高校教師の犯している根本的誤解について
「高校は義務教育ではない。だから諸君らは自ら勉学に励むべし」
高校生のころ、何人もの教師の口から聞いた言葉である。
もっともなことだと思われるであろう。また、多くの教師がこう
おもっているであろうことも間違いあるまい。
だが実はこの考えこそが高校教育の退廃の根元であると私は断言
する。
一般の習い事教室の先生が、同じようなセリフをいうであろうか?
これらの教室も義務教育でないのである。金を払ってきていると
いう点でもまた同じである。ただ、税金から給料が支払われるか、
個人のサイフから月謝が払われるかの違いにすぎない。
義務教育ではないから勉学に励むべし、というのは生徒側の義務
である。これに対して、教師には教師の義務があるということを
忘却している。生徒の義務を言うことによって、自分にも別の義
務があるということに考え至ることができなくなってしまってい
るのである。
では教師の義務とは何か?習い事教室のお師匠さんのことを考え
ればすぐにわかるはずだ。
それは、教室に通ってくる生徒が、通っただけのことはあると思
える成果を背負わせて家に返すことである。
この成果が大きい教室は繁盛し、そうでない教室はつぶれること
になる。
高校教師も金をもらって人に教えている以上、そのような成果を
生徒に与えることができなければならない。これこそが、教師の
側の義務というものである。
このことを自覚しているのであらば、生徒の側の義務などという
ものを口から出すような振る舞いはしない、いや、できないはず
である。
生徒に対して勉学の義務をいえるのは、どこからも給与を受けず
に生徒を教えている人間だけなのである。
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分数のできない大学生
ちょっと前、分数のできない大学生というのが喧伝されたけれど
分数のできない高校卒業生ならば以前から少なからず存在したで
あろう。
大学への新規入学者数が減ることによって、彼らも大学に入学し
てきた。ただそれだけのことのように思える。
私が中学卒業のとき、それに近い学力の同級生もどこかの高校に
進学することができた。ならば、そのままの学力で高校を卒業し、
大学に進学する可能性もゼロではあるまい。
高校教師が上のような教師の義務を理解しているのであれば、高
校のカリキュラムを多少犠牲にしてでも小中学校での学習をやり
直させるはずであるが、多くの教師は生徒の義務にしか考えが及
ばないでいるので、赤点にゲタを捌かせて卒業させることになる。
教師よ、生徒の義務をいう前に自らの義務を果たせ!
分数のできない生徒がいるならば、中学レベルからでも小学校程
度からでもいいから、補修をおこなえばよいのである。
そんな程度の低い生徒にかかわり合うことなどできない、などと
はいうべからず。入試に合格させたのは学校側であるのだから。
また、純粋に技術的にも決して不可能なことではではない。
TVの電波少年における東大一直線をみよ。まさに分数もできな
いレベルからはじめて、あそこまでになったではないか。
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まとめ
塾や予備校もしくは私立進学校と、高校(特に公立)や中学校と
の最大のちがいは、前者は生徒に学力をつけることを目的とし、
後者はただ授業を行うことを目的にしているということである。
教師側に義務があるということを自覚しているものとしていない
ものとの差がここに現れている。
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[2000/12/06 00:49:48]