〜*〜 ロビー ちょっと 一息 気楽な話題で楽しんで 〜*〜

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#1591/1600 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1586 ***
★タイトル (********)  04/ 5/ 1(Sat.)  21:45  ( 95)
教条主義から良識主義へ     一久
★内容
教条主義から良識主義へ

【言葉の呪縛】

自由や平等といった言葉に呪縛されておられるのではないでしょう
か?

自由や平等といったものは、制限なしには実際に使うことはできな
いものです。制限なしに自由を与えれば、百鬼夜行の世界となり、
無制限に平等を追求すれば私有財産の否定になってしまう。

だから実際の世界においては、自由も平等も制限なしには行なわれ
ない。人々が心地よいと思えるだけの自由と平等を合意によって決
定し、実行しているだけです。

自由も平等も、この「心地よさ」を実現する為の道具なのであって、
自由や平等というスローガンの為に「心地よさ」が損なわれるので
あれば、それは本末転倒なのだというしかない。

王政による支配から、実質共和制に変わるとき、その国の国民にと
って居心地のいい「王室の終末」はどういうものであろうか?

ギロチンによる結末を心地よいと思う人間は多くはあるまい。亡命
や権威の剥奪というのも、急進的な反王政派以外には人気があると
も思われぬ。

十分に冷静で、新体制に対して自信をもっている国民が多数を占め
ている状況では、象徴制へ移行して文化財として保存し、未来の国
民に対してその文化的価値を継承させることを望むのではないだろ
うか。

平等であるべきだ、というのは真理でも、その実現段階では現実と
良識による制限を受ける。

もしもこのような制限を受けなければどうなるかというと、真理を
振りかざす者たちが暴力的に他人の諸権利を奪うことになる。

革命後の多くの悲惨な事件や、今イラクで起こっていることがまさ
にそれだ。

繰り返しになりますが、

1、真理は良識による制限を受けねばならない。
2、良識とは国民大衆が「心地よい」と思える合意である。
3、良識が生きていれば、象徴制への移行が選択されやすいだろう。
4、真理が声高に叫ばれているときには、良識は沈黙させられている。

平等であるべきだという真理を理由にするのではなくて、良識によ
って「天皇制はないほうが、こんなにも心地よい」と言えるのでな
ければ、政治論としてはなりたたない。

平等であるべきだから廃止せよでは、単なる教条主義にすぎないの
です。そして、教条主義では「穏やかに廃止する」ことはできない
のです。



【蛇足ですが。。。】


幕末と仏露の革命とは、程度の比較ではなくて、質的内容の違いで
す。また、アメリカ独立戦争の被害はあくまでも独立のためのもので
すのでこれもまた性質が違います。

スウェーデンは二百年前は大国だったのです。だから入れました。
スペイン(はもっと昔ですが)もまた同様。

ピョートル大帝が臥薪嘗胆してスウェーデンに再戦を挑み、ついに勝
ちを得るまでは、「北の大国」といえばロシアではなくて、スウェー
デンのことだったのです。

ピョートルも、その前の為政者(ピョートルの姉の愛人)も、スウェー
デン王に、散々に負かされて政権の危機に陥いらされた。

ピョートルが勝ったこの戦いは、壮絶なもので、その結末は、勇敢す
ぎたスウェーデン王が前線に出過ぎて戦死するというものでした。

王の遺体を奪い合って、両軍の兵士が殺到し、遺骸の上に兵士達の死
体の山が出来たということです。

現代でも、スウェーデンは第二次世界大戦後に超音速ジェット戦闘機
を三機種(ドラケン・ビゲン・グリペン)も開発しており、軍事大国で
あるとも言えます。(日本は一機種)

社会的には、高負担・高福祉のモデルだったはずだし、スウェーデン
ポルノで有名なように、文化的にも自由進取の国であります。

敗戦後の日本でも、「十七人の自称天皇」や左翼系の天皇廃止論等の
いろいろな動きがあったはずです。

象徴天皇制への移行は、それらのものに比べればずっとマシだったか
ら受け入れられたのだと思います。

日本人一般はともかく、左翼や第三国人や愚連隊やヤクザは元気一杯
に焼け跡を駆けずり回っていました。


[ コメント数 1 読む(F1591) ]

#1592/1600 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1591 ***
★タイトル (********)  04/ 5/ 2(Sun.)   5:53  ( 32)
Re:1591     S1
★内容
歴史的意義のある、あるいは文化的価値の高い有形・無形の文化財を、
後世に伝えていくというのは全くもって賛成であります。というより
現代人の義務であるとさえ思います。

翻って、天皇制(他国のものも含めて君主制と置き換えてもいい)も
そうすべきものなのでしょうか?私は大いに疑問です。古城や美術品
を守るのと、あるいは祭りや行事を継続するのと特定の家系を存続さ
せるのは違う。大名や貴族たちも、特定の地域の住民たちにとっては
天皇に次ぐ「文化財」だったんですかね。

PC−VAN時代から何度も言っていることなのですが、私は、ある
特定の家系に生まれたというだけで、その人を尊敬するということが
どうしても理解できないんですね。国民すべての力で、生活が保障さ
れ庶民とは比較にならないほど贅沢な暮らしをしている。その一方で
職業選択の自由はなく、家系の存続を義務とされる。国民の範たる人
間となるべく(多少語弊があるかもしれないが)躾けられる。
「秋田犬を保護する会」という団体がありますが、天皇は国民のペッ
トなんですかね。

そういえば、「王族というものは、スキャンダルを暴露されたり、バ
ッシングされたりして国民の適度なガス抜きになっている」という説
を何かで読みました。欧州の王族というのはたいがいそうですよね。
日本の皇族もそれに近いのかな。それにしては政府も大手マスコミも
神秘性や高貴さを演出するようなことばかりしているな。

王族がいて、そのまわりにそれを支える貴族たちがいて、といった身
分制度が確立した社会ならばいざしらず、少なくとも建前上は努力と
才能次第で望む地位に上がっていけるのが現代社会であるならば、ど
うあがいても王家以外の人間が王族にはなれない(その逆もまたでき
ない)君主制は、維持すべきものではないと私は考えます。
ダイアナ元妃殿下の悲劇や、雅子妃殿下をめぐる報道(大筋が事実だ
として)をみるにつけ、その思いを強く感じています。


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