平成15年度 卒業論文 要旨
テーマパークの新しい挑戦 〜大規模集客施設が取り組む教育事業の分析と評価〜
朝岡 良美
苦境にあるテーマパーク業界。打開策の1つとして、「教育」に着目したプログラムが打ち出されている。私はユニバーサル・スタジオ・ジャパンの教育プログラムを中心に研究した。
修学旅行や校外学習の時間において、パーク内での体験学習を行う。事前・事後の学習にも利用できるように開発されたツールを用い、「創造性」「国際性」「社会性」という3つのテーマのもとでプログラムが行われている。アトラクションやショー、レストランなどを通じ、生徒自ら学んでいく。テーマパークとはいわば博物館の発展型であり直に感じ理解することが出来る。
楽しみながら学ぶという理想的な学習が可能であるのに、あまりこのプログラムが活用されていない。テーマパーク側の受け入れ準備不足も否めないが、利用者側の意識改革も必要であるように思う。テーマパークは娯楽の場であるという固定観念を捨て、学習できる場であると考えることが必要だ。このプログラムが楽しみながら学習するという生涯教育が根付くきっかけとなればよい。
(指導教員・岡田)
公共図書館の新規利用者開拓について 〜ヤングアダルト・サービスを例にとって〜
今井 俊郎
若者の読書離れが指摘されるようになって久しい今日、中学・高校生の図書館離れも深刻なものになってきている。そこで、中学・高校生の図書館離れをくい止めることができれば、生涯にわたって図書館を利用する利用者が増加し、図書館活動も様々な形で発展していけるのではないかと考え、ヤングアダルト・サービスをとりあげ研究をすすめた。
特に第二章では、文献における研究だけでなく、実際にヤングアダルト・サービスを行っている図書館や研究機関に見学等に行き、ヤングアダルト・サービスの現状を自分の目と耳で見聞きし、レポート形式で論文をすすめた。
ヤングアダルト・サービスの重要性が20年前から指摘されてきたにもかかわらず、現状はまだまだ発展段階にあり、わが国においては未だに明確な規定や法律も制定されていない。図書館はただ資料を提供するだけでなく、ヤングアダルト層の利用者を「明日の図書館利用者」として受け入れ、ある意味で居場所としての機能も発揮できれば良いのではないかと考える。
(指導教員・石飛)
ドッグセラピーの研究 〜 実際の施設を訪れて 〜
岩田 香寿絵
近年の高度情報化社会や超高齢化社会において現代人のストレスによる病気は増加する一方である。そこで身近な場所で心が癒せる「ドッグセラピー」について研究を行った。
欧米に比べ日本はまだ研究段階であり、あまり実用されていない中、規模自体はまだ小さいがドッグセラピーを実施している日本レスキュー協会について調べた。活動風景やイベントに参加し、犬の持つ可愛らしさ、なつき易さ、暖かさなどの面からセラピー効果を体験した。
本に書いてあるようなドッグセラピーの効果(笑顔になる、話をするようになるなど)も出るが、犬が嫌いな人や苦手な人には同じような効果は見られず、このドッグセラピーはセラピー対象者を選ばなければいけないと知った。
また、人間が動物の恩恵を受けるばかりで動物の福祉を考えていないケースが多い。アニマルセラピーを考えるなら動物虐待の問題は切っても切り離せない。人間と動物が共に共存しあう社会こそ本来の姿なのではないか。
(指導教員・大串)
野球の指導法についての研究 〜天理大学野球部の実態と課題をベースとして〜
上村恭弘
この卒業論文では、野球の指導法について研究した。
第1章では、野球の歴史として野球の始まりからプロ野球の発展までを述べた。
第2章では、プロ野球と大学野球の指導法について述べた。そして、プロ野球と大学野球の環境の違いや指導法の違いについても述べている。
第3章では、大学野球の指導法の実態と課題について、天理大学硬式野球部53名にアンケートを実施した。アンケートを実施する事で指導法についての課題や部員達の考え方を見ることができた。
第4章の結論では、指導者として一番大切な事「選手を生かせる知恵」を持ち、その知恵を「与えていくこと」であるという事がわかった。
今後、この論文で学んだことを生かして、出来る限り長くプレイヤーとして活躍し、また、その経験を生かし指導者という立場で、野球に携わっていきたいと思う。
(指導教員・井戸)
「お笑い」の教育学的研究 〜大阪のお笑いを例にして〜
岡田 美穂
私たちが普段、日常生活に「お笑い」をどのように取り入れ、それがどう活かされ、どんな効用があるか、日本の中でも「お笑い」に積極的な大阪の「お笑い」に焦点を当てて研究した。
「お笑い」(劇場やテレビ番組など)を見る事で、「こういうリアクションをしたら面白い」「こう言われた時に、こう返したら面白い」などが学習できる。学習し、それを日常生活に取り入れて、積極的に笑いを自分で生み出すことによって、うまく人間関係を築く事ができたり、よい関係を持続させることが可能になる。
私たちが普段生活していて、コミュニケーションのとり方や人間関係の築き方などを学ぶ機会は意外と少ない。漫才を代表とする「お笑い」はそういったものを学習するのにとても重要な機会を提供してくれているのではないだろうか。また、「お笑い」(劇場やテレビ番組など)を見る事で、私たちは1人で笑ったり、それを取り入れて人を笑わせることにより、自分も元気になったり、前向きになったりする。そして健康にもなれるのである。
逆にいうと、健康になりたい、うまく人間関係を築きたい、元気に前向きになりたいと思ったら、お笑いを学習する場・機会を増やし、それを積極的に生活に取り入れることが重要である。
(指導教員・岡田)
「山村留学」に関する研究
奥村 万希子
近年、ゆとり教育で重要視されている自然体験学習の中に「山村留学」がある。これは、子どもたちが、小中学生時代の一時期に親元を離れ農山漁村へ転入し、農家や寮などで異年齢同士で共同生活をしながら自然体験、環境学習を行うものである。この「山村留学」に興味を持ち、理解を深めたいと思ったので、これを実施している団体と学校の活動に参加し、2つの事例から考察することにした。
今まで「山村留学」は、過疎地の“零細校対策”、または不登校児の“療養的制度”と誤解されてきたが、本来は農山漁村地域が持つ自然環境や文化を活用した体験学習の取り組みであり、“次代を担う人づくり事業”とされている。山村留学制度は昭和51年から実施されてきたが、里親が確保できない、参加者がいない、学校が廃校になる等の理由で、取り巻く環境は年々厳しくなっている。しかし、最近では、国の施策でも取り上げられるようになり、文部科学省の主要事業の中にも長期間の自然体験が重要視されるようになった。
今後、私は自然体験活動の専門指導員を目指すとともに、子どもの生きる力を育むと期待される「山村留学」を広げていきたいと思っている。
(指導教員・岡田)
日本に於けるごみ問題の関心の低さについての研究
梶田真一
私は大学生活を通して、まわりの人々のごみに対する関心の低さに疑問を感じていた。メディアからは、環境への人々の関心の高まっている印象を受けていたので、この差は何だろうか、と考えていた。人々の関心の低さについて調べるとともに、家庭のしつけや学校教育で人々の関心は高まるかどうか研究してみたかった。
そのために、アンケートを行って、同世代の関心について調べてみた。関心があるのかどうか調べる為に、具体的な質問をするなど工夫してみた。グラフを使って視覚的に理解しやすくしようとしたが、少々見づらくなってしまった。
結論として、次のことが分かった。家庭のしつけで関心は高まるが、ごみについて注意する親は半数でしかなく、家庭での取り組みにはあまり期待できない。学校で具体的な事を学ぶ事によって関心が高まる事が期待できる。しかし、週5日制による時間的制限や、環境教育に欠かせない概念を学習する機会の現象などの問題もある。
いずれにしろ、学校教育でごみについて学習したり環境教育を受けたりする事で時間はかかるが、国民全体の関心の底上げが期待できる。学校教育の改善が必要であると考えるようになった。
(指導教員・石飛)
今後の大学にあり方に関する一考察
鈴木 さよ
これまで決して潰れることのない安泰の地であったはずの大学が今、生き残りをかけた分岐点に立たされている。必ずしもそうとは限らないが、時代の流れを無視してこれまでのやり方に固執したり、これからの方向性を間違えば社会からは魅力のない大学となる可能性がある。そうなると志願者は減っていき今までのような大学経営は成り立っていかなくなるだろう。社会の変化と共に、大学自身もニーズに合わせて変わっていかなくてはならない時代になったのである。これからの時代を生き残って行くには、1つだけではない。つまり、ナンバーワンになる必要はないのである。社会の流れに取り残されずニーズを察知し、必要とされる大学になることで十分生き残っていけるのだ。「これが学べるのはうちの大学だけ」という誇れるものがあるオンリーワン大学になれれば必ず生き残っていけるだろう。
第1章では実際に大学がどのような社会環境の中にありどのような問題を抱えているかについて、第2章では大学の現状がどのようなものであるのかを取り上げた。第3章ではまとめとして第1章・第2章を元に大学の今後のあり方について社会・学生・大学それぞれの視点から見た大学のこれからの方向性を考えた。
(指導教員・井戸)
現代人の眠りに関する研究
関根 文雄
眠ることは人間にとって普遍的な行為である。日本人の平均睡眠時間は、40年前に比べ約50分短くなってきている。また、眠りについて悩む人々が増えてきている。そういった背景にはどのようなものが影響を及ぼしているのか。大きな要因として、社会の変化があげられる。日本社会は戦後から現在にいたるまで、ものすごいスピードで発展を遂げてきた。社会の変化とともに、人々の生活も変化してきた。
本論文では、社会の変化によって、日本人の生活がどのように変化し、睡眠が生活の中でどのように扱われているのか、ということに重点を置いて調べた。
眠ることは大切なことであると、誰もが思うはずである。しかし、その眠りを粗末に扱っている。いや扱わざるを得ない状況、社会になっているのかもしれない。現代社会では、眠りについて考える必要がある。
(指導教員・大串)
社会の変化と子どもの変化 〜 しつけの意義は変化する 〜
高井 みさき
現代の子供や親に抱く疑問から「しつけ」について考え、今の問題や昔との差を研究する。
第一章において例を挙げながら子供と親の問題点を述べる。子どもの能動的な自己中心性と受動的な自己中心性。子どもにおいては集団生活を送る上での社会性の欠如を、親においてはわが子可愛さ故の甘やかしなどを問題視する。
第二章では社会の変化と題し、子供のあり方の変化を見る。子どもは労働力からの解放され、高度経済成長期から学力重視の社会へ。メディアの普及から手に入る情報が増加し子供の世界は親の手の上だけの世界ではいられなくなる。
第三章では今のしつけのあり方を考える。昔と今では社会のあり方や価値観が違うのだからしつけのあり方も変わって当然ではないだろうか。しかし、だからと言ってしつけを重視しなくていいのかというとそれも間違いである。友達親子について、親子のタテ社会が崩れるのは賛成だが友達のように仲がよくてしつけが出来るのだろうか。またコミュニケーションとは重要なものである。それは信頼を築く方法であり、信頼を得ていなければしつけは出来ない。
しつけの質が悪くなったわけではなくて社会が大きく変わってきているのだ。今までのしつけのままではなく、これからの社会にはこれからのしつけが必要となってくると言うことなのだ。
(指導教員・石飛)
野生動物との共生 〜奈良公園のシカを例に〜
中瀬 祥貴
現在、世界中で様々な野生動物が人間と身近な環境の中で生活している。しかし、その中では、人と動物との間で多くの問題も生じており、人間と野生動物との「共生」という事はなかなか成り立ってはいないのである。
そこで本研究では、およそ1200年の長きにわたって保護されてきた「奈良のシカ」を例に挙げて、現在の人間とシカとの関係を明らかにする為に、第一章では、奈良のシカの歴史、特性などを論じている。
また、第二章では、奈良のシカ達を長きにわたって保護している「財団法人奈良の鹿愛護会」の活動内容や経営状況などを写真や表などを用いながら紹介していく。
第三章・おわりにでは第一、二章などで浮き上がってきた今後の課題と対策方法をまとめ、私が考えた対策方法も論じた。
本研究で私が一番感じた事は、意識の差である。奈良市民の人達は毎日シカと身近に生活しているので観光で訪れている人達とのシカに対する意識の違いは天と地の差だと分かった。
奈良公園近辺に生活している農家の人達は興味を持つどころか、農作物の被害により、シカに対して敵対心を覚えるところも多く、まず奈良市民の人達にシカに対する興味を持ってもらう事が共生に向けての第一歩だと感じた。
(指導教員・岡田)
児童福祉施設に関する研究 〜地域に根ざした保育所(園)づくり〜
西村 俊吾
この卒業論文では、保育所(園)に関する研究として、第一章では、保育所(園)の歴史から見ていき、保育所の仕組み、幼稚園との相違について述べた。
第二章では、前章で述べたこともふまえて、地元である境港市の公立、私立の保育所(園)の保護者と職員の方々に実際にアンケートを取り保育所(園)の実態について考えていく。アンケートを実施する事で、一般的課題だけでなく、ミクロ的課題も見ることが出来た。
第三章では、アンケートの結果を分析し、課題を考えていく。保護者用アンケートからは、一般的課題として、「待機児童」、「保育料」、「学童保育」の課題が見て取れた。職員用アンケートからは、ミクロ的課題として、職員一人ひとりの課題を見ることが出来た。
この論文を通して、少しだが保育所(園)の抱える課題なども見ることが出来、将来経営に携わる時に役立てたいと思った。
(指導教員・井戸)
人々に"生きがい"をもたらす盆踊り 〜徳島県の阿波踊りを事例として〜
藤並 亜紀子
日本各地で行われている盆踊りは、生涯教育としての役割を担っているのではないかと考えた。このような問題提起に至ったのは、自分自身が実際に徳島県で小さい頃から阿波踊りに参加していた経験からによるものである。
まず第1章では、阿波踊りが400年以上の歴史の間に、どのようにして生まれ、発展したかを辿り、また現代の阿波踊りがどのような形で行われているかという概要を述べた。
第2章では、観光化を目的として阿波踊りが発展したことに着目し、徳島県だけにとどまらず日本各地に広がっている阿波踊りを紹介し、また徳島市観光協会の方に実際にお話を聞かせて頂き、盆踊りを観光化することで広がる可能性と共に、更なる展望を聞かせて頂いた。第3章では、第1章・2章と自分自身の経験を踏まえ、生涯教育としての阿波踊りの役割がどういったものか考えた。
最終的な私の意見としては、日本各地で行われている盆踊りすべてが生涯教育としての役割を果たしているとは断言できないが、徳島県の阿波踊りのように、自分自身の生まれ育った地域に関心を持ち、その地域を大切にするという心を持って踊ることが出来れば、自然と子供から大人からまでが集い、希薄になりつつある地域のつながりを深め、教育の場としての盆踊りが作られるのだと感じた。
(指導教員・石飛)
豊かなスポーツライフの実現を目指して 〜スポーツクラブ21ひょうごを例に〜
藤本 友香
現在、注目されている「総合型地域スポーツクラブ」に着目し、総合型地域スポーツクラブのメリットをあげ、子どもからお年寄りまでが豊かなスポーツライフを送るためのこれからのスポーツクラブのあり方について研究した。そこで、兵庫県が県をあげて取り組んでいる総合型地域スポーツクラブ、「スポーツクラブ21ひょうご」の事業を中心に実際にクラブを訪問し、クラブが抱えている指導者不足や既存団体との関係などの課題をあげ解決方法などから、私が考える総合型地域スポーツクラブ像をつくりあげた。
これからは、行政主導ではなく地域に根ざした住民主導型であり、地域の特性をいかした総合型地域スポーツクラブを作っていくことが豊かなスポーツライフの実現の一歩になるのではないだろうか。
総合型地域スポーツクラブがブームで終わらず日本に根づくことに期待したい。
(指導教員・岡田)
若者研修事業の研究 〜 天理教学生生徒修養会高校の部を例に 〜
藤原 淳太郎
今回私はテーマに天理教学生生徒修養会をとりあげ、実際に自分が参加し体験することで、若者の生涯教育行事の参加が少ない中でこれだけ多く学生が参加する魅力を探ろうと研究した。
第1章では、この学生生徒修養会がどういうものであるか、天理教内における学生生徒修養会の位置づけ、またその歴史を調べた。
第2章、第3章では天理教学生生徒修養会高校の部3回生のプログラム、実際に参加した感想、また期間中に生徒からとるアンケートなどを取り上げる事によって、この修養会がどういうものであるかを紹介し、どこに生徒が魅力を感じるのかを、考察した。その魅力は、1週間の合宿生活を送ることで本来の自分を出会えること、スタッフの方が熱心に勤められて参加者を助けていること、全体の基本として信仰というものがあり、そこに素直に入っていけることなどだと思った。
(指導教員・大串)
「心身の癒し」と天理教
星野 久美絵
現代社会の特徴の一つとして、「近代の知」が支配的であるということがあげられる。これは快適な生活をもたらしてきた反面、私たちの生き方に引きつけてみると、現代人はなにかしらもっとも大切なものを見失ってきたという反省がある。
そして現在、心に対する癒しのニーズが高まる中、宗教というものは、たびたびカルト宗教などと混合され、若者を中心に避けらている傾向にある。
しかし、宗教によっては存在の深みが開示され、身心的にも精神的にも充実した日々を生きることができる。
また、天理教の言葉で言うと「生かされ生きている」というような、心向きが大きな転換へと繋がっていくものこそこそが、現代人の心の問題にとって重要であり、必要なのではないかと私は考える。
(指導教員・大串)
死生観の研究
朴 正男
この世に生があるかぎり、死は必ず存在するし、避ける事のできない現実である。死を前もって個人的に体験することはできないが、死を親近な問題として考え、生と死の意義を探求し、自覚をもって、自己と他者の死に備える心構えを習得することは、あらゆる面でもっとも必要とされる教育と言えるし、人間としてどうしても取り組まなければならない切実な課題である。人間が何故この世に生まれてきて、何故生きるのかと言う問いかけは、何千年もの昔から、古今東西の哲学や宗教の根本命題になっている。生死の問題をしにかかわりのあるテーマから、学際的に探求するのが死生学である。この死生学の実践段階が、「死への準備教育」である。「死への準備教育」とは、ただ「死を学ぶ」ということだけでなく、「生きる事を学ぶ」ということでもある。その意味で「死への準備教育」はじぶんの死までの毎日をよりよく生きるための「生への準備教育」ともなり、生と死を見つめて生きる原点ともなる。
生きている人間に、この社会での「よりよき生」を実現させるためには、死を理解しなければならない。死を理解することは生を理解する道である。この世に生まれてきた以上死を覚悟しつつも生を肯定し、生の一瞬を大切に生きるのが大事である。自分の毎日を充実に生きると同時に、死そのものから自分の生き方を見つめ、人の生き方を認め、生を考えるとき、人生の中で死が重要な役割を果たしている事実を忘れてはいけないのである。
(指導教員・大串)
天理教伝道者列伝
牧野 常道
私はこの卒業論文を書くにあたり、「天理教伝道者列伝」という題目にしたのであるが、まず第1章では初期天理教の歴史から述べることによって天理教の教義を理解して頂き、教祖の伝道から始まっていることを頭に入れて頂こうと考えた。次に第2章ではこの論文のメインである教祖に直接接し、教えを受けた「梅谷四郎兵衛」、「増井りん」、「高井猶吉」という3人の先人の生涯を述べた。ここで天理教伝道者の雛形が表れている。続いて第3章には第2章で述べた3人の先人の比較を行った。第2章で述べたことについての補足的なものではあるが、入信以前の生活態度や伝道行動の違い、又先人が伝道を行った後にどのような結果がついてきたかを考えている。最後の第4章で天理教伝道者のあり方として1〜3章を踏まえたうえで伝道者の態度や今の伝道者に求められるものを考えている。
(指導教員・井戸)
成人式の現状と課題
松下 弘
この卒業論文では、成人式の現状と課題について研究した。第1章では、成人の日としての歩みから文部省の通達までを述べた。成人式の歩みでは、成人式となるまでは、成年式として呼ばれていた事などが分かった。
第2章では、現代の成人式の「問題」として、開催意義や新聞、報道で取り上げられた事例を挙げ問題、課題を述べた。事例としては、2001年の高知県の成人式を取り上げた。
第3章では、アンケート調査を実施し成人になった方50人に協力してもらった。アンケートを実施することで、成人式に対する考え方や改善点などが見てとれた。この論文を通じて、これからの成人式のあり方について、開催意義の明確化、マンネリ化した成人式を変えていき新成人の興味を引く事が重要であると考える。
(指導教員・岡田)
リーダーシップについての研究
水上 豪人
私は人の上に立つ人間とは、どうあるべきなのかという事を考え、リーダーシップについて研究しようと思った。
そしてこの研究が、今後の自分の人生において大いに役立ってくれるものであろうと思っている。
第一章では、リーダーシップとは、というところから始まり、企業経営におけるリーダーシップスタイルを三つに分けてまとめた。
第二章では、私が考える成功した経営者を三人挙げて、それぞれ分析・考察した。
第三章では、リーダーシップを発揮している人々は人間的に素晴らしい人であるという考えのもと、人間的に素晴らしくあるためにはどういった心が必要なのか、ということを天理教の視点から見て、分析・考察した
(指導教員・井戸)
自分らしく生きるとは 〜“おしゃれ”の視点からみて〜
山川 英理佳
街にはいろんな服装をした人たちが溢れている。たとえば流行の服装だったり、高価な衣服で着飾ったり、なかには人とは違う個性的な服装だったりと、実にさまざまでおもしろい。しかし、それはどこか人の目を意識した服装に感じられ、本当におしゃれを楽しんではいないのではないか、と考えた。
第1章では「なぜ衣服を着るのか」という素朴な疑問をもとに、過去と現在での着用意義を述べた。
第2章では戦争によって、日本の衣服が大きく変わった戦後。そんな戦後に活躍し、女性たちに大きな影響を与え、再び現在、注目を集めはじめた中原淳一を取り上げた。彼が創刊した雑誌などを参考に、おしゃれのヒントを探った。
第3章ではこれまでの内容を踏まえ、中原淳一の人生に触れて得たことや私の思い、自分なりに考えたこれからのおしゃれをもって、考察として述べた。
“自分らしさ”は自然に生まれるものであり、人と競い合うのではなく、人や環境など周囲との調和を楽しむことができることこそ、本当のおしゃれとし、私の結論とした。
(指導教員・石飛)
地域に関する研究 〜 地域活性化に対する商店街の取り組み 〜
渡辺こずえ
多くの情報が氾濫し、社会が著しく変化していくなかで地域というものに対する人々の考えも変化している。地域づきあいの面倒な部分ばかりがクローズアップされ、本来の意味をなくしてしまっている。
現在の商店街は観光地としての商店街と、地域密着型の商店街との二つの傾向に別れてきている。私は、地域の商店街の現在と今後のあり方と変化していく商店街の今後を中心に研究した。
今、商店街は多くの岐路に立たされている。大型店のロードサイドへの出店、コンビニの出店、消費者の商品に対するこだわりやブランド意識など多くの壁が立ちふさがっている。
しかし、商店街はマイナスばかりではない。立地条件や、昔からの地域のつながり、行政の補助など少し視点を変えるだけで、まだまだ商店街は生き残る道がみつかるのではないか。
地域は人にとってなくてはならないものである。どんなに変化しようと、地域というものは私たちの生活に必ず存在するものである。
(指導教員・井戸)