天理大学 生涯教育専攻 課題図書

菅谷 明子 『メディア・リテラシー−世界の現場から−』

岩波新書(赤680)/2000年/230頁/\660/ISBN:4-00-430680-9



●すがや・あきこ●
1963年北海道に生まれる。カナダ留学などを経て、米ニュース雑誌「ニューズウィーク」の日本版スタッフとなる。1996年ニューヨークのコロンビア大学大学院にて、国際関係論とメディア・ジャーナリズムを研究し修士課程修了。現在、ジャーナリスト。東京大学大学院情報学環「MELL(メディア表現、学びとリテラシー)プロジェクト」チーフ・プロデューサー。


はじめに
序章 世界に広まるメディア・リテラシー
第1章 イギリスに根づくメディア教育
第2章 カナダに広がるユニークな実践
第3章 アメリカの草の根メディア活動
第4章 デジタル時代の「マルチ」メディア・リテラシー
結びにかえて − 取材ノートの余白から

学生の感想文(6)

現在の私たちの日常生活では、情報を入手する手段が日々増加しています。テレビ、雑誌、新聞、インターネットなど、さまざまな情報が飛び交い、情報に翻弄されてしまうことが多々あります。このような情報化社会に生きる私たちとしては、全ての情報を鵜呑みにするのではなく、情報について主体的に考え、批判的な目をもって様々な情報に接していく必要があると思いました。そのためには、メディアの仕組みも知り、批判的、多角的にみることができる能力を身に付けなければならない。メディア漬けの現代社会ではメディアとの付き合い方も覚えていかなければ一方的にメディアに支配されるだけになってしまいます。そうならないためにも「メディア・リテラシー」教育が必要であると思います。メディア教育が進んでいるアメリカ・イギリス・カナダを見習って日本も本格的に「メディア・リテラシー」教育に取り組むべきです
(1回 H.U.)

教育にメディアが取り入れられているのは、とても興味深いし、面白い試みだと思った。
今やメディアはなくてはならない存在になっていると思う。しかし、実際に私たちがメディアに関わるときは受け手としてでしかない。内容をほとんど疑いもせず受け入れている。最近では戦争も情報戦争などと言われることもあり、メディアを使って情報を自分の国が有利になるように作成しているようだ。このように私たちはメディアを信用し過ぎると大きなあやまちを犯す事になるかもしれないのである。海外では、メディア教育がおこなわれ、CM等を作ることによって送り手としての思いを学ぶ。メディアを作る側の思いを知ることによってどういう事をすれば視聴者に受け入れられるのかなどを考えメディアの裏側に迫る。そうすることによってメディアの本質を理解する。日本でも是非おこなっていってほしい教育であると思う。どんどんとメディアが発達する時代の中で私たちは、時にはメディアを批判的に受け止め、作る側の思いも理解できるようにし、メディアに左右され過ぎないようにする必要がある。
(3回 M.K.)

私も著者と同じように、ニュースに疑問をもったことはあった。しかし、疑問を持ったところで、本当の事実などわからないし、伝えられたことを事実だと思い受け取るしかない。このような事実がある中で、他国のメディア・リテラシーの普及は時代に適合した進歩を遂げているといえる。この本から今、世界中でメディア・リテラシーが重要視されていることを初めて知ることとなった。日本でもメディア・リテラシーに対する関心は高まってきているようだが、他国に比べればまだまだであるし、定着したといえるようになるまでには遠い道のりであり、さらなる進歩が求められている。今後、ますます情報社会になっていく中で日本がどのような変化を遂げていくのか気になるところである。
(3回 K.K.)

今まで私はメディアの情報を捨取選択するなんて、考えたこともなかった。しかし、この本を読んでメディア社会に生きる私たちとメディアという巨大某体との関わりについて、深く考えるきっかけができた。本の中ではメディア・リテラシーの発祥地とも言えるイギリス、教師たちが中心となり活発な展開を見せるカナダ、後発ながらも最近になってダイナミックな取り組みが始まったアメリカが主な例に挙げられている。アメリカではチルドレン・エクスプレス(CE)という子供たちによるジャーナリズム活動が行われている。「子供たちは、2000字の記事を300時に短縮して書きかえることで、いかに内容が変わってくるものかなどを身をもって経験している。」とグラハム代表は言う。メディアの現実を実際に体験することで、分かることも多い。メディア社会に生きる私たちは、メディアから提供された情報を鵜呑みにするのではなく、懐疑的な視点を持ち、情報を選びとることが大切だと痛感した。
(1回 M.H.)

現代の生活において、私達の生活からはメディアとは切っても切れない関係になっている。そして、インターネットもより発達し、ほとんどの情報が手に入るようになっている。しかし、便利になっているが、その反面、情報が溢れ返っているのである。その為に、私達には、本書に書かれている「現実」を批判的に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力であるメディア・リテラシーが必要であると思う。しかし、その様な能力は、日本において中々、発達しにくいと思う。なぜなら、本書中でも紹介されているアメリカにおいての高等学校でのメディアについての授業など、日本の高等学校では聞いたことがない。もう少し考えてほしい。今の日本において、主張率主義と言われているし、問題にもなっている。もう少し、作る側もしっかりと考えてもらいたい。
(1回 Y.N.)

 私たちの生活の中に、テレビや新聞、映画、雑誌、インターネットなど、メディアとかかわる部分はたくさんあり、自然に生活の一部になった、切っても切れないものになっているのだと改めて感じました。そして私は、書いてある文字、流れている映像は、すべて真実として受け止めていましたが、実はそれはほんの一部からの角度で見た結果でしかなく、真実はほかにあるかもしれないし、ひとつではないんだと知り、本の読み方、テレビやニュースに対する見方も、また違ったものになりました。そうするとひとつのことに対しても、人によって取り方や感じ方は違い、作る側にとっても難しいと思います。だから、本文にあったように、メディアの試験をすることなど、理解したことを文で表現するのには能力もいるし、理解力を判断するのに書いたもので判断するのはとても困難だと感じました。また、ひとつの取材にしても、時間をかけたこともほんの二、三行で終わったり、インタビューをして載せた記事も、相手の思っていることと違ったり、本人が書いた本でさえも満足していなかったり、今までは私の未知の世界でしたが、問題点などを知ることにより、これからのメディアに対する見方が変わっていくのだろうと思います。
(2回 K.S.)