天理大学 生涯教育専攻 課題図書
苅谷 剛彦 『教育改革の幻想』
ちくま新書(329) / 2002年 / 222頁 /
\700 / ISBN:4480059296
●かりや・たけひこ●
1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウエスタン大学大学院博士課程修了。Ph.D.(社会学)。現在、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学、比較社会学。
著書:『学校・職業・選抜の社会学』(東京大学出版会)、『知的複眼思考法』(講談社)、『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、『階層化日本と教育危機』(有信堂高文社)ほか。
第1章 教育の制度疲労
第2章 「ゆとり」と「新しい学力観」「生きる力」の教育
第3章 「ゆとり」のゆくえ − 学習時間の戦後少史
第4章 「子ども中心主義」教育の幻惑
第5章 教育改革の幻想を超えて
学生の感想文(31)
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ゆとり教育の問題で、子どもが1949年の方が勉強している事には驚いた。今の日本には、塾などの学校以外の教育機関が設けてあるにも関わらずである。私は、問題は教育の質であり、むだ時間を費やし、3時間も勉強するよりは、2時間でも質のよいわかりやすい勉強がいいと思うのだが、学校自体、学級崩壊などおこっている現在の教育の質がいいとは思えない。
ゆとり教育は「応用力の向上」と言われている。しかし、これからゆとり教育にしていくからこそ、基礎能力の向上が必要なのではないだろうか。現在では生徒の他動性障害などにより、学力も高い生徒と低い生徒がわかれる現象がおきている。そのためにはやはり、教師の質の向上、そして親の教育への参加が必要になってくるだろう。
(3回 T.K.)
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「ゆとり教育」と聞いて思い浮かぶのは、週休2日制や授業内容の削減です。ちゃんとした内容や、どういった目的の改革なのかも知らずに、私は妹達を見て、ただ楽でいいなぁとしか思いませんでした。しかし、実際は週休2日制や教育内容の削減によって親達は子どもの学力低下を焦り、子どもを塾などに通わせ、塾の方が楽しいと多くの子どもも言っています。その一方では休みが増えてしまい、することもなく1日中家で1人遊びに夢中になっている子もいます。こういった問題に文部省自身が行った大規模な調査によって分かっていながらも学習指導要領改訂の議論を通じて全くといっていいほど十分な審議の対象にならなかったのは、どういうことなのか。たしかに「ゆとり」というのは必要だと思うし、私も反対ではありません。だけど、当事者である「子ども」が、なんのために「ゆとり」を与えられているのかを分かっていない限り何も変わらないと思います。
(1回 K.I.)
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この本を読んでみて、教育改革は現在の教育すべてをよい方向へ持っていくことが出来ないのではないのか、と思った。確かに完全週休2日制が一般化して、子供達に「ゆとり」を与え詰め込み学習から少しはなれた教育ができあがるなど工夫はしているが、私には「とりあえず制度は整えたから、あとは生徒が勝手にやってくれるだろう」という無責任な押し付けに見えてしまう。
私が思うに、教育制度とは学校の教科書と一緒でかかれていること自体は間違いない。しかし、それを実行に移すのは学校であり、現場の教師である。教師の教え方・やり方一つでまったく違うと思う。
この本を読んでみて、自立の重要性を改めて認識させられた気がする。「自ら求めて、自ら考えて」行動に移せる人間が求められていくのは、何も生徒だけでなく、先生、保護者などです。
(1回 S.I.)
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子どもの学習能力や意欲が低下しており、教育改革をいくら掲げても能力や意欲が向上していないのは、実際に教育現場に浸透していないということだけが理由であると、私は今まで思っていた。しかし、この本を読み、教育改革のそれ自体の内容を見直すことの必要性がわかった。今までの教育改革は、その実現可能性を充分考慮されることも無く、実施の過程で何が生じるかに目を向けることも無く、手放しで肯定されてきたという事実がある。それらを一つ一つ検証していくと、実は雲をつかむような内容であることに気付いた。
一体何をポイントに置いて子どもに対する教育の改革をして行けば良いかが、曖昧になってきているのではないかと思う。一体何が「子供のため」になるのかを、教育者が常に意識して、教育改革の論議に取り組む事が大切であると思う。
(3回 K.T.)
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自ら学び、自ら考える力を伸ばす教育には私は賛成する。意欲・感心をもつことは大切である。知識の詰め込み教育では、勉強が嫌いになることは、ほぼ間違いないだろう。だから私は今の教育の考え方は賛成だ。だがこの考え方は総合的な学習などの新しい学習を教育にとりこんで子どもに受けさせるだけでは力を伸ばす事はできないだろう。教師も学習するべきだ。教師になる人の多くは詰め込み教育をしてきた人だろう。その教育受けてきた人たちが自ら学び、自ら考えろといってももちろん無駄だろう。結構いい教師にあたらないと難しいと思う。今までどのように生活してきた人かとかによって人間性がぜんぜん違うと思うし、勉強ばかりしていた人ならどうしても詰め込み教育をしてしまうような気がする。教師になるのであれば勉強しなければならない。勉強に時間をとられてしまったら他の事をする時間がだいぶ減ってしまう。だから教師になる過程とかも見直さなければならないと考える。
(3回 S.I.)
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自分が思うゆとりの教育とは何か?と考えた時、ゆとりとは自分自身で見出すものであると感じた。自分がおかしいと思うのは、生きる力をつけるといっても結局、学力がなければダメな世界ではないか?と思った。生きる力という意味を自分がはきちがえているのかもしれないが教育に関して改革を進めていても、大人の世界、働く世界も一緒に改革しなければ、戻ってくるのは、今までと同じスタート地点だと思う。自己の実現の目標に向かって能力をつけていく事は必要ではあるとは思うが、果たして今の小、中学生において、しっかりとした目標を持った人間はそんなに多くいるのかという問いにぶち当たる。
本の題にもある通りやはり幻想でしかないのではないか。教育改革をして個々の生活力・生きて誘致空を養う事は必要であるが、小中学生にはやはり、詰め込み型の教育の方が必要であると思った。教育において理想と現実は、はかなく遠いものだと感じた。
(3回 H.K.)
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教育は投資ではないと言われるようになり、子供の教育は親の消費スタイルに強く影響されるようになったと思う。教育に金をかけるのは馬鹿だということと、教育には金がかかるのはあたりまえだということはかみ合わない。その度の圧力によって変わっていく今の教育改革は、個人の生き方に対する教育政策の影響力を無くしていくだろう。まず普通の教師が理想を求めていないところに間違いがあると思う。
(1回 K.T.)
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この本を読むことによって、今まで教育(特に義務教育)に対する考え方や感じ方が変わったような気がする。
自分たちは「ゆとり教育」は経験していないので。その当事者の感覚というのは分からないのだけれども、ある意味で、「ゆとり教育」と「詰め込み教育」を第三者の目で、比較することが出来た。どちらの体制にも良い点も欠点もたくさんあるけれども、どちらが良いとは言い切れないと思う。そう考えると、言い切れないと言うのが今の現状なのではないかと思う。つまり、「ゆとり教育」の「結果」というのは数字の上では出ているけれども、本来の目的である、「学生に自由な時間を作り、自由な勉強を出来るようにする。」という面から見ると、新体制になってそんなに早くから、結果は出るモノではなく、十年二十年後どうなっているかにかかっていると思われる。
けれども、学力の低下は実際に起きている。「後悔先に立たず」と感じないことをいのる。
(1回 Y.T.)
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私は、この本を読む以前から、この教育改革については反対の意見であった。その理由としてあげるのは、「ゆとり」教育と大幅な教育内容の削減にある。「ゆとり」教育と聞くと確かに聞こえは良いが、単に学生からしてみれば、ヒマな時間が出来たににすぎない。そして、その時間は何に使われるかというと、TVやゲーム、そして、友達と遊ぶ時間になるからである。この時間は、この教育改革の考えからするとボランティアなどの社会意勉強をするためのものであるが、まだそのようなことをする場が少ないと思う
これもこの教育改革のダメな部分であると思う。
もうひとつの大幅な教育内容の削減であるが具体的にいうと、円周率をなぜ3.14から3にしなければいけないのだろうか?3にしてしまうと円ではなくなってしまうと聞いたことがある。まったく別の物になることを削減とはいわないと思う。こんな教育をして本当に良いのだろうか?逆にこのような中途半端な教育を受けている学生が、可哀想であると、この本を読んで感じました。
(1回 Y.N.)
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ゆとり教育はなぜされてきたのか。私はゆとり教育の意味も知らず、週五日制になり、ただ自由な時間が増えて嬉しいと喜んでいた。しかし、それは現実を把握していいないまま推し進められてきた改革であった。それまでの教育はどこが、どう間違っていたのだろうか。この改革は目指している方向へ向かっているのだろうか。しっかりと現状を把握せず、世間の「受験勉強に追われてゆとりがない」というイメージだけで改革がなされてきたのではないのか。イメージだけで改革をし、どんどん学力は低下していった。もし、いまさら「この改革は間違っていました」と言われても、この間に勉強をして自立していった子供達はどうなるのであろうか。なぜこの改革が行われてきたのか、子供は考えるのは困難だけれども、知っていく必要があるだろう。政府はイメージに単純に流されず、しっかり現状を把握し、もう一度教育改革について考え直して欲しい。
(1回 Y.I.)
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<教育改革>を支持する人は多い。1980年代より始まった<教育改革>は、当然私たちの義務教育にも影響を及ぼしているが、実際、学校側が私たちに教育改革についての情報を提供することはなく、「ゆとり」の目的を知らないまま完全5日制が導入されてしまった。「ゆとり」という問題を考えたとき、時間のゆとりがなくても心(精神的)にゆとりが残っている場合、それは「ゆとりの欠如」にはつながらないと思う。それを「子どものゆとりは奪われている」と問題把握することが、改革を良くない方向へと導いているのだ。
私はこの本を読んで、はじめて<教育改革>の疑問に気付くことができた。「ゆとり」教育をはじめ、さまざまな改革の要素にいま一度詳しく目を向けたいと思う。
(1回 Y.N.)
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今の教育改革で、何か成果が得られただろうか。ゆとり教育によって子供の学力が上がる事はなかったし、新しい学力観によって子供の学習意欲が高まるこ事もなかった。コレといった成果は上げられていない。今までの教育改革が決して成功でなかったと判明した今、これからどうするかが非常に大事である。
学校の授業において、最低限の学習能力を身に付ける事は重要である。しかし、それ以上は生徒にかかっている。教師が生徒全員を完璧に理解させるのは、困難だ。その点で、塾の必要性が重視できる。
生徒にとって、学校生活では精神的な部分が大きく影響する。勉強もそれにすくなからず左右されるだろう。子供の心に触れようとした時、スクールカウンセラーが大きな役割を担うだろう。
学校がより良くあるために、生徒がより良くすごせるために、学校をサポートするモノが大切だと思う。
(1回 Y.Y.)
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今学力低下問題が叫ばれているが、その原因の多くが教師や学校に向けられている気がする。もちろんそれは絶対に違うとも言い切れないが、新学習指導要領や週休二日制などが実施され教師や学校も抑えつけられていることを私たち第三者ももっと積極的に知らなければならないと思う。
文科省が推し進めている学習指導に私はいまだ理解できない。全てを知っているわけではないのでえらそうなことは言えないが、一番に反映されなければならない現場のことをどれぐらい理解して制作されたのだろうと思う。
教育を考える上で私はまず教師の立場を第一に考えなければならないと思う。子どもの立場をどうこう言う前に教師にゆとりがなければ何も伝えられないからだ。文科省の押さえつけなしに教師が子供に伝えたいこと、語りたいことは大いにあるはずだし必要なことだと思う。
理想の教育像は人それぞれあると思うが新学習指導要領などを作る前にもっと今の現場に触れることが必要だと思った。
(1回 T.I.)
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私は、授業内容が三割削減されるのを聞いた時とても驚き、絶対にすべきではないとおもった。一方で、完全週休二日制になったときは、とても喜んだ記憶がある。しかし、それら両方が、「ゆとり教育」を推進するためのものだということは知らなかった。そして、結果として学力低下が浮き彫りとなった。それなのに、なぜ学ぶ側に政策の本当の意味をきちんと教えないのか。教える側が生徒に説明し、理解させ、実行させるべきだと思った。ゆとり教育のために様々な政策が行われているが、戦前戦後に関係なく勉強する子どももいればしない子どももいるだろう。しかし、それでも学力低下が騒がれているのは、やはり政策に問題があったと考える。
確かに、授業で習う勉強も大切だが、今現在の日本社会をみると、それより道徳などの心や気持ちの勉強の方がずっと大切だと思う。理想の教育改革をするには、今までの失敗をきちんと受け止め、次の改革につなげていくべきだと考える。
(1回 I.W.)
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子どものための「ゆとり教育」という題目は、私の目にも魅力的でした。週5日制になり、遊ぶ時間が増え、家でゆっくりする時間が増えました。文部化学省は「生活体験・自然体験の時間を増やし、授業の反復練習をして欲しい」と思っていたようですが実際はそういう人が少なかったように思われます。マスメディアとの接触が増え、授業内容の削減によって基本の定着・理解もままならない子どもが増えました。週5日制一つをとってみても、文部省と教育現場の隔たりは大きいように思われます。文部省が取り上げる「過度の受験戦争」も今では少なくなってきました。もう一度教育問題を見直すことが必要です。改革の実態を捉えることこそ必要です。改革には痛みと努力がつきものです。そこから理想を鍛えあげていくことが必要不可欠です。幻想に囚われたままでは、変わりません。基本の定着と理解こそが、今の子供たちに求められています。
(1回 M.H.)
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私は教育改革については基本的に反対である。例えば改訂後の教科書は円周率は3など問題を優しくするにもほどがあるような内容だらけであったりするし、週五日制なども地域社会とのコミュニケーションにほとんど使われるはずもなく、今の子供は結局ゲームなどしかしないのに違いない。
本について少々疑問に思う点は、受験戦争などは実際にはいうほどのものではなかったなどあるが、偏差値の高い大学などを目指していたり、何浪もしている人に取れば受験は本当に地獄なものである。平均的な資料だから温度差が見えていないのが残念だった。 そんな疑問もあるがやはり改革には賛成しづらい。子供も改革の意味も理解せず、勉強が簡単になって喜ぶだけであろう。全員が百点を取れる教育になるとは資料や自分の経験などからも思えない。結局はだらけていくだけだ。一番大切なのは外部からの改革だけでなく、子供達自身の内面が変わる事だと思う。
(1回 M.T.)
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今、教育を変えなければならない。その思いとは逆に教育改革が進んでいくうちに、様々な問題が出てきていると僕はこの本を読んでそう思いました。「ゆとり」のある教育や新学習指導要領などの改革が進められているが、良いことばかりでは決してないと思いました。「ゆとり」のある教育を例にしてみると、今の教育の現場には「ゆとり」のある教育を生かしきれていないと思いました。週休2日制になったことで「ゆとり」はできたが、まだ「ゆとり」を使える場所が無いと思ったからです。今よりもっと学校以外での学習の場を拡げることが必要だし、色々な体験をさせることで今後の目標や進路につながると思います。
教育改革という幻想から、まだ抜け出せないのは、改革という言葉に惑わされているからであり、改革よりも先に改善をするほうが今の段階では、正しい道だと思った。
(1回 R.K.)
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私は教育改革がうまくいかないのは理想というものにとらわれすぎだからだと思う。
「自ら学び・自ら考える力」をつけることは確かに大切な事だと思うけど、そればかりにとらわれていたら改革をしても失敗するだろう。しかし、そもそも改革といって、そんなに急ぐ必要があるのだろうかと私は思う。それに、「自ら学び・自ら考える力」というのは、人からどうこう言われてつく力ではなく自らが自然につけていく力だと私は思う一気に改革だといって学校全体を変えるのは無理なことだし、全ての子がいきなりつけれる力でもない。少しずつ自らのペースでつけていく事が、私は、大切だと思う。
(1回 S.O.)
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ゆとり教育?くそくらえ。私は読み終えた本を投げ出し叫んでしまった。子供にあまった時間を学習に費やせだというゆとり教育の綱領が間違いだ。私の子供時代を思い出しても勉強を自らすすんでしたことはなかった。そんな事をするから、ドラクエをやっていた。それでもまずまずの成績だったのは、教師が目をかけてくれていたこと、テストで点数を取るたびに同級生から羨望の眼差しを受けることを知っていたからだ。授業中はしっかり考え、テスト中も一生懸命。これが通じたのも中学校までだった。高校に入ると、余りにも早い進度、膨大な量の内容、くたくたになるまで毎日あった部活動のため、私は死にそうになり成績は、目をあてられないようになった。
そんな私は、授業参観を増やし、内容はそのまま減らし、子供に考える時間と場所を提供することを提案する。子供に考えるきっかけを与えてやるのが学校の仕事だ。ほったらかすのでもなく、しつけるのでもなく、詰め込むのでもなくきっかけと場所を与えるのだ。
(1回 T.K.)
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今、文部科学省を中心に教育改革が進められているが、はっきり言って失敗だったと私は思う。なぜ、ゆとりが必要だったのだろうか?七.五.三と言われている「分からない子」を分かるようにする、ということから始まったゆとり教育だが、そもそもこの「ゆとり」が失敗だったとしか思えない。この「ゆとり教育」を行ったせいで、子供の学力低下を招いだ恐れがあるからだ。私が思うに、週休二日制は意味がなかったと思う。もともと、週休二日制は土曜日を反復学習の日にするためのものらしいが、みんな勉強なんてしないだろうと思う。実際、私も遊んでいた。反復学習がねらいなら、土曜日を丸々休みにするんじゃなくて、一日一日を短くしたほうが、効果的であると私は思う。月曜日にやったことなど土曜日まで覚えているだろうか?まず、覚えていないだろう。しかし、一日を短くしたところで、みんな勉強するだろうか?おそらくしないだろう。学力の向上がねらいなら、ゆとり教育をなくすべきだと思う。
(1回 K.M.)
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「ゆとり」教育とか教育改革が行われているけど、教育改革を行って忌みがあるのだろうか。私には意味のないように思える。まず教師が変わらないと教育現場も変わらないと思う。教え方、怒り方、など。例えば、わからない子の立場に立って教えるとか、怒る時はなぜ悪いのかなど子どもにわかるように怒るなどである。そして、子ども自身も変わらなければならない。最近の子どもたちは自ら勉強しようと考える子が少ない気がする。それに大人を尊敬せずに悪く言えばバカにしている子も少なくないと思う。そんな風に思わせる大人や社会も悪いと思う。ここまで教育改革について批判ばかりしているけど、確かに誰かが何かをしなければ何も変わらないだろう。子どもたちにゆとりがないのは確かだと思うし、そういう現在の教育や社会のことを考え直す機会としては良いのではないかと思う。
(1回 H.M.)
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「教育改革の幻想」の内容は非常に飛躍しすぎだと思う。「ゆとり」の改革について論議がなされていたが、そもそもこの改革がごく最近本格的に始まっただけなのにいろいろ批判を言うのは時期尚早だと思う。掲載されていたデータにしても個人的に疑問が残るものがあった。好都合なデータだけを掲載したのではと信憑性にかける。事実として学力低下が起こっていたとしてもすぐに効果の出る改革などありえないのではないだろうか。すぐに目に見えて効果がでる改革こそ一時的なまさに付け焼刃改革でないのか。なにか行動を起こしたとき結果は大変重要であるが課程を経ずには結果が出ないことを忘れてはいけない。今回の改革には大変な不安が否めないことについては同意見であるがまだしばらくはゆっくり見守るべきだと思う。いつ評価を下すかは激しい議論を呼ぶと思うが、現段階は過程であり諸機関や先生がデータに出ない目に見えぬ一歩を踏んでいると信じている。
(1回 T.N.)
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僕がこの本を読んで強く思ったのは、教育改革を進めようとする人と、その教育を受ける人(つまり子供)の考えていることはまるでかみ合っていないんだなあということだった。
学校週5日制やゆとり教育というものが子供のためであり、予習・復習の時間を増やそうとしたものであるということを理解している子供が何人いただろう‥。僕も実際この本を読むまで、週5日制やゆとり教育を「子供のための息抜きの時間」だというふうに捉えていたし、そう思っている人は少なくないだろう。だから今、思い通りに改革が進んでいないのはそこだと思う。本当の意味もわからず、単なる「息抜き時間」と考えている子供に今までよりも勉強の質というものをあげようではないかと呼びかけたところでそれは不可能だと思う。今の教育よりも前の教育は本当に悪いものだったのか‥それさえもわからずにずるずると進めている今の教育こそ腐っていると思う。
(1回 K.Y.)
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今回読んだ教育改革の幻想は、今まで思っていたものより複雑で難しいものだった。その色々書かれていた文の中で、ゆとり教育のことが一番主劇的だった。ゆとり教育が取り上げられるまで、無理やり詰め込む形で、新幹線授業などを行ない授業についていけない生徒を作っていた。そこでこの事を改善する為に、「ゆとり教育」を目指すようになったが、今の段階で「ゆとり教育」は、うまくいかず反対に学力の低下を起こしてしまっている。急に休み増えて遊んでしまう子が出てくるのはしかたないと思う。教育改革を行なうのは良いが、もっと子供達の為になる事考えて改革をするべきである。私も何気なく教育改革という名だけでゆとり教育を受けていた。ただ単に休みが増えて良かったとぐらいにしか思っていなかった。しかし、この本を読んでもう一度教育改革を見つめなおし、これから色々な話に興味を持ち考えていきたいと思う。
(1回 N.N.)
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現在のシステムで70点だった子供が、「ゆとり教育」の名の下に学習内容を3割減らしたからと言って、100点取れるようになるわけでは決してない。根本的な学習システムを変えない限り、70点の子はいつまでも「ゆとりを持って」70点のままだろう。学習内容が3割も減った時点での70点というのは、淋しい点数だ。確かに学力低下は避けられないだろう。それこそ今回の改革は学力低下を助長するために作られた改革のように思えてしまう。
(1回 Y.A.)
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ゆとり教育について私が今まで思っていたことは、単に授業時間が減って、休日を増やすことにより、子供に余裕をもたすものだと思っていた。そしてゆとり教育というもの存在自体に疑問を感じていた。しかし、この本を読んで、ゆとり教育の根本的な意味とは何かや、また存在意義などが自分なりに理解することができた。
また現在の教育現状について、様々な教育改革の矛盾にも知ることになる。私は最初、教育改革とは、やればやる分だけプラスになるものだと思ってといたが、実際はそういうわけでもなく、改革する意義などについても勉強することになるだろう。
作者はこういった教育改革の矛盾をうまく指摘し、読者に考えさせるように書かれている。私が特に印象に残ったフレーズは、教育とは、子どものためを思う善意のかたまりではないかという部分である。全体的に見て、教育について再度考えさせられる一冊である。
(1回 T.N.)
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この本を読んでまず思ったことは、改革とは絶対に成功するとは限らないということだ。だから、教育改革の失敗に落胆するのではなく、この失敗を糧に次の改革につなげていけばいいと思った。しかし、教育現場などの人を相手にする現場では、何度も改革をすれば良いという訳ではない。ましてや相手は成長段階にある子どもである。そう何度も教育改革を起こして教育制度がころころ変われば、「ゆとり」教育どころではないと思う。
やはり、教育改革で最も重要なことは、本文であったように教育現場の現状を知り、適切に対処していくことと感じました。地道に調査を続け地道に改革を進めていくのがベストと思いました。改革も勉強もスポーツも何であれ近道はなく地道にこつこつと続けていくことが成功につながると思いました。
(1回 H.U.)
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私はこの本を読むまでは、教育改革のことを知らなかったし、あまり興味もありませんでした。
現在では、「ゆとり教育」の影響で週五日制の実施や、教育内容の削減が行われている。しかし、その裏側では、「学力低下」という問題も浮き彫りになってきている。ところが、従来の「詰め込む教育」によって、授業内容を理解できない生徒をつくりだすという最悪の状況を抜け出すために提案され、実施された「ゆとり教育」が直接でなくても、関係があるのは残念なことだと思う。
私はこの作者の意見に賛成の部分もあれば、反対の部分もあった。しかし、最後までこの本の面白さがわからなかったし興味を持てなかった。これからは、少しずつでも興味を持ってこういう本を読んでこれからの人生に役立てたいと思う。
(1回 K.H.)
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この本を読み、高校教師が学力不足で教師をクビになったというニュースを思い出した。高校と小中学校は少し違うかもしれないが、私たちは教師に何を求め、何を学べばいいのか、と考えてしまった。子どもたちは大人が作った指導要領で教育を受け、成長していく。成長してしまってから「だめだった」では、遅い。教育を選ぶことが出来ない子どものために常に教育に疑問を持ち、理想に流されない改革が必要であると感じた。
(3回 A.K.)
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<受験教育→ゆとりの欠如>という構図が、教育改革の問題認識の中心を占めていたことにより、教育改革は「ゆとり」を与えようとした。だが、その「ゆとり」によって逆に子供たちの学力低下を起こしてしまった。「ゆとりというのは、遊ぶために与えたものではないのです。」と言っても、今まで「ゆとり」のないなかで、生きてきた子供たちに突然「ゆとり」を与えられたら、勉強よりも遊びにはしってしまっても仕方がない事だと思う。そもそも、「ゆとり」という教育改革事体が間違っていたように感じられる。何事に対しても改革を行う前には、その実態をよく理解したうえで行うべきだと思う。「ゆとり」を与えるために授業内容を減らした場合、子供たちが、そこにできた「ゆとり」をどう使うか、よく考えてから改革をすべきだったのだと思う。「ゆとり」という教育改革は、子供たちの実態をあまり理解できていないまま行った失敗の改革だったと思う。
(1回 A.M.)
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教育問題を考える時には、今推し進めている教育改革の何処が悪いのか、どこをどうすれば子供の学力低下を妨げるのだろうかということを問題自体は何も疑わずに考えていた。完全周五日制や、学力内容が削減される以前の子供たちの学力テストにより学力低下がわかってきているにも関わらず、マスメディアの報道を深く考えずに、ゆとり教育によって学力が低下していると単純に考えていた。私も教育という<幻想>に目が眩んでいた気がする。この本の中で私が一番ハッと気付かされたことは、ゆとり教育(自由で、柔軟で、居心地の良い学校生活)が生きる力(生きることへの熱望)を育てるのかどうか、という記述である。、このことにも疑問をもたずにいたのである。今まで自分がどれだけ教育問題の本質を考えずにいたのかがわかった。これからは、何にでも疑問をもつことを心掛けたいと思う。
(1回 J.H.)
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