた餅になりかねないと危惧する。そこで、私は考える。まずは本を図を使って分かりやすく視覚的に訴える。次に他の著者の著書を同じく図式化し自分の考えの利点を訴える。それらを、マニフェストのようにきめられた時期までに達成すると公約する。これらを実行すれば、いまよりも多数の方が注目し、家庭や地域の方々にさらに振り向いてもらえるのではないだろうか。
(3回 Y.N.)
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日本の教育は岐路に立たされており、改革が必要であると改めて実感した。しかし政府は、「詰め込み過ぎたので、ゆとりを持たせよう」という安易な考えで、「ゆとり教育」を打ち出した。ゆとり教育を不登校・いじめ・中退などの教育問題の解決策であると考えたようだが、これらの教育問題は、そんなに簡単に解決できるとは思えない。「低下したと認識されるようになったときには、問題が教育にとどまらず、経済活動を含めた社会生活のいたるところに噴出するようになったときである」という文章にドキッとした。教育改革の必要性が叫ばれてはいるが、「現状を変えることはできない」と皆どこかで諦めの気持ちを思っていると思う。一刻も早く、この危機的状況に気づかねばならない。学校教育の普遍化と豊かさ、価値観と生活スタイルの多様化で、安易に解決できない現代の教育問題だが、いそいだ改革は絶対にしてはならない。
(3回 M.N.)
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都市化の進んだ現代社会では、学校という場は、地域の人々にとって、数少ない共同性の基盤としてとして存在している。しかし、子どもによりよい教育をうけさせたいとの関心からの学校の選択行動が、結果的に地域社会から学校を引き離し、地域社会の活力の基盤をますます脆弱にしていく。私はこの本を読んで、学校再生のおそらくもっとも重要な要件は、選択の自由にあるのではなく、教師と生徒はもちろん、親や地域の人々を含めて、その学校の構成員が自分達の学校を「良い学校」として「つくっていく」ということと、「つくっていく」という課題を達成する機会を、すべての学校に等しく保証することが重要であるということがわかった。
(3回 K.T.)
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教育改革は、日本の学校教育や地域と学校、あるいは家庭の連携の在り方に非常に大きな変化をもたらすものだと思う。しかし、せっかくの改革を改革した"気分"でやられては無意味である。それぞれの時代や社会に応じて最適な調整をしていく事が重要であると思うが、筆者の様な方ばかりではないので、難しいことだと思った。
余談になるが、筆者は、この本を書いてから講演依頼が殺到していると聞いたことがある。筆者は、第3回教育改革国民会議において、「生きる力」とは、『苦労し、努力し、挫折し、様々な経験を自らやっていくことで身に付くもの。その機会を豊かに与えるような改革をすべきである』と主張している。その通りだと私も思う。筆者の貴重な考えをたくさん学ぶことが出来た。筆者に賛同してしまう内容ばかりで、また、諸外国のデータも豊富で、非常に面白かった。
(3回 T.O.)
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ゆとり教育とは本当にいいものなのか疑問に思う。ゆとりをもつことはいいことだろうと思うがゆとりというものの意味」を理解しているようには思わない。生きる力とか聞こいいかもしれないが別にゆとりがなくても生きる力はつくだろう.むしろ勉強していい大学に行ったほう生きれるような気がする。ゆとりを渡すだけでそのゆとりの意味を教えない学校も意味がさっぱりわからない。小学校・中学校の学生にゆとりを渡したら休みの日と思うのは普通に考えてわかると思う。詰め込み教育はだめだとかいってはいるが現実として受験競争はなくなっていない。何がしたいのか何もわからない。教師も偉そうなことばかりいって実は何も考えていないのではないかと思ってしまう。教師もしっかり学習をしてゆとりの時間になにをしたらいいのかを教えるべきだと思う。この教育改革を成功させるためには子どもたち自身の学習意欲も大切であると思うが教える側に立たつ教師の学習も重要だろう。
(3回 S.I.)
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共生時代の学校づくりをよんで、改革、改革といっているけれど、実際、現実的には変わる事が出来てないように思う。日本は世界が認める教育国と言われていたことをいいことに、少し改革という行動に出るのが遅すぎたのではないかと思った。「ゆとり」=「遊び」と認識してしっまている人達はどのぐらいいるのだと思う。学校づくりに関しても、答えは1つではないと思うし、目標というよりは、その場、その場で柔軟に対応できることが、最も学校づくりに必要であるのではと思う。「共生」、共に生きるという文字通り、学校と親、世間、それぞれとのコミュニケーションができていて、目的意識がしっかりしていれば、より良い共生に近づいていくのだと思う。教師と生徒が一緒になって同じルールで校則を作って行くような学校があれば自分も行ってみたい学校になるだろうし、そんな学校づくりが必要かなと思う。
(3回 H.K.)
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人々は、教育に対して「善さ」を求める。しかし、この「善さ」の中身は価値観や、文化や、生活スタイルによって多様である。よって、しばしば矛盾や対立を含んでいる。実際、受験戦争が問題となり、これからは個性を生かす教育にしていかなければならないと言われ出し、ゆとり教育が取り入れられるようになった。その結果、現在学力低下などが問題視されている。また、ゆとり教育を取り入れたからといって子供の負担は減ったのかというと、学校で勉強しない分塾に通わせる親が増えたりして、子供の負担が減ったとは言い切れない。やはり、教育というものは、何が正しくて何が間違っているとか、それを正確に判断できる人はいないと思う。時代も変化するように、教育もそれに併せて常に変化していく物だと思う。善い教育を目指すとき、答えも道もひとつではないと思う。色々試してやっていく事が重要だと思う。
(3回 M.K.)
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私の高校は単位制で、授業を自分で選択して時間割を組んでいた。校則もとくになく、先生との会話に敬語を強要されることもなかった。おかげで先生との会話は多く自分の相談から、学校や先生に対する意見もよく話した。もちろん問題もたくさんある学校だったが、教師と生徒みんなで学校を作っているという感じだった。生徒も自分で組み立てた時間割に責任を持ち、積極的に授業にも行事にも参加していた。なにより、先生方が私たち生徒のことをいつも考え、必死だった。その先生方の姿がとてもうれしかった。教育についてはさまざまな問題があり、その問題を改善していかなければならない。改善しても、改善しても問題は出てくるだろうが、生徒や親を含め、教育に関わる全ての人が、教育にいつも関心を持ちどうすればいいか考え続けることが大切ではないだろうか。
(3回 A.K.)
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学校週5日制についての感想だが、今よく考えてみるとこの制度は、私は反対である。土曜日が休みというのは嬉しいしプラス面もあるが、学力の低下は懸念されるし、様々な問題が浮かび上がり「ゆとり教育」というにはほど遠い気がする。
休日をどのように過ごすかは、親と子に委ねられているわけだが、それがみんなの望んでいる方向に進むとは限らないし、今の社会状況の中で親子交流などできるのであろうかと疑問である。さらに、この制度であらゆるマイナス面が、社会的弱者に集中的にあらわれるというのはかなりの問題である。まだこの制度が実施されて浅いので何ともいえないが、今の時点でこれほどまで問題があるというのは、それ自体問題であるし、今後の教育改革は重要になってくるだろう。これからは、自分の子供が学校に通うという年代になってくるので、親になる側としてかなり心配である。
(3回 K.K.)
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僕は今の「ゆとり教育」のあり方、問われ方に疑問を感じている。本当に学校教育の現場で「ゆとり」は必要なのか?日本人の学力だ衰退していると言われる今日、「ゆとり」という考え方から出てきたであろう「週休2日制」「公立一貫校」の教育面での効果は?
本中にもあるように、小・中学校の義務教育機関で行われる教育は問題とされている「詰め込み型」の教育ではないと考える。社会で生活するための最低限度の教育を義務教育の場で行わないで、どこで行うのだろうか。識字率は今でこそ世界に誇るが、「ゆとり」を前に出し過ぎて、満足な教育が行えないようでは改革ではないと思う。
批判ばかりしていても前には進まないので、僕がこれから考えていきたいのは、「休みになった土曜日」を使って、どれだけ一般的に学習が出来る場を作れるかということだ。地域や社会(個人レベルでも)が協力しあって、せっかくの「ゆとり」を「ゆとり」のある学習の場にしなければもったいないと感じている。
(3回 Y.M.)
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教育の現場では、常に様々な問題が持ち上がっています。いじめ、不登校、新たに導入されたゆとり教育などなど。こんなにも問題があるのは、大変なことのように思えますが、どれが正しい教育なのかということは結局のところ誰にもわからないと思います。だから、試行錯誤を続けていくのであって、それが続く限り問題がおこるのはあたりまえだと思います。ただ、いじめ問題だけは、そのために命を絶つ子供や、心に深い傷を負う子供たちがふえていくのを防いでいきたいと願います。本書にもあったようにいじめには様々なケースがあり、全てを学校の責任にするわけにはいかないのでとても難しい問題ですが、学校に行くのがつらいという子供が一人でも減ってほしいと思います。
(3回 S.E.)
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『新聞記事が「わかる」技術』(北村肇、講談社現代新書、2003年8月)の中に、教育改革の裏側にあるものという内容があった。東京都品川区で2000年、公立小学校の学区制が見直された。近い学校に通えるため「便利になる」という見方のあるが、それだけではなかった。アジア各国にIT技術で遅れをとった経済界が、「優秀な人材を確保するためにはエリート教育が欠かせない」と考えた結果、経済団体が当時の文部省に、エリート教育を推進するよう要請した。「平等教育」から「競争教育」へ転換し、背景には「再び技術立国の地位を確保するためにはエリート育成が緊急の課題」と考える経済界の強い意志がある、とあった。
今の教育は「ゆとり」などと言っているが、その背景に経済界、エリート育成のことがあると知り、このままじゃ今課題となっている教育問題はなくならないだろうと思った。
(3回 R.A.)
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教育改革という言葉をよく耳にする。授業でも何回か学んだ。私が思うに、個性をいかすなら 教室もいらないし、机もいらない、壁もいらない。個性が潰され、抑制されてしまう気がする。
よくいう話だが、学校週休二日制にしたって、公立中高一貫校の導入にしたって、まず根本を抑えるべきである。そこが考えるべきところであり、変えていくべきことであると思う。実際の中核が固まったり変わっても、直接生徒に接せられるのは、教師であり親である。そこのところまで思いが浸透しなかったら意味はない。
人間教育の回復をするべきである。受験を前提にした教育の話し合いではなく、全部の児童の立場に立って教育を考えるべきであると思う。教育に関わる全てがそうあって欲しいと願う。
(3回 Y.E.)
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日本の教育は岐路に立ち、現在すでに一方向に向かい歩みを進めている。私は数年前まで文部科学省が打ち出す教育改革のうわべだけを見て、良いイメージを抱いていたように思う。ゆとり、個性、国際化など、どれをとっても必要であり、どんどん取り入れて行くべきだと思っていた。教育改革が子ども達の心に与える影響については、自分自身の知識の浅さが関係してだろうと思うが、少し問題視しすぎではないかとも思う。一方でゆとり教育については、もう少し考え直すべきだと思う。これまで日本経済を支えてきたのは学力である。しかしゆとり教育により、学力低下が問題視され、このままこのような教育続けていくことは危険であると思う。
"教育"には絶対的に正しい答えがないだけに、どちらの道が良いとは言いきれないが、学力水準の低下だけは回避しなければならない。次世代を担う人材を育成する"学校教育"は、中長期てきな視点で、多方面から構造的にみて、慎重に考え作っていかなければならないと思う。
(3回 M.I.)
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この本を読み終え、ふと、自分が通ってきた小学、中学、高校は果たして「よい学校」だったかを考えた。答えは簡単だった。「よい学校」だったと思う。教育面や学習面など、難しい話は別として、毎日楽しく学校に通い、いろんな経験をし、たくさんの思い出が出来た。「よい学校」とはこういうものではないだろうか。生徒が過去を振り返り「楽しかった」と思えることが「よい学校」の表れだと思う。
私は、学校の基本的な役割を、学習面を中心に限定的に考えるのではなく、子どもの生活・成長・学習の全般に関わるものとして、多様化していくことが、今の時代、最も望まれる人材を育てることになるのではないかと思う。教師と生徒はもちろん、親や地域の人々を含めて、その学校の構成員が自分たちの学校を「よい学校」としてつくっていくことが、まずは、一番大事なことだと思う。今、まさしく学校・家庭・地域の連携による教育の再生の時期にさしかかっているのではないだろうか。
(3回 H.K.)
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教育問題の一つにいじめがある。学校でいじめが起きると、その原因は学校や教師にあると言われる。私はその度に本当にそうであるのか、疑問に思う。
「いじめや不登校がなくならないのは、学校のあり方に問題があるからだ、教師の自覚が欠けているからだ、といった学校原因論・教師悪者論がある。むろん、学校のあり方や教師の自覚と対応の仕方に問題がないわけではない。しかし問題の責任をもっぱらそこに帰してはならない。」
その通りだと思った。また、いじめを「なくそう」とすることにも問題があるのではないだろうか。いじめは「減らす」ことはできるが「なくす」ことは絶対無理だと思う。実際、学校でのいじめをなくしてほしいと訴える大人の世界にもいじめは存在する。
「うちの子に問題はない。」という考えを、まず捨ててほしい。学校や教師にいじめをなくしてほしいと言うだけでは何も変わらない。学校に頼るのではなく、学校とともに問題を解決していこうという姿勢を生徒や親が持つべきである。
(3回 M.H.)
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