天理大学 生涯教育専攻 課題図書
杉本 苑子 『女性はどう学んできたか ― 卑弥呼から江戸庶民の女まで ―』
中公新書(1602) / 2001年 / 180頁 / \660 / ISBN:4121016025
●すぎもと・そのこ●
1925年東京生まれ。文化学院卒業。作家。62年『孤愁の岸』(講談社)で直木賞、78年『滝沢馬琴』(文芸春秋)で吉川英治文学賞、86年『穢土荘厳』(文芸春秋)」で女流文学賞をそれぞれ受賞。紫綬褒章受章、95年文化功労者に選出。
著作:『杉本苑子全集』(全22巻)『散華』『悲華水滸伝』(以上、中央公論新社)、『山河寂寥』(岩波書店)ほか。
はじめに
第1章 女王ヒミコは、外国語がペラペラだった?
嘘ォ、信じられないわ。
第2章 女帝は飛鳥・なら町の専売にあらず。
江戸時代にもいましたよ。
第3章 いよいよ花ひらいた女帝の世紀。
そしてその、明と暗。
第4章 時代の生証人ケヤキの厨子。
しかし彼は黙して語らず。
第5章 猛勉強した光明皇后。
その師はなんと、則天武后
第6章 漢詩が得意な内親王、坊さんキラーの皇太后など、世はさまざま。
第7章 女がひっぱる女の足。
本箱は壁に向けて置くのが安全よ。
第8章 娘に着せる正月小袖、生首ひとつで買えるかな。
第9章 女の子の教育はおッ母さんの受け持ち。
子供は遊ぶひまもない。
学生の感想文(14)
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今までイメージで、昔は男の人ばかりが学んでいて、女の人は、あまり学ぶという事にほど遠いイメージを持っていた。現在では女の人も学ぶことは当たり前のことで、むしろ女性の人の方が多く学んでいると思う。現代では女性の社会進出が推し進められている時代だ。しかしそれは今になったからこそで、飛鳥時代から江戸時代までに女性の学びがこんなにあるなんて、知らなかったことばかりだった。女性は存在していたのだから、学びと言うものはあったのだろうとは思っていましたがそんなに昔から存在しているのだとは考えもいなかった。昔の女性の素晴らしさとか、そんなことも考えていませんでした。
昔から勉強を地道にするのが苦手で、周りの友人達も勉強は苦手だといつも言っていた。それに比べ女子は勉強をこつこつとして良い成績を取っていた。昔から男性より女性の方が勉学得意だったと思う。これからの社会は男性が女性を見習って学習するべきだと思った。
(1回 N.N.)
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僕は、昔は男の人ばかりが学んでいて、女の人は、あまり学ぶ機会がないと思っていた。今でこそ女の人も学ぶことは当たり前のことだし、女性の高学歴になってきている。飛鳥時代から江戸時代までに女性がこんなにいろいろと学んでいたなんて、知らなかったことばかりだった。
卑弥呼が、他の国の言葉話せると書いてあるところですが、一番の驚きだった。以外といえば以外だけど、この時代はすでに中国と交流があったし、当然といえば当然かもしれない。
しかし、この本に出てくる話は身分が、高い人たちばかりなので低い身分の人までは分からないが、していないと言うよりもする時間がなかったと思う。生活するのでいっぱいいっぱいだったと思う。そう考えると今の世の中は恵まれている。これだけ学べるのをあたりまえと考えずに、幸せだと思えるようにしたい。
(1回 K.M.)
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テーマは「女性と教育・教養」なので、取り上げられているのは卑弥呼からはじまって幕末の天璋院までのいわゆる「インテリ女性」。タイトルだけ聞くと、おカタイ「女子教育の歴史研究書」かと思ったけど「女たちを通して読み解く、わかりやすい日本史」だった。文章も語りかけるような口調で歴史を楽しむように書かれていて、歴史がきらいな自分にも少しは読みやすかった。
女性たちが歴史の影の存在ではなく、彼女らにも政権欲や名誉欲があって、歴史の動きにかかわっていたことがわかった。
(3回 S.F.)
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この本を読んでみて女性もしっかり学んでいるなと思いました。飛鳥時代から江戸時代までに女性の学びはいろいろあり、この本を読んで知ったことが多々あり勉強になった。平安朝の和歌の学びでは、何百首という和歌を作り、またそれを作るにしても知識や知恵が必要になってくると思う。さらにそれを暗記するなんていったらもうとても大変な努力だと思った。案外現代人より昔の人の方が学ぶ意欲は高いのではないかと思わされる。それにしても13才で女王になる卑弥呼はすごい!!!
(1回 Y.A.)
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私は先日、授業の一環として、奈良県立万葉文化館へ行った。私はこの本を読んで、そのときに見た「万葉劇場」を思い出した。正直、その「万葉劇場」を見たとき、どういう内容かあまりよくわからなかった。しかし、そのときに出てきた歌に、どういう気持ちが込められていて、また、どういう状況で歌われたのかがよくわかった。さらにその状況を知って、驚いたりもした。私は、この万葉集が歌われていた頃、従兄弟同士で結婚していたり、きょうだい同士で愛し合っていたり、二重三重に血縁関係が濃いのに驚いた。
昔は、一夫一婦制という決まりがなかったみたいなので、その当時にしては妻が何人いても、子どもが何十人いようと当たり前だったようだが、今考えると信じられない。昔ってすごいと感じた。
(3回 A.K.)
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私は、この本を読むまで、女でも今の時代大学まで進学し勉強しているのはあたりまえといえるくらいになっているから、いまいち昔の人の教養や学びについてなんて、考えたことがありませんでした。まだ、紫式部や清少納言の時代は教養高く、漢字が書けることの自慢仕合などがあったことは知っていましたが、よく考えればそんな時代の女性でさえ、現代の私たちと変わらず、勉学に励んでいることを知りました。
現在、女性差別などが言われるようになり、昔よりかは様々な部分で優遇されるようになったと思う。しかし、卑弥呼の時代でいえば、卑弥呼は邪馬台国の女王であり、外国語も話せるほどだったらしい。女性は学ぶことや分野は違くても、昔と変わらず努力して、教養を身につけているのではないだろうか。しかし、昔の人の学びに対する頑張りには驚かされた。
ただ現在は、学校という教育現場ができ、男女関係なく、良い環境で学べる時代だ。それを当たり前と思わずに、今だからできることと思いって過ごしていかなければいけないと思う。
(1回 I.W.)
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女性が日本の弥生時代からどのように学んできたか。この本に描かれているのは根拠のあるものであるが、あくまで推論の話である。だがその内容が筆者の流麗でユーモアのある文体と交じり合い、推論ではありながら説得力がある面白い内容であった。
私自身、あまり昔の歴史的において女性の地位のことなどそれほど詳しくもなかったから、やはり一般的な解釈で歴史的にはやはり女性より男性のほうが優位な立場にいて、教育にしても男性の方が教育を受けていて女性はあまり教育は受けていないと考えていた。しかし月並みだが、この本をよんで邪馬台国の女王卑弥呼から飛鳥時代の推古天皇を代表とする女帝、さらには江戸時代の滝沢馬琴が舅である滝沢お路の話まで、女性はちゃんと学んできたというのが分かった。もちろん本に出てきた女性は皆、歴史上超有名な人物であり、もっと庶民の人々はあまり教育されていないだろうが、教育する環境と意欲がある者は女性でも頑張って学んでいたのである。
(1回 M.T.)
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「古来、女性は太陽であった。」と言われるように、飛鳥時代から平安時代にかけての、武士が政権を掌握する時代になるまでは、女性の地位や学識は高かったらしく、多くの女帝が存在した。推古天皇にはじまり、皇極帝・考謙帝などがいるが、この二人の天皇は重祚〔ちょうそ〕(一人の天皇が二度、皇位につくこと。あるいは復祚・復辟と言う。)して、前者が斉明帝・後者が称徳帝と称され、長期に渡り政権を握っていたのには驚いた。しかも、重祚した天皇は歴史上この二人だけなのである‥。女のなんというか、凄みを感じた。
文学においても、額田王や紫式部、清少納言といった人たちいる。この人たちは数多くの和歌や文学作品を創り出している。女性が前面に出なくなり、奥にいるようになったのは、鎌倉以降の800年間であり、女性が活躍していた期間は、非常に長かったと言える。けして女性は無学ではないことがわかった。
(1回 K.T.)
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今女性が活躍をはじめたみたいに社会はいっているが昔から女性は活躍していた。ただ少し基準が違っていただけで今も昔もかわらない気がする。これも有名な人だけしか見ていないからこんなことをいうのかもしれないが少なくとも活躍していなかったわけではない。今の社会は昔と比べると男女差もあまりなくいい社会になってきていると思う。男女差別もなくなってきていると思う。教育に関してもみんな平等に受けられるし仕事もほとんどのところは女とか男とか関係ないと思う。ただそれでもひとついいたいことがある。またこんなことをいうと男女差別だとかいって批判されるだろうが女性には女性にしかもちあわせていないものがあるだろうし男性には男性しかもちあわせていないものが絶対あると考える。だからそれを大切にしてほしいと思う。なんでもかんでも一緒になってしまったらおもしろくない。やっぱり女と男だからいいのだと思う。だから全て一緒にはなってほしくないように思う。
(3回 S.I.)
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この本を読んで思ったことは、他の本よりもなぜか親しみやすい所があった。むつかしく書かずによりわかりやすく親密な漢字で書かれているので読みやすかったが…まとめにくい一冊であった。
女性の学びにおいて別枠として考究されることなく通過してきたことは今まで(戦前)の日本のあり方に大きく関係しているのだと感じた。
本の内容にも多くある通り、女性の人だって昔からいろいろ学んできていることを知った。こうゆう本が出てくる事によって今もある女性差別がなくなる方向性へ導いてくれるのかなぁーと少し思った。
女性の方がすごい、男性の方がすごいとは、簡単に言えないが男の人が今までに重要視されていた分、女性のすごさを改めて感じる事が出来た。歴史的な勉強にもなったと思うし、ちょっとした雑学みたいなものも書いてあり、もっともっとこのようなしたしみやすい本がいっぱいあれば本を読む気になるだろうと思う。
(3回 H.K.)
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弥生時代末期邪馬台国、卑弥呼の宗女台与が産んだ子は、神の子か、それとも人の子か。我が子を殺せと、神に命じられる台与・・・・。そいいう話を聞いたことがある。
神の子なら、元を作ったこと・人間の存在理由等知っている訳だから、外国語だって・漢詩だって・なんだってしっているしわかっていることだろう。女性と卑弥呼(神の子は)まったくの別物であるので、比べる必要はない。それから後の女性を取り上げるべきでないかと思った。そもそも女性は男性よりも先に創られたという説もある。まあそれはいいとして。
女性は未だに男性と比べるとまだまだ学べる機会が少ないと思う。女性が学ぶことはこれからの社会の問題であるし、課題であると思う。考えていかなくてはならないと、思わせてくれた一冊である。
(3回 Y.E.)
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私は、この本を読んで一番興味を持ったこと、というよりはおもしろかったのは、卑弥呼が、他の国の言葉話せると書いてあるところです。言われれば、そういえばと気付くのだが、自分にとっては意外な盲点だった。他にも,現代の生き証人ケヤキの厨子しかし黙して話さないや、網勉強した公明皇后、その死はなんと則夫武后であった。漢詩が得意な内親王、坊さんキラーの皇太后などこの本には、面白い話が書いてある。仮説の話なのだが仮説ではなく実話ではないかと思ってしまう説得力がこの本には、感じられた。この本を読んで分かることだど、女性もよく学んでいる。だけど、ここに出てくる話は身分が、高い人たちばかりなので低い身分の人までは分からない。でも、たぶんしていないと言うよりもする時間がなかったと思う。普通はそう考えるだろう。この本で、学んだことといえば、物の見方を様々な角度で見ることにより面白いものが、見えてくることがあるということである。
(2回 M.A.)
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私のイメージでは、昔は男の人ばかりが学んでいて、女の人は、あまり学ぶということとほど遠い感じがしていた。現代では女の人も学ぶことは当たり前のことだ。女性の社会進出が推し進められている時代だ。しかしそれは今になったからこそで、飛鳥時代から江戸時代までに女性の学びがこんなにあるなんて、知らなかったことばかりだった。
平安朝の和歌の学びは、何百首もそらんじることができるとあり、私には無理なことだと思った。和歌を作るにしても様々な知識がいるし、返歌はすぐにかえさなければならないとは、大変な努力があってこそできたのだと思う。紫式部も若い頃古今集の暗記に精を出していたらしいし、女性の学びは、盛んなものだったように私は思った。
現代の私達の学びとは多少違う事が多いと思うが、その時代時代の「女性の学び」というものは、さまざまな形できちんと存在したのだとこの本を読んで気づかされた気がする。
(2回 K.O.)
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この本を読んで私は純粋に楽しかったです。私は女性の時代がどうのと言うことにとても難しいようなイメージがあったので読むことに抵抗があったのですが、読んでみてそう難しいことではないのだと気づきました。女性は存在していたのですから学びと言うものはあったのだろうとは思っていましたがそんなに昔から存在しているのだとは考えもしていませんでした。昔の女性の素晴らしさとか、そんなことも考えていませんでした。
学ぶという行為は今の時代も同じことがいえるのはないかと私は思いました。学びたい内容が違っていても学んでいるのだなということに、すごいなとも感じました。女性の応用力と言うものを感じたいし、男性にはない女性だけの持ち味というものも感じました。
世に出ている女性は少なからず学んでいたのかと再確認にもなったし、私も少しは学ぶという行為をしないといけないなと感じました。
私はこれからも今も昔も変わらず学び続けていけたらいいなと感じました。
(2回 E.F.)
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