天理大学 生涯教育専攻 課題図書

加藤 秀俊 『取材学 ― 探求の技法 ―』

中公新書(410) / 1993年 / 184頁 / \660 / ISBN:4121004108



●かとう・ひでとし●
1930年東京に生まれる。1953年一橋大学卒業。1959年スタンフォード大学コミュニケーション研究所員。1963-64年アイオワ州立大学教授。京都大学人文科学研究所員、同大学教育学部助教授、学習院大学教授、放送大学教授、文部省放送教育開発センター所長、中部学術高等研究所所長等を経て、現在日本育英会会長、及び国際交流基金日本語国際センター所長
著書:『整理学』『人間関係』『人間開発』『自己表現』『情報行動』『企画の技法』『新・旅行用心集』『企画の技法』『電子時代の整理学』『人生にとって組織とはなにか』(以上、中公新書)ほか。


1 取材とは何か
2 文字の世界の探検(その一)
3 文字の世界の探検(その二)
4 耳学問のすすめ
5 現地を見る
6 取材の人間学

学生の感想文(7)

今日、情報が増えている。そのせいか、どれが正しい情報で、どれが正しくない情報か分からないときがある。もし、正しくない情報がマスコミにより、正しい情報として報道されたら、それは大変問題になる。こういったことがないように「情報の鑑定学」がある。例えば骨董屋さんが、古い焼き物などを手に取り、じっくりと見て鑑定するのと同じように、情報についても、その確かさを鑑定することがどうしても必要になってくる。
 今の時代、本当に情報量が多すぎて、自分では正しいのか正しくないのか分からない。だからマスコミや雑誌に頼ったりしてしまう。けれど、それは、見るものによって意見が違ったりする。特に、雑誌などは、そうだったから、今の時代、何が正しくて、どこにその情報があるのか、など自分の力がとても重要だと思う。自分が情報を見つけてくることがとても重要なことだと思った。
(2回 K.M.)

 この書を読むに当たっての第一の印象はテレビや報道の取材の事だけだと思っていたが、それだけではなく取材というものは、私たちの身近な生活の中で何気におこなっていたのであった。要約で書いたように料理をするにはまずメニューを決め、必要となる材料、調味料を用意してからいざ料理を行う。この作業の中で取材は行われていて、メニューを決めるためには料理の本、テレビ、今ではインターネットなどから情報を得ることができる。
そして、自分が作りたいと思う献立を作るにあたって材料、調味料、調理器具などを用意する。メニューによってそれぞれの料理にあったものを準備しなければ完成度は低くなり、レシピの通りに作る為には料理に関する細かい知識などが必要とされるなど。事細かに説明をすればきりがないほどの知識、情報である。私たちはこの様に取材というものを活用して生活しているのである。
(2回 I.T.)

 この本に書いてあるように、取材者は人に話し聞く職業であるから、一人まえに読み書きができ、ごくあたりまえの常識は最低限必要でありその他にも、人間的愛情と謙虚さが必要であると思う。しかし、このことは、一般の人にも必要なことであり、とくに人間的愛情と謙虚さが今の人たちに欠けているのではないかと思いました。
 イジメ問題や殺人事件なんて人間的愛情が無いからこそ起こるものであり、こういった事件が多数起こるということは人間的愛情欠けているからだと思った。
 「取材者はときとして、非情でなければならないのである。」とあり、取材者は一番つらい立場の人間だと思い、私は将来取材者にはなれないと確信した。
 取材者は学習の連続であるが、私たちも生きていく限り学習していくので、このような「生涯学習」という大きな共通点をこの本を読んで見つけることができて良かった。 
(1回 K.H.)

 子どもだけでなく主婦の生活の中でも『取材』というものがあると知って驚いたが、人間の一生が学習の連続なのであるから、そうだなぁと思った。
リファレンス・ブックス(参考図書)は、すごく厚くて日常生活するうえで使わないようにわたしたちは感じてしまいがちだが、国語辞典でも、主婦にとっては料理の本でも、そのひとそれぞれのリファレンス・ブックスになりうると思う。
取材というと非日常的な活動のような響きを感じるが、『取材=学習すること』と考えると、身近に感じ『生きること』そのものとも考えることができる。
何をするにも、情報集めや材料といった準備の段階が大切だと思った。
(3回 R.A.)

 私は今まで「取材する」ということは、生きた人間から、生きた言葉によって学ぶ。つまり、人の話を聞くことだけが取材だと思っていた。しかし、人間相手の取材とは問答のことであり、まず自分から問いを発しなければ、良い答えは得られない。また、その問いを発する以前に十分に情報を集め、その情報を練り上げて作られた問いを発することこそ、良い問いにつながるのだと知った。そのために図書館を利用したり、リファレンス・ブックを活用したりするなどの新たな取材の技法を知ることもできた。
取材するということは、文字になって残された記録を調べ、それから人に話を聞いたり、現地へ旅行したりすることだ。そして最終的に、その情報が正しいものかどうかをよく吟味した上で、発表することだと教えられた。本文中で、取材するということは学ぶことだ、と述べられている。その言葉を忘れず、人間的謙虚さを持って取材に取り組みたい。
(1回 M.H.)

 私は、この本を読み確かに日本教育において『なぜ?』という言葉は禁句になっているように思う。小さい時は、良く『なぜ?』と聞いていたと思うのに、なぜ、日本の学校教育は、いわゆる、問題発見能力を潰してしまうのだろうか。『なぜ?』というのをもっと大切してほしいと思う。
 また、私は、本書が指摘した通りの図書館の本当の使い方を知らない者の一人だったのでこの本の著者の体験を混ぜての説明していたので大変勉強になった。そして、メディアの情報などは、ほとんど無意識に入ってくるが、それもしっかりと自分がちょっとでも疑問に思った事は、しっかり調べていきたいと思う。また、メディアの問題だが良く『知る権利』が主張されるが、その逆の『知られない権利』が皆無に等しいと本書に書かれているが、その通りだと思う。ちゃんと『知られない権利』も守られなければならないと思う。
(1回 Y.N.)

 この本を読んで、取材というものについて、今までの浅い知識から少しは深い知識になったと思う。知っていることも多くあっが、知らなかった事もあった。知れなかったことというよりも気づくこともあった。取材される側には、取材されない権利、あるいは、知られない権利があってもおかしくないこと。言われてみれば当たり前のことであるがマスコミ特に朝やお昼に放送しているワイドショーには、そんなことを考えているのかと、くびをかしげてしまう。殺人犯の成長の過程を調べてみたり、親や親戚、近所住民への取材 テレビでの放送。人権などそこには存在しない。ただ視聴率を稼ぐことしか考えていない。また、良い質問を用意することの大切さもあらためて考えた。教えを請う、を決して忘れてはいけない。大記者・明記者と呼ばれる人は、柔和で、謙虚な人達どそうだ。そのような人たちを見習いたい。
(2回 M.A.)