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平成9年度 卒業論文発表会 発表資料
「夜間中学に関する研究」
生涯教育専攻 4年次生 山田道子

本論文は、就学率99.9%を誇る日本が産んだ、義務教育未修了者、教育の底辺に置かれている人たちが、学びの場を求め、集まった「学校」について論じているものである。法的な位置づけもなく、曖昧な存在であるが、夜間中学の果たしてきた役割は大きい。
夜間中学に通う生徒は様々な理由のもと、義務教育を終えずに学齢期を過ぎた人々である。戦争による混乱、家庭の貧困、障害者、在日外国人、海外引き揚げ者などであり、入学資格に論議の絶えないのが、不登校児童生徒の受け入れや、長期欠席にもかかわらず卒業証書を持つ人々の存在である。
生涯教育が叫ばれる時代、自らの学習意欲によって、生きるための文字や言葉を学びたい人々。彼らはやむを得ない事情を抱えて義務教育から遠いところにおかれてきた。生涯教育という理念に基づいて、その学びの現場の声に耳を傾ける時代の到来に、権利としての教育について述べたものである。

***卒業論文の執筆を終えて***

私が夜間中学を知ったのは、高校生の頃でした。何気なく、テレビなど、どこかでその存在を耳にしていた程度のことだったのですが、その後、映画「学校」の公開に伴い、世間にその名が知らされてきていたように記憶しています。私も、特に思い入れもなく、その映画をみました。人気監督山田洋次の話題作、出演者も有名俳優が名を連ねていました。当時の感想は、私の想像していた夜間中学のイメージに対して、この映画はドラマ的で、夜間中学はもっと切実な悩みを抱えていそうな、漠然と、そのような印象をもっていました。
それから大学に入学し、夜間中学にこだわることもなく、いろいろな勉強をしてきました。生涯教育を専攻したことはいつでも私の誇りでした。まだ何をしていいのか分からないままの1回生の頃は、生涯教育が何か、大学での勉強、自分の興味のあること…など、不安をつのらせていました。2回生になると、学校生活、サークル活動、その他、日に日に慣れてはきたのですが、その頃から、私自身が、この大学で何を学ぼうとしているのか、大学生はみんな何を得ようとしているのか、生活には満足できても、勉強に対して前向きでない自分を発見していました。
そんな毎日の中で、まず自分ができること、やってみようと思ったことが、大学の授業に出席することでした。ごく当たり前のことでしたが、それまでのように、とりあえず出席、という姿勢から、教室で先生の講義を聴くこと、そんな普通のことが、私にはできていなかったことに気づきました。2回生も後期になると、やっと生涯教育専攻の専門の授業が増えてきて、自分の選んだ学問に触れられるような気がしてきました。いろいろな先生方に出会っていくうちに、大学が、勉強が自分に必要なところだと思うようになりました。
3回生になってから、時の経つのがどんどん早く感じられました。生涯教育が何か、社会教育、学校教育、同和教育、在日外国人、自己教育…、そんな言葉が頭の中で廻っていた時期です。自分のおかれた、恵まれた環境。行動に移さない、情けない心の弱さ。考えるばかり、悩むことに悩んでいたような気がします。進路のこと、将来のビジョン、結局、理屈に溺れていることに、焦り、戸惑う毎日でした。かといって、それはマイナス面ばかりではなく、充実していた時間でもあります。興味を持つこと、本を読むこと、そんなことを覚えた時期でもありました。同時に、再び、私に夜間中学への誘いがやってきていました。それまでにも天理に夜間中学が存在することに、どこか背中を引っ張られている気がしながらそのままでいた私に、「生涯教育課題研究」の授業の発表テーマとしてその夜間中学を扱う人が出てくると、もう他人事でいられない思いが膨らんでいました。大げさですが、どこかで、私に、これ(夜間中学)を調べてみなさい、研究しなさいという囁きがあるような、単に興味をもったというより、責任感にさえ思えていました。でも、やはり、この時の私には行動力が伴っていませんでした。
さて、いつの間にか4回生になりました。春、卒論を含めて、大学生活のまとめの季節を迎えます。進路のこと、身の周りの出来事、不安と不満を消化し切れない、強さが持てない私がこれまで以上に爆発している日々でした。誰もが悩み苦しむ時期だったのでしょうが、私の中でも揺れている気持ちについていけない、足を引っ張られている、そんな感じでいました。ただ、卒論を通して、自分の大学時代を総括していきたい、そういった思いは人一倍強かったかも知れません。テーマさえ曖昧で、何も手をつけていないのに、偉そうな希望がありました。
とにかく、そんな希望を実現できる題材を見つけなければいけません。少しずつ動き出した私の中で、今まで自分が何をしてきたのか、もう一度振り返ってみると、この歳になるまで、「考えていたこと」「疑問に思ってきたこと」がたくさんありました。特に、大学に入学してからは、問題意識にあふれていたのです。ならば、それが自分の研究材料だという基本的なひらめきが私の卒論研究のスタートだったのかもしれません。私が興味をもっていたこと、それらをトータルに考えて、行き着くところに夜間中学があったわけです。このころ、何も知らない私は、ただ漠然と、「夜間中学は、自らの意志で勉強に取り組む人々の学校だから、きっと生涯教育の体制に好意的だろう、国からもこの時代の恩恵を受けているだろう」と思っていました。しかし、手始めに読んだ夜間中学についての文献たちは、そんな私の考えを、どんどん覆していくのです。せっかくテーマを決めて、やっと取りかかった卒論なのに、こんなにも早いうちから私にストップを突きつけてくるのです。考えてばかりでは埒が明かない、じゃあ、せっかく近くにあるのだから覗かせていただこう、と思い、天理北中学校夜間学級に連絡を取らせていただいたのは、もう6月も半ばになっていました。
天理の夜間中学訪問は、机上の学習にとらわれていた私に、一歩進んだ姿勢をとる貴重なきっかけを与えてくれました。しかし、ここでも私の想像とは逆の現実です。文部省をはじめ、法律でさえ定かでない位置づけにある夜間中学の先生方や当事者の人たちは、「生涯教育構想」に反対というのです。そこには、学校教育、奪われた義務教育を取り戻すという意気込みが根底をなしていたからなのですが、研究に取りかかったばかりの私は、イデオロギーに果敢に取り組む勇気も、それらを中立的にうまくまとめて執筆していく自信などありません。ここでもためらいはありましたが、何となく後には引けない思いで、とにかく、その教育現場に足を運ばせていただくこと、資料を探して読んでいくこと、それが私の道でした。
夏が過ぎ、進路の状況も落ち着きを見せてくると、卒論に対する思いはそれまで以上に募っていました。夜間中学と出会ってから、ほんの些細なことにさえ、立ち止まって考えてばかりでした。電車に乗るときも、行き先の案内表示が難しい漢字であったり、小さくて分からない、とか、道路の段差に車椅子を利用される方の不自由を感じたり、…。私の毎日が、その視点が、心を痛めていくのです。まして、戦争のこと、差別のこと、教育のこと、自分自身の無知の怖さを思い知らされていくのです。
秋も終わりに近づく頃には、一つずつ、少しずつ乗り越えていったハードルの、さらに大きな壁に当たっていました。そんなとき、「息抜きしなくちゃ」と暖かく迎えてくれた友人たちに、心から感謝しています。でも、少し神経質になっていた私は、息抜き、自分の好きなこと、それが何かということでさえ考え込んでしまっていました。ため息ばかりの私に、笑って伝えてくれた言葉のおかげで、その壁も乗り越えられたのだと思います。それは、私の好きなこと、それが「勉強すること」だったわけです。息抜きのために何をすればいいかなんて悩む前に、卒論をやっている時間が私らしいこと、充実していること、そういわれて肩の荷が下りていました。勉強が好きなんて、たいして努力もしないくせに、格好付けていると思いこんでいましたが、卒論は私の中で生活になっていたのですから、それが私らしさです。こんなふうに書いてしまうと、さぞすばらしい論文だろうと期待を持たせてしまうことに、お詫びしなければならないのですが…。内容については、興味を持たれたかたがいらっしゃいましたら、ご覧になってください。でも、私の論文を読まれるよりも、実際に夜間中学に行ってみることをお勧めします。
12月。約半年間あたためた卒業論文を執筆、提出させていただきました。つたない文章で恐縮ですが、自分なりの、「夜間中学に関する研究」です。当初の希望通り、卒論を通して、大学時代、いえ、のみならず、この研究が私の学生時代を総括させてくれたと思います。全てに納得というわけではないので、それは私の今後の向学心の火付け役になってくれることでしょう。
卒論をきっかけに、新しい幾つもの自分を発見できました。怠けたり、手を抜いたこともありましたが、このような機会を与えていただいたこと、ご協力くださった皆様にこの場を借りて、心からお礼申し上げます。不備な点が数多く、関係者の方々にご迷惑をおかけしてきました。論文の内容に、疑問点を持たれる方もいらっしゃることと思いますが、今後とも、よろしくご指導賜りますことをお願い申し上げます。ありがとうございました。

(平成10年2月5日「卒業論文発表会」配付資料に加筆修正の上、転載しました)