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平成14年度 卒業論文 要旨

 

 

禁煙化時代における愛煙・嫌煙の意識の考察

               青谷 彰

 たばこが誕生した時代は、未だに正確にはわかっていない。たばこが世に出てからは、さまざまな問題が起こっている。アメリカでは肺ガンになったとして、喫煙者がたばこ会社を相手に裁判を起こした。日本でもたばこ病患者が、日々病気と闘う苦しい生活を訴えている。

 近年、日本を含む世界各国で喫煙に対する制限が行われてきている。喫煙場所を制限するなど、禁煙化運動が盛んに見られる時代になった。こういう時代になった背景には、一部の喫煙者のマナーの悪さがある。ポイ捨てで街が汚れ、受動喫煙によって、非喫煙者が病気になる。喫煙者のマナーが向上しなければ、喫煙者が生きる場所がなくなるだろう。

 アンケート結果にも見られたように、喫煙のマナーだけでなく、未成年の喫煙防止にも取り組むことが重要になってくる。たばこの販売方法を検討することも今後の課題となるだろう。しかし、何度も言うが、喫煙者がマナーを守って喫煙をすることが最も大切なのである。

(指導教員・井戸)

 

 

 

サービス業における従業員教育 〜ホテルにおける従業員教育を事例として〜

朝倉 里美

 「総合サービス業」と言われるホテル業に着目し、顧客を心から満足させるサービス、サービスレベルを向上するための従業員教育について調べ、同時に生涯学習の観点からホテル従業員の自主的な学習についても調べた。

 ホテル間競争が激しさを増すいまや、顧客の期待に応えるだけでなく、それ以上のサービスが求められると思う。また、今日の高度化・多様化する欲求に広く対応するためには、従業員のサービスレベルの向上を図り、維持していかなければならない。

 従業員教育においては、実際にホテルに勤務している方にお話を聞くことができた。ホテル業のみならず、顧客の満足を第一に考えなければならないサービス業においては、リッツ・カールトン・ホテルのクレドに見られるエンパワーメントのように、顧客ひとりひとりのニーズと問題に対応する権限を与えることが必要であると言える。

 ホテル従業員の自主的な学習については、実際に話を聞いたり、勉強会に参加することができ、問題意識を持ってホテル業界の将来、自分の将来を考えている人たちの学ぶ姿に触れることができた。社会に出て働く上での学ぶことの重要性を実感した。

(指導教員・井戸)

 

 

 

リハビリテーションの必要性  − 自立生活確立のため −

                 生田 修三

 リハビリテーションという言葉を知らない人はほとんどいないだろう。高齢化・交通事故などにより障害者が増加してきている現代では、リハビリテーションは今や他人事ではなく自分自身で考えなければならない問題となっている。リハビリテーションが必要なのはよくしられているが、しかしその内容や、目的はしられていない。この研究ではそれらのことをより深く追求し、また今後のリハビリテーションの一助けとなることを目的とした。

 自分自身事故にあったということもあり、その実体験を書いたことや、今後より多くの人にリハビリテーションをしってもらうためにネットワークを使った情報公開について自分なりに考えまとめたところが、特に努力したところである。

 この研究により、リハビリテーションは病院だけでなく、自宅でも出来ることがわかった。リハビリテーションの仕方さえ間違えなければ病院以上の効果が期待でき、家庭ということもあって社会復帰や自立生活の確立にもつながる。そういった意味で“自分で自分自身を治す”ことこそが本当のリハビリテーションであるという考えに至った。

(指導教員・岡田)

 

 

成人と生涯スポーツ  〜成人期におけるスポーツ参加の現実と課題〜           

 石崎 裕史

 学業を卒業する成人期からは、自分から進んで積極的に生活に密着させ、継続的に、なおかつ楽しめるように生涯スポーツの環境を整備する必要がある。また成人期になると、人との交流範囲はぐっと広がる。

 定期的にスポーツ活動ができて、地域住民における交流の場所となる総合型地域スポーツクラブはうってつけのスポーツクラブと言える。

 その為にも、地域をあげて、質の高いスポーツ指導者の養成、スポーツに関する情報の提供をしっかり行い、天理市におけるスポーツ施設の整備、増大によるスポーツ環境の充実を図らなくてはならないだろう。また何よりも当事者である私達一人一人が、受動的・依存的にならず、積極的に「生涯スポーツ」の活動に参加し、総合型地域スポーツクラブをつくる主役であることを忘れてはならないのである。

(指導教員・岡田)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが国におけるフリースクールに関する研究

                                   内嶺 祐佳

 学校離れが深刻化している今、子どもたちは「自分の居場所」となるところを探し求めている。そこで私が研究したのは、そういった子供たちの「居場所」として近年急激に増えつつあるフリースクールである。そこで子供たちは学校とは違うフリースクールでどのような活動を行っているのか、また学校に行かなくなった原因は何なのかを研究の目的とし、最後にフリースクールでの教育思想を紹介した。

 この論文を作成するにおいておもに力を入れたところは、実際にフリースクールを訪問してまわり子供たちと直に触れ合う機会を持ったところである。その結果、不登校の子供たちとその親御さんたちの生の声を聞くことができ、彼らが学校に対して持っている不安や不信感を知ることができた。

 そしてフリースクールの思想となる「子供中心主義」を研究したことにより、今日進行している日本の「教育改革」もこの「子ども中心主義」の考え方に基礎を置いていることがわかった。しかし従来の学校はフリースクールのように子ども任せにばかりできない。そういった面も考えて私は「学校」とフリースクールのようなこどもたちが完全に中心になれる「居場所」がうまくお互いに相互作用しあっていくことが理想ではないかという考えに至った。

(指導教員・岡田)

 

 

日本野球の現状と今後の展開  〜高校野球を中心として〜 

                   江島 蘭

 「野球」と「ベースボール」は違うスポーツだとよく言われる。そして昨今、日本においての大リーグの人気ぶり、野球の人気低下ぶりを見ていると、「野球」の魅力は無くなってきていると言わざるをえない。では今後「野球」はどうあるべきなのか、どう変化すれば「野球」人気を不変のものにする事ができるのかという事を、文献やアンケート結果をもとに分析・考察した。

 結論は、もっと自由に野球を楽しめるようにするべきだ、という事である。元々スポーツとは遊びなのである。「野球」はアメリカから伝来してきた「ベースボール」という子供の遊びに、日本独特の改良を加えられて発展したものである。その発展の過程で、遊びに教育をあてはめてしまった結果、「野球」からはどんどん自由が無くなっていき、本来の楽しさが失われていった。だからもう一度、本来の姿を取り戻すべきだと私は考えた。ある大リーガーが言った言葉に「大リーガーといっても要は草野球が一番上手い奴らの事なのだ」というものがある。私の言いたい結論はこの言葉に表されていると考える。

 今回の論文をまとめるにあたって、最も力を入れた点は、第2章の母校野球部員へのアンケート調査である。全回答を自由記述式にした為、集計には非常に手間取ったが、一人一人が自分の言葉で回答してくれたので大変参考になった。また、自分自身最も関心があり、また、深く関わってきた野球についてなので、自分の経験を生かす事ができたのも良かったと思っている。

(指導教員・岡田)

 

 

「武士道」に見る日本人のアイデンティティー

             勝山 昭

 現在、我々は民主主義のもと、平等という名のもと、多数決によって自己の意見が通らない事がままある。「赤信号みんなで渡れば怖くない」といったギャグがまかりとおる時代だ。なにもそれら自体が悪いと言っているわけではない。ただ、気づかないうちに横目で隣を覗き、自分の位置を確かめてしまってはいないだろうか。

 「美しく生きる」という武士道の精神を、過去の美徳としてのみ考えるのではなく、また新たに見直していかねばならないのではないだろうか。

 もはや我々はいかに物質的に豊かになろうと、けっしてそれらが精神的な幸福をもたらさないことをしっているのだから。

(指導教員・井戸)

 

生涯スポーツ参加者における目的と意義 〜天理市卓球クラブでのインタビューをもとに〜

           雑賀 美弥

 人が長い人生を楽しく有意義に過ごしていくためには生活の中で何かに対し目的を持つことがよいと考えられる。スポーツを行うこともその一つである。また、スポーツを行うことにより、心身ともに満たされ充実した生活ができれば良いと考える。

 この考えをもとに実際に笹川スポーツ財団が全国的に行ったスポーツライフに関する調査と身近にあるスポーツチームに参加している人の目的や意識などを比べてみた。

 その結果として、スポーツを行うことで健康で楽しい生活を送ることを目的としている人が多く、さらに、スポーツを行うことが好きであるということがわかった。勝敗も気にするが、それ以上に人とのコミュニケーションを大切にしているようであった。また、年をとるにつれてスポーツを行う人の人口が減少しているといわれているが、実際には参加している人も多く、楽しんでいることもわかった。

 長い人生の中でいつまでもスポーツと関わり、楽しんでいけたらいいと思います。

(指導教員・石飛)

『個性とは』〜「エミール」を例に

澤井 治子

近年、教育界において「個性を育てる」「個性重視」という言葉をよく耳にする。いろんな人が「個性」という言葉を言っているけれども、何を「個性」と呼んでいるのだろうか? そこでわたしは、教育思想に大きな変革をもたらしたルソーの『エミール』を中心に調べた。

ルソーによると、「個性」とは、自然、人間、事物の教育によっておこなわれる。わたしたちの機能や器官の内部的発育は自然の教育である。この発育をどう使うかを教えるのは人間の教育である。そして、わたしたちの五感にふれる物象について自分で経験するのが事物の教育である。この三種の師によって教えられたことが、自らの活動、経験によって自分のものにできたときに、はじめて生まれてくるものだと考える。つまり、「個性」は与えられてつくられるものではなく、自分の内側から芽生えてくるものだと考える。

(指導教員・大串)

「教育改革」に関する研究 〜「ゆとり教育」から「21世紀の教育」へ〜 

            角倉 大地

 「教育改革」をテーマにしたのは、学校の教育について疑問があったからでした。そこで、「ゆとり教育」とよばれていたものについて、どのような教育なのか、なぜこの言葉は出てきたのかということから詳しく調べました。

 まずは、これまでどのようなことが行われてきたかを知るために、第一章では戦後の教育改革について。第二章では平成では平成に入ってから「ゆとり教育」と呼ばれた教育改革について。第三章では「ゆとり教育」改革の内容に対する多くの批判があり、それに伴い学力低下論争が起こったことについて。第四章では様々な批判について文部科学省の対応と、自分の意見をまとめてみました。

 確かに「学力」は大事であり、その「学力低下」は避けたいものである。しかし、子どもにそれと同等以上に知識的「学力」だけではなく、それ以外で得られる様々な学習や体験をさせるためには、学習内容の削減は必要であると考える。しかし、一律削減ではなく、内容によって削減したり、または増加したりしてもよいのではないかと思った。

(指導教員・大串)

 

 

生きる力としての自己表現 −アサーティブな自己表現を中心として−

                                   高木 信幸

 私たちは普段生活する中で、自己表現が必要となる場面は多々あり、課題も多くある。自己表現を有意なるものにしていくことが、生きる力として影響していくものだといえる。現代の自己表現の課題と照らし合わせ、どんな自己表現をし、どんな人間関係を築いていくことが必要か、そしてその根底には何を大切にすべきなのか考えた。

 第一章では、自己表現のコミュニケーションとは何か、また日本人の自己表現の一般的特徴、現代の自己表現の課題を述べた。第二章では、アサーティブネスという自他尊重に基づいた自己表現の特徴を述べた。第三章では、アサーティブネスの具体的な方法と、実際にトレーニングに受講して、受講者の声と私の体験を含めて感じたことを述べた。

 これから、自己表現のコミュニケーションには、自己信頼感、自尊感情、相手とよりよい関係を築きたいという心のありようが最も大切であるといえる。同時に積極的に自己表現し、技術をみがいていくことが必要不可欠である。自己表現することによって、自分を見つめ、思いを伝え、相手とのさらなる対話へとつなげられるようにすることがよりよい人間関係への一歩であるといえる。

(指導教員・井戸)

 

 

 

 

 

 

ハゲとして生きる     〜ハゲたしても、どう自分らしく生きるか〜

                                   高田 和大

 現代社会において、男性にとって「ハゲる」ということが、なぜこれほどまでにマイナスのイメージをもつのか。そしてなぜ世の男性たちはハゲを隠すのか、という疑問をテーマのもと、私は今回の研究を進めていった。

 研究として分かったことは、現代社会においてハゲがマイナスとしてのレッテルを貼られる要因は幾つも存在し、それが複雑に絡み合って今のハゲ差別を構成しているということである。その要因のひとつが、歴史的背景から女性の進出によって男性が今までにない女性の目を気にするようになり「女性にどう見られるのか」意識するようになってしまったことである。また「女性がハゲを嫌っている」というフィクションとノンフィクションとして捉えてしまう男性性に影響してしまったのもまたひとつの要因である。このように男性から見た女性の存在は、見られる側として大きな存在なのである。

 コンプレックスのひとつとしてハゲが存在する。それを持っているからこそ、他者のコンプレックスの痛みや苦しみを察することができ、他者と友好的にコミュニケーションを取れるようになるのだと思う。今回の研究で学んだことをここで終わらせることなく、これからの人生に生かしたいと思う。「ハゲとして生きる」素晴らしさを人生の喜びとして思えるようになればと願っている。

(指導教員・石飛)

 

 

前期中等教育における人権教育の研究  〜同和教育にもとめられるもの〜

        高津 いづみ

 部落問題学習といえば、歴史のなかで部落の起源などを学ぶものというイメージがいまだに強い。さらに、現代の部落に関する学習は、結婚や差別問題として語られることが多い。部落出身者である私自身、そのような教育を受けてきて反発、疑問を感じたことがあった。そのような人権教育の授業に対する思いを胸に、人権教育の中の「同和教育」にスポットをあて、私なりの「同和教育」の提案をする。

 私が考える「同和教育」の真の目的は、部落史学習でも差別の現実を学ぶことでもない。

そういう学習を通じて、人を思いやる気持ちであるとか、自分が被差別の立場に立った時、または周りの人間が被差別の立場に立った時に、それにどう向き合うことができるかを考える力を育てたりするところにある。部落の人たちが差別というものがあるせいで、親を恨んだり、友人を信頼しきれなかったり、自分を嫌いになったりすることがあった。同和教育の課題は、部落の子どもにかぎらず、一人ひとりが乗り越えて生きていくのを応援することだといってよい。部落問題を解決するための教育は、結局のところ一人ひとりが自分の悩みを超えていき、自分のもつ人権を自覚し、それにもとづいて社会に参加し、社会を変えていくような力を育むところに目標をもっているのである。

(指導教員・岡田)

 

 

青年問題とは 〜 言葉の観点から 〜 

             田中 美紀子

 現在の青年の問題とされている、性の乱れや暴力問題、無気力化は本当に現在だけの問題なのだろうか、という疑問を持ち青年という時期について調べていった。「現代用語の基礎知識」の「社会風俗用語」を参照して戦後から現在までの言葉の移り変わりをみていった。その結果、青年の問題とされている言葉はいつの時代も存在し、いくつかの問題が繰り返されていることが分かった。社会は青年のエネルギーに期待すると共に、変革をもたらそうとする青年の存在に危機感をも抱いているのだ。しかし、現在の青年はエネルギーの発散場所を見出してきれていない若者が多いのではないだろうか。

 社会は今まで青年のエネルギーを戦争や経済復興のために使ってきた。しかし現在青年のエネルギーを発散させる場所は存在していない。社会は、青年のエネルギーを発散させる場を提供していくと共に、青年自身も自分を見つめ直す努力をしなければならない。

(指導教員・岡田)

 

 

 

父親の役割の歴史とこれからの父親の役割

                      谷川 仁志

 父親が家庭にいる時間が少なく、子供と一緒にいる時間が少なくなってしまい「父親不在」が叫ばれている。しかし、ひと昔前には「地震、雷、火事、親父」と言う言葉があったくらい父親=怖い存在であったと思われ、それについて調べてみたいと感じた。

 第1章では家制度における父親の立場について調べ、そして家制度における士族と農民の家庭と教育の方法について述べている。第2章では戦後からの様々な変化による父親の置かれた立場の変化について、第3章ではそれらの変化から実際に父親と子供との触れ合いの現状はどうなっているかを母親との差を調べ、またその接し方の問題点、及び理由について述べており、第4章ではこれからの父親としてどのようにしていけば良いのか述べた。

 父親が現在行っている家事や育児は手のかかる事や精神的に苦痛な事に関しては余り接しないことが多くいわゆる間接的な接し方が多いと思われる。

 やはり性別役割分業制に基づく「夫は仕事、妻は家庭」と言った考え方が根強く残っていると思われ、性別役割分業制を少しでも払拭する為に男女雇用機会均等法の改正や男性に対する育児休暇の保障などの整備が必要だと思われる。

(指導教員・岡田)

 

 

 

 

 

 

 

スポーツ観戦の一考察  〜 高校野球を例にして 〜 

        谷口 理絵

 現代、スポーツを見るという行為は年齢を問わず多くの人に浸透しているが、やはりスポーツを見ることよりも、実際に“すること”の方が重点を置かれがちである。そこで私はスポーツを“見る”という視点でこの卒業論文を書いた。

 第一章ではスポーツ全体のことを述べ、スポーツは多様化していることが分かった。

 第二章では、その多様化したスポーツの中から、卒論のテーマでもあるスポーツを見る行為=スポーツ観戦を取り上げた。スポーツ観戦は古くはアクロバットから始まり、マスメディアなどの力に支えられて発展していったが、その一方で問題も抱えている。

 第三章は、具体的な例を挙げ、スポーツ観戦を述べている。10人にインタビューし、それをもとに考察した。

 第四章では、第一章から第三章の内容を踏まえ、自分なりに考えるスポーツ観戦の利点を述べた。また、スポーツ観戦においてマスメディアの報道が問題になっていることがどの文献でも言われていたのだが、最終的な私の意見は、スポーツが変容させられるとしても、マスメディアなしではスポーツ観戦は有り得ないので、多少の報道も認めるべきではないか、ということである。

 スポーツを見ることは、することに比べるとまだまだ重要視されていない。しかし、これからもますますその人口は増えるであろうし、スポーツ観戦が更に注目されていくべきである。

(指導教員・大串)

 

 

癒しブームの一考察

                     土居 道代

 「癒し」という言葉は、「ストレス社会」と呼ばれる今の時代背景から生まれ、リラクセーションビジネスという業態の登場までに発展した。それほど人々は、精神的にも肉体的にも「癒されたい」との思いが強いからだと考えた。

 私が「癒し」の中で取り上げてきた「リフレクソロジー」は、世界中の古代文明の栄えた国々で資料が発見されている。昔の人々は生活の中から経験し、その効果を感じとって、今に引き継がれているのです。本論文中では、手っ取り早く「癒し}を体感できるグッズやリラクセーションビジネスについて述べてきた。そのプロセスの中で、ただ「笑う」という行為だけでも「癒し」に繋がると言うことが分かり、他者から与えられる癒しだけでなく、自ら癒えることも必要であると感じた。

 今後、更に追求していき、サロンでのカウンセリング等で活用していきたいと思う。

(指導教員・井戸)

 

 

 

 

 

アドベンチャーキャンプについて

               中 智紗

 この論文は『アドベンチャーキャンプ』というキャンプに参加したことで起こる精神部分の変化に着目したものである。そこでまず『アドベンチャーキャンプ』というキャンプがどのようなものなのかを理解して戴くため第一章では、キャンプが実施された環境と、参加者の参加動機といったキャンプの背景を記した。そして第二章では、どのような募集要項の下、参加者が集まり具体的にどういったことが行われたのかを参加者の様子も交え記すことで、より読者にキャンプの雰囲気を掴んで貰えるようにした。したがって、私が実際に目で見て感じた参加者達の変化はこの第二章で述べられており、次の第三章では参加者を対象に行ったアンケートの結果により数字のデータでこの変化を立証している。第三章はほぼ、卒論を書くにあたってご協力戴いたアウトドアエデュケーションセンターの資料であり、第四章に私の考える“変化”が起きる要因を述べ『まとめ』とした。

(指導教員・石飛)

 

行政における『生涯学習』の現状と課題  〜 奈良市と生駒市を比較して 〜

                                   波賀 政伸

 実習を経験したことで生涯学習を推進する生涯学習推進計画に興味を持ち、国・県・市町村それぞれのレベルで生涯学習を推進している事がわかる。そこで奈良県に在住している私は、奈良市と生駒市に焦点をあて 、今後の生涯学習のあり方についてより深く調べてみることにした。

 県・両市とも推進計画にほとんど違いはないが、別の考え方をすると国からの生涯学習推進計画は末端の市にまで表向きは伝わっている。

 問題点として、県・両市の担当職員全員が財政難と各講座終了後の持続性をあげていた。県や市が事業を提供するだけでなく、どうすれば、人が集まってくれるのか?を市民と一緒になって考える時代がきているといえる。

(指導教員・井戸)

 

祭礼と青年団の役割について(だんじり祭を事例にして)

                 橋本 康平

 私は地域の青年団に所属し、だんじり祭に参加している。私は物心つく前からだんじり祭に接しており、だんじり祭に強い思い入れがあり今回卒業論文のテーマに祭礼と青年団の役割について書くことにした。私は青年団に所属して8年目を迎え、昨年は幹事長として青年団に関わり、今年は副団長として青年団を引っぱっていくことになる。論文作成にあたり本ではわからない点を、町会長の話や自分の実体験をもとに研究することで、だんじり祭や青年団についてなじみのない人にわかりやすく説明するように心がけた。

 青年団の活動やだんじり祭について研究することで、青年団の現状やだんじり祭の問題点が見え、これからの青年団の活動に役立てようと考えるに至った。また、だんじり祭の歴史を知ることで祭礼とはなにかと考えさせられました。だんじり祭では青年団だけが参加するのではなく、老若男女が楽しめる祭であると再確認することができた。

(指導教員・井戸)

家庭教育に関する研究

                   船津 さえ子

 現代の家庭教育は、核家族化、少子化などの影響を強く受けているようである。早期教育の影響を強く受けているようである。早期教育が普及していっているのも、それらの影響によるものだと考える。今回の研究では、現在注目されている早期教育を中心に、現代の家庭教育には何が重要かを求めることを目的にし、第1章では、家庭教育の意義、現代の家庭教育の状況と、家庭をめぐる変化による問題などをあげ、第2章では、早期教育の意義、具体的な早期教育教室の紹介、早期教育の影響、また、早期教育を行うことに対する批判が多いにも関わらず注目される理由、第3章では、家庭教育の目的、また、その目的を達成するためについてを研究し、まとめた。結論としては、子どもを教育する立場である親が、家庭教育の重要性、どのように行うことが重要かを把握した上で、気負いしないで、親自身も楽しみながら子どもを育てていくことが、家庭教育をするうえで重要であると考える。

(指導教員・大串)

 

 

読み聞かせに関する研究

                  南 かおり

 読み聞かせを通じて、親の子どもに対する愛情について研究したいと思い、この論文を書き始めた。読み手である大人が、実際にどのような思いで子供たちのことを考えているのかを重要視し、アンケート調査を中心に論文を進めた。

 読み聞かせは難しく考えるものではなく、親と子の愛情の架け橋として読み聞かせが役立てばよいと言うのが結論である。しかし研究を進めていく中で驚いたのは、実際に広く読み聞かせをしている図書館では、ただ仕事の一環と考えている職員や、かなり深く読み聞かせを研究している職員など、意識がバラバラであったことである。

 今回は親子での読み聞かせが中心であったが、これからは親子の読み聞かせを支えていく役割である、公共図書館の職員の意識も問うべきではないかと思う。

(指導教員・大串)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教が担う生涯学習 〜 四国遍路を例に 〜 

           宮田 梢

 平成に入り、「四国遍路」が一つのブームとなっている。それは様々なメディアで取り上げられ、旅行会社で「四国遍路」を廻るためのツアーからもわかる。

 この平成の「四国遍路」には、千二百年続いてきた「四国遍路」とは異なる特徴がある。

それは今までの「四国遍路」はほとんどが宗教的な目的で廻られてきたのに対し、平成の「四国遍路」は人生の再発見といった目的で廻る人が増えているということである。

 本論文では、なぜ平成の「四国遍路」にはこのような特徴があるのかということを、主に歩き遍路に焦点をあて、分析を試みている。

 結論としては、人生の再発見というアイデンティティの確立を、「四国遍路」が確実に解決してくれるとはいいがたい。しかしその「宗教性」「四国の人々と遍路者との交流」「四国の自然」といった様々な要因が、アイデンティティの危機からもう一度確立させてくれるのではないかと思われた。

(指導教員・石飛)

 

 

宗教をとおしてみる日本人の民間信仰

           安井 一善

 今日、我々が日々生活を送っているこの日本は、様々なモノで満ちあふれ、豊かな環境が整えられてきている。しかし物質的には豊かになってきているが、精神面、心の部分は、はたしてどのようになっているのであろうか。その象徴として宗教の存在をはずすことはできないのではと私は考える。

 本論文では、宗教をテーマにあげて、一章で宗教の定義、世界的に大きく広まった宗教の概要、二章では日本人の独自の思想、文化、風習などをまとめ、三章では一章と二章とを比較考察した。

 結論として、現代の日本人が忘れかけているのではないかと思われる、古来の日本人によって育まれてきた文化、日本が世界に胸を張って誇れる文化を、見つめ直すきっかけになってくれれば、この論文の意義は十分果たせたことと思う。

(指導教員・石飛) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日米の生涯教育の比較 − 地域教育に着目して − 

        山石芽久美

 私が日米の生涯教育の違いで着目した点は,生涯教育の場である。場の違いが生涯教育のプログラム内容に関わって、さらに地域の活性化に繋がるのではないかという意図のもと、日米の生涯教育の比較研究を行った。

 私の構想では、日本もアメリカのように小学校を利用すれば、地域住民の密着も高まり地域再建に繋がるという考えであった。しかし、研究した結果、日本には公民館というものがあるし、それは、日本独自の建物であることを知った。今までそこで行われていた学習をわざわざ小学校で行うとなれば、ものすごく大掛かりな上お金もかかる。私の構想をそのまま行うことは、非常に困難であることが分かった。しかし、"終わりに"でもあるように、芦屋コミスクのように、地域活性化に小学校を利用するということは可能であると考える。小学校を利用することは、利用者にとっては近場で公民館のように遠くないこと、そして来る人間が地域の者であることから安心感がある。徐々に日本も学校開放に目を向けているが、まだまだこれまでの歴史を打破するのは難しいことだと感じた。

(指導教員・石飛)

 

 

 

生涯スポーツの振興と発展について ― 大阪府堺市を例にして ― 

     山城 庸平

 近年、余暇時間の増大や高齢者の増加に伴い、生涯スポーツが重要視されるようになってきた。そこで私は生涯スポーツの歴史や定義、現在の活動状況などを調べ、今後の生涯スポーツの振興や発展について考察した。

 第1章では生涯スポーツを考える上で基礎となってくる部分(概念や定義、歴史)について述べている。生涯スポーツという考えはヨーロッパの「sports for all」運動がきっかけで誕生した。現在、生涯スポーツは競争性、遊戯性の2つの要素以外にもさまざまな要素があると考えられている。

第2章では堺市の生涯スポーツに関する施策とアンケート調査の結果を述べている。堺市では主に財団法人堺市教育スポーツ振興事業団が生涯スポーツ振興、普及のための活動を行っている。アンケートは、スポーツを行っている人たちのスポーツ実施状況やスポーツに対する考えなどを述べた。

 第3章ではそれらのことをふまえ、生涯スポーツの振興と発展について考察した。その結果から生涯スポーツの振興・発展のためには、今まで以上の地域のつながりが重要になるのではないかと考えることが出来る。

(指導教員・大串)

 

 

 

 

 

現代日本における結婚観

                     吉村 雅一

少子化、晩婚化と世間では騒がれてる。統計をみると実際そうなのだが、実は結婚したがらない人はほとんどいない。ということは結婚はしたいがそれを先延ばしする理由があるはずである。

一体その理由とは何なのだろうか。今回は1987年の人口問題研究会からの結婚の利点、独身の利点を取り上げ、独身者が結婚というものをどのように考えているか、または独身という立場をどう考えているかをまとめてみた。そしてそこからなぜ結婚したがらないかを経済的な面から掘り下げてみた。

また男性と女性の結婚に関する考え方の違いが結婚にどう影響するかも検討してみる。

果たして一般的な女性の社会進出」が晩婚化の直接的原因なのだろうか。私は今回これに異を唱える。もっと根本的なところにその要因があるのではないか。この考えを元に参考文献を読み進めてみた。

(指導教員・石飛)