天理大学 生涯教育専攻 課題図書

中根 千枝 『タテ社会の人間関係 ― 単一社会の理論 ―』

講談社現代新書(105) / 1967年 / 189頁 / \660 / ISBN:4061155059



●なかね・ちえ●
1926年東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業。のち、ロンドン大学で社会人類学を専攻。現在東京大学名誉教授。研究対象は、インド・チベット・日本の社会組織。
著書:『適応の条件』『タテ社会の力学』(以上、講談社現代新書)、『家族を中心とした人間関係』(講談社学術文庫)など。

まえがき
1.序論まえがき
2.「場」による集団の特性
3.「タテ」組織による序列の発達
4.「タテ」組織による全体像の構成
5.集団の構造的特色
6.リーダーと集団の関係
7.人と人との関係
おわりに

学生の感想文(28)

やはり、日本は「ヨコのつながり」よりも、「タテのつながり」が強いと思う。僕もまだ学生だし、そんなに社会のことは知らないが、すでに日本は縦社会が強いと感じたことがある。中学、高校と体育系のクラブ活動をしていたが、上下関係は厳しかったことを覚えている。それに、大学生になってからアルバイトをするようになってからはさらに感じるようになった。社会人になるとさらに感じるようになるだろう。
いいか、悪いかは別として、日本人は「皆がやっているから」とかなにかと群れたがる民族であると思う。だから、日本が縦社会中心になったのも当然といえば当然の結果なのかもしれない。
縦社会を無くすことは不可能だろうが、縦社会の長所を残しつつ、短所を無くしていくのがこれから社会人になる僕たちの役目ではないかと思う。
(1回 K.M.)

 対立ではなく並立の関係といった基本的な社会構造の運動法則によってできる社会の全体像というものは、カーストとか階級によってできる横断的な層化ではなく、企業別・学校別のような縦断的な層化である。西欧にみられるような社会階層というものは日本にも客観的にみられ、西欧の社会学のお手本に照らしていちおう似たようなものが設定できるとしても、それが現実の社会において、機能をもちがたいことと、真の社会構造を反映するものではないということが、指摘されるのだと思う。西欧的な意味でのコントラクト関係が設定されにくいということは、丸抱え式雇用関係にもはっきりあらわれているみたいで、日本の近代企業が、その初期から、労働力の過剰・不足にかかわらず、終身雇用的な方向をとってきているという事実は、雇用において、西欧的な契約関係が設定されにくいという理由に求められるのではないのかと思う。コントラクト精神の有無というのは、経済的・文化的変動・歴史的推移などというレベルをこえたところに起因していると思われるほど根強いものに通ずるのではないかと思った。 
(3回 K.K.)

わたしは人間関係については興味があります。実際、本当に人間関係というものは難しいと思います。この本は、本来の日本的な人間関係について書いてあったので、読んでいて、もっと色々考えさせられるところがありました。
「タテ社会」と「ヨコ社会」といった言葉を使われていて、その中で私たちは、それに対して特に意識もせずに、毎日を普通に過ごしています。自分の感情や気持ちを無理に抑えてでも、人間関係を壊さないために「タテ」という社会に流されていくんじゃないかと思いました。私も、人間関係に悩んだりします。それぞれ自分の気持ちが伝わらなかったり、合わなかったりというようなことです。この本の言葉を借りれば「ヨコ」という関係だと思います。これから社会に出て「タテ」という社会の中で悩んだり、つまずいたりしたとき、私は一体どういう行動に出るか、考えたいと思いました。
(1回 K.I.)

日本的な人間関係について基礎的なことを書き表しているものだと思う。筆者も述べているが、タテ社会などの言葉が使われ始めた頃の論文であり、日本社会の構造をその特質を挙げることによって述べている。いろいろな国が比較対象としてあげられているが、西欧的物差しでの比較ではなく、日本社会の構造を述べた上で比較している点がわかりやすいものだった。この論文で最も言いたいことは、日本の集団社会は人間的感情に比重をおくタテの社会であると言うことだと思う。西欧的基準を示していないので、批判めいたものだけでなくあくまで客観的に社会構造を示している点でとても参考になったこれを読むと、自分も含めた日本人の特徴的な集団内での行動や考え方をよく理解できた。現状の会社組織や政党などをみてると、いまだかつてこの著者が書いた日本の集団モデルのままなんじゃないかなと思ってしまう。「日本社会というのは非常にタテの意識が強い社会である」。と書かれてあったが、読んでみて私もそう思った。日本の社会の構造、日本人の人間関係や意識などの特質を実に明快に言い当てていると感じた。読んでみて、日本人である自分自身をより深く知ることができた。グローバルな時代にあらためて日本を知ることができました。
(1回 S.I.)

 この本を読んで、日本の集団の弱点と日本のチームの弱点に、共通点があると思った。それは、日本の集団はリーダーを突然失うことにより、その集団に致命的な傷をあたえ、集団として機能しなくなる可能性が高く、最終的には崩壊してしまう恐れがある。このことはチームに置き換えても言えることだと思う。何故なら、チームにも同じケースがあり、リーダー(キャプテン)がいて、そのリーダーがケガにより試合を欠場したならば、チームのまとめ役を失うと同時に、精神的支柱を失うことになりチーム状況はメチャクチャになり、最悪の結果になってしまうことがありえるからである。しかし、この問題はただその集団やチームに多数のリーダーをつくるということで解決するとは思えない。
 これからの日本には今とは違う形のタテ社会を作るか、思い切ってタテ社会をやめて、並列の社会をつくっていくのも面白い考えだと思った
(1回 K.H.)

 私たち人間は生きていて、それぞれに個性がある。だから、その生きていく上で人間関係というものはとても重要なものであると思う。そして、今日の日本の社会はここで筆者が言っているように、害個人には理解できにくい理論をもつ「タテ」社会であるといえると思う。わたしの周りにも「タテ」のつながりが見られる。現代の若者には個性がないと言われるけど、周りに差をつけたいというのはよ見られる。例えば、友達同士でも、誰かがすごいかわいいものを持っていたらそれ以上のものを持ちたがる。一番良いものを持っている子が一番えらいと考えてしまうことがる。これって「タテ」のつながりじゃないかと思う。きっと他にもまだまふだ「タテ」のつながりを持つものはあると思う。日本は「タテ」社会であると思うけど、「タテ」のつながりは人間の醜い部分が見えてしまうようで、私はあまりこの「タテ」のつながりは良いとは思わない。
(1回 H.M.)

 ずいぶん前に書かれた本であるが、自分も含めた日本人の特徴的な集団内での行動や考え方がよくわかる本。今の会社組織や政党なんかを見ると、いまだにこの著者が書いた日本の集団モデルのままじゃないかと思ってしまった。閉鎖指向で、人付き合いで身内・外の区別にこだわる。そして考え方が非合理指向。日本人とはこういうものなのかな〜。
(1回 K.T.)

 この本を読んで、日本人における人間関係は本当に難しいモノだと感じた。特に「タテ」の関係においては、カースト制のように、綺麗なピラミッドを描くのではなく、リーダーがいて、その下は、すべて「場」における構成員として、ひとまとめにされる。そうすると今の日本では、能力の差は認められないように感じられる。さらに、リーダーの決定にも年齢が条件に入っている現状では、新しい「タテ」社会には、移行されないと思う。そのため日本の「タテ」集団では、リーダーが重要とされると思う。けれども、そのリーダーに対して、不信任が有った場合、集団が行うのは、「乗っ取り」であったり、「分裂」だけである。逆に「ヨコ」社会では、競争率の高い職業と、またそうではないところの差が激しく、また、そんな環境だから、経済が発展しないのではないかと思う。現在の社会構造は、かなり昔からのモノであるから、急激な変化は望めないが、変化する必要性は有ると思う。
(1回 Y.T.)

 この本を読んで、かなり自分が思っていることと重なる部分があった。リーダーという者も情けないことだが「裸の王様」的存在の者も多くいると思う。(その良い例が、政治家だと思う、本当にこの本が言っているタテのつながりだけで出来た存在であると思う。そして、政治家こそこの本に使われた言葉の「老人天国」を象徴していると思う。)
しかし、欧米の考えが全て良いものとも思えない。日本には、良い部分もたくさんあると思う。しかし、やはり、間違っているものは、しっかりと指摘しあわなければならないと思う。なあなあで終わってはいけない事はたくさんあるし、今の世の中には、その間違いを指摘する者が必要だと思う。そして、上司だろうが先輩だろうが間違いを言い合える環境にしなければ、この先日本には良い未来はこないような気がする。けんかになっても良い人間関係が続けらる人格の形成も重要だ!
(1回 Y.N.)

 人間関係は、タテとヨコの関係がある。日本人は、タテ関係が非常に強い。タテ社会では同類とは敵になり、個人は同類の中では孤独なのである。私はまだそういうことを直接感じたことはない。いつか感じるときがくるのだろうかと不安になる。タテの関係も必要だが、やはり同年代の子とは一番話しが合うし、一番分かり合える関係だからだ。そしてなにより、日本人は論理より感情を優先する。その代表的なものは終身雇用制、年功序列制である。これにより個人の能力の範囲は狭く、判定すら狭い範囲で行われている。日本人のこの範囲狭さは、個人個人の能力を伸ばし発展させる機会をうばっているのではないだろうか。日本をもっとよりよくするためには、個人の能力をもっと広い範囲で判定しそれが結果として返ってくる、そんな社会を作っていく必要がある。タテの関係にとらわれず、上の人に意見をいえる場を持つということも必要である。
(1回 Y.I.)

 日本人には「ウチの者」「ヨソの者」という意識がある。実際、日本人は仲間と一緒にグループでいる時、他の人々に対して実に冷たい態度をとり、相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には特にそれが優越感に似たものとなり「ヨソ者」に対する非礼が大っぴらになる。また、日本人は天才的な能力よりも、人間に対する理解力、包容力をもった者をリーダーとして求めている。子分は親分に依存すると同時に、親分が子分に依存することを望んでいる。この二つのことから、私は、日本人がいかにメンタル面で弱い生き物か、そして、いかに心の拠りどころを求めているかを感じさせられた。私自身、誰かに依存し、依存されることを心のどこかで望んでいるのかもしれない。また、日本人ほど、生きている世界が狭く、そして、常に枠の中で生きている人間はいないように思えた。他の国の人々と比較して考えた時、日本人の特殊さが浮き彫りにされるように思えた。
(1回 A.M.)

 タテ社会で強調される序列偏重は、まさに現代日本の特色であり、その中で私たちもまたあたりまえのように日々生活を送っている。しかしその日常生活=集団社会と感情との関係がそれほどにも密接とは思っていなかった。感情的人間関係に日本人の価値観がおかれていことは、他国と比べても、知的活動においてマイナスであるかもしれないが、そのことが日本独自の社会を形作ってきたのである。いままで「タテ社会」と聞くと、あまり気分のよいものではなかったが、個人の努力を促進する平等主義や人間関係の和を保つリーダーの存在という側面の発見で、またひとつ社会に対する新しい見方が出来るようになったように思う。 
(1回 Y.N.)

日本における人間関係という言葉には、和辻哲郎のいう「人と人との間柄」という意味が含まれていると思います。そして、その日本的人間関係が「日本的経営」をも支えて、日本の経営組織に浸透しているんだと思います。「職種よりも会社名」、「能力とは無関係のせいねん・入社念・学歴」、「リーダーは集団の一部にしかすぎない」、「論理を敬遠して感情を楽しむ」。というのは、今では少し変ってきたところもあるし、現在の日本の社会そのまま当てはまるところもあると思います。約35年前の社会論があと何十年当てはまるのでしょうか。さらには、環境問題や少子高齢化などさまざまな問題を抱えている日本社会は変っていくことができるのでしょうか。
(1回 J.H.)

 納得できる部分は多くあった。読んで初めて気付く事もあったし、物事をとらえる上での新しい観点を知る事ができた。しかし、それは一理あるというだけで、この本に記されている事が全てだとは決して思わない。
 作者は、どうしてこんなにも日本人を批判するのだろうか。確かに、日本人の基本的な人間関係のあり方は変わらない。短所はたくさんある。しかしそれは、作者が否定する程いけない事だとは思えない。もしかしたら作者が日本人であるからこそ、分析する過程でそうなってしまうのかもしれない。
 日本人が今まで歩んできた歴史の中で、人間関係のあり方が形成された。そこには良い意味での日本人らしさと、悪い意味での日本人らしさが含まれる。
 この本を読んで、日本人が今のままで良いとは言えない。しかしそれは個人が考える事であろう。私は、作者の意見に触れた事に価値があったと思った。
(1回 Y.Y.)

 日本人らしさとは何かということをこのごろよく考える。情報化社会と呼ばれる今、世界の中の日本、と世界に胸を張っていかなければならないこの時代に、日本人自身がその意味をいまいち理解していないように思う。
 日本人の行動などが外国人にあまり理解されないということがよくある。それは日本人が古来から持っている性質もあるかもしれないが、近年特に強く言われているような気がする。それは情報化社会によって日本人も海外に触れる機会が多くなったからなのではないだろうか。
 多くの日本人が自分の国のこともおぼつかないまま、海外にかかわる仕事をし海外に溶け込もうとする。そしてインターナショナルな気分を味わう。しかし実際は自分の国のことをまずしっかり理解し、誇れるものを見つけ出して始めてインターナショナルな関係が結べるのだと思う。
 まず日本人が自分の国のことをよく知ることができれば外国の人々にも日本を理解してもらえることができ、よりよい社会の人間関係を築いていけるのだと思う。
(1回 T.I.)

日本は、場などの一定の枠によって集団が構成され、それを強調し、タテ社会がつくられている。確かに、中国やインド、アメリカなどのヨコ社会の国と比較すると、多くの点で相違が生じ、タテ社会の方では良い結果が得られないこともあるだろう。しかし、この本自体がタテ社会などの言葉が使われ始めた時代(一昔前)に書かれたものなので仕方のないことだが、現在の日本は、以前よりも場に執着しすぎず、資格などによって個人の属性をあらわすことも多くなってきたと思う。
日本人は、論理よりも感情を優先するということは、マイナスになる、というようなことを筆者は言っていたが、それは悪いことではない、と私は考える。もちろんすべて感情に流されるのはよくないが、感情を優先するのは、日本人としての長所でもあるし、感情以外のことを優先して後で後悔するよりかは良い、と思う。
西欧と日本とは違うのだから、日本の社会構造の上で短所となる点は西欧を見習い長所にしていくべきだ、と私は考える。
(1回 I.W.)

この本は、納得することが多く、読みやすかったように思います。この本を読んでから、周りを見渡してみると、日本独自の「タテ社会・単一社会をかいま見ることができました。『日本人は場を大切に重んじる』確かにそうだと思います。会社のネームバリューを誇らしげに語り、名詞には、○○会社○部課長という言葉が踊っています。著者はイギリスやアメリカと比較して、人間関係や集団構成についても述べていますが、驚くことも多かったです。 カースト性の実態や又、リーダーについての箇所も興味深く日本が「タテ社会」であるがゆえに、リーダーから末端成員までの伝達が非常に迅速に行われるということ、そして動員力に富んでいることなどが、日本の近代化の大きな役割を果たしたことも知りました。これからも日本の「タテ社会」は続いていくと思います。私もその一員になるのでしょうか?
(1回 M.H.)

 「タテ」社会、社会組織だけでなく人間関係など日本のあらゆる関係性で最も重視されるのは、論理性ではなく、感情である。自分の行動も規制され、もし自分に対して意見なり反論なりが提示された場合、おおかたの理由は「他人がこう言うから」などになる。
 社会が感情で構成された場合、理性的には論理性の機械的に物事が運ばれる事に比べ、非常に温かく感じるかもしれないが、感情とは常に矛盾を生じさせる。感情の不一致などが原因で集団の破綻なども起こりやすい。また、感情が社会を構成していると理解していないと、「他人がこう言うから」等という理由に納得できず、論理的な理由を求める。人は感情があるから常に理想を求めるものである。だが自身も感情的に物事を決めているのに気付かず、幻想的な理想を横柄に語る。
 私は、本書にある人間関係の構造を理解しないと、自分自身の事も顧みることも出来ないと思う。
(1回 M.T.)

 僕は、中学校・高校と良い仲間に出会い、上下関係もさほど厳しくない先輩達とも仲良くすごしてきました。だから、上下関係に不満を持つということもなく、この中根さんの本を読んだ時に、すごく人間関係のみならず、上下関係をも、もっと考えるべきだと思いました。
 僕にとって先輩達との関係は、自分が一回りも二周りも大きく成長できる大事な過程だと思いました。特に、キャプテンと親しかったため、リーダーシップをとっている人の人間関係におけるうまさは、当時は分かっていなかったのですが、この本を読んで分かりました。だから、人間関係をうまく成立させることを覚えるには、まず上下関係の中でしっかりとした人間関係を学ぶことが大事だとも思いました。
(1回 R.K.)

タテ社会の人間関係という本を読み、外国と日本の家庭制度の違い日本の年功序列が今でも根強く残っているのかがわかった。また、日本と外国では人間関係の在り方において全然、違うというのがわかった。日本に根強く残っているという年功序列。確かに、考えてみると、自然にそういう風になっていて無意識のうちに、年功序列という考え方が自分の中でできているかもしないなと思った。確かに、年功序列というものがあった方がいいという気もするが、私はそれより、年齢関係なく、一人一人個人として、その人の能力や技能を見る事の方が大切なんじゃないかと思う。
(1回 S.O.)

なるほどな。そうだった。やっぱりな。驚きの、納得の連続だった。日本人は場を大切にし、しかも中国人のように二つ以上の同等のウエイトを持つ組織、立場を持てない。と書かれ、それを日本人は潔癖だと誇るというくだりはまさに、私のことを作者は言っているなと思わざるを得なかった。私は高校時代、部活動をやっており、その部活動を一生懸命やっている神貴人という立場で生きてきた。部活動を引退してからも、チームメート、後輩達に恵まれていたため、自分のアイデンティティを見失うことはなかった。しかし、高校を卒業し、浪人すると部活動関係の仲間と接触する機会がなくなると、私は自分を見失った。部活動という一番自分のウェイトをおいた場所を失うと、二番目の場であった少林寺では、自分自身を定義づけることができなかった。この本を読んで気付かされたことは多い。
(1回 T.K.)

今まで気にもかけたことがない、人間関係の様式などだったが、課題書のように諸外国との比較や図による説明があると日本の社会構造(ソーシャルストラクチャア)や人間関係の特異性が少しだけ理解できたように思う。
しかし、個人的には今まで学校以外の人間関係を持ったことがないので読んでいてもあまり実感がわかずに興味を持ちにくい内容だったといえる。
ただし、日本人の気質などが人間関係のあり方などに十二分に影響しているという点は理解できたし、私も同意見である。ただし、ヨーロッパ諸国やアメリカを始めとする、世界各国のどの民族の気質とも明らかに異にしている。まさに日本人的考えや行動形式はソーシャルストラクチャアも要因のひとつだとは思うが決してそれだけではない何かがあるのではないのかと思うこととなった。
(1回 T.N.)

この本はとても読みやすく、わかりやすかった。日本の社会がたて社会なのは知っていたけどイギリスやアメリカと比べてこんなにも「タテ」が浮き彫りになるものなんだと驚いた。日本社会の構造をその特質を挙げることによって考えられたからそう思うのだろう。
 この本の中で最も言いたいことは、日本社会は人間的感情に比重をおくタテの社会であると言うことだと思った。またリーダーというものの存在や、その立場を述べた分が特におもしろくて、スケールが違うかもしれないけど、僕も高校時代部活のキャプテンをやっていたことから、リーダーは集団の一部であることや、天才でない方が良いということに非常に関心を持てた。
日本の社会はまだまだ未熟で外国を見習うところはたくさんあるが、タテ社会がこれからいい意味で機能できれば素晴らしいと思った。
(1回K.Y.)

 多量の人間が、社会生活を送っているのは一定の論理の中で、守りながら生活しているのだと思います。日本人、日本社会は、島国であるがゆえに一定「条件」をもっているのではないでしょうか。
 「タテ」「ヨコ」の関係は、私のことにかんしては、ラグビー部の先輩。「ヨコ」に関しては、同学年を恋味します。
 私は、大学になってからラグビー部に入り勉強したことがあります。寮生活の中で「タテ」の重要性です。「ヨコ」にもなければなんりませんが、あまえて育った自分にこれからの社会生活をしていく上での訓練だと思っています。
これから大学の終わり、社会に出ていくうえで重用な人間関係は、「タテ」「ヨコ」だと思います。平等主義はこの「タテ」の関係をうまく使えばチャンスがたくさんあるということではないでしょうか。
(1回 N.N.)

このタテ社会の一つの例が先輩と後輩の間にある人間関係だ。先輩と後輩の関係は、一つのグループで一緒に活動する人たちに関し、そのグループに先に入った人が先輩で、後で参加し始める人が後輩と区別される。もちろん、この場合には先輩が上の立場にいるのだ。先輩・後輩関係は社会での生活の仕方を訓練させるものだけでなく、だんだん変化して個人が生存しにくくなっている本日の日本の社会から人を守るものだと思いました。
(1回 Y.A.)

  確かに近代の日本社会は、西欧諸国のそれに感化されすぎな部分もあるかもしれない。特に、明治以来、戦後飛躍的に、日本人は西欧的な様式をどんどん取り入れることで、目に見える文化という点では、これほどまでに変わってきているというのに、日常の人々の付き合いとか、人と人とのやりとりの仕方においては、変わってきてないように思う。そして、私が読んで興味深かったのは、学校での上級生や下級生など、その他の分野においても、同一集団内における上下関係の意識はあゆる面に顔を出しているが、こうした一見、外部からは目に見えないような、しかも、個人の生活にとって最も重要な人間関係のあり方こそが、かえってかわりにくいのであるという部分である。
 確かに西欧かぶれな部分が日本にはあるが、外見的には変わってもそういったタテ社会に重きを置くという内面的な点こそが、唯一西欧と一線を引ける境界線なのであろう。
(1回 T.N.)

この本を読んで、日本的な社会が見えてきました。「日本社会というのは非常にタテの意識が強い社会である」。と書かれてありましたが、読んでみて私もそう思いました。日本の社会の構造、日本人の人間関係や意識などの特質を実に明快に言い当てていると感じました。読んでみて、日本人である自分自身をより深く知ることができました。
この本を読んで、日本は序列主義であると書いてありましたが、今は少しずつ序列制から能力主義に変わってきていると思います。そして、序列制にもリーダーから末端に情報が伝わりやすいという長所があることを知りました。ただ、古顔が力を持ち、新しく入ってきた人には、損ばかりという不平等なところは直すべきだと思いました。どんなことにもプラス部分とマイナス部分があるので、全て変えるのではなく、プラス部分を残していくのがいいと考えさせられました。
私たちが生活している日本という国は、欧米社会にくらべて独特の社会構造や人間関係をもってなりたっていることを知りました。グローバルな時代にあらためて日本を知ることができました。
(1回 H.U.)

 この本を読み、改めて日本人とは変わった集団だと思いつつ、私自身はこの日本社会の一員で良かったと思ってしまう部分もある。これは自分の中に、日本独自の人間関係がきっちりと組み込まれ、私自身の中に「甘え」が存在している証拠であると思う。
 しかし、この人間関係は時代の移り変わりと共に変化してきているし、また、変化しなくてはいけないものだと思う。今はバウンダリーレス社会であり、境界内で安定した雇用が当たり前でなくなっているという状況である。その中で従来の「感情中心の序列社会」を続けていくのは非常に難しいことであると思う。
能力が無く、上に尽くしてきただけの人間はいずれ切り捨てられ、そしてその人間は憎しみを抱いてしまうという危険な結果になってしまうのだ。そうなる前に自らの能力を磨いていかなければならないと思う。そうしないと、生き残っていけない社会にいずれは変化していくと思う。
(3回 M.I.)