天理大学 生涯教育専攻 課題図書

糸井 重里 『インターネット的』

PHP新書(161) / 2001年 / 236頁 / \660 / ISBN:4569616143



●いとい・しげさと●
1948年群馬県生まれ。法政大学文学部中退。75年TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞受賞後、79年東京糸井重里事務所設立。「不思議、大好き」や「おいしい生活」などのコピーで一世を風靡。89年APE(エイプ)設立。広告コピー、マンガの原作、作詞、小説・エッセイ、ゲームソフト製作など、数々の創作活動を行う。98年より、インターネット上に『ほぼ日刊イトイ新聞』(http://www.1101.com/)を開設し、現在は一日のアクセスが35万件にまで成長。
著書:『誤釣生活』(ネスコ)『詩なんか知らないけど』(大日本図書)『豆炭とパソコン』(世界文化社)『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社)『悪人正機』(共著、朝日新聞社)『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』(共著、PHP研究所)他多数。


プロローグ なぜいま、インターネット的なのか
第1章 インターネット的―「リンク・フラット・シェア」する生き方・考え方
第2章 インターネット的でどうなる?
第3章 工業化社会からインターネット的社会へ
第4章 インターネット的思考法
第5章 インターネット的表現法
第6章 インターネットの幻想
第7章 消費のクリエイティブを!
エピローグ 「インターネット的」時代のゆくえ

学生の感想文(5)


 糸井氏の真似ではないですが、読み終わって「あああ、面白かったーっ」と思いました。あまり私は本を読むのが得意ではないのでいつも四苦八苦して理解しているのですが、この本は非常にわかりやすく、読んでいて楽しかったです。
 これからはますます「インターネット的」な考え方が必要になっていくのだと思います。そして今までのようにA=Bではなく、AからBを見つけるまでの過程の中に沢山の無限の選択、情報を探し出していくことができるのです。世界がどんどん広がっていく。とてもステキなことだと思います。私も自分の世界観をしっかり持って、たくさん自分の引き出しを増やして生きたいと思いました。
(3回 J.W.)

 インターネットとは、私は今まで単なる通信手段のひとつくらいにしか思っていませんでした。でも、やっぱりそんなはずはなかったですね。この本は、インターネットをおもしろい見方をしています。私なんて今まで、こんな風に考えたこともありませんでした。インターネットができたことによって、より小さな声まで世界に届かせることが出来るようになったのですね。そしたら、みんな、ちゃんと自分というものを持たないといけなくなります。これは、とてもいいことだと思います。最後に、内容とはあまり関係ないですが、イトイさんの文章の書き方がとても読みやすかったです。面白かったし、なにより難しい言葉がならんでいなかったのが分かりやすくて助かりました。
(3回 Y.A.)

 この本はあまり難しい言葉の使用がなく、漢字も少なめで、内容的にも読みやかった。  人間に必要なことがまさにインターネットと同じであるということに驚いた。勉強になった。確かに、いろいろな人と会話をするということは、自分が持っている情報をみんなに提供するということであり、また、何らかの情報をもらうことができるということでもあると思う。
私は、嫌なものは後回しにすることがよくある。しかし、この本を読んで、つくづく、選ぶときのプライオリティはしっかり考えてやらなければならないなと思った。自分の生き方に関わってくることでもあるし、プライオリティをはっきりしておかないと、とにかく自分自身がしんどい思いをするからである。これからしっかり考えていきたいと思う。
(3回 A.K.)

 一番の最初の感想は「ユートピア的」だと感じました、たしかに「インターネット的」なものや考えが広がればより速く、より多くの情報を交換できて、人々の交流は深まるしかしながら、やっぱり大企業が大量生産を続けるだろうし、中小企業がやはり細々とやっていくだけだろうし金持ちは「きれいなねーちゃん」、「高級車」、「高いマンション」を買い続けているだろう、つまり違いの分かる人間が増えたところで世の中はたいしてかわらないだろう。
 しかしながら、グノーシス主義がいうような腐った世の中でもきれいごとを言ってそれを実践していくことがこの世の中には必要であり、時にはそのような盲目的なことが人を突き動かすのだ。
つまり、頑張れ糸井重里クリエーターとしての試みを忘れないようにいつまでもと偉そうですが自分はこんなおっさんが結溝好きです。
 ところで184ページの2行目にある「核が実際に使われた戦争はないように」とありますがこれはどういう事でしょう「原子爆弾」は核兵器ではないのでしょうか?日本人でありながらそれはちょっと糸井さんないんじゃないですか?
(2回 S.K.)

インターネットという新しいメディアの台頭は、たしかに素晴らしく画期的なことだと思う。今までのメディアが果たせなかったことを、軽々とクリアする能力をいくつも秘めているといえる。
しかし私はこの本を読み、インターネット自体よりも、それがもたらす「インターネット的であること」により可能性を感じる。インターネットは人と人をつなげるだけで、それ自体が何かを創り出すものではないから、豊かなものになるかどうかは、それを使う人が何をどう思っているかのいかかっているのではないか。
つまり、「人とつながれている」「ソフトや距離を無限に感じる」「考え方を熟成させずに出せる」といった、人の思いが楽々と自由に無限に開放されてゆく空間。こういった「情報社会に生きている私たちの身体や考え方、生き方は、どんどんインターネット的なものになっていると思う。
(2回 K.U.)