〜*〜 ロビー ちょっと 一息 気楽な話題で楽しんで 〜*〜

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#1767/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/ 5(Sun.)  20:33  ( 26)
淀川長治氏の本     S1
★内容
課題図書は読んでいないが、淀川長治氏の本は、10年以上
前(もっともっと前だったか?)に一冊読んだことがある。
タイトルも内容も覚えていないが、氏の映画に対する情熱や
愛が感じられる本だったことは確かだ。しかし、それよりも
私にとって印象的だったのは、終わりの方でほんのわずか数
行ではあったが、気に入らなかった作品のことを書いていた
ことだ。

その本を読むさらに以前に、何かのコラムで「つまらないと
感じた映画はない」と言っているのを読んで、氏の人柄の良
さはわかっていたつもりであっても半信半疑だった。

それが、そうではなかったのだということがわかって、ほっ
としたのを覚えている。氏は、「自分ももう老い先短いので、
言いたいことは言っておこうと思った」と前置きしていた。

いくつかの作品のタイトルが挙げられていたが、ひとつだけ
はっきりと覚えている。映画通でなくとも知っているビッグ
タイトル「キングコング」があったことを。

P.S
S1は「キングコング」を観ていない。というよりあまり観
る気がしなくて今でも未見でいる。だから本当に面白くない
ものなのかどうかは知らない。観てみると案外好みに合うも
のなのかも知れない。



#1768/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1766 ***
★タイトル (********)  05/ 6/ 6(Mon.)  11:36  ( 49)
釈迦いわく      一久
★内容

仏教の有名な説話に、人は他人に水をかけられると怒るが、天に水を
かけられて怒ることはない。これは天が公平だからだ、とかいうのが
あったと思う。

しかし、私はさらにこれに論評を加えようと思う。

人が雨に降られても天に対して怒らないのは、天に対して期待してい
ないからである、と。

天は天の事情で雨を降らせる。私を困らせる為に降らせるのではない。
私を喜ばせる為に雨を恵むわけでもない。人はそれを知っている。

だが、「人」に対してはどうだろうか。

私に水をかけた相手には悪意があると思うのが普通である。悪意はなかった
としても不注意があったと思うのが当然である。しかし、なぜ不注意があった
と思うのかといえば、人は他人に対して水をかけないように注意するはずで
あるという思い込みがあるからである。

つまり、人間は他人に対して甘えているのだ。善意を期待しているのである。
善意の期待が大きいほど、他人に対して怒ることも増えてくる。

すぐ怒る人は、すなわち「愛」に飢えている人だということだ。そして「愛」
は与えるものであり、与えられることを希求して得られるではない、というこ
とは最前から何度も述べたとおり。

愛を求めて怒る人は愛を失い、愛を与えて満足する人は愛を得る。

http://image.infoseek.co.jp/news/photos/yomiuri/20050605i416-1-A20050605233705133M.jpg


【現代事例】

たとえば、両方から荷物を抱えた人がガラスのドア越しに相対したとしよう。

このとき、相手が譲るものと思って我先にドアに向かうもの同志であれば、
互いに怒りと憎しみしか残すまい。

だがまさにこのとき、自分の荷物を脇において、相手のためにドアを開けて
やりたまえ。

相手は恐縮して通るだろう。その姿はあなたの心に涼風を与える。愛を与えて
愛を得ることになるのである。







[ コメント数 1 読む(F1768) ]

#1769/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/ 6(Mon.)  21: 8  ( 23)
シリーズ教育 5     一久
★内容
学問・研究のための教育

最後に、学問・研究のための教育というものがある。

職業上の知識・技術を身につける為の教育よりも、さらに深く幅広い
カリキュラムを用意する必要がある。

なにかを勉強したいと思ったとき、その対象について深く知るための基礎講座、
より焦点を絞った専門の講座、さらに先輩研究者ごとの専任講座が用意され、
誰もが努力しだいで目指す最先端の学問にたどり着けるようなシステムを構築
しなければならない。

そのうえで、独立した研究者に必要な「研究するための手法の教授」を行う場
と、研究論文を発表する場所、そして、学者間で質疑応答や討論をする場所を
設けねばならない。

これらは、インターネットの発達した今日では、技術的にはさして難しいこと
ではないが、事務的にはいまだほとんどできていないことである。

学界全体を見渡して、学問大系を構築する視野を持ち、かつそれを実行できる
政治力を持った学者など、どこにもいないからである。梅棹忠夫氏が三十年若
かったら、あるいはできたことかもしれない。



#1770/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1768 ***
★タイトル (********)  05/ 6/ 7(Tue.)  21:20  ( 30)
Re:1768 私は「汝の敵」を愛せない     S1
★内容
ロッテの移転話もここまでくるともはや哲学の領域だが、正直言って
私は、この件では一久さんとはとうていわかりあえないように思う。

一久さんには、その博愛主義のご高説を、私だけではなく、ぜひとも
世の中すべての人に訴えていただきたい。これは決して皮肉で言って
いるのではない。一久さんは「異常」と言われたが、失礼ながら、一
久さんのような考えを持つ人の方が、現実の世の中では少数派だと思
う。

前にも同じようなことを言ったが、私は、「打算」とか「損得勘定」
とか、もっと言えば利己主義的思考というものを抜きにして、人間社
会は成り立たないと思っている。もちろん、それが全てとなってしま
っては、それこそ大変に生きづらいギスギスした社会になってしまう
だろうが。

そして私は、人が「無償の愛」を与える対象となりうるのは、せいぜ
いが「わが子」くらいのものだ、と言った。一久さんがおっしゃるよ
うに、誰も彼もに「無償の愛」は与えられない。

愛に限らず、人に何かを与えることで、何がしかの見返りを期待する
ことは、果たして責めや咎めを受けるほど醜いことだろうか。私は、
当たり前のことのように思う。

地元に球団がやってくることで、「町が活気づく」「商売が繁盛する」
と期待してはいけないのか。自分たちの儲けのために、球団誘致を利
用することは、強欲でいただけない行為なのか。「地元の球団が勝て
ばスカっとする」「嫌なことが忘れられる」フラストレーション発散
の道具に使うのは、よこしまなことなのか。

キレて暴力を振るったり、ヒステリーを起こしたりするのでなければ、
怒りの感情さえ私は健全なものだと思っている。

#1771/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/ 8(Wed.)  22: 8  ( 13)
#1770 補足     S1
★内容
一久さんの例え話だが、

相手方に謙虚な感謝の態度を期待している時点で「無償」ではない。
どんな態度をとられようとも「自分はいいことをした!」と自己満足
にひたるようでないと「無償」とはいえない。

だとしたら、私はとうていそんな境地にはたどり着けないように思う。

こちらが譲っても、さも当然のようにふんぞりかえって通られたとし
たら、私はきっと不快感と憤りを感じただろう。(ドアの譲り合いだ
けでなく、似たような経験を私は何度もしてきた。)

そんな私は、異常なのだろうか?


#1772/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/11(Sat.)   4:40  ( 13)
#1770 補足2     S1
★内容
前にも書いたが、一久さんの説は正論だ。

ただし、それは、一人一人が目指すべき理想であり、究極の目標だ。

一生涯かけてもシャカやキリストの域まで万分の一、億分の一しか
近づけないかもしれない。しかし、努力を続けることこそが大切な
のだ。

きのうまで、すれ違いざまに肩がふれただけでムカッときていたの
なら、これからはその程度のことでは平静でいられるようになって
いこうじゃないか!

こんな理解でよいのなら、私は折り合える。


[ コメント数 1 読む(F1772) ]

#1773/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1772 ***
★タイトル (********)  05/ 6/11(Sat.)  22: 2  ( 24)
それほどのモンでもないが     一久
★内容

究極の目標、などというような大げさなものではないと思う。

単に、そうしたほうが自分自身の心が楽になる、というだけのことだ。

ところで、他人と外で食事をすることになったとき、相手に何を食べたい
かを聞きますか。それとも、自分は何を食べたいと主張しますか?

たいていの日本人は前者でしょう。


http://uwamuki.com/j/playJ.html.data/tuki.jpg



それは相手に対する思いやり。無償の愛ではないですか。我が子だけでは
なく、誰でも日常的にそれをやりとりしているものではないでしょうか。

もっとも、これは日本人だけのことだそうで、西洋人もアジア人もジコチュウ
なのだそうですが。

お薦めの本   「僕が親日になった理由」金智羽 著 夏目書房




[ コメント数 1 読む(F1773) ]

#1774/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1773 ***
★タイトル (********)  05/ 6/11(Sat.)  22:46  (  8)
Re:1773 しつこくてスミマセン     S1
★内容
一緒に食事をするときに、相手に何を食べたいかを尋ねるのは、誘
う側の礼儀。自分の誘いにわざわざ付き合ってもらうのだから、そ
のくらいはしないとバランスがとれないから。とても「無償」など
ではない。
それと、あまりあからさまには言いたくないが、相手が仕事上の取
引先だったなら、気分良くなってもらって、交渉を有利に進めたい
との期待もある。恋人や友人であった場合は、少しでも自分を良く
みせておきたいと考える人も多かろう。
以上が私の解釈です。

[ コメント数 1 読む(F1774) ]

#1775/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1774 ***
★タイトル (********)  05/ 6/16(Thu.)  21:10  ( 36)
Re:1774 べつにそうでなくても     一久
★内容

べつに自分から誘ったときでなくても、商談のときでなくても、
やはり、同じようにしているのではないかなぁ。


【閑話休題】

ようは、感情に任せて「自然に」怒ることが、はたして自身の
ストレスの解消になっているのか、ということです。

私のみる限りでは、よく怒る人ほど不幸であるように思えるの
であります。幸福な人はめったに怒らない。金持ち喧嘩せず。

それどころか、怒ることによって自ら不幸を招き寄せているの
ではないか。誰も怒りっぽい人に好んで近づきはしまい。

感情に任せて怒ることは本当に自然なことなのか。

私にはそうは思えない。

人が怒るとき、多くの場合、自分の心の中の鬱屈した感情を爆発
させる為の好機として利用している。

冷静に自然に考えればたいしたことではないのに、ささいな理由
を大上段に振りかざして猛り狂っている。このような状態に自己
を置くことが自然で良好だとはどうしても思えない。

さらにいうと、このような傾向は、「天皇制廃止論者」の共通の
態度であるように思えるのです。

左派全般の傾向だとも言えるかもしれない。

ちょっとの正義を振りかざし、そこに己の鬱憤を詰め込んで、遠
く誠実さから離れてしまったことに気づかず、現実を顧みず、つい
には言葉だけではたりずに行動までもが暴走する。



[ コメント数 1 読む(F1775) ]

#1776/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/16(Thu.)  21:28  ( 34)
私の発想法 (一久はいかにして意見を起草するか)     一久
★内容

直前の文章を書いていて、自分の発想法について思い至ったので
記しておく。

実は、私はユニークな意見を言っているつもりはない。ただ、感
情に任せて怒るだけの文章は書かないようにしているだけのことだ。

理不尽だと思える事に行き当たったとき、当然、私にも怒りはある。

だが、それで怒るだけでは、それは政治ではない。政治について
語るものはそれだけであってはならない。

政治とは、理想と現実の間にハシゴをかける行為である。

現実という地面に足がついていなければハシゴは立たないし、理想
という目標がなければハシゴをかける意味がない。

怒りの対象にぶつかったとき、それに対して攻撃をかけるのではなく、
ではいかにすれば良くなるのかを考えること。

いかにネックを探し、迂回し、あるいは融和するか。そのための取っか
かりとして、諸芸文物に対する興味を広く持つ必要がある。

それさえあれば、誰でもユニークな意見など考えつくはずである。

それが政治的に考えるということだ、と私は思う。

これがのみこめれば、あとはアイディアなどいかようにでも出てくる。
自分では出せなくても、他人の意見もあてにできる。

上善は水のごとし、道は無限にある。

怒っているヒマなどあるまい。



#1777/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1775 ***
★タイトル (********)  05/ 6/16(Thu.)  21:46  ( 12)
Re:1775 誤解があるかもしれない     S1
★内容
「ストレスの発散」のために怒るとは、私は言っていないし、
そうだとも思わない。
「幸福な人はあまり怒らない」というのは私もそう思うし、
たいがいの人は「怒りっぽい人」が苦手だろう。
「怒りっぽい」という時点で、「普通じゃない」わけだし。
それと、「誰に対しても無償の愛をふりまく人」というのは、
「怒りっぽい人」よりもさらにずっと希少な存在だと思う。

左翼や天皇制廃止論者は「怒りっぽい」とは関係ないと思う
なあ。右翼やノンポリにも「怒りっぽい人」はいるし、「2
ちゃんねる」で雅子妃に怒りまくっているのはたいがい天皇
制存続派だ。


#1778/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/18(Sat.)  11:41  ( 22)
#1777 補足     S1
★内容
私が思うに、現状に満足している人はあまり怒らない。
現状に満足しきっている人は、現状を変えようという人
がいると怒る。

あくまで私の感じだが、「ちっとも怒らない人」よりも
「多少は怒る人」の方が世の中で活躍しており、向上心
も旺盛のように思う。
うまく言えないが、怒りの感情というものは、上手にコ
ントロールされていると、現状打破の発奮材料となった
り、良い面もあるのではないか。

私は、すべての怒りを肯定していない。
しかし、すべての怒りを否定してもいけないのではない
か。

#1770 で私は、「キレて暴力をふるったり、ヒステリー
を起こしたりするのでなければ〜」と書いた。発したこ
とを反省し、抑えようと努力すべき怒りもある。しかし、
怒りはそれがすべてではない。

これは蛇足だが、「ちっとも怒らない人」というのは、
往々にして面白みのない人間だったり、やたら付和雷同
な人間だったりするような気がする。

#1779/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/18(Sat.)  18: 9  ( 17)
#1777 蛇足     S1
★内容
天皇制廃止論者イコール左翼と決め付けるのは、一面的
すぎると思います。
天皇制を廃し、中国やベトナムのような社会主義国家を
つくろうというのであれば左翼といっても良いだろうが、
アメリカやフランスのような、ある意味今の日本以上に
自由主義をおしすすめた共和制国家を目指すというなら
違うだろう。(社会主義者イコール左翼というのも一面
的だという人もいるだろうし、部分的にはアメリカやフ
ランスの方が日本より社会主義的だという人もいるかも
しれないな)

表面的だけのことかもしれないが、日本の社民党も共産
党も現在では天皇制維持の方針を打ち出している。
それでもって、奥田会長や河野洋平などといった、とう
てい左翼とはいえない人たちが中国を支持している時代
だからなあ。
今ではもう単純に右とか左とかいえないのかもしれない。


#1780/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/18(Sat.)  19:12  ( 16)
なんだかこんがらがってきた     S1
★内容
#1779 を書いて後、ふと思ったのだが、

現在の与党政治をほぼ全面的に支持し、天皇制を廃する
以外はすべてを現状維持とする(天皇は直接的には政治
にかかわっていないのでこのような主張は成立する)の
と、現在の天皇制は堅持するが政治体制も社会構造もも
っと社会主義的にしようとするのと、いったいどちらが
左だろう?

思想のある部分は極左である部分は中道、ある部分はや
や右である部分は極右とか、そういうことになるのかな
あ。

以前、創価学会員のひとりから、「天皇崇拝は間違い。
崇拝すべきは日蓮。」という話をきいた。冒頭の考えを
持つ人間は間違いなくいるだろう。私個人としては、日
蓮崇拝など天皇崇拝以上に受け入れられないが。

#1781/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/19(Sun.)  22: 1  ( 14)
#1780 補足     S1
★内容
政治的主張のある個人サイトをあちこち覗いていたら、
自己紹介の欄で「自分はどちらかというと右だと思う」
と言って社民、共産両党や社会主義国を批判する一方
で、「天皇制は人権の面からも廃止すべきだ」と主張
している人がいた。
「天皇制廃止」はもほや左翼だけのものではないよう
だ。

それにしても、なかなか公務に復帰できない雅子妃に
対するバッシングの多いこと。天皇制存続派の人たち
にとっては、「皇室になじめず適応障害で苦悩する皇
太子妃」というものが許しがたい存在なのだろう。
彼らにとって神聖なのは「古代から連綿と続いている
制度」であって「構成する人間」ではないのだから。
(当たり前といえば当たり前か)

#1782/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/22(Wed.)  22:20  ( 19)
PC−VAN時代の回想     S1
★内容
人間の怒りについて一久さんと論議してきて、ふとPC−VAN時代を
思い出しました。
細かなところはうろ覚えになってしまっていますが、あるボードで酔っ
払いについて論議したことがあります。

居酒屋かどこかで、酔って泣くか怒鳴るかして回りに迷惑をかけている
人を非難して「お酒は楽しく飲みたいものです」と言っている人がいて、
私がそれに異をとなえたのでした。
「誰も彼もが楽しくお酒を飲めるわけじゃない。人によっては大変に辛
いことがあって一時的にでも酒で気を紛らそうとすることだってあるの
じゃないか。それまで否定するのはあまりに無情すぎる。」

理性的に考えてみれば、酔って騒ぐなど周りに迷惑なのはわかりきった
ことで、「お酒は楽しく飲みたいもの」というのは反論の余地のない正
論なわけだけど、いつか自分も同じような境遇になるかもしれないと考
えると、とても一方的にはとがめだてする気にはなれないと思ったので
す。(もちろん、程度の問題はあります。「人を傷つける」「物を壊す」
などは論外です。)

こんな風に考えるのも、自分が弱い人間だからかもしれませんが。

#1783/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/25(Sat.)  20:48  (  7)
酒と泪と男と女     S1
★内容
#1782 を書いていてふと思い出したタイトルがこれです。
特に意味はありません。
まあ、この歌は歌詞もメロディも凄みのある歌なのでこれ
からもずっと語り継がれるでしょう。

ちなみに、私は下戸なので酒で何かを紛らすということが
できません。(全く飲まないわけではないのですが)


#1784/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/26(Sun.)   7:12  (  6)
#1783 補足     S1
★内容
下戸なだけに、やけ酒で乱れる可能性はよけい高いかもし
れません。

主婦の「キッチンドランカー症候群」が話題になったのは
20年ちかく前のことだったでしょうか。それまでは主婦
が酒におぼれるなどあまり考えられなかったのかもしれま
せんが。

#1785/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 6/26(Sun.)  18:33  ( 20)
若貴兄弟の確執     S1
★内容
SAPIO今週号の読者のページにこのような投稿があった。
(立ち読みの斜め読みなのでうろ覚え)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
貴乃花にも言い分はあるのだろうが、身内をさんざんこき下
ろす様はいただけない。若貴ブーム最高潮のときはまるで理
想の家族のように言われていたのに、今のこの醜態には失望
させられる。皇太子発言で揺れる皇室ご一家といい、何か日
本人の大切なものが失われていくような気がしてならない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私は思う。
名横綱といえども、皇族といえども、われわれと同じ人間な
のだ。泣きもすれば怒りもする。考え方が違えば衝突もする。

ただ淡々に職務を果たすだけでなく、理想の家族としてふる
まわねばならないとしたらどれほど大変なことだろう。

若貴の確執については詳しく記事を読んではいないが、程度
の差はあってもどこの家でもあるようなことじゃないのか。
皇室ご一家においてさえも。

[ コメント数 2 読む(F1785) ]

#1786/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで    *** コメント #1785 ***
★タイトル (********)  05/ 6/27(Mon.)  19: 7  ( 14)
Re:1785 その通り↑     KN
★内容
 きれいに書きすぎたマスコミ人こそ現実離れしている。
田舎では遺産相続の争いはあまり聞かなかったけど、最近は
結構ある。露骨ではないものの、裁判費用が欲しいだのと
実家の兄に無心し、そんな争いに疲れたのか、兄は一種の
痴呆状態になってしまった。そんな話も聞く。

 貴の相撲が八百長だななんて皆わかっている。だから昔は同部屋
対決はさせなかった。同部屋で優勝決定の場合は、相撲を取らずに兄弟子。
郷里の横綱だった羽黒山(顔は武蔵丸そっくり)は、確か双葉山に
優勝を譲ったと聞いたが。対戦させた協会のほうが悪いのだ。病人と
相撲を取らせるようなもの。負ければ負けたで言われるし、勝っても
鬼だと言われるし。怪我しての優勝決定武蔵丸戦もそうだと思う。

 美談で追っかけるマスコミはひどく現実が見えなくなっている。


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